対魔昇華法
影取りの魔女、ロイタミナス=グレゴリーはゼェゼェと肩で息をしていた。
「まったく、なんて日なんだい今日は! もうこれで何人目だと思ってるんだい」
グレゴリーの傍には、首から上が体から離れた人間がものを言わず横たわっていた。
この人を殺したのは彼女だ。それも巨大な鎌で何の躊躇いもなく殺った。
「……またかい。ハァ~……次で五百人目ぐらいになるんじゃないかえ? やってられん……」
正確には五百と三十人目だが、ここまで来たら些細な数字かもしれない。
それより、彼女は遠く離れた人間が魔法を使ったかを察知することができる。
つまり、この世界で彼女の目をかいくぐって魔法を使うことはできない。だから、禁忌を犯した者は、一人残らず彼女にその居場所を知られてしまい、逃げることは不可能。
何も、それはモアグリードの人間に限った話ではない。
彼女にはいつ、どこでネックらが魔法を使ったかもお見通しである。
正確には、誰が使ったかなどはわからないのだが、ネックらが使う魔法は、モアグリードの素人が付け焼刃で使う魔法とはレベルが違う。その相違を判別してグレゴリーはとりあえずネックらが魔法を使ったか知ることができるのだ。
そして、今しがた察知した魔法は、とても慣れた者のものとは思えず、99.9%モアグリードの禁忌違反者だろうとグレゴリーは考えた。
老体を動かす苦労はあるだろうが、休むわけにはいかない。
「やはり原因の素を潰すしかないのじゃろうか……」
ふいに現状を打開するために思案を巡らせた。
しかし、一番に浮上した解決先を彼女は否定した。
「やはり彼奴らと戦うのは避けたい。さっきは運よく逃げ切れたというもの……偶然が二度も起こるとは思えぬ」
グレゴリーは徹底してネックと戦うのを是としない。
それほど、ネックを評価しているのだ。
圧倒的な魔法力と、その攻撃性を……
「次に、あれと会ったら、殺されかねないよ。こわいこわい」
そう言って、グレゴリーは新たな禁忌違反者の下へと移動魔法を使った。
移動した先で、いま最も出会いたくない連中と出会ってしまうということも知らずに
「ねえ」
神殿へと足を進める一行の先頭を歩いていた少年、ネックは唐突に口を開いた。
唐突ではあったが、三人には、彼が次に何を言おうとしているか手に取るように分かった。
「あそこにいるのって、もしかして……」
ネックは、目を凝らしながらずっと先のほうにいる二人を凝視した。
彼自身、特別目が悪いというわけでもなかったのだが、さすがに距離がありすぎて、現在の地点では正確に判別することはできなかったのだが、それでも十中八九彼の予想は当たっているだろう。
そこまでして確信に至らしめる要因は、声だった。
一度聴いたら一週間は耳に残りそうなぐらいの不快な笑い声。それも若い人間の、ではない。
『この笑い声の主は?』と問えば、満場一致でこう返ってくるだろうという確信が彼にはあった。
「影取りの魔女、ロイタミナス=グレゴリーじゃね?」
ネックは振り返り、三人の顔を見た。彼らは無言で首を縦に振る。
ネックは進行方向へと向き直し、小さく息を吐く。
そして、
「見つけたぞクソババアァァァァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ネックは、怒号と共に全力疾走でグレゴリーへと駆けた。
ただ駆けるだけではなく、魔法で背中に小さなジェット機のような羽型のブースターのようなものを設置し、爆発的な速力で向かう。
グレゴリーはその魔法で発生した魔法力と爆音で瞬時にネックだと気付いたが、行動を起こすには彼のスピードは速すぎた。
つまるところ、グレゴリーはネックのジェットレベルのスピードの拳を、何の策も講じぬままに受けた。
「ゴフゥ……ッ!!」
まともな悲鳴など出せるはずもなく、グレゴリーの体は地面と水平移動するようにとんだ。
そしてそのままご老体が建物に激突……するはずだった。
だが、建物はグレゴリーが激突することもなく、グレゴリーの姿は一瞬のうちに消え去った。
「あいつ! また移動の魔法で逃げやがった……」
ネックは左右に目をやった。が、グレゴリーの姿はない。
しかし、後ろにおいて行かれていたアスランたちが焦り声を荒げてネックへと叫んだ。
「後ろだ!! ネック!!」
このテンプレのような言葉を聞いてネックは激しく後悔した。
忘れていた……影取りの魔女が『影取り』と呼ばれる所以を。
彼女が最も得意とする魔法、それは自他を別の位置に移動させる類の魔法ではなかっただろうか。
「ヒ……ヒヒ、よくもあたしの顔をグチャグチャにしてくれたねぇ」
影取りの魔女は、文字通りひしゃげた顔面を回復魔法で再生させながらネックの背後に立っていた。
ネックはあまりの不気味さに恐れ、無意識のうちに魔法を放っていた。
グレゴリーを取り囲むように360度魔法陣を形成する。
グレゴリーはその様子を鈍い瞳で観察している。
その瞳にネックは言いようのない恐怖を感じた。
――追い詰められている人のする表情じゃない。
ネックは、絶対的優勢だというのにかかわらず、焦りを見せる。
その時、グレゴリーがゆっくりと口を開いた。
「おやおや、これは……あたしもまだ、捨てたもんじゃあないね」
「ッッ!!」
グレゴリーの放った言葉はとるに堪えないようなどうでもいい言葉だった。
しかし、彼女の口元には、べったりと笑みが張りつけるように浮かんでいたのだ。
ネックは魔法陣の完成を待たずして攻撃を開始した。
「その焦りこそが、敗北へと繋がる決定的な一手となる」
「言ってろ!!」
魔法陣から放たれる攻撃。
「嘘、だろ……?」
その攻撃は発動して間も無く効力を失い、消失した。
そして、消失した魔法陣の中から完全回復したグレゴリーが姿を現す。
「どうやら、あたしの思い違いだったのかねぇ」
「……?」
グレゴリーは大きな大きな鎌を召喚する。臨戦態勢は整った、という感じだ。
そして、
「あんたは、予想以上に弱かったらしい」
「……ハッ、もともと過大評価過ぎたのが、正しく再認識できただけだろ。俺は――」
「何も気に掛けることはなかった。あんたを殺して、この騒動にケリをつけるとしようじゃないか!」
ネックが魔法陣を形成し、戦闘が始まった。
「ババア、お前だけは絶対に許さねえ! 生きて帰れると思うなよ?」
「ヒヒヒ!! 生きて帰れないのはあんたらのほうさ。あたしのため、モアグリードの為にもねえ!!」
グレゴリーは目を見開き、姿を消した。
ネックはグレゴリーがどこに移動するか察知できた。
「俺の影……つまり後ろッッ!!」
「ヒョ?」
大鎌を振り上げたグレゴリーが驚き、妙な声を上げる。しかし逃げることもなく、その鎌を振り下ろした。
「……ッ!」
ネックは魔法陣に防御の特性を付与して鎌と激突させる。激しい火花が上がった。
続いてグレゴリーの鎌が横から迫ってくる。空中に浮遊した鎌が、である。
ネックは横からの追撃をギリギリのところでしゃがみ、回避する。
「ヒヒヒ……どこからそんな瞬発力を出せるのかねぇ」
グレゴリーは薄く笑い、「それと」と続けた。
「あんたの魔法は強力だが、単調すぎる……このとうりにの」
言われて初めてネックは気付いた。自分の魔法がまたもや消え去っていることに。
「グレゴリー……俺に一体、何をした……?」
「ヒヒヒ……さあて、どうだろろうねぇ」
「教えてもらうぞ……うおおおおお!!!」
ネックは、勢いだけでグレゴリーへと突撃していった。
しかし、無駄である。グレゴリーは攻撃を受ける瞬間には既にネックの影に移動していて、掠りともしない。
「ヒヒヒ…視える、視えるぞ。あんたのしようとしている攻撃が手に取るように視える!」
「……!」
グレゴリーが挑発するように言った。直後、彼女が立っている真下が耳を劈く音で吹き飛んだ。
ネックがグレゴリーの真下の地面を魔法で爆破したのだ。
しかし、
「残念だねぇ。あたしの移動魔法『影渡り』の前じゃあいくら素早い攻撃だろうと全く効果を成さないよ」
グレゴリーは嘲笑うように言い、ネックの影から這い出てくる。
ネックは、
「効果を成さないかどうか、今から確かめんだよ!!」
ネックはグレゴリーが自分の影に移動してくる前から先手を打っていたのだ。
グレゴリーの目の前には、ネックが立っていた。
だが、グレゴリーが目の当たりにしたのは彼の背中ではなく、正面。
意図していなかった事態に、グレゴリーは動揺を見せた。
ネックは、その一瞬の隙を逃さない。
彼の両手は、魔法の業火で煮え滾っていた。
その両手でグレゴリーは灼熱の炎に焼かれる。
「効かないよ、何もかもねぇ」
グレゴリーは三度ネックの魔法を一瞬のうちに消失させた。
「終わりだよ!」
放たれる雷撃の魔法。
ネックはそれを躱せず、直撃してしまう。
「……ッ……!」
ネックは食らうと同時に回復を試みた。彼の体の周りに、薄い緑のベールが発生する。
しかし、それをさせるグレゴリーではない。
「あたしの魔法の前ではすべてが無に帰す」
グレゴリーがそういうと、ネックの回復魔法は途切れ、耐えがたいダメージに膝をついた。
「何が、どうなってやがる……」
自分が放った魔法は悉く無効化され、終いには回復魔法すら止められる始末。
唯一の攻撃手段である魔法が使えないのなら、ハッキリ言ってこの戦いに勝ち目はないかもしれない。
たとえモアグリードの文明力である兵器を使ったとしても、グレゴリーの魔法で無力化されるのが関の山だ。
どうする。この状況を……
「クソッ!!」
なけなしの魔法で、グレゴリーへと追撃をする。
それも、次の攻撃も、相手に届くことはなく、消失して消える。
「質で駄目なら……!!」
ネックは瞬間的に魔法陣を目の前に描き、大量展開した。
質で駄目なら量で攻める。
ネックの合図で、展開された魔法陣から無数の光弾がグレゴリーへと発射された。
「何度やっても無駄よ無駄。小童が!!」
グレゴリーは自分の影から飛出し、ネックと同じように光弾を射出した。
ネックも、それに応戦するように光弾を飛ばし、相手の光弾を相殺していく。
しかし相殺しきれないものもあり、ネックはそれで少しずつダメージを受ける。
無論グレゴリーのほうも、相殺しきれなかった光弾はあり、十回に一回はグレゴリーへと弾が向かっていくが、そのすべてはうれごりーの体に接触する前に消失してしまう。
「……?」
ネックはそこにある違和感を覚えた。
何故彼女はわざわざ俺の光弾を消さないのか、と。
自分もそうだが、相手だって魔法力は無限ではない。
だから本来ならこんな無駄な撃ち合いなどするべきでない。
しかし今グレゴリーはその無駄とも思える相殺のし合いを是としている。
これは何故か。
そこでネックはある仕掛けをする。
「ちょこざいな!」
前にも使った手口、グレゴリーの地面に魔法陣を造り、挟み撃ちのように攻撃を行う。
グレゴリーはさも当然のようにネックの影へと移動する。背後を取られる形になる。
そんなことはわかっていた。だから、ネックは振り返らずに背中へ向かって魔法の炎を炸裂される。しかしすぐに背後の熱が消えるのを感じた。
万策尽きた、と思われたが違った。
「今ので確信したよ。お前の魔法を消す能力、その真髄を」
「……なんじゃと?」
グレゴリーは低いトーンで言った。
「あたしの技があんた如きに見抜けられると?」
「られるさ」
フッとネックは振り返り、火の玉を頭上に発現した。その火の玉もあっという間に消される。
しかし、
「よそ見すんなよ、ババア!!!」
ネックはグレゴリーの顔面を拳で打ち抜いた。
体重の乗った一撃に、グレゴリーの貧弱な体は錐揉み上に飛び、豪快に地面に激突した。
「ガッ……アガッ……!?」
「気になるか? どうやってここまで持って行ったか……説明してやろう。戦線離脱せずに俺を殺そうとした時点で、お前はある種の行動パターンが固定された。攻撃するか、俺の影に逃げるか、俺の魔法を何らかの方法で消すか、だ」
特に三つ目はネックも相当苦労させられた。何せ魔法の殆どが無力化されてしまうのだから。
「だがそこでお前は決定的なミスを犯した。それは俺に疑問を持たれてしまったことだ。『何故すべての魔法を消さないのか』ってな。そこまで考えたらある仮説に辿り着く」
ネックは瀕死のグレゴリーへと近づき、頭を掴み持ち上げる。
「もしやこいつは魔法を複数消すことができないんじゃあないか? ってな」
「……!!」
グレゴリーの目つきが変わった。どうやら図星だったようだ。
「そしてこうも考えられる。魔法を使わない攻撃には逃走するしかできないのではないか……結果が今の無様な姿なんだがな」
「ヒ……ヒヒ、よくわかったじゃないか……だが、無様とは聞き捨てならないねぇ」
クワッとグレゴリーの眼が見開いた。
「この状態ならあんたに逃げられることも無い、避けられることも無い、防がれることも無い!! 終わりじゃ、痴れ者がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
超至近距離からの魔法が放たれる。
爆発的な光が巻き起こり、衝撃で吹き飛びそうに――
「ならないんだなぁ、これが」
「なっ……なっ……!?」
グレゴリーが声にならない声で呻く。
グレゴリーの放った爆発のような魔法は、効果を発揮する直前で消失した。
「ん? どうかしたか? グレゴリー」
「……貴様……」
ネックのひょうひょうとした態度に、グレゴリーは感づいてしまう。
そう、この現象は……
「何故、貴様が対魔昇華法を使える……?」
グレゴリーは、とんでもない力でネックの手を弾いた。
肉体強化の魔法だ。
「何回も目の前で見せられたからな、もう覚えた」
「ハッ! 調子のよいやつじゃ……だが、真似たというのならその弱点も理解しておるだろうな?」
言ってグレゴリーはさっきのように光弾を放った。
しかし、放たれた光弾のすべてが我先にと消失していった。
他の誰でもない、ネックが消したのだ。
「馬鹿な!? あたしの昇華法ですら消しきれない量の光弾をいともたやすく消し去ったじゃと!?」
「なんだよ、もう終わりか?」
ネックが拳に力を込めるのをグレゴリーは見逃さなかった。敵がどう攻撃してくるのか解れば反撃は容易い。
「(人間程度の拳など、あたしの魔法にかかれば粉砕することはベリーイージー!! さっきは肝を抜かれかけたが、もう次はない。あぶり殺してくれるわ!)」
ネックが殴り掛かる寸前にグレゴリーは両手を前に突きだし、魔法を唱えた。
そして、勝利の宣言をする。
「あたしの『燈篭の夕』で爛れて死ねぇぇぇぇぇぇぇええええ!!!」
「…!」
刹那、鈍い音と衝撃でグレゴリーは吹き飛んだ。
「っ――!?!?!?」
グレゴリーの体は天高く浮上し、自由落下した。
――何故。
その言葉ばかりがグレゴリーの頭をよぎる。
しかし、今とるべき行動は――
「……逃げられた、か」
ネックはグレゴリーがいなくなった虚空を見つめ、呟いた。
「ネック! 大丈夫だった?」
しばらく離れて戦闘を見守っていたロバートたちが、ネックの下へ駆けてきた。
ネックは、三人が来るや否や、ひょんなことを言いだすのだった。
「おっさん。頼みがあるんだが――」
☆
啓帝の檻、大図書館。
「危なかったわい……まさかいきなり魔法が使えなくなるとは思わなかった」
一時前の戦闘を思い出す。
あの時、燈篭の夕が発動していれば間違いなくネックを殺せていた。
しかし、何故かわからないが燈篭の夕は発動せず、グレゴリーの体は上空へと吹き飛ばされた。
「あ奴と戦いになると不測の事態ばかり起こる。やはり戦闘は避けて通るべきじゃった」
グレゴリーがこの大図書館に来たのは、たった一つの目的の為だった。
――異世界の情報を見つける
情報というものは時に何よりも強い武器になる。グレゴリーは異世界人であるネックたちの弱点を探るために広大な本の山の前に立った。
しかしグレゴリーはこの大図書館の常連である。自分が欲しい情報の載った本を探すことなど朝飯前である。
「……あった、歴史的文献『シドンサイドのおこり』……どれどれ」
グレゴリーがその本を手に取って一ページ目を開いた時、横から声を掛けられた。
「すいません。その本僕も探してたんですよ。貸してもらってもいいですか?」
グレゴリーは本から目を離さず、あしらった。
「運が悪かったね、これはあたしが今読んでるんだ。貸してやるわけにはいかないよ。時間を改めて出直すんだね」
「ひどいなあ、貴方は」
「フン、あたしは影取りの魔女だよ? ひどくもなるさ」
「……でもいいんですか? その本よりもずっとシドンサイドに詳しい異世界人が目の前にいるっていうのに」
「っ!? きさ、貴様はーッ!?」
グレゴリーの横に立っていたのは、異世界の少年、ネックだった。
彼は不敵な笑みを浮かべてグレゴリーを見つめていた。
「やっと気付いたかよ、クソババア。随分と勉強熱心なこった」
「どうして…あたしの居場所を……!?」
「どうしてだろうなァ……今の今までお前の居場所が手に取るように分かったんだよ」
「ぐ、ぐぐ……避けようとと思えば思うほど貴様と出くわすのはなんでじゃろうか」
「年相応の言葉を使えよババア。その言葉は思春期な女の子が使うようなことばじゃないか?」
ネックは携帯を耳に当て、一言いい放った。
「やってくれ」
すると大図書館の電気系統が一斉にダウンし、光という概念は消え去った。
そして、グレゴリーの耳に飛び込んでくる声。
「退路は絶ったぞ。これでお前は敵である俺の影に逃げることはできない」
「……ハッ!! これで勝ったつもりか? 甘いわ!! たとえ影に移動できずともあたしには百年を生きて培った魔法がある!! 暗闇程度でいい気に乗るなよ、クソガキがァァァァ!!」
グレゴリーがさっきまで目の前にいたネックの座標を狙って無差別に魔法を放てるだけ放った。どれか一つ当たればいい、そう思いながら。
しかし、グレゴリーは自身の魔法に対する絶対的な自信を持つと同時に、背後に絶望的なまでの存在感を示す何者かに原始的な恐怖を覚えた。
そして同時にグレゴリーは自分の魔法力が底を尽く感覚に襲われた。
「対魔昇華法だっけ? あれって便利な技だよな。こう、近づくだけで相手の魔法を完全に消し去ってくれるんだから―よッ!!」
背後からのネックによるあつい拳の雨。
骨を砕き、髄を抉り、シャワーのような血液の噴出。
グレゴリーはもう、戦える状態ではなかった。
「そろそろ限界か? グレゴリー」
ネックは攻撃の手を休めた。
暗がりでどうなっているか見えないが、掠れたような呼吸の音から、グレゴリーが死に体だというのは充分に伝わってくる。
しかし、ネックはまだグレゴリーに対する警戒を解いてはいなかった。
まだグレゴリーがその場に立っているからである。
「しぶといな、不死な訳でもないただのババアだっていうのによ」
グレゴリーはネックが何かを言ったところで返事をする余裕はなかった。ただただ、細かな呼吸を繰り返す。
別にグレゴリーも死に際まで追い込まれ、何も考えていたわけじゃない。自分が死なないように、ひいてはネックらを打倒できる算段を立てていた。
だが、それには目の前の人間から一刻も早く逃げる必要があった。
逃げるための手段はある。しかし、今グレゴリーの魔法力は枯渇していて、碌に移動魔法すら使えない。
かろうじて使えるであろう一手を除いては……。
「……妙だな。ここまでやられたら誰だって耐えきれんだろう普通は。それが」
「ひひ……」
ネックは突如として聞こえてきたその笑い声に耳を疑った。
「ひひひひひひ!! 貴様は最後の最後で詰めが甘いッ!! だからあたしに逃げる隙を与えてしまった!! 逃走という手段を使って、命を長らえるんだよ!!」
「……疑似対魔昇華法で枯渇させたと思ったんだが、まだそんな余力が残ってやがったのか」
「そうさ! それこそ貴様の甘さよ!! ギリギリのところで『影渡り』を使う魔力が残っていた!! 運悪く禁忌を犯した奴がいて助かった!」
元々グレゴリーは影に潜む魔女。彼女にとって『影渡り』は自分の使えるどの魔法よりも低コストで使うことができるのだ。
「あたしを殺せなくて残念だったねえ!! 自身の甘さに後悔するんだねえ!!」
その時、大図書館の一角で爆発が起こった。魔法によるものではなく、爆薬によるものだ。
「詰めの甘いガキにプレゼントさ! ヒィーヒッヒッヒッヒッヒ!!!」
グレゴリーは高らかに笑い、影渡りでその場から消え去った。
ネックは、その場に立ちつくし、爆発し炎上する大図書館をまるで他人事のように眺めながら、薄く笑った。
「詰めが甘い、運悪く、殺せなくて残念? 違うなァ……」
そして、………
☆
「さて、あんたには死んでもらうが、それと同時に感謝したいと思っている。あたしが生きてるのはあんたのおかげだよ」
影渡りで移動した人間の影の中から、グレゴリーは話しかけていた。
「……………」
影の持ち主はグレゴリーのことなど相手にもせず、小声でブツブツと何かをつぶやいている。
「シケた奴だねえ。これから殺されるっていうのに命乞いも無しかい? これじゃああたしも殺し甲斐ってのが――」
グレゴリーは途端に影の持ち主が何をずっと呟いているのが気になった。それに明確な理由はなかったが、どうしても気にせずにはいられなかった。さっきまでネックと戦っていたのも気になった要因かもしれない。
影の中から聞き耳を立て、息を殺し、呟きの正体を探る。
聞こえてきたのは、
「それは大気それは瘴気それは一気それは天気、祈りを力に思いに強さに武器に糧に救済に……」
「こっ、これは!?」
一見ただの単語の羅列を適当に呟いているだけのように思えるが、魔法を使うものにとってはその意味合いは大きく変わってくる。
この行動は、一時的なイメージの確立。
魔法はイメージによって具現化されるのだが、この行動は使いたい魔法以外のイメージを単語に置き換え外界へと発することで、自分の中に一つのイメージのみを残す為のものだ。
簡単に言うと、雑念を取り払って完璧に魔法のイメージをできるようにする。といったものだ。
要するに、今グレゴリーが入っている影の持ち主は十分ぐらいずっとこの行動をしていたことになる。
「冗談じゃない! それ以上続けたらモアグリードの地表全土を焼け野原にした『カイン・ド』なんて目じゃないレベルの魔法が発動してしまうぞ!!?」
グレゴリーは急ぎ影から這い出て、その魔法を止めようとした。
が、術者の顔を見てグレゴリーの動きが止まる。
……コイツは、あのガキと一緒にいた、もう一人の異世界人――!! 嵌められたのか? このあたしが!?
「させぬぞォォォォォォォォ!!!」
「残念。もう手遅れだよ……『明星送り』の発動だ。対象は勿論、ロイタミナス=グレゴリー、貴方だ」
「ォあ――」
グレゴリーは、明星の時空へと転送させられてしまった。
彼女がもう、戻ることはない。
なぜなら明星は、術者である彼が勝手に創り出した想像上のモノだから――
こうして、また一つ戦いが集結した。
☆
地面も、空も、海も、大地も、音も、光も、闇も、何もない。
何処、とも呼称することも出来ない。だが、今はあえて『此処』と呼称しよう。
此処は、ある人間によって想像された場所。
その人間は此処を『明星』と呼んでいたが、その呼び名は正しくない。
此処は、此処であり、決して明星なんて場所ではないのだから。
「(ここは……無、なのか?)」
此処に一人揺蕩うのは、モアグリードという世界で生きていた魔女だった。
だが彼女はもう何者でもなく、あるのはただそこに存在しているという事実だけだ。
それから、永い時間が流れた。
悠久の時間を経て、魔女はやっと言葉というものを発することができるようになった。
「あたしは、ようやく気付いたぞ……あの時、あの異世界人とは別の………」
あの時の出来事がフラッシュバックする。
あの時は四六時中禁忌違反者の掃討に回っていて、犯人はガキたちと決めつけていた。
だが、冷静になって考えてみると、真実には割とすぐに辿り着いた。
「ヒヒ、それもこれも、今となってはどうでもいいことか――」
影取りの魔女は一人、此処を漂う。
これまでも、これからも……、
視界が、ぐにゃりと曲がる感じがした。
気付けば自分がさっきまでいた場所とは別のところにいることを察した。
そしてすぐ状況を理解した。
「何のつもりか、答えてはくれないよなぁ」
少年、ネックは自分と相対する男に笑みを見せながら、言った。
「……」
男はネックを見据えていた。
背後には大きな、とてつもなく大きな神殿。
啓帝の檻の、中心中の中心。
ここは啓帝モアグリードの本拠地である。




