第3章 狭間に生きる(下)
第3章 狭間に生きる(下)
伊織玲子に連れられて、久方ぶりに<九王会>の本部を訪れた。
道中夏目麗の影がチラチラ視界を掠めたが、そちらは無視した。
<九王会>は、表向きは害虫駆除を生業とする清掃会社なため、霞ヶ関のオフィスビルの1フロアに事務所を構えていた。
中では職員がパソコンや電話に向かっているが、事務所自体はダミーに過ぎない。
伊織玲子がエレベーターのパネルを特殊操作して、地階へと移動する。
政府直轄の戦術部局である<九王会>の本部は霞ヶ関の地下に存在した。
味気ない灰色の壁面に囲まれた廊下をあちこちと曲がり、やがて突き当たりの会議室に到着した。
会議室には作戦室Aというプレートが掛かっていた。
室内にはブリーフィングが出来るよう机と椅子がきっちり並べてあり、局員20名超の顔が一斉にこちらを向いた。
「伊織君、遅いぞ」
「すみません、衛藤係長」
伊織玲子は演壇に立つ衛藤兵衛に一礼し、空いている席についた。
おれも倣って礼をして伊織玲子の隣に座る。
「…揃ったようだな。副局長、始めたいと思います」
演壇脇の上席に腰掛けた東雲瑠美が、衛藤に対して頷きを見せた。
「ではこれより、<九王会>防衛作戦に関してブリーフィングを開く。なお、本作戦は極秘裏に遂行する必要があり、特捜や市ヶ谷との共同歩調は取らないものとする。また、外部の妖殺屋の助力も一部を除いて極力排除する」
…おれは一部ということか。
特捜は警察、市ヶ谷は防衛省を指すので、今回は身内だけで作戦を終わらせる腹らしい。
今衛藤は<九王会>防衛作戦と言った。
「知っての通り、ここから脱走中のハイブリッド・プロジェクトのモルモットから、予告文が届いた。奴らはここ、<九王会>本部を今夜急襲するという」
伊織玲子に事前に知らされていなければ、さぞかし驚いていたところだ。
「敵は003と004の2体と、それらに率いられた大量の妖魔を想定している。こちらの戦力は、ここにいる26名。残りの職員は皆、間もなく帰す」
これは、敵に通じたスパイを味方内から遠ざける策でもあった。
裏を返せば、僅か20名超しか信用に足る局員がいないと言うことだ。
しかも、ここにいる局員の内、戦闘員は6割程のものだ。
「よく来れたものだ」
ブリーフィングが終わり、衛藤が近付いてきて言った。
「…日下部と春山の件は、言い訳のしようもない」
「そうではない。熊田から聞いている。005を匿ってるらしいな」
「証拠でもあるのか?犬飼とやらにも同じことを言われたが、うちの愛羅は別人だ」
「…この件が片付いたら、調べよう」
「その時は、全力で阻止させてもらう」
おれは<ミョルニル>を収容しているラクロスケースを揺すって応じた。
おれと衛藤の応酬に、今度は東雲瑠美が寄ってきて割って入る。
「衛藤係長。そうつんけんしないように。曲宮君、招集に応じてくれて有り難う。戦力が激減しているから、助かります」
「戦力が不足しているのなら、なぜフリーの人間を呼ばないのです?プロジェクトの秘密がバレようと、全滅よりはマシでしょう」
「…呼んだわよ」
隣で伊織玲子がぼそっと言った。
「<色男>も静さんも、他にも名の通った連中にはだいたい声は掛けた。でも誰も来ない」
伊織玲子は怒りをその瞳に宿していた。
「…ハイブリッド・プロジェクトが支持されない点は理解できます。彼らには、倫理的に我慢がならないのでしょう。それに加えて、ここ数戦の妖魔退治のリポートを見れば、今回の任務がどれほど危険な水準なのかも予想できます」
東雲瑠美が淡々と言った。
熊田までこちらに歩いてきたので、面倒な気分が先に立つ。
「…まあいいさ。おれは奴らが気に食わないからここに来た。それだけだ。仕事はきっちりやる。だがな…」
おれは<九王会>の面々を眺め回して言った。
「衛藤係長の発言じゃあないが、この件が終わったら、三千院の仇はとる。相手が誰であれ、必ずな…」
ここが地下に位置しているとは言え、地上からの導線は隠しエレベーター以外にも幾通りかあった。
その内のひとつが搬入出口で、巨大なリフトが乗降する先の通路は、天井が4メートル、幅も人が3人は横並びできるよう作られていた。
言わば侵入経路の最右翼だ。
おれはリフトの上下移動が見える位置に待機していた。
リフトが降りてきたら、即座に射撃を加えられる態勢にあった。
おれの他に、伊織玲子と射撃武器を携えた局員が5人、ここに詰めていた。
伊織玲子がおれの隣に来て、1枚の呪符を見せて言った。
「これ、記銘呪符。この作戦が終わったら、見て。今は何を言っても疑われちゃうだろうから…」
おれに呪符を押し付けて、伊織玲子は籠手を調整し<死線>を準備する。
続けて腰のホルスターから銀の拳銃を取り出して、おれの横で射撃態勢に入った。
リフトの鋼線が震えた。
天井上から聞こえてくる機械音や摩擦音が、ゆっくりと大きくなってきた。
「リフトが見えたら、一斉に撃つぞ!」
<九王会>の局員が低い声で皆に伝達する。
おれが聞いているリフトの形状は、天井つきで側面四方に格子が巡らされているというもの。
リフトに敵が詰めているとすれば、鉄棒の隙間を縫う射撃の力量が必要となる。
おれは意識を<ミョルニル>に込めた銀弾に集中させた。
降りてきたリフトがゆっくりと姿を現した。
格子の中には何者もいなかった。
ふう、と皆が息を吐くのが伝わる。
「リフトの上よ!」
伊織玲子が言って、拳銃を連射した。
少し遅れておれも発砲し、リフト上に積み重なった獣魔や悪霊を爆散させる。
妖魔は続々とリフト口からリフト上に落下してきており、リフトから床に転げ落ちた端からこちらを目指して飛び掛かってきた。
伊織玲子は拳銃を諦め、<死線>を展開してピアノ線の網を張った。
近距離戦は伊織玲子と局員たちに任せ、おれは射撃で無防備な妖魔を確実に仕留めていく。
引き金を引き、狼型の獣魔を2匹同時に貫いた。
次の銃撃で霧状の悪霊を吹き飛ばした。
おれの眼前では、伊織玲子の銀線の陣が妖魔を圧倒し、相当数を撃破して<聖石>を積み上げていた。
右に左に移動して、その都度<死線>に妖魔を絡めて切り裂いていく。
彼女の後ろからは、局員たちが銀の拳銃で絶え間無く近距離射撃を浴びせていた。
落下する妖魔が緩やかに減ってきたと感じ、おれはより攻撃に力点を置いた。
獣魔は伊織玲子の<死線>にかかりやすいため、リフト周辺の悪霊を特に狙って<ミョルニル>を叩き込む。
戦力の均衡がこちらに傾きかけたその時、それがリフト上に降り立った。
「あれは…003!」
<九王会>の局員の1人が声を上げた。
ハイブリッド・チルドレンの1人が出てきたのだ。
003ことリフト上に立つ中肉中背の男は、全身黒のレザースーツという格好で、鋭い眼光でこちらを睨んできた。
おれは狙いを定めて、003に銀弾を撃ち込んだ。
着弾の直前、黒い霧が003の前面に広がって、銃弾はそこに吸い込まれるようにして消えた。
003がおれを指差すと、悪霊たちは一斉におれを目掛けて浮遊してきた。
伊織玲子がおれの前を横切り、接近した悪霊たちを<死線>で牽制する。
例え銀の兵器であっても、悪霊にはピアノ線のような極小範囲の攻撃は効き辛かった。
弾のリロードが完了してすぐに、おれは<ミョルニル>でもたついていた悪霊たちを吹き飛ばす。
おれを庇いに伊織玲子が戦線を延ばしたため、獣魔が少し突出し、局員の1人に飛び付いた。
「助けてくれっ!うわああああああああああ?」
局員に噛み付いた獣魔を、近くの仲間が警棒で殴打する。
そうして射手がまた1人減ったことで弾幕が弛み、ますます獣魔が押し込んできた。
003も床に降り立ち、不気味な挙動でこちらに歩み始めた。
「通路を後退するぞ!皆、射撃に戻すんだ!」
言って、おれは<ミョルニル>を放ちながら、持ち場を少しずつ下がる。
伊織玲子と局員たちはおれの言に従って、発砲しながら一線になって後ろに下がった。
1人犠牲者は出たが、6人が連続で撃ち込むことで妖魔たちの進攻は再び足踏みを見せる。
003が前に出る素振りを見せ始めたので、おれはもう一度<ミョルニル>の銃口を向けた。
魂で撃つ…。
「やらせん!」
003が叫ぶと、視界いっぱいに黒い霧がかかった。
「何だ?」
「見えないぞ」
局員たちが射撃の手を止めて狼狽を見せた。
通路前方は霧に包まれ、視界がゼロと化した。
「撃つのを止めてはダメよ!みんな、見えなくても前方を撃って!」
そういう伊織玲子も単発的に射撃を加えたが、命中が判定出来ずに困惑していた。
「後退だ!霧はおれが吹き飛ばす!」
懐から対妖呪符を数枚抜き出し、前方に放った。
爆発が起こり、爆風はおれたちにも襲いかかった。
爆風で霧が散らされ、獣魔と悪霊が襲いかかってくるのが見えた。
おれが<ミョルニル>で悪霊を撃破すると、伊織玲子は<死線>で獣魔を刻んでいった。
一塊の黒い霧が、おれと伊織玲子の間をすり抜けて後方へ流れた。
そして霧は003を形どり、おれたちの後ろに控えていた<九王会>局員に牙を向いた。
「くそっ!」
おれは一射を003に向けて放つが、先だってと同じく霧がかかって弾を吸収してしまう。
003を狙った分悪霊が進み出てきて、おれは銀のナイフで迎撃する。
「があああああああ!」
局員の悲鳴が響いた。
横目に、黒い霧状の巨大な腕に首を絞められて宙吊りになっている局員の姿が映った。
…このままでは不味い。
おれは003の撃破を優先することに決め、伊織玲子に「すぐ戻る!前を頼む」と檄を飛ばして後退した。
003に肉薄し、残りの3人の局員には伊織玲子をサポートするよう伝える。
「化け物野郎!おれが相手してやる」
近距離から<ミョルニル>を撃った。
三度、銀弾は黒い霧に阻まれたが、おれはその下を掻い潜って、ナイフで切りつけた。
浅くではあったが003の右足の脛を裂いた。
「貴様っ!」
激昂した003が、黒い霧の巨腕を差し向けてくる。
霧の腕に向けて<ミョルニル>の一撃を見舞い、爆散させた。
どうやら、奴の身を自動で守る霧以外には、銀弾による衝撃は伝わるようだ。
攻略の糸口は見えたが、妖魔の群と戦闘中の伊織玲子が気にかかったので、じっくりと策を練ることはしない。
短期決戦で葬るのみだ。
指向性の攻撃呪符を時間差で投げつけた。
始めの呪符が銀のエネルギー光を射出し、003を守る霧に防がれる。
おれは<ミョルニル>とナイフを両手に構えて突進した。
霧の腕による殴打がおれの頬を掠める。
攻撃を避け続けながら、第2の呪符による光線が霧に阻まれる光景を見た。
そのタイミングで懐近くまで飛び込み、ナイフを突き立てる。
おれを振り払おうと繰り出された霧の腕には<ミョルニル>を叩き込んで防いだ。
首に突き立てられたナイフを引き抜いた003が、溢れ出る鮮血を押さえようと悶え、苦しみながら沈んだ。
§復讐の彼方
003が事切れると、その体は徐々に硬質化していき、最後には人型の<聖石>となった。
それを見届けた後、振り替えって、伊織玲子と格闘中の妖魔の群れに<ミョルニル>を放つ。
すでに局員は1人を残して倒れ伏しており、通路に<聖石>の山を築いた伊織玲子もぼろぼろになっていた。
彼女の左腕は半ば肩の根元からちぎれかけ、体のあちこちを咬まれて出血が酷い。
足元には血溜まりが出来ていた。
「うおおおおおおお!消えろっ!消えちまえ!」
統制を失った悪霊どもへと<ミョルニル>を叩き込み、伊織玲子に組み付いた獣魔の首をナイフで薙ぎ払った。
伊織玲子はほとんど気力だけで<死線>を操り、最後の獣魔を切断した。
2発の銃弾で悪霊も狩り尽くした。
生き残った局員にリフト周辺の確認を頼んだ。
通路の壁に背を預けて崩れ落ちた伊織玲子の元へと駆け寄った。
伊織玲子の顔色は血の気を失って真っ白だった。
「…伊織、しっかりしろ!」
「…残念。こんなに若いのに、死んじゃう、なんて」
「馬鹿を言うな。今止血してやるから…」
「…記銘呪符、必ず、見て、ね。曲宮君…さよう、なら…」
伊織玲子が息を引き取った。
おれの胸の内を、冷たい風が吹き荒れた。
15の頃から知っていて、6年以上の付き合いだ。
中臣静と並んでおれの第2の人生、妖殺屋としてのほとんど全てを共有してきた仲間であった、伊織玲子が死んだのだ。
おれは彼女の肩を抱いて、涙を流した。
形見分けにと銀の籠手を外して自分に装着する。
<死線>を使えるべくもないが、これで伊織玲子と共に戦うことが出来ると思った。
局員が安全を確認したので、おれたちは一旦本部中枢へと引き返すことにした。
「伊織、一旦行くよ。また後でな」
おれは装着した銀の籠手を擦りながら、目を閉じたままの伊織玲子に向かって言った。
***
本部はがらんとしていて、まだ他のポイントが戦闘中なのだと知れた。
おれは<ミョルニル>を握り締め、局員と手分けして2箇所ある防衛ポイントのうち、正面エレベーターへと向かった。
そこでは、大量に積み上がった<聖石>に混ざって、<聖石>と化した犬飼こと004の姿があった。
これで襲撃してきたハイブリッド・チルドレンの2体ともが果てたことになる。
では残りの局員たちはどこに行ったのか。
壁が揺れて、何処からか振動が伝わってきた。
まだ戦闘が続いているのかも知れない。
3箇所目の防衛ポイントである、緊急脱出口へと急いだ。
そこでは、夜叉の群を相手に東雲瑠美や衛藤兵衛、熊田ら<九王会>の連中が奮戦していた。
と言っても、前回の南房総の時と同じく、東雲瑠美の銀の自動化兵器<流星>がひたすら猛威を振るっているという状況だ。
おれは東雲瑠美らに加勢して、脱出口からわいて出てくる夜叉を相手に<ミョルニル>を撃ち続けた。
少しして、夜叉は鎮まった。
青い顔をした東雲瑠美が一同を振り返り、「妖気計の反応も消えました。任務完了です」と宣言する。
見渡してみて、<九王会>の生存者は15~6人といったところか。
衛藤が局員たちに指示を出し、後始末を始める。
その衛藤によれば、おれたちが003を相手にしていた時、東雲瑠美も004犬飼と交戦に入ったそうだ。
犬飼を撃破した東雲瑠美たちは、衛藤が受け持つところの緊急脱出口へと合流し、先程の戦闘状況になったと言う。
「獣魔、悪霊、夜叉。前2者の元締めは倒した。だが、それではここに攻めてきた夜叉を束ねるハイブリッド・チルドレンはどうした?あと、残りは鬼と…影女、か」
局員たちが慌ただしく走り回り、おれは一人残された東雲瑠美に話し掛けた。
「鬼のハイブリッド・チルドレンは、試験中の事故で廃棄となってます。影女は、あなたの方がよくご存知かと」
「…愛羅は違うと言ったはずだ」
「そうでしたね。…伊織玲子さんの殉職は、残念に思います。本当に…」
東雲瑠美の会話運びに違和感を覚えた。
「…伊織玲子か、あなたのどちらかが三千院忍を殺したと疑っていた矢先だ」
「あれは私です」
「なにっ?」
「彼は、<九王会>の存在事由たる最秘奥を持ち出したのです。ああするより、他に手がなかった」
おれや<色男>の戦友である三千院忍を殺したのが、この東雲瑠美だというのか。
「三千院のおかげで<九王会>はここまで衰退したのだぞ!」
声の主は衛藤であった。
「…三千院が?一体何を持っていったって?」
おれの問いかけに衛藤は言い淀み、東雲瑠美が変わって答えた。
「鬼の首よ。1千年前に陰陽師によって狩られた、とある強力な鬼の首。それは今でも力を宿していて、銀の兵器や呪符を生み出す源となっていた。<九王会>の最秘奥にして、力の根源」
「その、鬼の首を…三千院が…」
「そう。私は彼を追って、西は山口で討ち果たした。…でも、首は返っては来なかった。なので<九王会>の守護は弱まったまま。ハイブリッド・チルドレンを制御出来なくなったのも、そのため」
何と言うことだ…。
三千院が発端となり、いまのこの妖魔の増長を招いたというのか。
「それじゃあ…三千院が見たとかいうハイブリッド・チルドレンは…」
「それは、私です」
「副局長!」
衛藤が厳しい顔で怒鳴った。
おれは淡々としたままの東雲瑠美から目が離せなくなった。
「衛藤係長、よいのです。曲宮君は数少ない我々への協力者です。彼の力無しには、もはや妖魔の跳梁を止められないでしょう。ここで隠し事は無しです」
「副局長…しかし」
東雲瑠美が澄んだ瞳でおれを射抜く。
「私はハイブリッド・チルドレン001東雲です。夜叉と人間との交配種。来るべき<骸神>との決戦で人間の命運を託された存在。…でも、鬼の首を失ったことで、私の肉体は急速に滅びへと近付きつつあります。あれがなければ、ハイブリッド・プロジェクトを維持すら出来ないのが、今の我々の現状なのです」
「南房総で夜叉が集団化していたのは…」
「私の不調が不味い形で伝わったのだと思います。元々001から005は、それぞれの種の妖魔を操ることが出来ました。私は決戦の折には、全ての夜叉を率いて戦うはずでしたから」
言葉が出なかった。
狐につままれた感じだ。
<九王会>の副局長・東雲瑠美がハイブリッド・チルドレンだなどと。
「…三千院が暴挙に及ばなければ、我らもここまで弱体化はしなかった。東雲副局長の御体の限界は近い。奴や、それに肩入れする<色男>こそ人類の敵だ」
衛藤が苦しそうに吐き捨てた。
「…三千院は、首をどこへ?」
「知らん。九王家のどこかなのだろうがな。我々は手が出せん」
***
「曲宮君がこれを見ているということは、防衛作戦が無事に終わったということよね。御苦労様でした。私も無事だといいな。仲直りできたら、戦勝祝いでもしましょう。何なら愛羅さんも一緒でいいわ。さて、本題だけれど、三千院さんを始末したのは、確かに<九王会>よ。私ではないけれど…。信じて欲しいのは、三千院さんが<九王会>の秘宝を持ち出したという事実。ハイブリッド・チルドレンの秘密を知られたから口を封じられたなどというのは、<色男>の早とちり。本当よ。なぜそれらを私が知っているかと言うと、私が九王家の血筋にあるからです。伊織家は<九王会>を創設した、古くからの陰陽師の一門なの。静さんのところの中臣家も、<九王会>とは系譜こそ違え同類よね。それで、三千院さんから九王家に秘宝が持ち込まれたという噂を聞いたわ。これは東雲副局長にも報告済みよ。九王家は<九王会>のみならず、政府や軍部にも強い影響力を持つのだけれど、それとて戦闘力や実権を直接持つわけではなかった。ところが、秘宝を持てば、<九王会>はもう掌の上。今では<九王会>の対妖魔戦力の低下は著しく、全国の妖殺屋への支配力もガタガタ。このままでは遠からず、人類は妖魔への組織的対抗手段を失うと思う。九王家の過干渉や本部守護の低下、ハイブリッド・チルドレンの反乱。なにもかも、秘宝を持ち去られたことに端を発している。…でもね、<九王会>は九王家には手は出せない。絶対に。私も家には逆らえないの。曲宮君にはわからないかもしれないけれど、そこには血や格式、歴史といった呪いのような重しが確かにある。…この話を全て信じろと言っても無理な話よね。曲宮君、お願いがあるの。フリーであり、中臣家の保護下にあるあなたにしか出来ないこと。九王家を、探ってください。そうすれば、今説明した三千院さん失踪の真相を知ることや、<九王会>の崩壊を防ぐことも叶う。私の知る範囲では、三千院さんも<色男>も、九王家とは深い繋がりがあるわ。お願い。助けてください。<色男>は夕霧家、三千院さんは三堀家に縁があります。あと、伊織家には曲宮君が出入り出来るよう計らっておきました。押し付けがましくてご免なさい。また後で話しましょう。では」
はにかんだ伊織玲子の映像がここで途切れた。
不覚にも涙と鼻水が止まらなかった。
***
真っ直ぐマンションに帰る気にはなれず、仮店舗で営業中の<第2・三途の川>に立ち寄った。
元の店より狭く、壁材がぼろぼろ、カウンターのあちこちに傷が見られるのはご愛嬌だ。
宍戸さんはきっちり蝶ネクタイを締めてカウンター内に現れた。
「…伊織、殉職したそうだな」
「はい。看取りましたけれど、正直実感は無いです」
「そんなものだろう…」
言って、宍戸さんが野菜スティックとウイスキーを出した。
黙ってグラスを空けた。
「宍戸さん、<会社>危ないみたいです…」
「ああ。西には<会社>とは別の妖殺機関があってな。曲宮は知っているよな?」
「<六波羅>でしょう?」
「そうだ。多くの妖殺屋が、<会社>から<六波羅>に食い扶持を切り替えたぞ。この流れは止まらん。いずれ東の妖殺戦力が枯渇するんじゃないかと危惧している」
宍戸さんが眼帯を撫でながら言った。
<六波羅>とは九王家の隠語にあたる。
「<色男>って、<六波羅>と近いって聞きませんか?」
宍戸さんは怪訝な顔をした。
「…近いかと言えば、近い」
「夕霧家の関係ですかね?」
「曲宮?」
「宍戸さん、<六波羅>近隣の妖殺斡旋処を紹介してください。おれもしばらく、向こうで活動してきます」
***
「愛羅、お願いがある」
韮崎愛羅は読んでいたファッション誌から目を上げてこちらを見た。
髪が一房目にかかった。
「何?一緒にお風呂入りたいとか、またそういうやつ?」
「…それとは違う」
「私が戦うのは、ダメよ」
韮崎愛羅が腕を×印に交差させて言った。
「わかってるよ。しばらく西の、北九州で出稼ぎをしようかと思うんだ。付いてこれる?」
「それは行く」
「それで、向こうでの君の身分を偽装出来ないかと思って」
「それくらいなら、いいわよ」
「…じゃあ、伊織玲子の縁者ということでお願い」
おれは手を合わせて頼んでみた。
一瞬だけ韮崎愛羅の右眉が急角度に曲がったが、ふうと息を吐いて「仕方ない。協力しましょ」と折れてくれた。
そして、その夜2人で荷造りを開始した。




