おいてけ堀
おいてけ堀
沖田 秀仁
誰かが蓬莱橋へ向かって広小路を駆けて来る。
草履で地面を蹴る拍動のような力強く規則正しい微かな音だ。
弥生のまどろみを破る足音に、弥平治は寒の戻りを感じながら半身を起こした。
「お前さん、何かあったようだね」
と、廊下から襖越しにお菊が声を掛けてきた。弥平治が起きだした気配に掻巻姿のお菊が部屋の襖を開けて入り、乱箱の上の衣桁から袷を取って両手で広げた。
「ああ、あの走り方は番太郎の籐太だな」
弥平治は床から離れて夜着を脱ぎ、お菊が肩に掛けた藍江戸縞の袖に手を通した。
本所改役同心の貝原佐内から手札を受けて三年と、まだ駆け出しの弥平治は何はともあれ駆けつけなければならない。紺無地の博多帯を手にした時に足音が止み、下の腰高油障子を激しく叩く音が聞こえて来た。
「親分、殺しでさ。小名木川は高橋の袂で」
と、息せき切って叫ぶ籐太の声が聞こえた。
本所と深川の境は竪川だ。それ以南は深川の持ち場だから、小名木川の死体なら探索は深川を縄張りとしている弥平治の仕事だ。おそらく海辺大工町の自身番から門前仲町の自身番へ報せがあったのだろう。
「おいおい、そんな大声を出すンじゃねえ、ご近所様はまだ白川夜船だぜ」
と、弥平治は刺すように小声で叱った。
短い音を立てて帯を締めると、お菊が神棚の十手を袖に取って差し出した。それを受け取り、弥平治は手慣れた所作で懐に差した。
「それじゃ、行って来ら。しっかり戸締りするンだぜ」
そう言うと弥平治は尻を端折り、身軽に階段を下りた。
「おう、千吉には報せてあるンだろうな」
と、弥平治は雪駄に足を乗せるのももどかしそうに油障子越しに問い掛けた。
「へい、ここへ来る前に番見世へ寄って、腰高障子の桟を叩いて来ましたから」
―多分起きているでしょうよ、との言葉を籐太は省いた。
確かめたわけではないようだが、跳ね起きて当り前だ。弥平治の下っ引を二年半も勤めれば番太郎に叩き起こされて、眠気と相談する暇のないことくらい身についているはずだ。
心張棒を外すと後ろのお菊に渡して、弥平治は敷居を跨いだ。弥平治の背で切り火を切ったお菊に番太郎は小さく挨拶したようだが、弥平治は構わず駆け出した。
脇路地から飛び出ると門前広小路の南詰めだ。富岡八幡宮から南へ真っすぐ伸びる大通だが、大島川に突き当たるまでの三十間ばかりと、両国橋西広小路と比べるまでもなく短い。その門前広小路が南下して大島川に突き当たったところに一ノ鳥居が建ち、悪所で名高い大新地へと繋がる蓬莱橋が架かっている。
千吉が寝ている番見世とは門前二ノ鳥居から広小路の両側に連なる仲見世の一軒だ。本来、広小路は延焼を防ぐ火除地のため建築などは禁じられている。ただ火事の折には直に取り壊される簡素な小屋に限って目を瞑った。その小屋は床店と呼ばれ宿泊も居住も禁じられていた。しかし日暮れから夜明けまで無人にするとかえって不用心のため、番人に限り寝泊まりを許した。その番人が宿泊する床店を人々は番見世と呼んだ。
弥平治が駆け出すと仲見世の連なる中ほどに、五尺一寸ばかりの若い人影が湧いた。
「おう千吉、ついて来い。場所は小名木川だ」
弥平治がそういうと「へい」と返事がして、敏捷な足取りで千吉が駆け寄って来た。
江戸時代の男たちの並みの背丈は五尺と一寸余りだ。弥平治は手習指南所を済ませたばかりの十二には早くも五尺を超え、その齢から川並人足に交じって働いた。そのせいか今では五尺五寸の上背に肩幅も広くがっしりとしている。腕っ節も強く喧嘩早かったため、時として道を踏み外し深川の嫌われ者で通っていた時もあった。
小走りに駆けている弥平治の背後から「親分」と千吉が声をかけた。
「まさかモノの怪の祟りじゃないですよね」
と、何かを恐れるような千吉の言い方に、弥平治は「ばかを言うンじゃねえ」と叱った。
殺しといえば痴情怨恨に物盗りと相場は決まっている。この御時世に『モノの怪』噺でもあるまい、と弥平治は鼻先で笑った。
しかし去年の秋口から小名木川の高橋から新高橋にかけて昔語りの『おいてけ』が出るという噂が立っていた。なんでもその辺りで釣りをして夕暮れ時に帰ろうとしたら「おいてけ」と人の声とも思われぬ低い声がするというのだ。辺りを見回しても人影はなく「ギャッ」と悲鳴を上げて魚籠も釣り棹も放り出して逃げ帰るという事件がここ半年の間に何件かあったそうだ。お正がやっている居酒屋の客がまことしやかに語っていた。
しかし数匹の魚を盗られたというだけで『おいてけ』騒動に岡っ引が本気で首を突っ込んだら沽券にかかわるどころではなく、それ以後は七輪の焼魚を盗って逃げた猫まで十手片手に後を追わなければならなくなる。そんなみっともないことは願い下げだが、人が殺されて知らぬ判兵衛を決め込むわけにはいかない。
徳川家康が行徳から塩を江戸城下へ運ぶために、中川と大川の間を開削して繋ぐように小名木四郎兵衛に命じた。それにより人々は運河を小名木川と呼ぶようになった。
永代寺門前東町から小名木川高橋まではかなりの道のりで、深川を東西に走る掘割を江戸湾に近い南から順に挙げればまず大島川で次いで油堀、次に仙台掘りがあって、やっと小名木川になる。本所と深川を隔てる竪川はその次だ。いわば弥平治と千吉は夜明けの深川を南の端から北の端近くまで駆けたことになる。
息を切らして高橋袂へ駆けつけると、海辺大工町の番太郎が六尺棒を持った鳶衆と一緒になって、集まって来る物見高い野次馬たちを大声で蹴散らしていた。
「おう、おろくは土手下か」と、弥平治は番太郎に聞いた。
「へい、佐賀町の親分が先刻よりおろく検分をなさっていまさ」
と言って、番太郎は土手下を覗き込むように背伸びした。
弥平治はなぜか厭なものを感じながら、千吉に土手上で待つように命じて二間ばかりの急な土手を用心深く下りた。思った通り砂地は下っ引たちに散々踏み荒らされた後だった。
既に夜は明けて龕燈の助けは不要になっていたが、辰五郎はおろくの衣文を肌蹴て下っ引に照らすように顎で指図していた。弥平治は辰五郎の傍に近寄って腰をかがめて挨拶をした。
辰五郎は同じ本所改役でも北町奉行所の上席同心内藤帯刀から二十数年も前に手札を受けた五十年配の古参だ。配下の下っ引も十人を下らず、大親分の呼び名が高かった。
辰五郎の女房は仙台堀河口に建つ船宿『磯浜』の一人娘だった。いわば辰五郎が二十以上も齢の離れた箱入り娘を手篭め同然に入り込んだ。その『磯浜』は昨年の春から夏にかけて大掛かりな改築をして、今では大川端で暖簾を張る船宿の中でも評判の店だった。
辰五郎の周囲には五人ばかりの手練た下っ引たちが屏風のように取り巻いていた。
「おう、お若いのが遅れてのお出ましかえ。もっとも永代寺門前東町からじゃ深川の外れから外れまで駆け付けたも同然だから遅れても仕方ねえか」
僅かに顔を上げてそう言うと、辰五郎は自分の検分は終えたとばかりに立ち上がった。
そして大仰に腰を伸ばして「儂はこれで帰るぜ」と言い残しておろくの傍を離れた。
弥平治は辰五郎の直後で気後れしたが、岡っ引が現場でおろくを改めないわけにはいかない。懐から棒十手を引き抜くと朝日を頼りに仰向けにされた全身を子細に見回した。
おろくは剃髪した五十前後の男だった。上背は五尺ばかりとそれほど大きくないが、肩幅は広く大きな手をしていた。白くなった右手は拳に閉じられ、そこには按摩笛がしっかりと握られていた。
「おろくは按摩か」と、傍らに立つ六尺棒の男に聞いた。
「へい、名を法市といって本所入江町の一軒家に住んでる按摩でさ」
と、若い鳶職は淀みなく教えてくれた。
おそらく集まった野次馬たちが声高に話しているのを小耳に挟んだのだろう。入江町とは横川と竪川が交わる辺りに横川に貼りついた細長い町だ。深川は職人の町だが、本所は御家人や旗本が多く暮らす町だった。
「ということは、法市は小名木川の南河岸道を歩いていたということか」
と呟きながら、弥平治は膝を折って法市の首筋の糸のような傷痕に目を落とした。
それは一見したところ細引きを巻き付けられたかのような擦過傷だ。ただその程度の傷で人が殺せるものなのかというほどのものだが、人を不意に襲って河岸道から小名木川へ引きずり込むには十分かもしれないと思えた。弥平治は「うむ」と唸って、
「昨夜この河岸道で争うような物音や、悲鳴を聞いた者はいないのか」
と、弥平治は土手上を振り仰ぎ、土手下を覗き込んでいる海辺大工町の番太郎に聞いた。
「宵の口に小名木川に何かが落ちたような水音をこの近くの長屋の者が何人か聞いているようですが、悲鳴や激しく争う物音は何も聞いちゃいません」
そう言いながら、番太郎は大きく首を横に振った。
「そうか。ところで杖が見当たらないようだが、引き潮に持って逃げられたのか」
誰にともなく聞いたが、何の返答も返ってこなかった。
若い鳶職が「按摩杖はなかったですが、河岸道に枝を払った竹が捨てられていましたが」と言って、土手下に放置されている長さ二間ほどの竹を指差した。
孟宗の小枝を払っただけの新しい孟宗竹が土手下に転がっていた。ただ上から二節目の小枝だけが根元から一寸ばかり残してあった。それが何を意味するのか忖度することもなく「そうか」と呟いただけで、鳶衆が粗莚や戸板を土手下に下ろすのを見守った。
弥平治は何か腑に落ちないものがあった。それは法市の殺害方法だ。黄昏迫る河岸道を杖を頼りに歩いていたが、いきなり首に細引きを掛けられた。それも息が詰まるほど強く引き寄せられ足を踏み外して奈落の底へ土手を転がり落ちた、ということなのだろうか。今は水が退いて土手下は砂地の細長い洲になっているが、昨夕は満潮で水没していたはずだ。しかし溺死でないことは涼しげな顔を見れば一目瞭然だ。
「ちょいと、待ちな」
と、弥平治は鳶衆を掻き分けておろくに近寄った。
膝を折り、首に巻きつく糸のような傷痕を右手の指で広げて思わず仰け反った。
白い傷口が大きく開き、首は深々と斜め上へと切り裂かれ血管を一撃で断たれていた。背筋を悪寒が走り全身がザワザワと粟立った。
法市は竜吐水さながらに首から血を撒き散らしたに違いない。河岸道に血溜りがなかったことから、小名木川に落ちてから首を切り裂かれ叫び声を上げる間もなく絶命したのだろうか。
「おう、法市は懐中物を盗られていなかったか」
と、再び弥平治は土手上の番太郎に聞いた。
「へい、辰五郎親分が懐を探られた痕跡はないと申されていましたが」
番太郎は申し訳なさそうに首筋に手をやった。
既に辰五郎親分が検分したあとで、法市の黄八丈の衣紋は大きく肌蹴られ、弥平治がその真偽を確かめることはできない。しかし何も盗られていないとすれば下手人の狙いは何だろうか。殺しは痴情怨恨に物盗りと相場は決まっている。他にあるとしたら口封じだ。
弥平治は腕を組み法市の青褪めた顔を見下ろした。が、そうしてばかりはおられない。付近の状況をも検分すべく、弥平治は土手下の叢を改め土橋の下を覗いた。
すると古い土橋の丸太と桁が交差する箇所から六寸ばかり離れた橋板の丸太と六寸五分ほど離れた桁の丸太に、紐で何かを縛ったような新しい痕跡が認められた。しかし括りつけられていた物は既に取り去られ、そこに何が縛り付けられていたかは判からなかった。誰がいつ何を括り付け、そしてなぜ取り外したのかという疑問が弥平治の胸に残った。
それにしても法市は何処へ行こうとしていたのだろうかとおろくを見下ろした。
小名木川は横川と交わっている。だから法市が住処からこの界隈へ来るのに小名木川の河岸道を通ったとして不自然ではない。しかも小名木川の北河岸は武家屋敷の白壁が石組土手の上に連なり、人が往来する河岸道はない。僅かに高橋の北詰に竪川の二ツ目橋までまっすぐに北上する通りの西側に常磐町二丁目の町人割があるだけだ。だから横川に貼りついた入江町からこの近辺の海辺大工町へ来るには、小名木川南河岸道を通るしかないのは分かっているが。
「それじゃ親分、法市の亡骸を自身番へ運んでよろしいでしょうか」
と、番太郎が考え込んでいる弥平治に遠慮がちに聞いた。
番太郎は自身番へ一刻も早くおろくを運びたがっていた。夜が明けた河岸道は益々増える野次馬に鳶衆も手を焼いているようだ。
「うむ、そうしてくれ。ところで辰五郎親分はおろく改を自分でやるといわれたか」
棒十手を懐へ差しながら、弥平治は土手下に下りてきた番太郎に聞いた。
慣例では殺害場所を縄張りとする岡っ引がおろく改をやることになっている。
おろく改とは検視のことだ。岡っ引がおろくの状況を仔細に口述し、それを書役が調書にしたためて本所改役同心の手を通して町奉行所へ提出する。だから仇や疎かに出来ないが、一刻も早く事件の探索に取り掛かりたい岡っ引としては遠慮したい役目だ。おろく改は完璧に済ませて当たり前で、後に見落としが露見しては目も当てられない仕儀となる。
「辰五郎親分からは何も聞いておりませんが」と、番太郎は身を縮めた。
辰五郎親分がおろく改をやらないのなら弥平治がやるしかない。元々辰五郎は月番違いの北町奉行所同心から手札を預かっている。今月は南町奉行所が当番月だ。南町奉行所同心から手札を預っている弥平治がおろく改をやるのが筋だといえなくもなかった。
弥平治は下手人探索を後回しにして、まずは戸板の後をついて海辺大工町の自身番へ向かった。おそらく辰五郎親分は早々と下っ引たちに命じて法市の昨夜の足取りを追わせているだろう。下手人探索で出遅れの感は免れないがそれも御用だと肝に銘じた。
自身番は二間に三間の簡素な造りの町内の諸事を取り仕切る建屋のことだ。平生はそこに町役と書役に番太郎の三人が詰めている。ただ町内で事件などがあると鳶職たちが助勢に駆け付けて、狭い自身番は足の踏み場もないほどになる。
粗莚を掛けられた法市は戸板のまま六畳ほどの土間に寝かされた。その奥には六畳の板の間があり、板の間の奥の壁際に鉄輪があった。それは捕えた者を町奉行所に引き渡すまで捕縄の端を縛って逃げないようにするためのものだった。
弥平治が粗莚を取り、番太郎たちにおろくの生乾きの着物を脱がすように命じた。書役は文机に紙を広げて硯を引き寄せ筆の先を硯の墨池に浸した。
法市は黄八丈の袷に焦げ茶の博多帯と贅沢な品を身に纏っていた。按摩は検校の下に連なる盲人だけの当道座という互助組織がある。関東は総禄検校が総取締役に就き、幕府から金貸の許可を与えられるなど手厚く保護されている。法市も按摩の傍ら金貸などもしていたのだろうか、按摩稼業だけでこれほど実入りが良いわけがない。
法市は五尺足らずの上背に比して腕だけは異様に大きく手も肉厚で、節くれだった指は太鼓撥のように太かった。
「深川に法市のご贔屓でもいたのか」
と、弥平治はおろくの下帯を解いている番太郎に聞いた。
入江町から海辺大工町の界隈まで出張るのは大変だろう。杖を頼りに法市がわざわざ遠方までやって来るにはそれ相応の理由があるはずだ。
「本所は御家人の組屋敷や旗本屋敷などの貧乏所帯が多く、按摩を呼ぶどころではないでしょうよ。按摩に体を揉んでもらうにはそれ相応のお足がいりますから。まあ上々吉のお客といえば佐賀町に軒を連ねる米蔵屋敷の手代や番頭たちでしょうかねえ」
と、番太郎に代わって土間の入り小口に立っている鳶の頭がこたえた。
なるほど旗本屋敷にも出入りしている頭のいう通りだろう。力仕事をしていてもお足がなければ按摩を呼べない。反対にいつも力仕事をしている人足が按摩を必要としていては養う家族の口が干上がる。米蔵屋敷の番頭ならいつもは蔵前の店で帳付をしているが、棚卸などで佐賀町の米蔵に出張ってくれば人足に交じって米俵を担がないわけにはいかない。
弥平治が聞いている間にも番太郎は法市の遺品を大袋から取り出した。おろく改を始めるに先立って、番太郎が法市の懐中物を上がり框に並べて置き、一つ一つを声に出して明らかにする。それを書役がおろく改めの調書の文頭に書き記すのが決まりだ。
「一つ、紙入れ。唐桟の拵えにて中身は一分二朱と五十六銭なり。一つ手拭二本なり。一つ漆塗りの按摩笛、ただし按摩笛は右手に持っていたものなり」と、番太郎は框に置いた法市の遺品を声に出して改めた。そして番太郎が言い終えると、黙って聞いていた弥平治が「法市の懐に按摩笛を入る袋はなかったか」と、聞いた。
按摩笛とは音階の異なる二本の笛からなり、それを同時に鳴らすことから独特な音色がでる。長さは四寸ばかりあって使わない時は袋に入れて懐に仕舞った。漆塗りの按摩笛を持つ者ならそれを入れる袋も唐桟などの高直な布で作ったものでなければ釣合わない。
「いえ、法市の懐にあったのはこれだけですが、」
と、番太郎が不審そうな顔をして弥平治を見た。
「そうか、なかったか。ないものは仕方ねえ。ではおろく改を始めるとしよう」
と言って、弥平治は書役に向かって目配せをした。書役は「うむ」と応えた。
「おろくは入江町住民にて名を法市という。おろくに残された傷は首正面右側に水平な一筋の断ち傷のみ。傷口の幅は糸ほどにて長さはほぼ首を半周。傷の深さは二寸五分余にして首の血管を切断し、それが命を奪ったものと思われる。傷痕は太刀傷とは明らかに異なり、しいて類似する凶器としては髭剃を思い浮かべるのみなり。ただし、髭剃にて血管を断ち切るほど深く切り下げるは困難にして、得物がいかなるものかはいまだ判らず」
と、弥平治は法市の体に残る痕跡を記させ、併せて小名木川に浮いていた法市の身に何が起こったかを推し測り、現場の検証結果と齟齬が生じないように口述した。
「親分、法市を紐で絞め殺してから小名木川に落とした、ということでは」
と、町役が口を挟んだ。
「いや、紐状のものを首に巻きつけ腕力でかような傷を負わすことは無理かと。法市の首には細い刃物で切り裂いた深い傷が首の左側にあるだけにて。しかも土左衛門に特有の浮腫が見られない。よって溺死ではなく大量の血を瞬時に失い絶命したものと思われます」
と、弥平治は還暦過ぎの町役に遠慮がちに言った。
そうは言ったものの弥平治には何も解っていなかった。下手人はどのようにして法市の首を切り裂き、小名木川へ突き落したのか。引き込んだとしたら下手人は弥生のまだ水の冷たい小名木川の中に立っていたのだろうか。それとも船に乗っていたのだろうか。満潮の小名木川は土手下ですら股下ほどの深さがあったはずだ。
怪訝な思いに囚われつつも、弥平治はおろくをうつ伏せにして背中や足の先まで改めて口述した。勿論ぬかりなく手順通り子細に行ったが、首筋の傷痕以外にこれといった傷痕はなかった。法市の死因は首の血管を断たれたことによると断定しておろく改を終えた。
一息ついて弥平治が番太郎の淹れた茶を飲んでいると、腰高油障子を引き開けて小振りな本多髷に黒紋付巻羽織の貝原佐内が顔を出した。五尺七寸近い面長な痩身の男だった。
「弥平治、おろく改は済んだのか。後で口書を読ませてもらおう」
そう言いながらのっそりと自身番に入ると、羽織を着た二人の手先も入ってきた。
町奉行所は南北に二ヶ所あり一月ごとに当番を変わった。今月は貝原佐内の南町奉行所が当番月にあたる。だから海辺大工町の自身番から報せを受けるや、おっとり刀で駆けつけたのだろう。ただ、狭い六畳の土間に貝原佐内主従まで呑み込むと足の踏み場もない。弥平治は「旦那」と声を掛けて立ち上がり、上がり框を貝原佐内に譲った。
「ところで」と言いながら、貝原佐内は番太郎が差し出した湯飲みを受け取ると上がり框に腰を下ろした。そして茶を一口啜ると書役に振り返って、
「この界隈じゃ去年の秋口から『おいてけ』騒動があったというが、」と聞いた。
弥平治や千吉も噂話でしか聞いていないが、貝原佐内も町廻りの途次に立ち寄った海辺大工町の自身番で『おいてけ』の噂を小耳に挟んでいたようだ。
「役所の古株に聞いたところでは『おいてけ堀』は深川の昔語りではなく、本所御竹蔵の裏辺りにあった池にまつわる話のようだ。つまり一連の『おいてけ』騒動はモノの怪の仕業ではなく、昔語りに疎い野郎の企みだってことのようだ」
と言って残りの茶を飲み干し、湯飲みを框の盆に戻した。
「あらかじめ『おいてけ』騒動を起こして、法市も『おいてけ』のモノの怪に殺されたことにしようって魂胆が透けて見えるぜ。そうだとしたら下手人は法市を狙ってずっと半年も前から『おいてけ』騒動の噂をばら撒いて布石を打っていたことにならねえか。おいらは『おいてけ』騒動を仕組んだ野郎はどんな手を使ったか、両国か浅草のカラクリの師匠連中を聞き込むとしよう。そこで弥平治、ご苦労だが『おいてけ』を洗ってくれねえか」
弥平治を見上げて、貝原佐内はそう言った。
「噂で『おいてけ』騒動は耳にしていますが、「おいてけ」の声を聞いた人から直に話を聞いたわけじゃありません。番太郎、これまでの騒動を教えちゃくれないか」
と、弥平治は貝原佐内の傍らに立つ番太郎に聞いた。
「へい。あれは確か去年の秋口でしたか、新月の頃に常磐町一丁目の薪炭屋丸徳のご隠居の『おいてけ堀』騒動が口火で、次に三ヶ月ばかり後の師走に入った宵に萬年橋袂の深川元町角の煙草屋のご主人がこの自身番に駆け込んで来られました。トリが先月の新月の夕刻に霊巌寺門前町の寺長屋の差配甚兵衛さん、ということでさ」
番太郎は記憶を手繰り寄せるように上目で天井を見ながら教えてくれた。
「さっそく生き証人に会って来まさ」そう言うと、弥平治は千吉と自身番を後にした。
丸徳は常磐町一丁目にある間口五間の老舗薪炭屋だ。先々代から丸に『徳』の入った暖簾を掲げ、徳右衛門は二代目にあたる。還暦を汐に三年前に倅の徳之助に店を譲って隠居の身になり、今では店の裏庭に庵を建ててもらって古女房と一緒に暮らしている。
弥平治が店先を箒で掃いていた小僧をつかまえて用件を伝えようとしたら、その前に奥からバタバタと五十年配の小柄な痩せた河童のような顔をした番頭が飛んで出てきた。
「ちょいとご隠居に聞きたいことがある。他でもねえ『おいてけ』騒動の件だ」
手短に用件を伝えると、番頭は「どうぞこちらへ」と奥へ引き込むように案内した。
店先に岡っ引と下っ引が雁首揃えていては客が怖がって商売にならない。岡っ引は町方同心から手札を預かった身だが、町の者にとっては破落戸や無頼者と何ら変わらない。
「あの件はご隠居の空耳だったということで落着したはずですが、」
と帳場格子の前の框に弥平治と千吉を座らせて、番頭はその前に立ったまま話し始めた。
「いや、その通りだが、もう一度その時の様子を聞きたくてやって来た。なにしろ高橋袂の小名木川でおろくが見つかったからには空耳で片付けられなくなったンだ」
と弥平治が言うと、番頭は傍らの小僧に「ご隠居様に取次ぐように」と命じた。
取り次ぐなどと大層なことを奉公人にさせて徳右衛門は傲慢な御仁かと思ったが、庵へ案内されて理由が分かった。庵はまるっきり四畳半一間しかないため、老人夫婦が気儘な暮らしで部屋を散らかしていては恥をかかせることになる。そのための取次だったのだ。
「済まねえが、去年秋口の『おいてけ』騒動について詳しく教えてくれないか」
と、弥平治は部屋に上がらずに、式台の前の一尺土間に立ったまま聞いた。
「はい、あれは九月一日のことでした。いつもは横木戸から路地へ出て西の六間堀川へ行くンですが、その日は月変わりに河岸も変えてみたくなり、小名木川で釣ることにして昼下がりに高橋を渡って河岸道を東へ行き、海辺大工町が途切れて永井様のお屋敷との間の入り堀の土橋袂に腰を下ろしました。そして夕暮れまで釣っていたというわけでして」
そう言って、徳右衛門は女房の差し出した盆の湯飲みを手にとって一口啜った。
「日が暮れてきたし満潮で当たりもなくなったし、もはや帰る汐時と継竿を仕舞い魚籠を引き上げていると「おいてけ」と云われたような気がして」
と言って、なおも言葉を続ける徳右衛門を制して弥平治が聞いた。
「釣っていた場所はどこで、声が聞こえてきたのはどの辺りからで」
順を追って話すようにと、弥平治は徳右衛門に言い聞かせた。
「それが面妖なことに、土橋の下あたりからだったンでさ」
「橋の下は小名木川と入り堀を繋ぐ掘割だが」と、弥平治は思わず口を尖らせた。
そこは石組の崖が水面下の底まで伸びていて、端袂からいきなり人の背丈より深いはずだ。ただ橋脚の所だけがかろうじて人ひとり歩ける足場があるだけだ。今朝のこと法市の検分の折に紐をこすったあとが残っていた場所だった。
「旦那、不思議なのはこれからで」
弥平治が思案顔に眉間に皺を寄せていると、徳右衛門が言葉を継いだ。
「魚籠も竿も放り投げ、慌てて走って逃げ出しても声が追ってくるンでさ」
と、思い出しただけで膚が粟立つようで、徳右衛門は袖の中で両腕を擦った。
「何も気配がないのに声だけがして、しかもその声が追って来るというンだな」
と確かめるように、弥平治は聞いた。
「左様で。まるでモノの怪に追われているようで」
そう言いながら、徳右衛門は歯の根が合わないほど唇を震わした。
無様なほどにうろたえる老人の顔を弥平治は見詰めた。人生の荒波に揉まれてきた六十過ぎの男が心底から怖がった声音とは何だろうか。弥平治は決してモノの怪がこの世にいるとは思わないが、いないとすればそれはどんなカラクリなのかだろうか。
「高橋から入り堀に架かる土橋の袂まで、海辺大工町の飛び地が河岸道の川側にあって、途中は河岸道から小名木川を窺うことは出来なかっただろうが、高橋を渡る際に川面を振り返って見なかったのか」と、弥平治は執拗に食い下がった。
「年甲斐もなく膝は震えていましたが、橋を渡る際に小名木川を横目に見ないわけにはいきませんでした」
徳右衛門は今も恐怖に襲われるのか、青ざめた顔をしていた。
「それで、小名木川に獺や河童がいる様子もなければ水音もしなかったと、」
しつこいのを承知の上で、弥平治は尚も食い下がった。
「いえ、何かが泳いでいたとしても、なにしろ逢魔ヶ時ですからねえ」
―暗くて何も見えなかった、と徳右衛門はこたえた。
そこまで言われてはさすがの弥平治も食い下がれなかった。秋の陽は釣瓶落としだ。あたふたと駆けている間にも夜の帳は下りていたのだろう。徳右衛門の口からそれ以上聞くべき話はなく、弥平治は礼を言うとその場を辞した。
千吉を従えて丸徳の横木戸から通りへ出ると、六間堀川に架かる猿子橋を渡って煙草屋へと向かった。
猿子橋を渡った通りの左手の細長い短冊のような町割が深川元町だ。深川元町が貼りついた裏手の小名木川河岸道までの広大な屋敷が紀伊殿で、かつてその庭には芭蕉庵があった。
深川元町の煙草屋に屋号はなく、目印に軒下に大きな煙管の描かれた看板が下がっているだけだった。界隈の人たちは煙草の銘柄の一つを取って『国分屋』と呼んでいたが、その煙草屋が自ら名乗った屋号ではない。隠居と呼ばれているが五郎兵衛に子はなく、ただ商売を女房に任せっ切りにして自分は釣りをして日々を過しているだけだった。
案の定、五郎兵衛は留守だった。
「釣れても釣れなくても、ウチの宿六は年がら年中釣りに出掛けてるよ。ナニ、実のところは大川の生簀の魚に餌をやってるだけだけど、当の本人は釣りだと思っているのさ」
と、五十過ぎの女房は煙草屋の土間の上がり框に腰をかけたまま弥平治に言った。
煙草や塩や質などを商うには御上の鑑札の要る商売柄、岡っ引の聞き込みには慣れている。店先に岡っ引の弥平治が顔を見ても、煙草屋の女房が顔色を変えることはなかった。
「それはそうと、今朝早くに按摩が殺されたって件の聞き込みかえ」
と、お粂は興味深そうに声をかけた。
「ああそうだ。それで『おいてけ』の話を詳しく聞きたいと思ってナ」
と言って、弥平治は極まり悪そうに後ろ頭に手をやった。
『おいてけ』騒動で自身番に飛び込んできた人たちを鼻先で笑ったのが間違いだった。その折々に真剣に『おいてけ』と取り組んでいたら法市は殺されなかったかもしれない、との悔恨が弥平治の胸にこみ上げた。
「ウチの宿六がいつも糸を垂れているのは萬年橋の先のお稲荷さんの社の裏だから、そこへ行ってみな」
と、煙草屋の女房は岡っ引を怖れるでもなく、倅相手のような口をきいた。
弥平治は礼を言ってさっそく目と鼻の先の萬年橋へと向かった。小名木川は運河として開削されたため、そこに架かる橋は船の運航を妨げないようにすべて太鼓橋とされた。その中でも小名木川河口の萬年橋は虹橋といわれ、富嶽三十六景の一つとして『深川萬年橋下』を葛飾北斎が描いたことにより名が知れ渡っていた。
小名木川を跨ぐ萬年橋の南岸には船番所があり北岸には稲荷神社があった。五郎兵衛は稲荷の社の裏側、大川から立ち上がる石組の上に古座布団を敷いて胡坐を掻き釣り糸を垂れていた。五尺に少し足らない小柄な五十半ばの男だった。
「やあ門前東町の親分、何か御用ですかな」
と川面へ差し出した竿を静かに手元に引き寄せながら弥平治を見上げた。
竿を横に置くと懐から懐炉を取り出し、腰の煙草入れを引き抜いた。おもむろに煙管に煙草を詰めると懐炉の銀蓋を開けて雁首を近づけた。そして旨そうに煙を吐き出した。
「師走の一日に五郎兵衛さんが出くわした面妖な話を聞きたくて」
とこたえながら、弥平治は五郎兵衛の傍に腰を下ろした。
「ああ『おいてけ』の件ですか」
と、五郎兵衛は面目を失ったかのように俯いた。
器用に雁首の上下を逆さにして右手に持つと、上にした雁首の底を人差し指で叩いて左の掌に火種を落とした。器用に掌で火種を転がしている間に、右手で煙草を詰めて掌の火種に雁首を近づけた。だが弥平治は五郎兵衛が再び煙草を吹かすのを待ちきれず、
「場所は小名木川海辺大工町飛び地の向こうの土橋の袂かい」
と、こころみに徳右衛門が物の怪の声を聞いた場所を先に言ってみた。
「ええ、その辺りでした。時は夕暮れ、潮はそろそろ満潮、という時分でした」
五郎兵衛はニコリともしないで頷いた。
掌で転がしていた火種を川に捨てると、二回ばかり吹かした煙管を広げた左手に打ち付けて雁首から吸殻を大川に捨てた。そして顔を上げると何かを思い出すような顔で弥平治を見上げた。いまだに何かを怖れているような目をしていた。
「あれは人の声ではないが、さりとて獣でもない。空気を震わすような低い声でした」
と、五郎兵衛は静かに語った。
「その声は逃げても速やかに追って来る、とか」
弥平治は徳右衛門の証言をなぞった。
「ええ、儂は土橋から無我夢中で息せき切って高橋まで駆けたが、『おいてけ』は息を乱すこともなく高橋袂まで迫ってきた」
―あれは不思議だった、と五郎兵衛は首を捻った。
徳右衛門と五郎兵衛が『おいてけ』の声を聞いたのが奇しくも一日の夕暮れなら、潮の塩梅も同じということだ。
「他に何か気についたことはなかったですかい」と、弥平治は聞きながら、なぜ『おいてけ』は夕暮れの土橋から釣り人を追い立てるのかと疑問が湧いた。人に見られてはまずいことでも『おいてけ』はやらかしているのだろうか。それも満潮の小名木川の夕暮れ時に。
弥平治は腕を組み「うむ」と肩の間に首を埋めた。
―あそこら辺に何があったか、と土橋から入り堀にかけての景色を思い浮かべた。
行徳河岸からお江戸日本橋まで繋がる大運河の小名木川の掘割の景色があるばかりだ。ただ異なるとした小名木川南岸の一ヶ所が穿たれて入り堀になっているだけだ。そこはかつて銭座があって幕府開闢以来御城下に人が集まり使用される銭の数量も急激に膨れ上がったため水戸藩や豪商などに請負わせて鋳造させた。江戸の方々に銭座が出来たが、小名木川流域もそうした場所のひとつだった。もちろん鋳造には大量の炭や鉱石などが必要だ。それに多くの灰吹き師たちもこの界隈に集ったはずだ。
「ところで、五郎兵衛さんはどうして新高橋の方角へ逃げようとしなかったのか」
と、弥平治は心に引っかかっていた問いを投げ掛けた。
土橋の袂にいて、徳右衛門も五郎兵衛も『おいてけ』に追われて高橋の方へ逃げている。それは偶然なのか、それとも家へ帰る方向がたまたまそうだったからなのか。
「そう聞かれても、儂にも解りません。家へ帰るには高橋を渡る方が遠回りにならなくていいが、『おいてけ』に動転した儂が遠回りかどうかを考える暇はなかった、としか言いようがありませんが」
五郎兵衛はそう答えながら、煙管入れをまさぐり始めた。
高橋へ向かったのは確かにとっさの判断だろうか。しかし家へ帰る方角とはいえ、とっさの判断が二人ともたまたま同じだっただけなのか。いやそうではあるまい。下手人は五郎兵衛たちが高橋へと足を踏みだしたのを見て「おいてけ」と脅したのだ。そうすれば向かった方角を変えることはなく、足を速めるだけになるはずだ。とすれば下手人は二人の動きを何処かで見張っていたことになる。
「せっかくの釣りの楽しみを邪魔したな、何か思い出したことがあったら教えてくれ」
そう言うと、弥平治は五郎兵衛の傍を離れた。
弥平治は千吉を従えて社裏の大川端から離れて萬年橋を渡り、三人目の『おいてけ』の声を聞いた甚兵衛の許へと急いだ。弥平治が急ぐのには訳がある。御用の向きで急ぐのが半分で、後の半分は朝早くから歩き廻っている千吉の腹の虫が泣いていたからだ。
千吉は弥平治が貝原佐内から手札を受けて最初に捕まえた男だ。生まれは上州だが、天保九年の飢饉の折に突然父親に薪で叩かれて故郷を捨てた。三日ばかりは戸口で泣き喚き父親に許しを乞うたが、父親は理由を何も語らず千吉を家に入れなかった。今になれば口減らしだったと解るが、十歳を過ぎたばかりの千吉は父親を恨むことしかできなかった。
村を捨てて路傍の餓死者に怯えながら人の流れに誘われて江戸へ向かった。やっと浅草に辿り着いたものの疲れと空腹で倒れ、死神に魅入られる寸前で掏摸の親方に拾われた。
千吉は掏摸の指技を厳しく仕込まれ、親方に命じられるままに掏摸を働いた。しかし五年目の冬に親方がお縄になり土壇場で首を刎ねられると、浅草の他の掏摸たちにシマを取られた。仕方なく両国橋広小路に河岸を変えたが所の掏摸たちから邪険にされ、半年後には深川へ流れてきた。だが門前仲町に居ついて十日と経たないうちに駆け出しの岡っ引弥平治に掏摸と見抜かれ、参詣客の老女の懐から紙入れを掏り取った手を背後から掴まれた。千吉は必死になって暴れたが、弥平治が拳骨を頬桁に見舞うと大人しくなった。
弥平治は自身番へ引っ立てるべく歩きだした。が、途中で気になって千吉の袖を捲り上げて、足を止めた。千吉の右腕には二筋の墨が入れられていた。
掏摸はお縄になっても二回までは二一の墨を右腕に入れられ叩きほどの罰で解き放たれる。しかし三度目は有無を言わさず土壇場に引っ立てられて首を刎ねられるのが決まりだ。千吉を自身番に引っ立てればその日のうちに町奉行所へ送られ、碌な取調べも受けずに土壇場へ引き立てられて打首となる。
十六や七で生涯を終えるが良いか、それともおいらの下で働くか、と腕を掴んだまま千吉に聞いた。それが弥平治の下っ引になった顛末のすべてだ。
霊巌寺門前町は霊巌寺の裏塀から、浄心寺門前に繋がる白壁に鈎型に貼り付いた細長い町割だった。普通の長屋は表店の間に穿たれたような狭い三尺路地を入ると二間幅に奥行き十間ほどの広場になっている。その中ほどに井戸があって、奥の突き当たりに総後架と呼ばれる共同便所があるのが決まりだ。しかし霊巌寺門前町の霊巌寺長屋は割長屋が鉤型の地所の通りに曲がって縦に二軒並んでいた。
霊巌寺は境内墓所に松平定信の墓をはじめ今治藩主松平家や膳所藩主本田家の墓所があり、境内には江戸六地蔵の第五番が安置されるなど由緒と格式を誇っていた。その寺で長年寺男を勤めて妻を娶ることもなく五十の坂を越えて寺長屋の差配になった。そのためか甚兵衛は少しばかり気難しく、店子にも厳格すぎるところがあると聞いていた。
小名木川の河岸道を急ぎ足で行くとうっすらと汗が滲んで来た。朝はかなり冷え込んだが、陽が昇ればさすがに三月だ。さすがはもうじき花便りも聞かれる時候だ、と弥平治は思いながら海辺大工町を急いだ。
霊巌寺門前町へ行くには高橋を渡るのではなく、高橋に背を向けて路地を南へ下れば良い。そうすれば間もなく霊巌寺山門が右手に現れ、霊巌寺門前町は山門から続く白壁沿いに歩けば自ずと辿り着く。
「親分、そろそろ陽も高くなってきましたぜ」
と、黙ってついてきていた千吉がとうとう音を上げた。
三人目へ聞き込みに行ってもこれまでの二人から聞いた話と同じで、新しいことは何もないだろう、それよりも朝餉を食いっぱぐれた上に昼も近い、と訴えているのだ。朝から腹に何も入れていないのは弥平治も同じだ。しかしここ一番という時に男は弱音を吐かないものだ。弥平治は高橋の袂でちらりと振り返って一瞥をくれただけで左へ曲がった。
寺や神社が門前の敷地の一部に長屋を建てて店子から家賃を取るのは珍しいことではない。浅草寺から三味線堀にかけて密集している小さな寺社は檀家が少ないため、借家稼業で生計を立てているのがほとんどだ。霊巌寺が長屋を持っていても不思議なことではなかった。弥平治は割長屋の角の家の桟を叩いた。
「差配さん、門前東町の弥平治だがちょっと教えちゃくれないか」
と、色褪せた油障子に向かって声をかけた。
「おや、永代寺門前東町の親分が何の御用だね。支っちゃいないから開けておくれ。儂は腰を痛めてちょいとご無礼しているンだ」
中から嗄れ声で返答があったが、どこか弱弱しい物言いだった。
甚兵衛は小難しい人物だと聞いていたが、弥平治は労わるように腰高油障子を開けた。
「法市が殺られたと聞いたが、『おいてけ』のことでやって来たンじゃないだろうね」
甚兵衛は朝から弥平治がやって来るのを待ち構えていたように、玄関から続く畳の間で箱火鉢を前にして座っていた。
「いや、その差配さんが小名木川で出喰わした『おいてけ』を聞きに来たンだが」
と、弥平治はニコリともしないで敷居を跨がないまま聞いた。
「今更親分がね。儂は『おいてけ』は只事じゃねえから探索するようにと、八丁堀へご注進したがナシの飛礫だった」
そう言って、甚兵衛は忌々しそうに口をへの字に曲げた。
「そりゃあ済まなかった。確かに『おいてけ』の噂は耳にしていたが、妖怪話で町方が動くわけにもいかないンで」
弥平治は甚兵衛のご機嫌を伺うように語尾を濁した。
「儂は『おいてけ』の正体を暴きにそこの土橋の袂へ魚を釣りに行ったンだ。それで腰を痛める仕儀と相成ったわけだが、八丁堀は『おいてけ』の正体を考探索しようともしなかった。それがどうした風の吹きまわしか法市が殺されるや、親分が『おいてけ』について聞きたいとわざわざの御出ましだ」と多分に皮肉を込めて、甚兵衛は弥平治に聞き返した。
「河岸から土手下に落ちて腰を強く打ち、足腰が立たなくなったと、」
と気遣うように、弥平治は合いの手を打った。
「人聞きの悪い。儂は足腰が立たないわけじゃない。ただ土橋袂の土手を途中から飛び降りたものだから、腰が抜けちまっただけさ。尤も満潮の土手下に落ちて腰が抜けて座り込んだから命は助かった。が、その代わり店賃一ト月分の塗り竿が駄目になっちまった」
と、甚兵衛は忌々しそうに口の端を歪めた。
「塗り竿が駄目になったとは」と続きを促すように、弥平治は話の穂を継いだ。
「儂が土手下に落ちるや、カランと竹の倒れる音がした。それで誰かいるのかと頭を持ち上げようとした刹那、ヒュッと風が鳴った。気がつくと持っていた継竿が三段目でスッパリと切り落とされていた」
そう言うと、玄関の隅に心張り棒と一緒に立てかけてある塗り竿へ目を遣った。
「霊巌寺で寺男を長年務めてきた儂が『おいてけ』ごときの物の怪騒動に怖気づくわけがねえ。逆に誰が『おいてけ』の悪さをしてやがるのか、しかとこの目で見定めてやろうと、儂は声のする土手下へエイッと土手を駆け下りたつもりだったが、枯れ草に足が滑って途中から滑り落ちる格好になって、股下まである満潮の小名木川の砂地に尻餅を搗いたわけだ。ただ自慢の塗り竿だけは傷つけないように、としっかりと立てて持っていたが、却ってそれが仇になってしまった」
と、甚兵衛は下五段だけになった継竿を見詰めたまま口惜しそうに肩を落とした。
弥平治もものの見事に輪切りに切断された切口を見詰めた。
「だが尻餅を搗いたから儂は命拾いしたンだ。身軽に飛び降りて小名木川にスッと立っていたら、この皺首をバッサリと斬られていただろう。いわば竿が身代わりになったってことよ」と、甚兵衛は首筋を撫でた。
「物の怪の仕業ではなく、何者かに手裏剣か何かを投げられた、ってことですかい」
弥平治はなにか合点が行かないような浮かない顔で聞いた。
「いや、手裏剣でもなければ薙刀でもない。得物が何かは解らないが、確かにあれは人の仕業だ」
そう言うと、甚兵衛は「どうでも、継竿の仇を討ってもらいたい」と語気を強めた。
「儂は霊巌寺で四十年このかた働いてきた。この世にモノの怪がいるならとっくの昔に御目に掛かって、肩を寄せて屋台にでもしけこみ酒を酌み交わす仲になっているだろうよ。『おいてけ』は誰かが仕組んだ悪さに違いない、一つ正体を暴いてやろうと思って独り者の気軽さで連日土橋へ好きでもない釣りに出かけたのさ」
身を乗り出すと、甚兵衛は興が乗ってきたように饒舌に語った。
すると『おいてけ』騒動は偶々新月の夕刻だった、ということではなさそうだ。新月に合わせているのは新月の夜が暗闇になるからなのか、それとも新月が何かの符牒に合致しているからなのか。いずれにせよ『おいてけ』騒動はモノの怪の仕業ではなく、人が意図したカラクリだということになる。
「それで、差配さんは『おいてけ』の正体を何だと思いなすったか」
と、弥平治は甚兵衛の機嫌が曲がらないうちに単刀直入に聞いた。
「そりゃあ、儂にも解らねえ。ただモノの怪だとか河童だとかじゃねえ、人間様の仕業だってことだけは確かだ」
「で、差配さんを襲った得物は」
―なんだと思うか、と弥平治は聞いた。
すると甚兵衛は急に元気をなくして首を傾げた。
「よく判からねえ。途轍もなく長い柄の薙刀か、棹の先に脇差を括り付けたようなものか、とも考えてみたが。卯月の凍えるような小名木川に腰を抜かして座り込んだまま辺りを見回しても、それらしき人影はおろか、竿を切った得物すら見当たらないンだ」
と言うと「モノの怪を信じない」と見得を切った甚兵衛が面目を失ったように俯いた。
寺男がモノの怪に怖気づいていては務まらない。この世に亡霊がいて夜の暗闇に現れるなら、さぞ丑三ツ時の寺の墓場はモノの怪の総浚えで盆と正月がきた騒々しさだろう。
「だとすると、そこには何かカラクリがある、と」
と呟きながら、弥平治は腕を組んで俯いた。
すると「親分、」とか細い声で弥平治の背中から千吉が呼び掛けた。
「そのカラクリとやらを思案なさるのでしたら、門前東町へ戻ってからにしませんか」
と言うと、千吉は小さく溜息をついた。
なるほどいわれてみればその通りだ。なにも甚兵衛の家で考える必要はない。聞くべきことはすべて聞いたし、寺長屋へ足を運んだだけの収穫はあった。
「差配さん、何でも構わないから、思い出したことがあったら教えておくンなさい。おっと、あと一つだけ。竹が倒れたような音がしたのは河岸道ですかい」
と聞くと、甚兵衛は怪訝そうに眉根を寄せた。
「土手際まで水が来てたンだ、竹が倒れて乾いた音がしたのは河岸道に決まってら」
とこたえて、甚兵衛は「その竹がどうかしたかい」と聞き返した。
「いや、なんでも」
と言うと、弥平治は丁寧に頭を下げて寺長屋を後にした。
永代寺門前東町の居酒屋枡平に帰ったのは昼前だった。
枡平は二ノ鳥居を背にして広小路に面した永代寺門前東町の東南端、蓬莱橋袂の船着場を見下ろすような行燈建の一階にある。店は五坪ほどの狭い土間に二筋の飯台が並べてあり、その周りに腰を下ろす四斗樽が二十ばかり置かれている。奥の台所は三坪ばかりの三和土の土間に竈が通りに面した壁際に築いてあって、蔀から煙を逃がすようになっていた。
二階へ上がるには店土間への半間の出入り口の台所へ入った際に急な階段があり、その階段下には三畳ばかりの休息間があった。弥平治と千吉は店からではなく、行燈建の脇から大島川に沿って東へ延びる横路地の勝手口から出入りしていた。
弥平治たちが帰ると、既に台所は戦場のような忙しさだった。
畳にして六畳しかない土間に竃が築かれ、配膳台が置かれ瀬戸物を置いた壁一面の棚があって、狭い土間をより狭くしている。その狭い台所で釜番の爺と小女とお正の三人が忙しそうに立ち働いていた。
釜番の爺は名を定助といい、お正がかつて年季奉公に上がって芸者をしていた子供屋の桔梗家で下男働きをしていた。年老いたためと足腰が弱り、芸者の箱廻しなどの役勤めが辛くなったために、お正が「枡平」を始める際に釜番を手伝ってもらうことにした。小女のお良はお正の姪に当たる娘で齢は十五だがなかなかのしっかり者で、永代寺門前東町の裏長屋から通っている。
「千吉、朝餉も食べないで小名木川くんだりまで歩き廻って、さぞお腹が空いたことだろう。商売物の仕込とは別にマカナイの深川丼が作ってあるから、手を洗って座りな」
と、お正は労わるように声をかけた。
お正と弥平治は幼馴染だった。口にこそ出していなかったが二世を契った仲だった。ただお正が十三の冬に父親が普請場の足場から落ちて亡くなり、桔梗家へ年季奉公に出ることになった。当時十五歳になっていた弥平治は既に川並人足として働いていたが、いきなりお正と離れ離れに引き裂かれ、途端に暮らしが荒れ始めた。
お正が辰巳芸者として座敷に出て評判を取るにしたがって、弥平治は手の付けられない乱暴者になっていった。そして川並人足をしくじり、破落戸へと人の道を転がり落ちた。
お正が日本橋の豪商に落籍されて囲い者になった春先に、弥平治は喧嘩の上で相手に大怪我を負わせた。寄場送りか所払いになるのを覚悟せざるを得なかったが、貝原佐内が岡っ引になるのを条件に事を納めてくれた。
弥平治はお正が枡平を始める際に「わっちの用心棒になっておくれ」と誘われ快く引き受けて以来、枡平の二階で居候を決め込んでいる。世間では二人は夫婦だと思っているが、お正と弥平治はまだ盃ごとを済ませていない。そのためだけではないが、寝床を別の部屋に延べていた。他人行儀だという人もいるが、お正と弥平治はそれで了としていた。
弥平治と千吉は階段下の休息間に座り、お正が差し出した丼と汁椀の乗った盆を受け取った。駆け出しの岡っ引に暮らしを支える稼ぎはない。弥平治と千吉はお正に養ってもらっているといってよい。
だがただ飯というわけではなく、枡平の用心棒として弥平治はそれなりに役立っている。岡っ引が用心棒の居酒屋で騒ぎを起こす無鉄砲はいない。界隈の乱暴者や博徒などが寄り付かないため、誰でも安心して呑める居酒屋として枡平は繁盛していた。
「それで、殺された按摩って」と、お正が聞いた。
「ああ、入江町の法市という名の按摩だが」
「まあ、柔揉みの法市が殺されたの」
法市という名を聞くと、お正はすぐに『柔揉みの法市』と、按摩の二つ名を口にした。
「柔揉み、とは」と、弥平治は一口丼飯を搔き込んで聞いた。
「按摩にも柔らかい体を揉み解すのを得意とする「柔揉み」と、人足や沖仲仕の力仕事の硬い体の凝りを揉み解すのを得意とする「男揉み」があるのさ。法市は「柔揉み」で評判を取り、特に佐賀町の米蔵屋敷に助っ人で来るお店者たちに御贔屓がいたようだけどね」
湯飲みにお茶を淹れてきたお正が弥平治の疑問にこたえた。
「ふむ、柔揉みとは」と、按摩の「柔」に弥平治は拘るように呟いた。
「そりゃあ旦那、正太郎の相仕だった三味線の勝次郎はいつも右肩から腕にかけて石のように固くなって、お座敷の後には柔揉みの辰市を呼んで、揉んでもらっていたものでさ」
と、釜番の定助が歯のない口で教えた。
正太郎とは辰巳芸者だったお正の芸名だ。弥平治は機嫌を損ねたように俯いた。
しかし十手を預かった時に世を拗ねていた自分とはおさらばしたのだと気を取り直した。
「按摩にもそれぞれ得手があるようだな」
と、弥平治は呟いた。
―なるほど、昨日の夕暮れ時にあそこを法市が通ったのは偶々ではなかったのだ。
「まあ、誰が法市をそんな目にあわせたのかしら」
お正は小女に暖簾を表に出すように言ってから、弥平治に問いかけた。
「うむ、下手人の影も形もなけりゃ、使った得物も判らねえ。鋭い刃物で首を断つ勢いでバッサリと殺られたのだけは明らかだが」
と弥平治がいうと、小女とお正は「くわばら、くわばら」と声を震わした。
確かに薄気味悪い事件だ。何もかも解らないことだらけで探索の見通しすら立たっていない。このまま貝原佐内に会えば叱責を受けるのは間違いないだろう。
「旦那、わっしの故郷には鎌鼬というモノの怪の話がありますがね」
と、釜番の定助が思いついたように口を開いた。
「カマイタチだと」と、弥平治は怒ったように定助の言葉を繰り返した。
―よしんば法市の命を奪った下手人が妖怪だとして、妖怪には妖怪なりの殺す理由があるはずだろう、と弥平治はお正の言葉を思い出した。
「法市の揉み方は柔揉みといって、力仕事に慣れないお店者から評判が良かった、と」
―云うンだな、とお正の顔を覗き込んだ。
「ああ、同じ肩凝りでも力仕事で凝ったのを解すのと違って、佐賀町の米蔵屋敷に出入りしたり、伊勢崎町辺りのお妾さんの許へ通う旦那の揉み治療などをしていたンだよ」
と、お正は詳しく説明して、ハッと口を閉じた。
一時期とはいえ、お正も芸者奉公していた子供屋の女将に旦那を取らされて、伊勢崎町の籬囲いの家に暮らした。旦那が急死するまでの二年足らずだったとはいえ、弥平治にとっては地獄のような、死ぬよりも辛い日々だったに違いない。
「ということは法市が昨夜は誰に呼ばれて小名木川南河岸道の土橋くんだりを歩いていたかが解れば、下手人の手掛かりになるかも知れないな」
弥平治は胸に湧き上がった怨念を打ち消すように唇を噛みしめた。
「千吉、お前はこれから佐賀町の米蔵屋敷を聞き込んで来い。この春借米時に蔵前から米俵の運び出しに小僧や手代や番頭たちも借り出されたはずだ。普段力仕事に慣れてないから節々が痛くなり按摩を呼んだ米蔵屋敷はなかったか。法市を呼んだ米蔵屋敷はなかったか、と。おいらは本所元町の親分に仁義を切ってから、法市の長屋に聞き込みに行く。貝原の旦那が門前仲町の自身番に立ち寄るまでに戻って来るつもりだ。お前は聞き込みが済んだら海辺大工町の自身番で待ってな」そう言うや、弥平治はサッと腰を上げた。
法市が暮らしていた入江町は竪川の向こうだ。岡っ引の縄張りでいえば弥平治の埒外だ。本所を縄張りとする貝原佐内から手札を受けた岡っ引は権八郎という四十過ぎの男だ。両国橋袂の本所元町の仕舞屋に居を構え、古手や太物などを女房に商わせている。五人からの下っ引を抱えて、岡っ引としては江戸に名を知られる一廉の人物だった。権八郎が縄張りとする本所入江町で聞き込むからには、仁義を切っておかなければならない。
弥平治は千吉と一緒に門前仲通りを大川端まで行き、そこから大通を北へ歩いた。千吉とは佐賀町の小口で別れた。
弥平治は小名木川を萬年橋で渡ると先刻の道順を逆にたどって大川端の河岸道を両国橋へ向かって足を運んだ。時恰も昼餉時だ。おとないもなく訪れるが、この時にはいかに多忙な権八郎でも家にいるに違いない。両国橋に近付くにつれて人通りが多くなった。両国橋向こうの西広小路は浅草広小路と並ぶ江戸の盛り場だ。その両国橋東詰の本所元町に入って直ぐの西に面した町角の仕舞屋の前で足を止め、開け放たれた店土間へ向かって声を掛けた。
「門前東町の弥平治ですが、親分は御在宅でしょうか」
と声を張り上げて、弥平治はおとないを入れた。
すると「へい」と返事がして、小柄な小判型の顔をした小僧が古手の間から顔を出した。
「どうぞ奥へ。先刻からお待ちかねで」
一尺ほどの通路を残して、梁から梁へと渡された紐に古手や太物が衣紋掛に掛けて吊り下げられている。ここにある古手だけでも大した額に上るだろう、と弥平治は感心して着物の迷路を奥へと進んだ。
店土間の奥に半間ばかりの帳場があって、その脇から座敷へ上がるようになっていた。小僧はその帳場に座って店番をしているのだろう。座敷へ上がる踏み台の前で雪駄を脱ぐと、目の前に現れた二十歳過ぎの男に案内されて廊下を奥へ入った。
畳敷きの六畳間に大きな座卓があって権八郎が上座に座り、その両側に男たちが三人ずつ座って昼餉を掻き込んでいた。
「おう、門前東町の。昼飯はまだかえ」
既に昼餉を終え、湯呑を傾けていた権八郎が野太い声をかけた。
「いえ、ご心配なく。遅い朝餉と早い昼餉を一緒くたにして食べて来たばかりです」
部屋へ入るなり聞かれたのに気後れしつつ、弥平治は権八郎に頭を下げた。
「そうかい。ところで法市が殺されたようだな。場所が深川だからこの一件は門前仲町のヤマだが、法市が暮らしていたのは本所入江町だ。それでおいらの縄張り内で調べられることはこいつらに朝から聞き込ませておいたぜ。どうやら法市って按摩は碌な野郎ではなかったようだぜ、詳しくは勝次の話を聞いてくれ」
と、権八郎は掻い摘んで話すと、すぐ右隣の男に顎をしゃくった。
「へい」と三十半ばの陽灼けした男が弥平治へ向きを変えると小さく頭を下げた。
「法市には按摩とは別に、もう一つ別の顔があったようでして」
と言いつつ、勝次と呼ばれた男は懐から短冊を束ねたような帳面を取り出した。
そしてパラパラと捲ると、
「若い頃から棒手振や人足相手に烏銭を貸し、厳しく取り立てていたようでして」
と言って頁を捲った。
烏銭とはその名の通り朝カラスが「カァ―」と鳴く頃に百文貸して、夕刻にカラスが「カァ―」と鳴く日暮れに百一文返す高利貸のことだ。
幕府は盲人を保護し金貸の免許を与えたが、年利三十六割にも達する高利貸を許したわけではなかった。しかしその日の米にすら事欠く貧乏人は背に腹は代えられないと、高利貸と承知の上で烏銭に縋る者は多かった。
「それだけじゃなく、他にもどうやら裏稼業に手を出していたようで」
と、勝次は声を顰めた。
「按摩稼業は商売柄、いきなり旦那の寝所に入り込みます。門前仲町の親分は『半日殺し』だとか『三日殺し』だとかいう言葉を聞いたことはございませんか」
勝次は年下の岡っ引を半分試すような目付きで睨んだ。
弥平治も手札を受ける前の三年ばかり、無頼な暮らしを送っていた。その当時に付き合っていた連中からそうした嘘とも真ともつかない噂話を聞いたことがあった。
「鍼灸師の中には殺そうと狙った相手の急所に鍼を打って、半日後か一日後に死に到らしめる技を持っている者がいるとか」
と、弥平治は眉間に皺を寄せて勝次を見詰めた。
「その通りでさ。たとえば鍼治療の折に心ノ臓の裏にあたる背中に、心ノ臓に僅かばかり届かないように五寸ばかりの金の鍼を打って、夜に寝ている間に何かの拍子に鍼が心ノ臓を貫くように細工しておく。そうすると朝になっても目覚めることがないそうで。法市がさる大店の旦那に呼ばれて按摩をしていて、経絡に打ち留めてある鍼に気付き、それが殺しを請け負う仕事師が仕掛けた三日殺しの鍼と見破って、反対にその仕事師を脅したとの噂が破落戸連中の間に流れています」
そう言って、勝次は弥平治に小さく頷いてみせた。
なるほど裏街道を歩く仕事師を反対に脅すとは命知らずの飛んでもない所業だ。法市が何者かに殺されたのも得心が行く。だが待てよ、殺されるにはそれ相当の理由がなければならない。法市が仕事師の仕事に気付いて知っていたとしても、証拠がなければ相手を脅すことは出来ない。
「その仕掛けられた留め鍼ですが、命を奪う前に抜き取ることは出来るンでしょうか」
法市が殺されたのは仕掛けられた留め鍼に気付き、それを抜き取って証拠として持っていたからではないか、と弥平治は鋭い眼差しで勝次を見詰めた。
「果たして法市にそこまでの技量があったかどうか。留めるよりも抜く方が数倍も難しいと聞いている。何しろ糸のような金の鍼だ」
と勝次に代わって、権八郎がこたえた。
何やらこのヤマは厄介なことになりそうだと弥平治は眉を曇らせた。海辺大工町の住民に法市殺害の生き証人がいないか聞く方が早いのか、と自分自身に頷いた。
「おいらたちの探索はここまでだ。後はその道の偉いさんに聞いてみるこった。座頭には綱吉公が患っていた大病を杉山検校が施した鍼術により平癒して以来、検校に金貸などの認可が与えられた。もちろん今でも多くの座頭が鍼術を習得して世間様に喜ばれている。按摩仲間の評判ならこのすぐ裏手の一ツ目橋袂の相生町一丁目に米田という座頭仲間で勾当を勤める男がいて、本所・深川の座頭の元締をやってるぜ。入江町で聞き込むなら長者店の差配の惣右衛門に会ってみな。あの界隈のことなら大抵のことを知っている。法市の女房は三年ばかり前に裾継の亡八の揉み治療に行った折に声に惚れて身請けした女だと聞いている。岡場所に売られて来たばかりの三十から年の離れた大部屋女郎だったとか」
と、権八郎が懇切丁寧に教えてくれた。
座頭に関して幕府が特別な計らいをしているのは漠然と知っていた。しかし按摩の世界にも元締などがいるのには少なからず驚いた。もっとも座頭の属する当道座は寺社奉行の配下にあり、町奉行所配下の弥平治が疎いのも当然のことだった。
本所元町の太物屋を出ると、弥平治は大川端の道を少しばかり引き返した。
法市に関して聞かされたものの、実際に法市がどんな人物だったのか、弥平治は全く知らない。この際、米田勾当の口からもじかに聞いてみたいと思った。入江町へ行くには少しばかり遠回りになるが、まずは相生町一丁目で米田と会ってから入江町へと足を伸ばし、その後に法市が殺された海辺大工町へ聞き込みに行くことにした。
米田勾当の家はすぐにわかった。一ノ橋の袂の表店の角から二軒目の軒下に『按摩・針灸』と金看板が下がっていた、お正の居酒屋が同じ二階建てだが『行灯建』なのに比して、米田の治療院は立派な仕舞屋だ。しかも治療院用に大工を入れて手を加えたらしく、通りに面した格子窓などの材木が新しく木の香がするようだった。
仕舞屋は間口が四間ばかりあって、米田は何人かの鍼灸師などを抱えて手広く商いを遣っているようだ。玄関格子を引き開けるまでもなく、一階の土間店だった所に式台を設け、さらに治療室をしつらえて通いの患者の治療をしていた。
「御免よ」
と弥平治が一間引き戸の店土間に入ったところで声を掛けると、玄関の明かり障子が開いて作務衣姿の小僧が両手をついた。
「殺された法市のことで聞きたいことがある、と勾当に伝えてくれないか」
いつもの癖で、弥平治は懐から引き抜いた棒十手で左の掌を打ちながら言った。
小僧は驚きもしないで「へい」とこたえて即座に襖の奥へと消えた。
なぜ小僧が急いだのか、その理由は小僧が襖を開けたときに解った。それは次の間には順番待ちの数人の患者たちが座って待っていたからだ。客商売の店に十手持ちがやって来て変な噂でも立てられたら迷惑に違いない。
「わざわざ門前東町の親分が足をお運びとは。今朝早く権八郎親分のところの若い者が聞きに来ましたが、小名木川で殺された法市の件かな」
施術していた最中だったのか、小僧に手を引かれて藍染作務衣姿の五十過ぎの頑健そうな男が玄関に現れた。
「そうだが、鍼について教えてもらいたいと思って」
弥平治がそう言うと、米田は小僧の持つ手を右手へ向けた。
どうやら待合室の患者たちに聞かせたくない話をする際には玄関脇右手の一室を使っているようだった。促されるままに弥平治は雪駄を脱いで式台に上がった。
「法市には闇高利貸やら、なんやかやと無法ぶりには手を焼かされました」
ゆったりと座ると、顔を向けて米田勾当が口を開いた。
「私は検校様から本所・深川の勾当を任せられています。御存知のように勾当とはこの地域の座頭から上納金を集めるのが役目ですが、法市は上納をしないばかりか当道座から抜けるといってホトホト手を焼いていました」そう言って大きく溜息をついた。
当道座とは座頭の互助会組織だ。幕府はすべての座頭が当道座に入ることを求めていた。
「なぜ法市は当道座から抜けようとしたンですかね」
怪訝そうに弥平治は首を傾げた。
座頭が金貸をして蓄財出来るのも当道座の一員として幕府の庇護を得ているからだ。その仲間から抜ければ幕府の庇護を受けられなくなり、金貸稼業の旨味も手放すことになる。
「さて、働かなくても良いほど蓄財したか。それとも安穏と暮らせる金蔓を掴んだか」
と呟いて、米田勾当は剃髪の頭をツルリと撫でた。
なるほど聞けば聞くほど法市は当道座の逸れ者だったようだ。
「つかぬことをお尋ねしますが、世の中には『留め鍼』があるとか、」
と、弥平治は三日殺しとか三年殺しとかいわれる『留め鍼』のことを尋ねた。
「留め鍼は鍼灸師の施術する鍼技にござらぬ。正規な鍼では『置き鍼』と呼ぶ。親分は鍼灸師が施術する鍼をお尋ねかな、それとも仕事師が用いる金の鍼のことかな」
米田勾当は用心深く探るように聞き返した。
仕事師が用いる『留め鍼』と鍼灸師の使う『置き鍼』が異なるものとは、仕事師は当道座仲間ではないということだろうか。
「法市が仕事師を脅していたという鍼のことを教えてもらえないですか」
弥平治は権八郎に聞いてきた『留め鍼』を、米田の顔を覗き込むようにして聞いた。
「仕事師が使う鍼とは我らの使う鍼とはまったく異なる。我らの使う『置き鍼』は鉄の鍼の手元部分が留め置いてもすぐに分かるように曲げてある。しかし仕事師が使う『留め鍼』は金の糸のようなものだ。細さは三味線の弦の一位の糸ほどで、長さは五寸ばかり。余程の技量がなければ体内に射し込み留め置くことは出来ない。しかも三年殺しとか、そうしたやり方は経絡か心ノ臓に狙いを定めて、何かの折に鍼が少しずつ深く突き刺さり三年後に命を絶つ部位に金の鍼を仕込んでおく技だそうだ。勿論普通の鍼灸師にそんな芸当は出来もしないし、もし出来たとしても尋常な人技とは思えない」
そう言うと、米田勾当は「とても人技とは思えない」と呟くように繰り返した。
しかしこの世に人技とは思えないことをやって退ける人はいる。たとえば根付けなどの細工をする職人や髪飾りを作る錺職などの名人と呼ばれる技は人智を超えている。
「その技を法市が見破ったと、」
と、弥平治は米田勾当を覗き込むようにして聞いた。
つまり人智を超える技を見破った法市も人智を超える技の持ち主ではないのか、という疑念を米田勾当に聞いたことになる。
「法市ほどの按摩師なら皮膚の下を這う糸のような金の鍼を見つけるのも、さほど困難ではないかも知れません」
米田勾当は法市の技量を思い浮かべるように見えない目で虚空を見詰めた。
「見つけた『留め鍼』を体内から抜き取ることはどうでしょうか」
弥平治は米田勾当の白濁した瞳を凝視した。
「按摩仲間で『柔揉みの法市』と呼ばれた名人だ。法市の貪欲な探究心ならば、あるいは『留め鍼』の抜き取り技も習得していたとしても不思議ではあるまい」
そう言って、米田勾当は左右の節くれ立った大きな手を確かめるように交互にさすった。
仕事師を脅していた噂が本当なら、証拠となる『鍼』を法市が持っていたことになる。
「患者が立て込んでいるのに、たいそう邪魔をした」
そう言うと、弥平治は腰を上げた。
「御用のお役に立ちましたでしょうか。ああ、そうそう。伊勢崎町辺りに妾を囲っている日本橋界隈の大店の旦那や御隠居が急な心ノ臓の病で呆気なくこの世を去ることが割りと多いことにお気付きでしようか。それらの多くは三日殺しの仕事師の仕業ではないかと、当道座仲間ではもっぱらの噂です」
と継いだ米田勾当の言葉に、弥平治は「むっ」と息を止めた。
弥平治が大きく見開いた眼差しで振り返ると、米田勾当は弥平治の気配に小さく頷いた。
餅は餅屋という。当道座には世間とは隔絶された当道座特有の知恵があるようだ。千吉に佐賀町の米蔵屋敷を聞き込みに遣ったのは間違いだったと悔やまれた。聞き込みすべきは伊勢崎町の籬を巡らした妾屋敷だった。弥平治は唇を噛みしめて相生一丁目の仕舞屋を後にした。
一ツ目之橋を渡らないで竪川沿いの河岸道を東へ急ぎ足で向かった。竪川に架かる橋は東へ向かうと数が増える。次の橋は二ツ目之橋でその次が三ツ目之橋だ。三ツ目之橋を横目に過ぎて猶も河岸道を進むと北辻橋が目の前に迫ってくる。その北辻橋が架かっているのが横川だ。橋袂を左に折れて北へ二十間ばかり行くとやっと入江町に着く。
法市の家は入江町の西角の河岸道に面した一軒家だった。間口は三間ばかりあり、何人かの内弟子を抱える大工の棟梁か錺職の親方の住処を思わせる家だった。その閉じられた腰高油障子に『ほう一』と仮名釘流で大書してあった。
「御免よ、誰かいるかい」
声を掛けたが、家に人気はなく返事もない。どうしたものかと弥平治は辺りを見回した。
すると何事かと店先に顔を出した隣の油屋の女房が「法市さんの件で自身番から呼び出しがあって、お内儀は奉公人と一緒に朝から出掛けてるよ」と教えてくれた。
なるほど海辺大工町の自身番で八丁堀の旦那がおろく改と法市の遺体をつき合わせて疑義がなければ遺族におろくの引取りを許すことになる。そろそろ貝原の旦那が海辺大工町の自身番に立ち寄る刻限だ。こうしてはおられない、と弥平治は女房に「ありがとうよ、これから海辺大工町へ行ってみるぜ」と声を掛けるや、直ちに踵を返した。
捕物以外で岡っ引が往来を駆けることは無作法とされている。同心から預かった手札に懸けて常に平常心を心掛けていなければならない。しかしこの場合は特別だ、とばかりに弥平治は右肩口をたくし上げて前のめりに駆け出した。
本所改役同心は他の定廻同心と同様に、当番月には羽織を着た二人の手先を従えて町廻りをする。貝原佐内も貝原家に何代も仕える手先を従えて本所から順に自身番に声をかけて町を廻っている。その折に権八郎なら元町の自身番で貝原たちを出迎える。弥平治も平生なら門前仲町の自身番で迎えるが、小名木川で法市が殺害されたため弥平治は最寄りの海辺大工町の自身番で出迎えなければならない。
竪川端まで引き返すと北辻橋を渡り、それからすぐに竪川に架かる新辻橋を渡って本所から深川へ入ると、今度は横川に架かる南辻橋を渡って横川の西河岸道をまっすぐに小名木川まで下った。
小名木川に到ると新高橋を渡り、小名木川沿いの南河岸道を西へと急いだ。『おいてけ』騒動のあった土橋を通り過ぎると、その先の海辺大工町の自身番に辿り着いて大きく息を吐き出した。まだ肌寒い風が吹いているが、弥平治の額に汗が浮いていた。
自身番の腰高油障子を引き開けると、土間奥の切り落としの板の間に上がり框に腰を下ろしていた千吉が「親分」と情けない声を出した。土間には戸板に乗せられ粗莚を掛けられたおろくが朝のまま置かれているが、女房や奉公人たちの姿はなかった。
「佐賀町の米蔵屋敷を片っ端から当たりましたが、法市が按摩治療に通っていた店はありませんでした」そう言うと千吉は疲れたように項垂れた。
「そうかい、ありがとうよ。今度は高橋の袂から南へ下がった仙台堀に面した伊勢崎町の木戸番に聞き込んでもらいたいのだが、法市が揉み治療にこの界隈の妾屋敷にやって来ていなかったかと。出来ればどの家へ行っていたかを調べてもらいたい」
上がり框に腰を下ろしながら、弥平治は優しく声を掛けた。
「おいらはここでおろくと一緒に八丁堀の旦那を待たなけりゃならねえ」
弥平治がそう言うと、千吉は「へい」と応えて腰を上げた。
「ところで、法市の身内の者の姿が見えないようだが」
と、弥平治は部屋にいる誰にともなく聞いた。
しかし誰も返答しないばかりか「どういうことですかい」とでも云いたそうに、土間に立つ番太郎が弥平治を見下ろした。
「いや、おいらはここに来る前に法市の家へ寄ったンだ。が、法市の家には誰もいなくて近所の者に聞くと、女房たちはおろくを引き取りに海辺大工町の自身番へ行ったと」
弥平治はそう言って番太郎を見上げた。
「いいえ親分、法市の身内の者は朝から誰一人として顔を出しちゃいませんぜ」
と、文机の前の書役が顔を上げてこたえた。
なぜ姿を見せないのだろうか、どこへ消えたのだろうか、と弥平治は首を捻った。しかし今はほどなくやって来る貝原佐内に朝から探索した事柄を報告して、今後の差配を受けるしかない。下手人に繋がる明白な手がかりを一つとして手にしていないことに、弥平治の気持ちは重くなった。
待つほどに貝原主従が海辺大工町の自身番に姿を現した。
「なんだ、仏はまだここでオネンネかい」と、貝原佐内はすっ呆けたような声を出した。
「身内の者が遺体を引き取りに来てないようで」
と決まり悪そうに、弥平治が代表する形で応えた。
「それは面妖な。法市は大層な分限者で、数年前に声に惚れて娘ほども若い女郎を女房にしたはずだ。それに金貸の商売を仕切っていた目明き番頭と手代がいたはずだが。奉公人が蓄財した法市の有金を持って逃げたか、あるいは女房ともども拉致されたか」
そう言うと貝原佐内は手先の一人に「おう、米田勾当に法市の女房と使用人が姿を消したと報せて来い」と命じた。そして上がり框へ向かいながら、
「弥平治、法市の懐から何かなくなった物はなかったか」と、聞いた。
そう問われて、弥平治は漆塗りの按摩笛があるにも拘らずその袋がなかったと返答した。
「そうか。法市は粋な按摩笛を持っていたンだな。すると三止女縞などの洒落た端切れで拵えた袋が懐にあったはずだ。弥平治がおろく検分する前に、おろくの懐を探った者はいなかったか」
框に腰を下ろしてから、貝原佐内は番太郎を見上げた。
茶を淹れて来た番太郎は盆を持ったまま立ち止まり、困ったように言い淀んだ。
「そうか、この界隈の岡っ引といえば佐賀町は船宿『磯浜』の女将の情夫辰五郎だ。下っ引を十人から抱える大親分だから、番太が名を口にするのを躊躇っているンだな」
そう言うと自分の方から腰を浮かして、番太郎の持つ盆から湯飲みを取った。
誰も否定しないことから、貝原佐内は自分の言葉に「うむ」と頷いた。
「座頭仲間の当道座を馬鹿にしてはいけない。やつらの仲間意識は五体満足な我等のものとは比較にならないほど強く、探索網は町奉行所より格段も上だというぜ」
と誰にともなく呟いてから、貝原佐内は「弥平治」と名を呼んだ。
「権八郎のところで勝次に聞いたようだが『留め鍼』と法市について何か判ったか」
弥平治を試すような眼差しで貝原佐内は聞いた。
「いえ、今のところ何も。ただ昨夜法市は何処へ行こうとしていたのか。ただ高橋から南へ下がった伊勢崎町あたりの妾屋敷に法市を贔屓にしていた旦那がいなかったか、千吉を聞き込みに遣ってるところで」と言って、弥平治は俯いた。
半日かかって下手人の手掛かりさえも掴んでいないことに、弥平治は顔が熱くなった。
「惣佐右衛門、辰五郎は朝から自身番に姿を一度も見せていないのか」
後ろを振り向いて、貝原佐内は六十年配の鶴のように細い首をした町役に聞いた。
「はい、手前が承知している限りでは一度も」
と、かつてはこの町内で評判の棟梁をしていた男だけに、家督を長男に譲って町役を勤める身になっても声に張りがあり、態度も矍鑠としていた。
「それはへんだな。当番月でもない北町配下の岡っ引が殺し場にイの一番に駆け付けていながら、その後のおろく改もしなければ下手人探索の進み具合を知ろうともしないとは」
と、貝原佐内は不審そうに首を捻った。
「北町の上席同心の加納様が手札を与えた男だが、辰五郎に関しては何かと悪い評判が南町奉行所にも聞こえてくる。女房がやってる船宿の稼ぎがあったとしても、十人からの下っ引を養うにはちいっとばかし荷が勝ち過ぎちゃいねえか」
疑いの眼差しでそう言うと、貝原佐内は手先に「ついて来い」と顎をしゃくった。
「弥平治は千吉の聞き込みの結果を持って、上の橋袂の『磯浜』へ来てくれねえか。おいらは先に行って辰五郎やその配下の下っ引と船宿の女将などを〆上げてるぜ」
そう言うと、貝原佐内は自身番を後にした。
高橋の袂で貝原佐内と手先は河岸道を先に行き、弥平治は左に折れて先刻聞き込みに行った霊厳寺門前町の横を通って仙台堀に架かる正覚寺橋へと急いだ。千吉が聞きこみに行った伊勢崎町の木戸番小屋は正覚寺橋の袂にあった。
正覚寺橋の袂を急いで通り過ぎると「親分、何処へ行きなさるンで」と、弥平治を呼び止める声があった。
「おう」と弥平治が足を止めると、西平野町の角地、秋田筑前守の屋敷の隣に三味線を描いた看板を軒先に下げた店から千吉が飛び出て来た。
「どうした、こんなところで何してる」
と、弥平治は気色ばんで千吉を睨みつけた。
「親分、辰五郎親分の下っ引に植木職の亀蔵というのがいますが、その亀蔵がこの店で三味線の一番細い三位弦の切り分ける前の長いヤツを大量に買っていましたぜ」
そう言いながら、千吉は小走りに駆け寄ってきた。
弥平治は千吉に「何のことだ」と聞き返した。
「法市は伊勢崎町のお登世の家の前で辰五郎親分と会ってたというンでさ。お登世の旦那は日本橋通町の大店駿河屋呉服店の主人で。二人に何があったかお登世は知りませんでしたが、辰五郎親分は法市と言い争っていたようだと。何か臭いませんか」
嬉々として千吉は語り掛けた。
しかし弥平治には千吉が何を言っているのかさっぱり解らなかった。
「千吉、順序だてて話さねえか、おいらには何のことだかさっぱりだぜ」
強い口調で、弥平治は叱り飛ばした。
「へい、木戸番小屋で聞きましたら法市を贔屓にしていた家が判りました。それがお登世の旦那で、日本橋駿河屋の旦那に腕を見込まれていたンでさ。半年ばかり前のこと、法市は肩口を揉んでいて心ノ臓の近くに『留め鍼』を見つけたってンで。刺さっていた場所が心ノ臓の裏側にあったため、法市は一晩掛かりで抜き取った、ということでさ。旦那に聞けば二日前の晩に御高札場裏の長屋に暮らす高市という名の按摩を呼んで揉んでもらったそうで。駿河屋には一人息子に店を継がそうとする番頭たちと、十五ばかり年の離れた旦那の弟に継がそうとする親戚たちが跡目を争っていたそうで」
千吉と弥平治は人目を避けるように三味線屋の軒下に入った。
「それを聞き込んだのはお手柄だが、それと三味線屋と何の関わりがあるンだ」
弥平治は千吉の気を鎮めるように優しく話しかけた。
「親分、茹で卵を切るのに何を使うか御存知ですか」
と、千吉は唐突に妙なことを聞きだした。
居酒屋では茹で卵なぞという高級食材は使わない。町角の煮物屋の総菜の大皿を輪切りにした茹で卵が飾っていたりするが、その料理場を覗き見たことはなかった。
「髪で切るンでさ。先刻訪れた妾宅でお登世が旦那と法市のいわれを話しながら解れ毛で茹で卵を切ってたンで」
そう言って、千吉は弥平治の顔を覗き見た。
「なるほど、霊厳寺門前町差配の釣り竿を切断したのも、法市の首の血管を斬ったのも『髪の毛』のようなものだ、と言うンだな。それで三味線の一番細い三位の弦を大量に買った者はいないかと、この界隈の三味線屋を聞き込んだと」
――そうだな、と弥平治は千吉を問うように見詰めた。
「へい。おそらく辰五郎とその下っ引が下手人の一味かと」
そう話しているうちに、高橋袂から往来の人たちを蹴散らすようにして急いでやって来る数人の足音が聞こえて来た。弥平治は視線を上げて千吉の肩越しに見ると、下っ引三人を従えた辰五郎の一行だった。
「千吉、昔取った杵柄だ。法市の按摩笛の袋が辰五郎の懐にあるはずだ、それを掏ってくれないか。袋の中には駿河屋の旦那の体から抜いた『留め鍼』が入っているに違いねえ」
そう言うと千吉は素早く通りの反対側へ行き、弥平治も三味線屋の軒先から離れた。
辰五郎はよほど急いでいると見えて、通りの傍にいる弥平治に気付かないようだった。
「親分、」と弥平治が声を掛けると、辰五郎は小走りの足をゆるめて顔を向けた。その刹那に通りの端から千吉が飛び出た。辰五郎と突き当たるかのように見えたが、神業のように身を翻して辰五郎の前を紙一重で横切った。
「おう、驚かせるねえ。弥平治とその下っ引か。ここで何してる」
と、辰五郎はなおも歩みを止めようともしないで、弥平治の前を通り過ぎながら聞いた。
「自身番で貝原様が『磯浜』へ行かれたと聞いたので、おいらたちも『磯浜』へ向かっていたところ、千吉の野郎が催したので用足しの間ちょっとここで待っていたところで」
そう言って、弥平治は千吉を叱るような眼差しで睨んだ。
「そうかい、儂も南町の旦那が『磯浜』にお見えになったと報せがあったから、大わらわで帰ってるところさ。ところで南町の旦那が儂に何用だろうか」
やっと足を止めると、辰五郎は怪訝そうな顔をして弥平治に聞いた。
「さあ、おいらにゃ皆目見当も付きません」と、弥平治は大きく首を捻って見せた。
いずれにせよ岡っ引や下っ引たちが天下の往来で立ち話をしていては剣呑に過ぎる。それに気付いたのか「儂は先を急ぐから、行くぜ」と言うと、辰五郎は小走りに駆け出した。
往来を岡っ引の大親分が駆けるとは余程のことだ。その余程のことが辰五郎の身の上に起こったようだ。辰五郎の動揺が手に取るように伝わった。
辰五郎たちが走り去ってから、弥平治たちは表店の軒下へ場所を移した。すると千吉は袂から折り畳まれた豆絞りを取り出した。
「親分、辰五郎の懐にこれがありましたぜ」
そう言って千吉が手渡した手拭を、弥平治は手にとって広げた。
中に長さ五寸五分で幅一寸五分ほど唐桟の袋が入っていた。おそらくそれが按摩笛を入れる袋で、法市の懐から盗られたものだろう。組紐で巾着絞りになっている口を広げると、中には厚手の紙の包みと、数枚の畳まれた証文が出てきた。厚手の紙は湿っていたが、証文は湿っていなかった。
さっそく厚手の紙を広げると細い金の鍼が入っていた。数枚の証文は法市が貸し付けた証書で、借主は辰五郎だ。それも三通あって記された金利は御上が定めた上限の年一割、金額は二十両と三十五両と四十両だった。借り入れた時期は昨年の春先から一月置きになっている。その日付がなにかと符合しているのだろうかと弥平治は首をかしげた。確かに古ぼけた船宿『磯浜』に大工が入ったのはその時期だったはずだ。
併せて九十五両とは大金だが、その証文を取り返すために辰五郎が法市を殺したのだろうか。一方で米田勾当から聞いた話では、法市は当道座から抜けようとしていたという。ちょっとやそっとの蓄財で座頭を守る当道座と縁を切るとは思えない。
丁寧に袋の中に戻し懐に仕舞いこんで、弥平治はゆっくりと『磯浜』へ向かいながら腕を組んで考え込んだ。
弥平治が『磯浜』に着いた時には捕方が厳重に船宿を取り囲んでいた。貝原佐内がそうした段取りをいつの間にやったのか、改めて八丁堀同心の手腕に舌を巻いた。
町方が固めた玄関を入ると、役人が一階廊下の居間を指差した。そこに貝原佐内とその手先たちと、辰五郎親分と主だった下っ引が呼ばれているのだろうと察しがついた。
長い廊下を行き焦茶市松模様の襖戸を引き開けると、まさに捕方が辰五郎とその下っ引たちをお縄にするところだった。貝原佐内の指図により捕方数人ずつが辰五郎と下っ引五人に縄を掛けようとしていた。
「貝原様、これはいかなることでございましょうか」
と、辰五郎は下座に控えたまま、飛び掛かった捕方に腕を捩じ上げられ声を震わせた。
「言わずと知れたこと。法市殺しの下手人の疑いの廉で召し捕える」
貝原佐内がそう言うと、辰五郎は微かに口元を歪めた。
「これは異なことを聞く。法市殺しは『おいてけ』のモノの怪の仕業によるもの、と」
辰五郎は奇怪な事変はあったものの、自分たちが手を下した証拠はないというのだろう。
貝原佐内は床柱を背にして座っていたがやおら立ち上がり、目の前で両肩を捕方に抑え付けられた辰五郎を見下ろした。
「モノの怪などこの世にいようはずはなく、声が瞬時に場所を移すというはカラクリに過ぎぬ。たとえば神社では境内の神木から神意を聴くという神事が散見される。その方法は竹筒に紐をつけて、その一端を神木に結び付けて竹筒に耳を当てて神意を承るというものだ。聴く場合はそうだが声を伝える場合は神木ではなく三味線の胴などに糸の一端を貼り付けて、竹筒に向かって話せば声が糸を伝わって三味線の胴を震わせて聞こえる。『おいてけ』と釣り人を脅す役目の者は対岸の太田總次郎殿の屋敷から三味線の細くて丈夫な弦を張った竹筒に向かって「おいてけ」とおどろおどろしく言えば、弦の繋がった土橋の下に置いた三味線の胴が「おいてけ」と鳴るものなり。釣り人が驚いて逃げ出し高橋に到ったのを確かめて、今度は高橋の下の橋桁に括りつけた三味線の胴に繋がった弦の竹筒に向かって「おいてけ」と低く声を発したものなり。法市が通りかかった折に「懐の金の留め鍼を置いてけ」とでも云ったのだろう」
と謎解きをして見せてから、貝原佐内は「すでに太田屋敷に出入りしていた植木屋の素性は調べがついているぞ」と言って、辰五郎を睨みつけた。
「そのカラクリを細工したのはお主が下っ引、常時は植木職を生業としている亀蔵だ」
そう言って、貝原佐内は辰五郎の背後に控えている男を指差した。
すっかり調べはついているようで、貝原の口振りは自信に満ちていた。亀蔵と名指しされた男は法市の検分の折に、土手下にいた下っ引の一人だった。弥平治が土手下へ降りる前に、亀蔵が土橋の下から三味線の胴を回収して畳み背中の帯下にでも隠したのだろう。高橋の下の橋桁にも土橋と同様な痕跡があるはずだ。三味線の胴は縦五寸九分に横六寸五分と大きさは決まっている。
「この秋口に御高札場裏の砥石店の鍼灸師の高市が駿河屋嘉兵衛に仕掛けた『留め鍼』を法市が見破って以来、法市が番頭を遣って高市を強請っていたのは調べがついている。その高市が法市の始末を裏稼業の仲間に頼んだとしても不思議ではあるまい」
そう言って貝原佐内は「どうだ」と辰五郎を睨みつけた。
「それなら高市と亀蔵をお縄にするのが筋で、なぜ儂までお縄になさろうと」
と、辰五郎は語気鋭く貝原佐内に食って掛った。
座頭の管轄は寺社奉行だ。町奉行所に高市を取り調べる権限はない。さらに貝原佐内が掴んだ証拠に辰五郎の罪を問うべきものはない。貝原佐内が言葉に窮すると一瞬の静寂が広い居間を支配した。しかしその瞬間を待っていたかのように「その理由は、ここにある」と、弥平治の鋭い声が響き渡った。
「辰五郎親分には法市を殺す理由がある」
そう言うと、座敷の下座に控えていた弥平治は立ち上がり、
「これは先刻辰五郎の懐から千吉が掏摸取ったもの」
と唐桟の袋を高く右手で掲げたまま、十二畳の居間を上座へ小走りに人を掻き分け掻き分け前へ進んだ。
すると顔色を変えた辰五郎が「かようなもの、見覚えないわい」と、金切り声で逃げを打った。
「辰五郎親分に見覚えなくとも、この袋の中身が親分をしっかりと憶えているのさ」
そういって貝原佐内の前に控えると、弥平治は按摩笛の袋を一段と高く掲げて声を張り上げた。
貝原佐内は唐桟の袋を受け取ると「これが法市の按摩笛の袋か」と、しげしげと見た。
「なるほど、中身は金の『留め鍼』と辰五郎が法市からカネを借りた証文か。法市の家には貸付証文が山ほどあったはずだが、いかなる手段で自分のだけを抜き取ったのか、その経緯もじっくりと教えてもらうゾ」
取り出した証文などを、貝原佐内は一同に掲げて見せた。
「これで辰五郎一味がなぜ法市を亡き者としたかが腑に落ちたであろう」
そう言うと、貝原佐内は一段と声を張り上げて「引っ立てイ」と命じた。
弥平治と貝原佐内は辰五郎たちが引っ立てられる後に続いて『磯浜』を出た。
「御見事なお手並みで」と、弥平治は二尺ばかり後ろを歩きながら声をかけた。
「ナニ、法市の傷口と殺し方から糸カラクリを思い到ったのさ。両国や浅草あたりの小屋にはそんな神業を自在に操る師匠が何人かいる。聞き込んでみると亀蔵は糸カラクリ師糸丸太夫の娘に手を出して破門されて植木職の親方に拾われた、ということだ」
そう言うと貝原佐内は声を出さずに笑った。そして振り返ると弥平治に視線をくれて、
「糸丸太夫の話では相手が倒れさえしなければ、細い弦で人の首を落とすことなぞ造作ないそうだ。五年ばかり修行を積んだ亀蔵ならそうした初歩の糸カラクリなら使えるはずだそうだ。弥平治が河岸道に長い竹が倒れていたと言っただろう。それは対岸の十間ばかり離れた二ヶ所と竹で弦を張って空中の闇に隠し、狙った者が通りかかると対岸から弦を引いて竹を倒し、弦が竹から外れその者の首筋まで落ちる頃合を見計らって一方の者が手を緩め、一方の者が弦を力の限り引き続ければ首筋が深く断たれるという寸法だ。『おいてけ』を騙ったのは暮れゆく黄昏時でもまだ残照がかすかに残って弦を引く頃合が見通せ、しかも仕事を終えて姿を消す頃には夜の帳が下りて都合が良かったからだろうよ」
と言葉を継いでから、感心している弥平治に振り返り、
「すべては糸丸太夫の受け売りだがな」
と笑い飛ばして、仙台堀の上に広がる夕暮れの空を見上げた。 (了)