いなくなれメランコリー
喉が焼けるように痛かった。
それは、風邪なんかじゃなくて、涙をこらえたがゆえのの産物だった。
ずっと前からわかっていたことでも、いざ現実を前にすると悲しくてどうしょうもないことはある。
透明な涙が、頬を伝ってベットのシーツに落ちた。わかっている。泣いたってどうしょうもないこと。解決方法なんてないってこと。
真っ暗な部屋を、微かな月明かりが灯す。止まらなくなった涙が頬を濡らした。鼻が詰まって頭が痛い。
自分の意志じゃどうにもならないことってある。止めたい涙も、やめたい「好き」も、本当は疑いたくない他人の気持ちも、強くなれない自分と。
来るはずのない連絡を期待して、通知が入るたびに携帯を気にする。その期待は裏切られて、結局自分が傷つく。
本当の気持ちは言葉では確認できないけど、その言葉さえないと、もっとわからなくなる。自分の気持ちさえわからなくなる。
しんどい片思いなんて、しないほうがいい。
叶わない恋なんて、するもんじゃない。
離れなきゃいけない、今すぐに。
もう会っちゃいけない、なのに。
ただ、やめる勇気がなかった。まだここにいたかった。
突然携帯の画面が着いた。心臓がびくんと飛び出そうになる。
電話だった。――幼なじみからの。
気分ではなかったけれど、仕方なく電話にでる。
『あー、由良』
「…直樹。……どうしたの?」
『あー、俺まずいときに電話しちゃったやつ? わりぃ』
携帯の向こうから、謝っていながらも悪びれた様子のまったくない声が返ってくる。
「なによ」
短く返したけれど、さっきの反応からして泣いていることは声でバレているようだ。
『あーいや、本題は後でいいや。んで、なに、どゆ状態?』
何があったのかを知りたい好奇心なのか、1ミリでも心配してくれているのか、正直私にはわからない。でも、誰でもいいから、ずっとしまっていたものを吐き出してしまいたい衝動に駆られた私がいたのも事実だ。
「思わせぶりなのに、その気がないやつ」
『…は?』
どうしたんだ、という混乱のニュアンスが入った声色だった。無理もない。
「きらいなの。そういう人」
『…あーはい、そゆこと』
でも、私が構わず続けると、何かを理解したようだった。
「きらいなの。いきなりLINEきたと思ったら、突然既読無視するやつ。私から送ってもなかなか来ないやつ」
『うん』
「こっちがどんな気持ちでいるのかも知らないでさ。わかってるよ、あいつが私に気がないことくらい、わかる…。でも、そうなら、好きにさせないでほしかった。思わせぶりな態度とか、取らないでほしかった。中途半端なら、いっそのこと全部無視してくれればよかったのに。好きじゃないって、言ってくれればいいのに、はぐらかすの、いや…。」
『それ、はっきり言ったの?』
だまりこんだ私に、直樹はため息をつく。カーテンが揺れる。風が少しだけある。なまあたたかい風。
「私のことどう思ってるかは聞いたよ。俺はまだ元カノのこと引きずってるから誰かを好きになるとかない、だって」
『……んなら諦めろよ』
「わかってるってば!」
反射でベッドから起き上がって、窓が空いてるにもかかわらず、叫んでしまった。ばか、私。でも、一度喉まで登ってきた言葉は私のからだの中に戻ることはなかった。
「きらいだよ、だからほんとにきらい! 中途半端に優しくする人ほんとに嫌い! ……でも、好き、なんだもん。嫌いと同じだけ…、いや、それ以上、かも。好きなの。なのに、元カノとか言って…はぐらかしてるの、サイテー……」
静寂だった。夏の夜、空気が読めない蝉だけがどこかで鳴いている。その音だけが、夜の闇に吸い込まれるように鳴いていた。それは、寂しさをより一層際立たせるものだった。
『…由良さ、今何時だと思ってんの?』
暗闇に慣れた目で時計を探す。
「…11時半?」
『だよな。近所迷惑。外まで聞こえんぞ』
そこではじめて我に帰る。完全なる八つ当たりをしてしまった。でもまぁそこは直樹だからいいだろう。昔から、直樹は面倒なことの横をさらりとすり抜けていくタイプだ。自分が嫌なことには深入りしない。その上、想像がつかないことが起こっても驚いた素振りは全く見せない。だから、直樹相手なら私も負い目を感じたりしない。
すると、再びため息が聞こえて、その後の言葉私は耳を疑った。
『…なら俺にしときゃいいのに』
「…え、どういうこと……」
意味がわからない。これ以上私を困らせるようなやつじゃない、直樹は。何事にも無関心で、どうでもいいような態度を振りまく、直樹が…。
『なんでもねぇよ。玄関の前に漫画置いとくぞ』
そして唐突に切れた電話をぼーっと見つめて、そんな簡単に他の誰かを好きになれたら苦労しないよ、と呟いた。
「…ん?」
今、玄関て言った……?
慌ててベランダに出ると、道路に直樹の後ろ姿があった。
「……ね、ねえ――ちょっと!」
黒い影が、動きを止めてこちらを振り返った。
『…だから近所迷惑だって』
言い終わる前に階段を駆け下りて玄関を飛び出した。衝動的だった。いつもの私ならしない。
「あのなぁ、だから今何時だと思ってんだよ。危ないから早く帰れ」
白い街頭に照らされた直樹は怪訝な顔をしていた。
「中途半端なこと言ってはぐらかす人嫌いだってば!」
しかし、私がそう言うと少しだけ困った顔をしてうつむいた。
「悪かった。さっきのは冗談だよ。お前がそれ以上困った顔見たいわけじゃねえよ」
コンクリートにうつった私の影を見つめたまま直樹は言った。かと思うと、顔をゆっくり上げて私の顔を見るなり表情を変えた。
「由良、場所チェンジ」
「はい?」
わけがわからないまま立ち位置を交換させられた。そして、直樹は私の顔をまじまじと見て呟く。
「うわぁ、酷い顔してんなぁ」
そして吹き出した。
いや、もう最低。何なのこいつ。
なるほど、こっちからは逆光でいまいち直樹の表情はわからなかった。
でも、直樹は少しでも私の気を悩みから逸らそうとしてくれてるのかもしれないな、と後になってから気づいた。…なんて言っても、正直、今までに直樹の行動の意図なんて理解できたことがほとんどない。それ以前に、ひとつひとつの行動に意味がないのかもしれない。
「今日お母さんたちは?」
「仕事だから誰もいない。あ、鍵」
直樹の問いかけで、鍵もかけないで飛び出して来てしまったことにいまさら気づく。しかも、女子力のかけらもない部屋着のまんま。
「いや、もう家帰れよ。危ないって言ってんだろ」
「じゃあ直樹も危ないじゃんよ!」
そういえば、衝動に駆られて飛び出してきたけれど、私は何をしたかったんだろうか。
「俺はバイト帰りいつもこの時間だっつうの」
うっとおしそうに言葉を吐くわりには、顔は笑っているような気がして、私もなんだかおもしろくなってしまった。
それから、どうでもいい話をしばらくした。高校入ってから直樹に彼女ができないことをからかうのが楽しかったけれど、その話題については何を言っても「うるせぇ」しか言わなかった。
「まぁ、せいぜいしばらく苦しんでろ」
帰り際に直樹は言った。
「その感じ、諦めきれねぇんだろ? んなら俺の知ったこっちゃないね。お前のことだからそのうち諦められるタイミング見つかるよ」
最後に「たぶん」と付け加えるあたり、自分の言葉に責任はありませんと主張しているようだった。でも、今まで誰にも言えなかったこの気持ちを、直樹にぶちまけたことに後悔はなかった。誰か他の人に相談するよりは、幾分マシな助言をしてもらった気がする。
「だから、その時までがんばれ。がんばれなくなったときは俺にLINEすることを許可する」
その“頑張れなくなったとき”というのが、今日みたいにしんどくなったときなのか、諦める決心がついたときなのかはわからなかったけれど、私は「うん」と首を立てに振って笑ってみせた。この恋が成就するという選択肢はないのか、と少し思ったけれど、いろいろ考えてそれを言うのはやめておいた。気づくと涙は乾いていた。
わけもわからず泣きたくなる夜がある。
寂しくなって、心細くなる夜がある。
たぶん、近いうちにそんな夜がやってくる。
けれども、私はそれでもいいと思った。なにかしら、決断の日が必ずくるだろうから、それまでは時の流れと自分の気持ちに身を委ねようと思った。
片平里菜さんの曲で「夏の夜」という曲があります。
本当は涙が喉を伝って
心まで痛みが染みた
そんな歌詞があります。
痛いほど共感して、私はこの曲を聞いて泣いた夜があります。
あとは、米津玄師さんの「アイネクライネ」とか、HYさんの「NAO」とか。
この2つは全体の歌詞にやられました。
あとは思い出の歌とか、いろいろ。
夜って寂しくなるんです。中学生の頃からよくあります。夜中に家出したい衝動に駆られたりとか。
苦しいこととか、哀しいこととか、いつか思い出したときにそんなこともあったなって、温かい気持ちで思い出せる日が絶対にくると思うんです。
そして、そんな時間がどんなに長くても、その後に起こったちょっとの幸せなことがその全部をどうでもよく思わせてしまうんです。
幸せって怖いなぁ。
でも、もし今自分が幸せだと思うなら今を大切にするべきだし、苦しいのなら幸せのために時に身を委ねてもいいのかなと思っています。
読んでくださりありがとうございました。
またここでお会いできますように。
夕海