11 『彼のいない日』
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いつも通り日没前に目を覚ます。
この時間に広い館の中で起きているのは私だけ。
小さな物音を立てると、ガランとした廊下に反響して響く。
私以外動くものがいない館は、静寂でまるで深い海の底のよう。
私は昔からこの時間帯が大嫌いだった。
遅くに起きようと努力しても、体は自然とこの時間に目覚めてしまう。
布団から出ると大きく伸びをする。
正面の姿見には一糸まとわぬ少女の姿が映っていた。
そのままの姿で部屋から出ると、食堂へ向かう。
初めは誰もいない館を裸で動き回る事にスリルを感じていた。
これは退屈しのぎに考えたゲームだ。
それがいつの間にか習慣化して今に至る。
食堂に着くと、奥の棚からマカロンの入ったバスケットを取り出す。
2人分入っているカゴを見て小さくため息をつく。
彼はまだ眠っている。
モナお姉さまを助けるために大怪我をしたらしい。
昨日お見舞いに行った時、彼は苦しいのにも関わらず笑顔で私を迎えてくれた。
最近この館に来た彼は勇者様だ。
魔王を倒した勇者は今ここでおもちゃになっている。
退屈でしかなかった朝の時間は、彼の登場でいつしか楽しみな時間になっていた。
この時間は私だけが彼を独占できる。
このマカロンも彼が教えてくれた。
外出した際に付き添ってくれたのも彼。
はじめは玩具でしかなかった彼が、いつの間にか私の生活の中心になっていることに気づく。
私だけじゃない、お姉さま方も話すのは彼の話題ばかり。
彼のことを話している時のお姉さま方はキラキラとした笑顔で本当に楽しそう。
ふと、自分が無意識に彼の眠る部屋の前まで歩いて来ていた事に気が付いた。
ちょっとだけ顔を覗いていこうかしら。
私は音を立てないように扉を開くと、部屋の中に入った。
包帯でグルグル巻きにされた彼はベッドの上ですやすやと眠っている。
ベッド脇にはたくさんのお花や本が置かれており、彼が皆に慕われていることが分かる。
彼が今使っている枕カバーは私が編んだ物だ。
私は彼の横に置かれた椅子に腰かけると、寝顔を見ながらマカロンを頬張った。
起きている時の彼の顔はいくつも修羅場をくぐってきた歴戦の戦士だからなのかとても凛々しい。
でも、今の彼は凛々しいというよりは可愛らしい顔をしている。
普段見せない完全に無防備な彼の姿。
ふとたまらなく愛おしくなり、そっと額に口づけをする。
彼が目を覚ましたら何も着ていない私の姿が見られてしまう。
そう考えたらなぜか少しむずかゆい気持ちになった。
以前は人間相手にこんな感情は抱いたことはなかった。
私は自分の気持ちの変化に戸惑う。
この間までは彼と一緒にお風呂に入っても大丈夫だった。
今は彼に素肌を見せることがとても恥ずかしく感じる。
果たしてどちらが健全なのだろうか。
恥ずかしくなってきた私は残り一人前になったマカロンを椅子の上に置いて、部屋を後にする。
一体どうしちゃったんだろう。
心臓がドクドクと激しく拍動し、体が熱くなる。
今日は調子がおかしいみたいだ。
私はこの気持ちをただの気の迷いと思い込むことにした。
もう部屋に戻って着替えよう。
時計を見ると時刻は比較的早起きなグールが起き出す時間の少し前。
自分でも驚くくらい長い間、彼の顔を眺めていたらしい。
私は足早に部屋に戻ると服を着てベッドに横たわった。
今日はなんだか疲れた。
お姉さま方が起きてくる時間まで部屋で休んでいよう。
目を閉じると彼の顔が脳裏に浮かんできそうなので、寝そべりながら本を読んで誤魔化す。
結局、彼の事ばかり頭に浮かんできて、本は1ページも進まなかった。
私は食堂に向かうとお姉さま方に挨拶する。
まだ心臓が少しドキドキしていた私に、アリナお姉さまが優しい顔で微笑む。
相変わらず背の小さなお姉さまはいつも私の心を見透かしている気がする、やっぱり小さいけど。
私がそう考えると、お姉さまは少しムッとした顔をした。
モナお姉さまは自分が彼を傷つける原因になった事が申し訳ないのか、今日も朝ごはんを食べたらすぐにお見舞いに行くつもりらしい。
昨日も彼女は夜遅くまで付きっ切りで彼のお世話をしていた。
……少し羨ましい。
いつも元気なお姉さまだけど、彼が怪我をしてからはずっとシュンとして落ち込んでる。
私やアリナお姉さまが励ましても彼女を元の明るい表情にすることは出来なかった。
姉妹の中ではモナお姉さまが一番最初から彼の事を気に入っていた。
はじめは仲のいいお友達のような感じだと思っていたけど、最近の彼女はどこか違う。
彼の事を話す時も、時々前には見せなかったような慈愛に満ちた顔をするようになった。
大きく態度には出さないけど、彼と一緒にいる時のモナお姉さまは以前とは違い、より女の子っぽい仕草をしている気がする。
食事を手早く終わらせた彼女の顔は、よく見るとうっすら化粧が施されている。
以前は寝癖もそのままだったのに……。
私はそんなモナお姉さまの姿を見ていると、少しだけ不安や焦燥感が胸をよぎる。
なんだかお姉さまに彼が取られてしまうような気がして心が痛む。
この気持ちはなんなのだろう。
もう一回彼に会ったら分かるかもしれない。
私はモナお姉さまと一緒に彼のお見舞いに行くことにした。
部屋に入ると彼はもう起きていて、こちらに笑顔で手を振る。
椅子の上に置かれたマカロンは少し減っていた。
モナお姉さまは彼の隣に座ると、申し訳なさそうな顔を彼に向ける。
そんなお姉さまを彼は優しい言葉で包み込む。
お姉さまは顔を赤くして少しモジモジしていた。
以前までのお姉さまだったら、あんな態度はとらなかった。
今のお姉さまはなんだか私の知ってるお姉さまじゃないみたい。
快活な少女の顔は、まるで恋する乙女のように……。
恋?
でも彼は吸血鬼じゃなくて人間よ。
おかしい?
本当におかしいのかしら。
恋という言葉が頭に浮かんだ途端に、目の前で恥じらっている少女の姿がまるで鏡に映った自分のように見えてくる。
私は恋をしているの?
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