第2章 千千に乱れる(下)
第2章 千千に乱れる(下)
気が付くと病院のベッドの上だった。
ちらりと横を見ると、韮崎愛羅が丸椅子に腰掛けて居眠りをしていた。
右足を動かそうとすると激痛が走り、腹にも違和感が残っていた。
左腕の時計を確認しようとして、外されていることに気付いた。
「目、覚めた?」
韮崎愛羅が聞いてきた。
「君も起きたね」
「私は目を瞑っていただけ。元々睡眠は必要としないから」
「そうなのか」
「もちろん寝ることは出来る。でも必要ではない以上、ただの擬態ね」
そう言って、韮崎愛羅はおれの布団をかけ直した。
彼女の顔を改めて眺めてみる。
東雲瑠美と同じ綺麗な黒髪で、同じくして圧倒的に優れた器量を持つが、印象はまるで違った。
韮崎愛羅は艶かしく、東雲瑠美は神々しかった。
どちらかと言うと、韮崎愛羅の方が好みだ。
「いやね。しげしげと他人の顔を見て」
「…綺麗だな、って思って」
「嬉しいこと言うじゃない。八式くんだって、そこそこイケてるわよ」
「君にもそういうの、わかるのかい?」
「そうね。お望みなら数値化も可能だったりするわよ。完全客観性に基づいた、顔面絶対評価」
「…止めてくれ」
韮崎愛羅がくっくっと喉を鳴らして笑った。
おれは個室に入院しているようで、扉がコンコンとノックされた。
韮崎愛羅が「どうぞ」と応じた。
入ってきたのは、おれと同じ入院着姿の東雲瑠美であった。
彼女と韮崎愛羅との遭遇に、思わず「あっ」と声が漏れた。
対妖魔の決戦存在たる<星乙女>と、妖魔の筆頭たる<骸神>がここに顔を合わせたのだ。
東雲瑠美は韮崎愛羅にぺこりと頭を下げ、おれの枕元に屈んで感謝と謝罪を述べた。
「そんな…。畏まらないでください。チームで助け合うのは当然です。…それより東雲さん、お体は?」
「お陰様で外傷はありません。あの醜態は…持病が悪化したものによります」
「持病…」
「はい。曲宮君、今回の借りは必ず御返しします。<九王会>副局長の職位に賭けましても。ですから、遠慮なさらず何でも言ってくださいね」
「何でも」というその言葉におれは一瞬だけ善からぬ妄想を抱いてしまい、結果的に韮崎愛羅に冷たい目で睨まれる羽目となった。
§道化者§
その旧知の妖殺屋が見舞いに来たのは、入院3日目のことであった。
韮崎愛羅は学年末試験にと通学しており、おれを心配して上京してきた中臣静は、着替えを取りにマンションへと帰っていた。
金髪黒瞳の優男が、病室に入ってくるなり溜め息がてらに言った。
「元気無さそうだな、ガンマン」
「生きてたんだな、<色男>」
<色男>こと朝霞恭平は、久しぶりに立ち寄った<三途の川>でおれの容態を知り、駆け付けてくれたそうだ。
かれこれ1年ぶりで、朝霞恭平も25になったはずだ。
「それにしても気合いの入らん姿だよ。あ、煙草吸ってもいいか?火、ある?」
しれっと倫理の欠片も無い台詞を吐くところは何も変わっていなかった。
「ところで、これでそこそこは強いお前さんをボコボコにしたのは、なに夜叉だって?」
「…ただの夜叉…の大群だ」
おれの返事に、朝霞恭平は怪訝な顔をして反論する。
「夜叉は群れを作らない。奴らにゃ鬼の超越者たる自負があるからだと言われている」
「だが、実際に何十匹と相手させられたのさ」
加えて、おれは獣魔を指揮していた謎の青年の話も語って聞かせた。
朝霞恭平はそちらも信じようとはしなかったが、こう言い残していった。
「何にせよ、だ。しばらく東京にいるから、少し調べちゃみる。舎弟よ、ゆっくり寝てなちゃい」
…これで朝霞恭平は頼りになる。
フリーの妖殺屋としては超一級の腕前で、おれも<色男>にはまだまだ敵わないだろう。
<九王会>からも執拗にスカウトされていた時期があり、あの宍戸さんをして「奴は妖殺に天性の才を持っている」と言わしめたほどだ。
***
朝霞恭平と入れ代わる形で、伊織玲子が病室を訪れた。
「<色男>、来てたでしょ。隠れちゃった」
「伊織、あいつに大層好かれているもんな」
伊織玲子が苦笑する。
「でも、彼が来てくれたから、このあたりの治安も良くなるわ。<会社>も大助かり」
伊織玲子も彼の実力は認めていた。
彼女然り、或いは中臣静であっても、朝霞恭平の腕には一歩も二歩も譲るに違いない。
「そうだ、曲宮君。夏目麗って名前、覚えてる?」
「…新聞記者」
「そう。彼女の姿、下で見たわ」
南房総の、夜叉の洋館前で遭遇した夏目麗が来ている…。
目的は何だろうか。
「…まさか、おれたちを嗅ぎ回っているとか?」
「まだわからない。ただ、この病院は政府の管轄にある。ここを突き止めただけでもたいしたものよ。<会社>は夏目麗に対する裏取りを始めた」
「この部屋まで、来ないだろうな?」
「忍び込まない限り、関係者以外は上がって来れないわ。来たなら、最悪は…」
消すしかないのだろう。
妖殺に関する如何なる情報の公開も、決してあってはならないのだ。
ただ、相手がマスコミとなると慎重さを要求された。
ただでさえ政府は機密費に関して野党やマスコミから突き上げを食らっており、ここで妖魔対策にかかる資金の流れなどをつつかれでもしたら厄介極まりない。
そう言えば、夏目麗は利発そうであったな、と場違いな感想を思い浮かべた。
***
<三途の川>に顔を出せるようになったのは、3月も半ばを過ぎた頃であった。
宍戸さんの作ったカクテルを楽しみながら、<色男>に続く旧い友人の話をしていた。
「三千院忍…。懐かしい名を聞いたぞ」
「宍戸さん、三千院とは連絡とれませんか?」
「あいつだけは自信がないな。恭平の奴は目立つから、割と噂は拾えたもんだが…」
「…そうですか。三千院の、<銀の目>の力を借りたかった」
「…なるほど。お前の考えは分かった。妖魔の異常化傾向をあいつの目で探れないか、ということだな?」
「はい」
三千院忍は、朝霞恭平やおれが以前よく組んで仕事をしていたフリーの妖殺屋だ。
三人の中で最年長で、それでも20代ではあったが落ち着いた物腰の、人の良い青年だった。
彼は<銀の目>という精巧な銀の義眼を保持していて、妖魔に関する様々な事象を見透すことが出来た。
それ故妖魔にも狙われ易く、遂には1年と少し前におれたちの前から姿を消した。
朝霞恭平も各地を放浪しながら三千院忍を捜しはしただろうが、彼の性格上何も言ってこないということは、おそらく手掛かりがなかったのだ。
妖魔は明らかに変わりつつあり、それは強さだけでなく特質をも変容させているように思えた。
実戦から原因までを遡るのは難しい。
何か、ヒントが欲しかった。
***
帰宅すると、韮崎愛羅が夕飯の支度をしているところだった。
エプロンを着付け、パタパタと火の前を行ったり来たりしている。
「お帰りなさい。ご飯、あと30分くらい」
「わかった」
これでは夫婦の会話だ。
だが違和感は何もなかった。
韮崎愛羅との同居生活は妙にこなれて、おれにとって奇妙に気安い時間と空間を形成していたのだ。
最近では、妖魔だ<骸神>だという話もしなくなっていた。
特に擦り合わせたわけではないのだが、普通の男女として振る舞おうと、お互いが潜在的に意識していたのかも知れない。
「話、したいみたいね。ご飯の後でもいい?」
韮崎愛羅が額の汗を拭って言った。
汗で前髪が肌に貼り付いていた。
レシピ本を手に、フライパンと懸命に格闘している彼女は美しかった。
おれは恐る恐るといった感じで、思うところを語った。
本当に、こんな話はしたくなかったのだ。
「八式くん、どこまで知りたい?」
「え?」
「前にも言ったけれど、私はこの世界の、人間に係る程度の事象ならほぼ全てに干渉出来るし、知ることも出来る」
「…うん」
「八式くんが言った内容を、歴史的な観点から解説することも出来れば、人間という種族の存亡という角度からも説明できる。もちろん、局地的な一現象として切り取ってもオーケイ」
やはり怖い話になった。
なるべく身の丈にあった話に止めたかったので、一番最後のプランでお願いしてみた。
「妖魔の新種が、既存の妖魔を鍛えて戦力の底上げを図っているわね」
「なんだと!」
韮崎愛羅の解答に愕然とした。
「妖魔と人間の交配種がその元凶。彼ら彼女らは、自分を生み出した人間という種族全体への絶望と怒りに満ち溢れている」
「何だ、それ…」
妖魔と人間の交配種。
そんなおぞましい話は聞いたこともない。
出鱈目だと否定したい自分がいて、韮崎愛羅が今更嘘をつく必然がないと理解している自分もいた。
「私が全部教えてあげてもいいけど、八式くんがツラいと思うよ」
「…そうだな。何かひとつ、アドバイスをくれないか?」
「そうね。<九王会>を信用し過ぎないこと、かな」
韮崎愛羅は試すような目で言った。
***
<色男>から呼び出された先は、<三途の川>ではなく繁華街の裏寂れた居酒屋。
木製のテーブルは拭いても粘り、伊織玲子は眉を潜めて手を膝の上に戻した。
「あのな、玲子。居酒屋にキレイも汚いもないんだぞ」
「…汚いよりはキレイがいいわ。それより、私まで、何?」
「<会社>がやってるハイブリッド・プロジェクト。どこまで知ってるんだ?」
朝霞恭平が聞き慣れないワードを口にした。
おれの隣に腰掛ける伊織玲子が、瞬時に緊張したのが感じられた。
「…<色男>。あなた、<会社>を甘くみているのではなくて?明日にはあなたがそこらの川に浮かんでいる。…そんなことを平気で出来るのが、彼らよ」
いつになく尖った声音で伊織玲子が凄んだ。
「彼ら、じゃなくて、私たち、に訂正するといい。それと、言っておくが被害を受けてるのは俺じゃあない。現実に、八式と静さんは死にかけてるんだからな!」
朝霞恭平がもの凄い剣幕で伊織玲子に詰め寄る。
「恭平、何の話だ?」
「曲宮君、止めて。聞いても益は何もない」
「<会社>勤めの人間はそう言うわな。でもな、<九王会>が開けたのはパンドラの箱だ。そこにはありとあらゆる災厄が詰まっている。…人間と妖魔のハイブリッド・チルドレンを造るなんざ、悪魔の所業だ」
朝霞恭平の言い放ったそれは、韮崎愛羅から聞いていた事実と符号した。
伊織玲子が無言で席を立った。
「待て。まだ話は終わっちゃいない。俺は三千院忍の最期も調べた。奴の死に様は、バラバラに刻まれていたそうだ」
「何っ?」
おれは思わず声を上げた。
「なあ、八式よ。忍の奴は、<銀の目>でハイブリッド・チルドレンを見たんだそうだ。これは記銘呪符で再生したから間違いない」
「三千院が…」
伊織玲子は黙したままだ。
「これ以上だらだらと喋るつもりはない。玲子。忍を殺ったのは、<流星>か<死線>のどちらだ?」
おれは、目の前に暗い帳が落ちたかのような錯覚を覚えた。
息苦しさすら感じる。
朝霞恭平が言っているのは、行方不明の三千院忍が<九王会>の秘奥を垣間見て、東雲瑠美か伊織玲子に暗殺されたという最悪のシナリオだった。
韮崎愛羅が言っていた「ツラい」とは、このことか…。
伊織玲子は何も語らず店から出ていった。
その顔には、感情が何も表れていなかったように見えた。
「恭平…。伊織は…伊織は、<九王会>の契約局員なんだし、そのプロジェクトには深く関わってないんじゃ…」
「ガンマンよ。不思議に思ったことはないのか?何であいつは<九王会>でも好き勝手を許されてる?」
「好き勝手を…?」
「俺だって<九王会>には腐るほど勧誘はされたさ。だがな、一度として契約局員なんつう曖昧な身分を提示されたことはなかった。俺たちは素性を知られただけで、その相手の口を封じなきゃならん身の上だ。ましてや<九王会>はその本尊だぞ。妖殺屋の総本山だ。中途半端な立ち位置の局員を抱えるほど、生半可な組織じゃあない」
「…一理あるな。にわかには首肯し難いが」
朝霞恭平は、最近の妖魔の躍動に関してはハイブリッド・チルドレンの暴走が裏にあると読んでいた。
まだ確証はないというが、<九王会>にそれを手引きしている勢力があるとの予想だ。
要するに、<九王会>内部で抗争が起きつつあると認識していたのだ。
「お前、自分の身は守れそうか?」
「<色男>、舐めてるのか?」
「…なら、いい。<九王会>がどう出るかわからんから、取り敢えず身辺には気を付けておけ。<三途の川>も安全じゃないぞ。宍戸さんは、何といっても元副局長なんだからな」
「了解だ。恭平、ハイブリッド・チルドレンってのは、何のために計画されたんだと思う?」
「さあな。だが、ひとつだけ分かっていることがある。もし妖魔を自在に操ることが叶うのならば、これにあやかりたいと思う奴は幾らでもいる、という現実だ」
おれと恭平は焼酎をひたすら空けた。
それは、焼酎好きだった三千院忍への鎮魂の儀式であった。
***
妖魔退治の依頼は、春が訪れても絶えることなく続いた。
伊織玲子も、若干事務的なきらいはあったが、何事もなかったかのように接してきた。
桜の花が散り始めた頃、それはやって来た。
獣魔を従えた、件の青年が動き出したのである。
<九王会>とフリーの妖殺屋とで決行した妖魔退治の作戦に介入し、構成員を全滅させたのだ。
ハイブリッド・チルドレンを中心とした戦いの幕が、ここに切って落とされた。




