01 『元勇者、現おもちゃ』
【次元転移】を使って切り裂いた空間に入った俺の前に現れたのは、巨大な門とその先に見える花園、そしてさらに奥にある豪邸だった。
ここがクリステア家か……。
闇夜に浮かび上がる吸血鬼の館は魔王城ほどではないが不気味なオーラを発している。
まずはこの家で家事雑用でもいいから住まわせてもらえるように頼み込まないと。
意を決した俺は、門の横にある「御用の人は押してください」と書かれているベルを押した。
ピンポーン!
やけに庶民的な音が鳴った後、豪邸の玄関が開く。
そしてパタパタと音を立てて紺色のロングスカートを履いた女の人が庭をかけてやって来た。
黒髪をした美しい女の人の背中には、コウモリのような羽が生えている。
「こんにちは、当屋敷に何か御用ですか?」
「初めまして、突然ですがこの屋敷に住ませてください」
目の前の女の人はキョトンとした顔をする。
手土産でも持ってくるべきだったかな、俺がそう考えていると頭上から楽しそうな笑い声がする。
「ふふふ、シルヴィアー、この人を館に入れてあげようよっ! 私ちょうど新しいおもちゃが欲しかったの」
「モナお姉さま、勝手なことをするとまたアリナお姉さまに怒られますよ」
上を見上げると、銀髪のあどけない少女がふわふわと羽を使って旋回しながらこっちを見ていた。
飛び回るたびに膝くらいの高さのスカートがめくれ上がり、中に履いたシルクのパンツが顔を見せる。
俺はついつい飛び回るパンツ……ではなくモナさんを目で追いかけた。
少女はこちらの視線に気が付いたのか目が合うとニカっと笑い、手を振る。
俺が手を振り返すと、シルヴィアさんは軽くため息をついてから門を開けてくれた。
「ちゃんとアリナお姉さまの許可をもらうんですよ」
「わーい! シルヴィー大好きー!」
シルヴィアさんは俺に「ついて来て下さい」と一言いうと、館の方へ向かう。
その後をごきげんに鼻歌を歌いながら俺達の後ろを飛んでついてくる。
屋敷に入ると、そこではたくさんのメイド達が忙しそうに掃除をしていた。
メイドの背中には羽は生えていない。
「すいません、あの人達って人間ですか?」
「ううん、あれはグールだよ! とっても働き者だけど、命令以外の仕事は出来ないの」
後ろを飛んでいるモナさんが答える。
人間じゃないのか、安堵した俺はメイドの姿を歩きながら観察する。
一見、彼女達は人間にそっくりだがよく見ると関節の動作がぎこちない。
魔界でも何度かグールには出会ったが、どれも体からは腐った臭いがしていた。
その点この屋敷のグールからはほとんど臭いはせず、よく手入れされているようだ。
きっと館の主のアリナさんという吸血鬼も上品でいい人に違いない。
俺がそう考えていると、シルヴィアさんが1階の一番端の大扉の前で立ち止まった。
彼女は扉をノックすると、中に声をかける。
「アリナお姉さま、今お時間は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ、入って頂戴」
可愛らしい声が中から響く。
シルヴィアさんは失礼しますと言うと、ドアを開いた。
そこには大量の書物に埋もれている金髪の幼女がいた。
幼女は読んでいた本を閉じると、可愛らしいクリクリとした瞳でこちらを見つめる。
「あなたは?」
「サイトウ・ハルマです。この屋敷に住みたくてやってきました」
「お姉ちゃん、この人を私のおもちゃにしていい?」
直立不動で答えた俺の肩ごしに背伸びした銀髪の少女が身を乗り出す。
背中に柔らかな双丘の感触が伝わってくる。
「モナ! あなたはまたそうやって変な物を拾ってくるんだから……」
「違うもん! この人間さんは自分からここにやって来たんだよっ」
「次元の狭間にあるこの館に人間が入れる訳ないのだわ!」
そのままの姿勢でモナさんと幼女が言い争いを始める。
それよりも早く、この柔らかな物体を俺の背中から離してほしいんだが。
俺がそう思っていると、シルヴィアさんが間に割って入って来た。
「アリナお姉さま、この人間は確かに一人でこの空間にやってきましたわ」
「シルヴィア、それ本当なの?」
俺はなるべく見せたくなかったのだが、腰に装備した勇者の剣を鞘ごと引き抜いて目の前に持つ。
「あのー、俺一応(元)勇者です。【次元転移】を使ってここまで独力できました」
「勇者ですって!?」
「人間さんすごーい!」
アリナさんは俺から剣を受け取ると、しげしげと眺める。
そして剣を抜き取ろうとするが、勇者以外に引き抜けないこの剣はいくら力を込めてもびくともしない。
幼女はしばらく剣と格闘した後に、俺にそれを返した。
受け取った俺は、いとも簡単に剣を引き抜くと十分に見せつけた後に鞘に納める。
「どうやら本物らしいわね、中に入って頂戴」
幼女はそう言うと、俺達を部屋の中に招き入れた。
四方を天井まで届く大きな本棚に囲まれた部屋に入れられた俺は、目の前に座った三人に対して軽く自己紹介をする。
「改めまして、サイトウ・ハルマです。職業は先日まで勇者をやっていました。今は魔王も倒しちゃったんでフリーターをやってます」
「お初にお目にかかりますわ、わたくしクリステア家の長女であり管理人のアリナ・クリステアと申します。ハルマさんは当館にどういったご用件でいらっしゃったのかしら?」
金髪の幼女は姿勢を正して俺にそう言う。
信じられないが目の前のお人形さんみたいな幼女がこの吸血鬼の館の管理人らしい。
俺はこの館にやって来た経緯と理由を説明した。
「実は俺、目立ったりちやほやされるのが大の苦手なんです。俺は静かに生きたいだけなのに、ある日女神から加護をもらって勇者になってしまった。街を歩けばいろんな人にキャーキャー言われて、騒がれ、注目される。そんなのが嫌で人間のいない魔界に行こうって考えたのが魔王討伐のきっかけです」
そう、俺は静かに生きたいのだ。
正直、魔王も誰かが代わりに倒してくれるのが一番良かった。
食うか食われるかの世界である魔界では、無駄に強かった俺はちょっと魔物を倒し過ぎた。
そしたら血の気の多い魔王に注目されて、決闘を申し込まれて、結果俺が勝ってしまった。
それだけの話だ。
俺は魔王討伐の流れを説明してから、更に話を続ける。
「……そして、誰にも見つからない場所を探し求めてやって来たのが、この次元の狭間だったんです。どうか、この館に俺を住まわせてください。家事雑用でもボディーガードでもなんでもやります」
俺は深々と頭を下げる。
三人は俺の話を聞き終わると、互いに顔を寄せて何やらひそひそ話をし始めた。
数分後、頭を下げた俺に対してアリナさんが口を開く。
「まずは頭を上げて頂戴。私達で話し合った結果、ハルマさんは当館に住んでもらっても構わないという結論になったのだわ」
「ありがとうございます!」
一端頭を上げた俺は再び頭を下げてお礼を言う。
「それで、家事雑用でもなんでもやるという話だけど本当かしら?」
「はい! 掃除洗濯から魔王討伐まで何でも出来ます!」
「それじゃあ、ハルマさんのお仕事は私達三人の『おもちゃ』をお願いするのだわ」
「おもちゃ?」
「ええ、勇者なんて面白い経歴の持ち主をこのまま追い返すのももったいないのだわ。かと言って雑用やボディーガードは必要ない。だから、あなたはおもちゃなのだわ」
こうして、俺のおもちゃとしての生活は始まった。