地獄
「ケイト、ケイト……!」
血まみれで地面に横たわり譫言を繰り返す男を、血と泥で汚れた白衣をまとった男が無表情で眺めていた。いや、無表情と言うには、目線にわずかな期待が混ざっている。
「おい、どこだ、どこ……? ただいま……あぁ、なんだ。みんな、揃ってたのか?」
突如、血まみれの男の声が明るくなる。まるで今、自宅に帰ってきたかのようだ。その異様な様子を見て驚くものは、この場にはもういない。
そう、ここはイエロー第七地帯の医院である。しかし、医院とは名ばかりで、溢れ帰った怪我人に対し治療を行うことはできていない。数週間前、この地帯への補給線は敵軍に突破された。二度にわたる奪還作戦もただ怪我人を増やすだけにとどまり、医院の負担を大きくするだけに終わった。
薬も包帯も軽傷者にしか使えなかったのも、もはや懐かしさを覚える状況だ。俺は平気だ、あいつを治してくれ――そういった言葉を無視し、治療する。「あいつ」が持ち直すことは決してない。助けられたかもしれない、そういった考えを持つ人間はこの医院にはいない。
できることと言えば、床を跳ねる蛆、そして様々な汚れを外に掃き出すことくらいだ。はじめは目に涙をため吐き気をこらえていた十四、五の女も、今ではなんでもないようにそれをする。
そんな地獄が、この医院だった。
先程まで見えない家族と会話をしていた男が、急に苦しみ出した。もはやそのときは近い。
と、汚れた白衣の男が苦しむ男に覆い被さった。白衣の彼の、現状にはふさわしくない長髪が、何をしているのかを知らせない。彼が身を起こしたとき、男の息は既に絶えていた。
「シェリー」
長髪の男が呟く。すると、まだ若い女がいそいそと近づいてきた。
「グレム先生?」
グレム――長髪の男が微笑む。シェリーは僅かに頬を染め、そして一つ息を吐くと未だ温もりが残るそれをやっとの思いで背負い、ごみ捨てへと出ていった。