07 『マカロンを求めて』
翌日、俺はシルヴィアさんの部屋で全身鏡に映った自分の女装姿を呆然と眺めていた。
なぜこうなったのかを順に説明していく事にしよう。
きっかけは先ほど話のタネとして話した、人間界で食べたお菓子の事。
料理のレシピを考えるのが好きなシルヴィアさんに、今まで人間界で食べたもので変わっていたり美味しかった物はありますかと聞かれたのがおよそ一時間前。
それに対して俺が自分の出身国に隣国の貿易商が持ってきた「マカロン」という色鮮やかな焼き菓子が美味しかったと答えてしまったのがその30秒後。
「それでその「マカロン」とはどのようなお菓子なんでしょうか!」
「えーと、表面がサクサクで、中がしっとりしていて……」
「ふむふむ……あ、ちょっと待ってください! メモ取りますから」
「いやいやいや、そんなにしっかり覚えているわけじゃないですから。それにシルヴィアさんと違って俺は食べただけでレシピや材料が分かるわけでもないですし」
初めて見る積極的なシルヴィアさんの姿に戸惑う。
彼女は俺が話したカラフルな焼き菓子の事で頭がいっぱいのようだ。
部屋の中をうろちょろ落ち着きなく歩き回りながら、あーでもない、こーでもないと独り言を繰り返す。
以前も洗濯をする際に素の彼女を見たことがあるが、この人は趣味に走っている時に周りが見えなくなる困った特性を持っているらしい。
俺が珍しいシルヴィアさんの様子を観察していると、彼女は何かいいアイデアが思い浮かんだのか手をポンと叩く。
「そうだわ、実物を食べに行きましょう! 幸いハルマさんは【次元転移】が使えますし」
「えっ? 人間界に行くんですか?」
「あ、失礼しました。軽率でしたわ」
少女は人間界に行くのが嫌で俺がここに来たという事を思い出したらしく、深々と頭を下げる。
そう、俺は人間界に戻ってちやほやされたくないからここに逃げてきたのだ。
「アリナお姉さまにお願いして……いやいや、実物を見たことがあるのはハルマさんだけ……うーん……そうだわ!」
シルヴィアさんはクローゼットを開けると女物の薄水色をしたワンピースを取り出す。
そして俺の方へそれを持ってじりじりと近づいてきた。
「え、ちょっ……シルヴィアさん、その手に持った物は一体?」
「ふふふ、すぐに済みますわ」
……そして、数十分にも渡るシルヴィアさんの化粧術の餌食になって完成したのが今の姿という訳だ。
10代くらいの人間の少女の姿になった俺は、実体験として変身過程を見ていなければそれが男だとはとても信じられなかっただろう。
今、鏡に映っているこのワンピースを着た少女はそれほどまでに「女の子」なのだ。
魔法も使って体のつくりから完全に改造された俺は、作り物とは思えないほど柔らかい自分の胸を揉む。
「俺が女の子になるとは……」
「ふふふ、ハルマさんは元の顔立ちも中性的だったから上手くいくとは思ってましたが、自分でも会心の出来ですわ」
たしかにこれなら絶対に勇者だとはばれないだろう。
というよりも、この姿がどこまで通用するのか好奇心で試してみたくなった。
俺はウキウキしているシルヴィアさんと共に、部屋を出ると館の廊下を進む。
「あっ、シルヴィー! その女の子はだーれ?」
「ふふふ、ハルコさんですわ、モナお姉さま」
「ふーん……そんな子グールにいたっけなぁ」
首をかしげるモナちゃんの横を俺達は平然と通り過ぎる。
すごいぞ、シルヴィアさんの変装術。
結局誰にもばれずに俺達は館の外に出た。
「今回だけですからね」
「わー! ハルマさ……ハルコさんありがとうございます!」
俺は手刀で空間を切り裂くとシルヴィアさんの手を掴んで中に入った。
久しぶりにくる故郷の空気が俺の鼻腔を刺激する。
もう二度と来ないと思っていたが、10年以上ここで育った身としては非常に懐かしい。
シルヴィアさんは羽だけを霧状に変化させて、日傘をさして俺の後をついて歩く。
比較的日光に耐性がある彼女にしか出来ない芸当だ。
「お嬢ちゃん達かわいいね! どう? うちの野菜買ってかないかい、勉強するよ!」
「お! 姉妹でお出かけかい? うちの果物は美容にもいいよ!」
商店街を歩いていると客引きが次々と俺達を呼び止める。
こいつら俺が勇者時代に歩いた時よりもイキイキしてやがる。
シルヴィアさんは声をかけてくる売店のオヤジに笑顔で手を振りながら歩く。
美しい少女に手を振られたオヤジ達は鼻の下を長くした。
「シルヴィアさん、あんな奴ら構う必要ないですって」
「でもなんだか申し訳なくって……」
人間界の商店街に来るのは初めてだという彼女は、目を離すと全ての客引きに引っかかりそうだったので俺は彼女の手を取って早足で商店街を突き進む。
たしか以前来た時は、マカロンは港の近くに売られていたはず。
商店街を抜けた先にある港を目指して俺達はスタスタ歩く。
「さあ着きました。ここが以前マカロンを入手した場所です」
「あらあら、随分と賑わっているんですね」
港にはちょうど貿易船が到着したばかりらしく、たくさんの商人達が隣国の珍しい物を持って商売をしている。
俺は近くにいた商人の一人に質問をした。
「すいません、マカロンってありますか?」
「マカロンですか? すいません、最近仕入れてないんですよね」
「そんな! どこに行ったら食べられますか?」
シルヴィアさんはこの世の終わりのような顔をして商人に問う。
商人はそんな彼女の顔を見て可哀想に思ったのか、真剣に悩みだす。
「うーん……、あっもしかしたら私の妻なら作れるかも」
「商人さんの奥さんがレシピをご存じなんですね!」
商人は船の中に向けて、何か叫ぶと船から美人な女の人が降りてきた。
現れた女の人に対して商人はマカロンが作れるかどうか尋ねる。
奥さんはにっこりすると頷いた。
「どうやら作れるみたいです」
「レシピをお譲りしてもらう事はできませんか? お金ならたくさんあります」
シルヴィアさんはポケットから大量の紙幣を取り出す。
いつの間に館から持ち出してきたのだろう。
商人達はその紙幣の束を見て目を丸くすると、そんなに要らないと手を振って断る。
「そんなに結構です。別に私が考えたレシピじゃないし、母国じゃメジャーなお菓子ですから」
「それじゃあ、そこに積んである商品を全部買い取りますわ」
「そりゃ商品が完売する事は嬉しいですけど、いいんですか?」
「はい! その為に来ましたから」
シルヴィアさんは商人が船から降ろした大量の木箱を指さす。
商人は目を輝かせると、喜んで木箱ごと商品を売った。
シルヴィアさんはポケットいっぱいの札束を出してそれを買い取ると、商人の奥さんからレシピの書かれた紙を大事そうに受け取る。
俺達は大量に木箱を抱えて屋敷まで帰る事にした。
館に帰ると、アリナさんは大量の木箱を持って帰った俺達を見て呆れる。
モナちゃんはお菓子のレシピを手に入れたという事を聞いて嬉しそうに飛び回った。
「まったく、お小遣いをそんなことに使うなんて……」
「お菓子だーー!」
「だってお小遣い貰っても使う場面がほとんど無いんですもの。どうせならこういう時に使った方が楽しいですわ」
ふふんとドヤ顔をするシルヴィアさんにため息をついたアリナさんは女装をしている俺の方をジロジロ見る。
「それに、ハルマさんはなんでそんな格好をしているのかしら」
「ハルマー? 違うよ、この娘はハルコちゃんだよ!」
アリナさんは俺の姿を一目見て言い当てる。
人間界でもばれなかった変装がどうして分かったのだろうか。
「お姉さま、どうして彼……彼女がハルマさんだと?」
「どうしてって……どっからどうみてもハルマじゃない」
俺は変装が解けたのかと思って自分の姿を確認するが、そんな事はない。
アリナさんはペタペタと自分の姿を触って確認している俺に向かって続ける。
「どれだけ変装しても、わたくしの目は欺けないのだわ。姿かたちが変わってもその人の発する魔力のオーラは変わらないの」
「魔力のオーラ?」
「ええ、わたくしにはそれが見えるのだわ」
アリナさんはそういうと、俺にかけられた肉体変化の魔法を打ち消した。
「あー、ハルマーだ!」
「アリナお姉さまには敵いませんわ」
その日から、シルヴィアさんはラスクの代わりにマカロンを作って食べる事が多くなった。
あと、木箱の中に大量に詰まっていたキノコのせいで、それからしばらく館では食事がキノコだらけになったことも付け加えておこう。