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自分のために、それが人のために

作者: 七夕ハル

 それぞれの道は、どこにある。僕らの道は、向こうに続き、彼らの道は、池に続く。向こうとは、象徴である。一種の“先”を意味している。だけれども、先は、ある日突然終わりをむかえる。そして、新たな道を新たな開拓者たちが、様々な道具を用いて、切り開いていく。皆は、皆ランドメーカーなのだ。シムシティというゲームがある。そのゲームによって街は作られて整備される。このゲームを面白いと思う人間は、やがて政治に参加することになるだろうか?でも、そこに必要なのは、楽しむことではないのだ。一種の奉公が求められる。楽しむというコトバがいけないだって?そんなことってありうるの?楽しむというのは、どこか自己中心的な響きがないかい?いや、そうじゃない。楽しむのは、みんなで楽しもう。一人も楽しまない人がいないようにしようじゃないか。理想論をぶちあげるな!誰かが叫ぶ。理想が、なくてどうして僕らは、生きていけよう。何か問題が起こってから対処するだけでいいの?対症療法でいいの?人間って、そんなに悪いもの?人間は、自ら望む姿になれるはず。それには、様々な障害があるだろう。人間関係、過去、時代、自分。この自分という奴が一番の曲者だ。自分というものは、経験によってすべてが決まると思っている。例えば、フロイト・メイウェザーに全盛期の辰吉は、勝てないだろうか?経験上、皆は、無理という。マイク・タイソンにミニマム級のボクサーは、勝てないだろうか?経験上、皆は、無理という。でも、そのミニマム級のボクサーが、マイク・タイソンと戦うことは、その人にとって、ただ一回の出来事なんだぜ?なんで皆が、無理って決めつけるんだ?もし、若い頃から、辰吉が世界一を目指していたら?辰吉は、どこかで自分の限界を知ってしまったの?でも、それって知ったら、何か違うことしなきゃいけないよね。そこから、さらに限界を知る日が来ても、何が正しいか選んでやるしかないよね。自分の限界を知ることこそが限界なんじゃないの?あまりにも酷なコトバかな?じゃあ、言おうか。限界って何?未来が見えたの?未来を予知できたの?そんな力人間にあった?もし、あなたが目標を持って、そのくらいで良いと信じるならば、そこで夢は終わってしまうよね。だから、僕は、考える。宇宙一の物質になってやるぞと。宇宙って不思議なもんで、いろんな元素でできているってよ。じゃあ、一番って何よ。そのことを決めるのからして、難しいよね。“何にとって一番か?”その問いが大事だ。僕は、何のために書くの?世界から争いがなくなるように。すべての人が気持ち良く、楽しく、幸福に生きれるように。そのために書くっておかしい?文学のためじゃなく、哲学のためでもなく、自分を含めた(過去も未来も含めた)すべての人間のために。生きるってことは、本来良いことのはずだよ?でも、ぼんやりしすぎているよね。わかるよ。僕は、誰かのために書いている。この文章は、自分のために、そして、それは自分だけじゃなくて、多くの人のために。徳永英明の歌にあるよ。“夢を信じて生きていけばいいさと”もっと、自由に人に響け!幸せ!!

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