23歳
「なるほど、タカヒトは家族想いなのね!」
シスコンではなく家族想い。典型的な大人の表現である。しかしツヴァイ氏の純真無垢な笑顔に裏など感じられない。見事な演技だと思った。
「ミウは理想の妹ね! 遊びに行ってもいいかしら?」
「妹に確認します」
「ありがとう! 楽しみな予定がひとつ増えたわ!」
僕は彼女の部下として全身全霊で働くことを決意した。
「次はナルミね! 期待してるわ!」
「いやぁ、そんなに面白い話ないっすよ?」
苦笑と共に口を開いた女性に対して、僕は初め何の関心も持っていなかった。
「皆さんは私のこと知らないでしょうから、かるぅく自己紹介しますね。鳴海鳴海です。苗字と名前が同じ不思議ちゃんで、社会人経験は、去年新卒で先輩の部下になって、1年ちょちょっとお手伝いしただけです。あ、大学では教育を学んでました。学部卒ですけどね」
関心を持ったのは、今の自己紹介がきっかけだ。
大卒で二年目。普通ならば23歳。それは、僕の妹と同じ年齢だ。
「んじゃ恋バナしますね。私、めっちゃ苗字変えたいんすよ。でも、なあんか彼氏できないんすよね。自分で言うのもなんですけど鬼チョロなんすよ?」
学生のような口調。
そして親しみやすそうな表情。
立派だと僕は思った。
もちろん彼女から特別な何かは感じない。しかし、この場に居ること自体が優秀な証だ。どうやら橋下昇華の部下だったらしいが、誘いを受けたのだろうか。それとも自力で情報をキャッチして立候補したのだろうか。どちらにせよ二年目の社会人とは思えない行動力だ。
僕の妹とは正反対の存在。
だからこそ重ねてしまう。思い描いてしまう。
それは僕が間違えなかった架空の未来。
美羽は、彼女と同じようになれていたかもしれない。
「ええと、タカヒトさん? そんなガン見されると照れるというか、お昼ご飯とか作っちゃうけど大丈夫っすか?」
「……すみません、妹と同じ年齢なので感慨深くて」
「どんだけ妹好きなんすか」
鳴海が苦笑したのに合わせて、周囲も愛想笑いをする。一見すると和気藹々とした雰囲気は、しかしコミュニケーションのひとつでしかない。
初対面の人間が集まって、互いに信頼関係を構築する。それは重要で、必要不可欠なプロセス。
学生ならばここで終わり。
ビジネスの場では、これが前提条件。まず普通の会話が可能か判断し、次に仕事の話が問出来るか判断する。
妹は、この前提条件をクリアできない。
そんなことを考えている間に鳴海さんの話が終わる。
「面白かったわ! 最後はショウカね!」
「私も仕事ばかりで特に経験が無いのですが……」
橋下昇華は覇気の感じられない様子で言葉を止め、急に口角を上げて言った。
「最近、子供の教育を始めました」
僕は恐怖した。理由は分からない。ただ彼女が発する狂気のようなものを感じ取って背筋に冷たい感覚を覚えた。
「親戚の子供です。頼まれて色々なことを教えているのですが、日に日に成長する姿を見るのは良いものですね」
言葉も内容も普通だ。しかし違和感だけが消えない。僕は歯茎に何か引っ掛かった時のような不快感と共に彼女の話を聞いた。
内容は順序立てられたもので分かりやすかった。
子供の教育を始めた。成長が嬉しい。だから子育てに興味を持った。このように自然な流れで恋バナに繋げた後、いっそ教育している子供と結婚するのもありだとか、成長を見守る楽しみは鳴海が部下になった時から始まっているだとか、聞いていて飽きない内容だった。
「これで全員終わりね!」
ツヴァイ氏は元気に言って、
「これから重大な相談をするわよ」
これまでとは比にならないほど真剣な言葉。
僕は他の考え事を保留にして、ツヴァイ氏に意識を集中させる。
「私、どうやったら恋が出来るのかしら?」
……え?
「分かるかしら。この子供そのものな外見。それとなく男性にアピールをしても、決まって娘を見るような目で見られるの」
……これは、ビジネスの話に繋がるのか?
「ごめんなさい、日本語は疲れるから母国語で話すわね」
唐突な母国語が始まる。表情を見るに橋下昇華と天童は理解出来ているようだが、僕にはさっぱり分からない。
せめて英語で頼む。僕の願いが届いたのか、二分ほどで料理を持った従業員が現れた。つまりツヴァイ氏のドイツ語トークは二分以上続いている。
メニューは寿司だった。
一貫あたり回転寿司で一人分の料金を要求するであろう一品が並んだ皿を前に皆の食欲も高まる。
嘘である。主要人物は食欲など皆無な様子だった。
語学が堪能な三人はドイツ語トークを開始して、僕は何の為にここに存在しているのかサッパリだった。
雰囲気としては、ガチで落ち込んでいるツヴァイ氏を二人が慰めている様子。この雰囲気でビジネスの話をしているということは無いだろう。
……大丈夫か、この幼女。
直前に見せ付けられた威厳なんかスッカリ忘れて、僕は静かに息を吐いた。
ふと、正面に座っていた鳴海さんと目が合う。
分かります?
いえ、全く。
簡単なアイコンタクトをして、互いに苦笑する。もしかしたら「早く寿司食べたいっすね」という意味だったかもしれないが、きっと間違っていないはずだ。
ありふれたコミュニケーション。
ありふれた意思疎通をしたことで、僕は、あらためて彼女の――23歳という年齢を意識した。
23歳というのは、一般的に大学を卒業したばかりの年齢だ。きっと一年目の社会人生活は光の速さで過ぎ去ったことだろう。その中で様々な経験をして、二年目の年末ともなれば、いくらか責任の重いポジションを経験しているかもしれない。学生がバイトで月に数十万稼いだみたいな規模の話ではなくて、数百万人の生活に関わるような仕事だ。社会人として、文字通り社会を作る人として、若い感性と最先端の経験を活かして活躍する。23歳とは、そういう年齢だ。
ひとつひとつ、妹と置き換える。
高校を卒業して、大学に進学して、単位の取り方で悩んだり、友人と遊びに出掛けたり、就活を始めて、例えばスーツ姿で僕にピースなんかして――
僕は思考を止めた。
あと一秒でも続けたら、涙が零れ落ちそうだった。
およそ五分後、ツヴァイ氏が立ち直り声を出す。
「元気が出たわ! 二人ともありがとう!」
さて、今度こそ仕事の話が始まるだろう。
僕は何度目になるかも分からない気持ちの切り替えをして、ツヴァイ氏に目を向けた。
更新してもしなくても時間を変えてもPVが変わらない……ので、0時に戻します。