五話
「あの廃病院はね、そういう者達にとってもかなり危険な代物なの。でも、だからといって取り壊す事も出来なかった」
清奈姉の説明を静かに聞いていく。
「立て直したりするなら大丈夫。でも、壊すだけでは工事現場や周辺住民に影響が出てね……この場合は神隠しとか、不審死ね。それで、新しい建物を建てるんだけど、そうなると不思議とその建物に入りたがる者達が出るの。そう、今までの病院経営者達ね。そして彼らはそこで周囲の反対を押しきって病院を開業し、廃業へと追い込まれるの」
その繰り返しだと清奈姉は苦笑した。
「でも、それだけ不審な事が続けば病院に行く人が居なくなるんじゃ」
「普通はね。でも、なぜか住民はその病院を利用するの、噂なんてまるで知りませんというように。実際、噂を知っていてもたいして気にして居なかったわ」
それが不思議な事の二つ目だと言う。
「……どうして、こんな風になったんですか?」
「それは、あの場所が最初におかしくなった理由って事?そうねぇ……それは今から、遙か昔の事よ」
清奈姉の口から、その凄惨きわまりない過去が語られた。
元々、私たちが住む町のある辺りは聖地だったのだという。
豊かな自然に溢れ、それらを大切に信仰する者達が静かに暮らしていた。
けれど、いつしかこの場所は戦場となり処刑場となった。
本来は清らかで聖なる力に満ちあふれていた場所は、たくさんの争いと流される血、紡がれる恨みと怨嗟、そして絶望と死によって大きく歪められた。
元の力が強ければ、それだけ歪められた時のひずみは大きく、そしていつしか聖地は忌み地となった。
しかし話はそれだけではすまなかった。
忌み地は更なる力を得ようと、多くの者達を引き寄せては数々の争いを引き起こさせて大量の死を作り出した。
争いは戦から始まり、今で言うオカルトの様な事もあった。
生け贄を必要とした黒魔術もあれば、神隠しも頻繁だったという。
けれど、まるでこの地に魅入られた者達は決してこの場所から離れようとしなかったのだという。
そして、ただ死にゆく時を待ち続けた。
そこに現れたのが、清奈姉の先祖。
彼らは忌み地の浄化に努め、その結果大幅に犠牲者は減った。
けれど完全に浄化するには長い長い年月が必要であり、その結果、その一族はこの場所に根を下ろした。
その一族の名が神有家。
そして神有家の指示の元に、そこにあった街は作り直され一種の封印として利用され、更にいくつかの名門一族が忌み地に留まる事でその封印は安定したという。
けれど、数十年に一度封印は揺らぐ。
その封印は強化されるものの、まるで誘われる様に現れては封印を揺らがすものが居るのだという。
その一人が、あの廃病院の場所に最初の病院を建てた人物。
あの廃病院があった場所は、町が忌み地となる前から処刑場の一つとして利用され多くの者達が殺された場所。それも、力ある巫女や術者が多く殺された事により、一種の強力な磁場となっている。その為、町の他の場所よりも厄介度は高いのだとか。
「あそこには、いくつかの悪霊がいるの。それも、結構面倒なのがね」
今までにも、多くの術者達が犠牲になったという話だった。
「でも、あの場所を完全に封鎖する事は出来ない。逆に犠牲者を多くするから。だから、人避けの結界を張ったの」
たいていはそれで近付く者達を制御できた。
けれど、それでも心霊スポットとして名を広め、オカルト好きの者達を肝試しと言う名の下におびき寄せる。
「自分から行こうとする者達は結界を通り抜けてしまう。だから、普段は術者達が止めに入るの」
しかし、私たちの時にはそれがなかったという。
それは、別の事件が起きていたから。
「通り魔事件」
そう……あの、事件だ。
「実際には、あれは通り魔なんていうかわいい者じゃないわ。忌み地封印で共に封じられた魔よ。結構いるのよね、そういうの。その一つが解き放たれたの。しかも、結構な強さの」
しかも、元が神だから余計に厄介だったとか。
強さレベルでは上から数えた方が良く、その為、神である『西海龍王』が直々に出たのだという。というのも、その墜ちた神は元は龍ーーだからこそ、彼女が手を下した。
身内の、不始末をつける為に。
「自らの欲望に墜ちた堕龍といえど、その影響力は計り知れないの」
それと戦い、勝利した『西海龍王』。けれど、それが従えていた他の魔達は数多く、それらを倒し、そしてまだ助かる犠牲者達を浄化した所で『西海龍王』は力尽きた。
というのも、堕龍討伐の前にすでに大幅に力を失っていたからだ。
先日起きた、沖を震源地とした地震によって発生した大津波。
それが自然のものならば手を出すことはないが、魔によって引き起こされたものであるならば神として止めることが出来る。
それを止めた事で『西海龍王』は大幅に力を消費し、そこに堕龍との戦い。
休む間もない戦いーーそりゃあ、体力だって尽きる。
「ああでも、今はもう大丈夫よ」
力を失い過ぎて蛇となってしまったが、今ではもう龍の姿に戻っている。
何でも、事情を知った彼女の保護者たる海国の王が、その力を分け与えた事ですでに回復済みだとか。本当に凄いな、海国の王様。
「……けど、どうして『西海龍王』様が今回の原因になるんですか?」
「それは、彼が封印の要だから」
「封印……」
「そうよ。封印は五つ。その全てがそろって初めて機能する。一つが揺らげば、その強度はもろくなるの。すぐに強化はされたけれど、完全にはされなかったみたい。そして、本来はそれを補う為のストッパーたる術者達も止める事は出来なかった」
今はもう、封印は完全なものとなった。
けれど、すでに新たな犠牲者が出てしまった後だが。
「そのクラスメイト達の事は大丈夫。私たちが何とかするから」
「清奈姉」
「だから貴方はゆっくりと休みなさい。家まで送るわーーいえ、うちに来なさい」
「清奈」
「言っとくけど、ここには置いていかないからね」
ガァァァンと衝撃を受ける彼女。
まあ、人が気を失っている間に家に連れ込む相手の場所には留まりたくない。
「どうしても求婚したいなら、きちんと手順を踏みなさい」
求婚自体はいいのか?
「うぬぅぅ」
ぐうの音も出せず、彼女が撃沈した。
「はい、ここの部屋を使ってね」
清奈姉に案内されたのは、二階の六畳間だった。
本当は自分の家に戻るつもりだったが、あんな事があった後なので一人は危険だと清奈姉が許さなかったのだ。
「お腹すいてない?ああ、お風呂も使っていいから」
「いや、それは大丈夫」
「いいから入ってきなさい。綺麗さっぱり流した方が良いのよ」
「汚れを?」
そんなに汚いだろうかと自分の体を見回せば、清奈姉が苦笑した。
「違う違う、流すのは縁の方よ」
何でも、今回の件で少なからず私は廃病院と縁づいてしまった為、今後影響が出てくる恐れがある。それを流す為に入浴しろとの事だった。
「こじつけ的と言われるかもしれないけれど、以外ときくのよね、これ」
汚れを流す、悪いものを流す。
綺麗にするという思いは以外にそういう縁を切るのに役に立つとか。
まあ、それならとお風呂を使わせてもらった。上がると、香奈が居た。
「あぅぅぅ」
「香奈~」
ヨチヨチと這いずってくる香奈を抱き上げると、キュゥゥと小さな手で服を掴まれた。
私の心もわし掴まれた。
「香奈ってば、年上キラーよね」
「う?」
私わかんない~とばかりに首をかしげる様は、周囲を翻弄する小悪魔そのものだ。
「でも、なんで部屋にいるの?」
「寝ないんだよ」
「あ、連理兄」
不機嫌そうな連理兄が香奈に手を伸ばす。
「香奈も心配していたんだぞ」
「香奈……」
「あぅぅ」
ぺちっと顔を叩かれた。
「駄目、かわいすぎて鼻血が出そうっ」
「その気持ち激わかりだ」
お互い、グッと指を突き出す。
もはや私たちには言葉はいらない。
あ~、今からでも妹か弟が欲しい。
香奈のようにかわいい赤ちゃんが欲しい。
神様、妹弟ーー
「言っとくがその願いは神じゃなくて両親にしろよ?作るのも産むのも親なんだから」
「え?赤ちゃんってキャベツ畑で貰ってくるんじゃないの?」
「違うから、そもそも、この町にキャベツ畑自体ないから」
あれ?違うのか。
じゃあ、どこで拾ってくるのだろう?
「香奈はどこで拾われたの?」
「いや、清奈が産んだんだろ」
「……」
え?こんなおっきな赤ちゃんがあの体から出てくるの?無理じゃね?
「連理兄の体なら産めるかもしれないけど」
清奈姉より体大きいしという言葉を心の中で紡げば
「何でよ!」
怒られた。
「そりゃあ、あんたが赤ん坊を産みそうな顔をしてるからでしょ」
「清奈……」
部屋に入ってきた清奈姉を連理兄がにらむ。
「違うよ清奈姉。私は顔じゃなくて、連理兄の方が産めそうな体をしてるって」
体大きいし。
「どんな体だよ!顔で産めるとか言われるよりムカツクわっ」
怒りに油を注いでしまった。
「あはははは!まあ確かに、首から下だけでも産めそうだわ」
「だよね」
清奈姉の中に香奈は入らないし。
「あ、あぅ」
香奈が何か言いたそうだが、きっと当たり前だよ~と言っているに違いない。
「俺が産めるか!俺は産ませる方だっ」
『西海龍王』とは違うんだぞ!!との叫び声に、そういえば彼女も産めるんだと思い出す。いや、この場合産めるのは当然なので、産ませられるという所に反応しよう。
「ああもうっ!この俺にそんな口を聞けるのはお前ぐらいだぞっ」
「清奈姉は?」
「これは特別」
おぉ~とぱちぱち手を叩く。香奈も真似して手を叩いた。
「まあこの馬鹿の事はほっといて、今日はもう休みなさい」
「……」
「彼らの事が気になって眠れないかもしれないけれど、体力を回復させる為にも休みなさい。疲れたでしょう?」
確かに疲れていないと言えば嘘になる。でも、もやもやとしたものがこみ上げ、とうてい寝られるとは思えない。
「抱き枕貸してあげるから」
「あ、寝ます」
香奈が居れば寝られると思う。いつも香奈をだっこしながら昼寝するのがここ最近の日課となっていた。
「はい、電気消すわね」
「うぅ……今日は香奈と寝られないのか」
「いつも一緒に寝てるんだから良いでしょう。香奈、鏡華を頼んだわよ」
「あぅ」
七ヶ月で母とここまでの意思疎通がはかれる赤ん坊はなかなか居ないだろう。
電気が消され、清奈姉と連理兄が居なくなり香奈と二人っきりになる。
「あ~~」
「ねんねしようね~」
ほどなく、私は眠りについた。
あの滝の夢は見なかった。
代わりに、廃病院の夢を見た。
「ここって、あの廃病院?」
よほど頭に残っていたのか、凄く鮮明な夢だ。
私はあの廃病院の入り口に立っていた。
やはり玄関は壊れたままで、奥には闇が広がっている。
「愛海……」
と、その時だった。
奥から誰かが駆けてくる。
それは泣いている愛海だった。
彼女は玄関まで来て、そしてーー。
バンっ!
何か見えない壁にはじかれた様に、外に出られなかった。
バンバンと激しく叩き、そしてそのポケットから私があげた鈴がこぼれ落ちた。
あ……。
鈴は転がり、私のはく靴に当たった。
それを拾い上げた時だった。
きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ
絶叫。
愛海の方を見ると、奥から黒いものが出て愛海の体を奥へと引きずっていく。
「待って!」
走る。
体はいともたやすく施設の中に入っていく事が出来た。
でも、愛海達に追いついても触れることが出来ない。
これは夢。
でもーー。
ならば、どうして鈴を拾い上げる事が出来た?
気づけば、見覚えのある天井が視界に映りこんでいた。
そして手には、あの鈴が。
「なん、で……」
愛海に渡した鈴。
愛海が落とした鈴。
でも、それは夢の中、あの廃病院の中での事で……。
いや、ちょっと待って。
この鈴が自分の手の中にあるという事は、今、愛海は鈴を持っていない。
あの時、彼女はなんと言っていた?
彼女と出会い、愛海達を探しに行こうとした時に聞いた。
『愛海という子は大丈夫。『巫女の鈴』を持っているから。手放さない限り、朝になったら出られる。でも、他のは駄目だ』
鈴を手放さない限りはーー
愛海の手に、もう鈴は無い。
そして愛海は、あの黒いのに。
「愛海っ!」
私は急いで着替えると、そのまま部屋を飛び出しあの廃病院へと走った。