第2章 千千に乱れる(上)
第2章 千千に乱れる(上)
§妖魔伯仲§
春がだんだんと近付き、キャンパスを行き交う顔から高揚と期待とを感じ取れる。
期末試験に就職にと慌ただしい時期ではあるが、冬休み明けの賑わいは見ているだけで心が温かくなった。
「あ、曲宮。さっき伊織さんが捜してたぞ」
おれは友人に礼を言って、教務課前の掲示板へと急いだ。
「遅刻…」
「すまん。愛羅を見送ってて」
「彼女、今日は午前だけだっけ?」
おれは頷いた。
韮崎愛羅は午後の講義を履修していないので、駅前で買い物をしてネイルサロンに寄って帰ると言っていた。
「そ。これ」
手渡された手紙を眺める。
<九王会>からの妖魔退治の依頼で、相手は夜叉、場所は房総の洋館とあった。
腕の傷もあって年末年始は養生していたのだが、最近は頻繁に依頼が舞い込むようになっていた。
伊織玲子によると、昨年末の対影女・獣魔の2作戦における被害が甚大で、<九王会>としては猫の手も借りたい状況らしい。
こうして<三途の川>を介さない直接の依頼があること自体、異例であった。
「了解。今からだと日が暮れるから、明日行くよ」
夜は妖魔が力を増すので、妖殺屋にとっては都合が悪い。
ただでさえ、最近は妖魔のパワーアップを感じられるケースが多発しているのだ。
「明日なら、私も行くわ」
「いいのか?<会社>は?」
「相手は夜叉よ。曲宮君だけじゃ危険だわ。<会社>とは別で行く」
夜叉とは鬼の昇華した妖魔で、森林を根城に気と水を操る厄介な存在だ。
仏教説話では鬼神とされている。
「…ということは、無給か」
「私のアゴ足宜しくね」
アゴは食費、足は交通費のことである。
「おれ、今夜のうちに房総には入るつもりだったんだけど」
「じゃあ枕もお願いするわ」
枕は宿泊費を表す。
伊織玲子と連れだって泊まりで妖魔退治に赴くなど、韮崎愛羅に何と伝えたものか。
一歩間違えれば命の危機に晒されるわけで、おれはうまい伝え方を模索し始めた。
「準備しておくから、出発前に連絡頂戴」
伊織玲子は無邪気に手を振って遠ざかった。
***
南房総の館山でホテルにチェックインし、体を休めていた。
共用のリクライニングルームでマッサージチェアに沈んで、心を空にする。
奮発させられたのでホテルは綺麗で、部屋の広さや清潔感も文句はなかった。
難点があるとすれば、おれの左右で同様に寝そべっている韮崎愛羅と伊織玲子の両者だ。
結局韮崎愛羅は付いてくると言って聞かず、おれと彼女の部屋はダブルで取らされた。
ここに着いてからそれを知って、伊織玲子はまともに口をきいてくれていない。
「八式くん、バーに行ってみようよ」
「明日、仕事なんだけど」
「軽く1杯だけよ」
「なあ、伊織…」
助けを求めたおれの問いかけを無視して、伊織玲子は目を閉じてマッサージを堪能していた。
おれは韮崎愛羅に手を取られ、上層階へと引っ張っていかれた。
品の良いバーテンが韮崎愛羅にカクテルを差し出す。
おれたちはグラスをカチンと合わせて乾杯した。
「八式くん、今日は散財ね」
「…分かってて、なんでここに連れてきた?」
「伊織さんと浮気しようとしてたから」
「さっきも言ったけど、おれと彼女は何もないよ。単なる親しい同業者」
「ふうん?本当に親しいだけかな。お姉さん、伊織さんを褒めてた気がしたけど」
よく覚えているものだ。
「…おれが師匠の元で修行してた頃からの、数少ない知り合いだから」
おれは13の頃に師匠に弟子入りし、15の時より伊織玲子と誼を通じていた。
その時彼女はおれより1歳下であるにも関わらず、すでに妖殺屋として自立していた。
中臣静は伊織玲子と一緒に妖魔退治へ従事することが多々あったので、あの2人も知れた仲なのである。
「銀の兵器、師匠に貰ったんだよね」
「言ったっけ?師匠の形見なんだ。銀の純度が高い、特注品。<ミョルニル>は、おれの力じゃまだまだ使いこなせてない」
「八式くん、気だけで撃ってるもの」
「ん?」
「魂で撃つの。妖魔と魂のぶつかり合いをしないと、気合いだけじゃ真の妖殺は出来ない」
「愛羅…」
韮崎愛羅はそれきり何も言わなくなり、カクテルをちびちびとなめるようにして味わっていた。
***
その洋館は背後の雑木林に侵食されて、白い外壁の至るところに緑が絡まり、廃屋然として見えた。
所有者はだいぶ前に亡くなっており、今や打ち捨てられた館は妖魔の巣窟と化していた。
空は煙って、ポツリポツリと雨粒が落ち始めた。
太陽は分厚い雲に隠れていて、妖魔との戦闘日和とは言い難い。
「行きましょう」
黒いレザージャケットを着込んだ伊織玲子が、一足先にと敷地内に踏み込んだ。
「夕べはお楽しみでしたか?」と無表情に聞いてきた朝方とは打って変わって、彼女の顔はプロの妖殺屋のそれになっている。
正面扉を開けて、埃っぽい建物内部に突入した。
伊織玲子は両手首にはめた銀の籠手を軽く回して、彼女の武器であるところの<死線>こと銀のピアノ線を準備した。
おれもラクロスケースを放って<ミョルニル>を構える。
光を採り入れるため、入口を開け放したまま、入口奥の階段を目指した。
薄暗い階段を、伊織玲子を先頭にゆっくりと昇る。
2人で仕事に入る際には、いつも伊織玲子が前衛、おれが後衛を務めていた。
吹き抜けとなっている2階部分は暗く、入口からの光は殆ど届いてきていない。
「八式くん、発光呪符を」
おれは懐から取り出した呪符を天井に向けて投げた。
屋内をパアッと淡い光が照らした。
「来た!」
光に反応してか、2階奥の部屋の扉が開き、白髪を振り乱した鬼面の夜叉が襲い掛かってきた。
直線の廊下は<ミョルニル>の射線がとり易く、おれは必中の一撃を放った。
夜叉は両の腕を交差させ、直撃にも1メートル程後方へ押されただけで、銃撃に耐えて見せた。
「なに?」
夜叉が一気に跳躍して、天井を蹴っておれに突っ込んできた。
その鉤爪がおれに届くか届かないかというところで、空中で見事に静止した。
見ると、銀のピアノ線に夜叉の全身が絡めとられていた。
ガタッという物音が廊下の奥で響いた。
「曲宮君、奥からまだ来る!」
おれは開け放たれたままの奥の部屋に照準を絞った。
姿を現した瞬間に、第2の夜叉の頭部を吹き飛ばした。
誤算だったのは、第3第4の夜叉が相次いで出てきたことだった。
「野郎!」
不意をつかれた上に夜叉のスピードが早く、銃撃が間に合わないと知り、おれは銀のナイフを抜いた。
伊織玲子は<死線>で最初の夜叉を八つ裂きにしたところで、再び前方に結界を張ろうと構えていた。
夜叉たちは意外な行動に出た。
吹き抜けの階下へと飛び降り、入口を目指して逃げ出したのだ。
「…追っても無駄ね」
伊織玲子が<死線>を収納して、ふうと息をついた。
おれは夜叉が残した<聖石> を拾い上げる。
もう1個を拾いに廊下を奥へ進むと、腕時計に内包した妖気計がけたたましい音を立てて警告を発した。
おれは<ミョルニル>の銃身を上げて、先ほど夜叉が出てきた部屋の正面へと滑り込んだ。
最悪だった。
「奥の雑木林に繋がってる!来るぞ!」
伊織玲子に向けて叫び、<ミョルニル>を室内に撃ち込んだ。
部屋の中は生い茂った植物に埋め尽くされていた。
可能な限り連射して、銃撃の反動で廊下の手摺まで押されてもたれ掛かる。
2匹は頭を吹き飛ばしてやったが、すぐに次が廊下へと飛び出してきた。
鉤爪の一撃を屈んで避けて、ゼロ距離で<ミョルニル>を撃ち込む。
夜叉の腹に風穴が空き、後ろに倒れていく。
続けざまに襲ってきた鉤爪の嵐に頬や足を裂かれて、おれは緊急避難的に手摺を飛び越えて階下に落下した。
「がっ…!」
ドンと音がし、背中から全身に広がる衝撃に苦悶する。
痛みの中、離さなかった<ミョルニル>を階上に向けて、飛び降りてきた1匹の夜叉を吹き飛ばした。
残りは伊織玲子の<死線>が張り巡らせた結界に囚われ、バラバラに裂かれて死んでいった。
今度は1階の正面入口から攻めてくるのがわかった。
おれはよろけながら立ち上がり、先頭の1匹を狙って引き金を引いた。
夜叉が大口を開けて咆哮を発すると、銀弾はその衝撃で着弾前に爆発した。
咆哮を放った夜叉の背後から2匹が躍りかかってきたので、おれは<ミョルニル>を先に投げて、横転で階段まで退いた。
階段から<死線>を閃かせて伊織玲子が駆け降りてきた。
伊織玲子はおれの前に出て両手を縦横に操り、すぐに右へと走り抜けていった。
1匹の夜叉がおれに向かってきて、瞬く間に結界に切り裂かれて息絶える。
おれは拾い上げた<ミョルニル>で伊織玲子へと殺到している2匹に銃撃を加えた。
伊織玲子は足技で巧みに夜叉の鉤爪をいなしており、あれは彼女のもうひとつの銀の兵器、銀の踵によるものだった。
程無くして2匹を退け、ひとまず館を後にする。
「これ、増援がないと危険ね…。あの雑木林に何匹潜んでいるやら」
「…おかしいぞ。夜叉があんなに集団でいるものか?」
おれは傷む肩や背を揉みながら言った。
「…聞いたことないわね」
答えて、伊織玲子が携帯電話で<九王会>と連絡を取り始めた。
***
<九王会>の増援が到着するまでもう1日、ホテルでの滞在が延びた。
全身打ち身状態のおれは、部屋で韮崎愛羅に手当てをしてもらい、ベッドに転がっていた。
「明日は、相当痛いと思うよ」
「…だろうな」
韮崎愛羅はおれに代わって<ミョルニル>のメンテナンスをしていた。
最早何でもありだが、妖魔が銀の兵器をメンテナンスするというのは甚だ矛盾している。
最近は、韮崎愛羅を<骸神>だと特に意識することもなくなった。
むしろ彼女は本当に<骸神>なのかと疑念を抱く自分がいた。
「明日は、応援来るの?」
「1人だと。人手不足らしい。どうせ日下部や熊田あたりだ」
それでもそこそこ信用のおける妖殺屋が増えるのならば、戦力的には大分ましになる。
「銀弾、残弾が50を切ったからね。注意して」
「まさか、こんな多勢の相手をするとは思わなかった…」
「私、取りに戻ろうか?」
「いや、いいよ。50発撃ち尽くすほどの敵なら、どのみち3人じゃ荷が重い。逃げるとするさ」
「気を付けてね。手当て出来る怪我なら、帰ってくれば診てあげられるから」
韮崎愛羅が「戦闘には加われないけど…」と消え入りそうな声で続けた。
おれは「了解だ」とだけ答えて、目をつぶって体の回復に専念した。
§人類最強§
伊織玲子には今朝も「夕べもお楽しみでしたか」と皮肉を言われた。
昨日と同じ経路で館を目指し、門前に着いたところで珍客と遭遇した。
彼女、夏目麗は新聞記者を名乗った。
ショートカットの似合う、活動的でボーイッシュな見た目をした若い女性だ。
おれや伊織玲子より、3~4歳くらい上だろうか。
「あなたたち、ここに何か用?あの館と後ろに広がる林以外に、周辺200メートル以上は何もない地域だけれど」
夏目麗が尋ねてきた。
「害虫駆除の<九王会>の者です。市からの発注で、館と周辺の雑木林で殺虫作業を実施します」
伊織玲子がスラスラと出鱈目を答えた。
害虫駆除業者というのは、<九王会>の表の顔であった。
「この館、確か所有権者がいたはずよ?」
「私どもは存じ上げません。市からの発注は、確かに有りましたので」
「…そう。こんな曰く付きの建物をねえ」
夏目麗がおれの目を見て行った。
おれはぼろを出さないよう、知らんふりを決め込んでいた。
「曰く、とは?」
伊織玲子が聞く。
「…出るのよ。これが」
夏目麗は胸の前に手の甲を垂らし、お化けが出るというジェスチャーをして見せた。
そして、「ふふ。一応、気を付けてね」と忠告して去っていった。
おれと伊織玲子は念のため彼女を警戒リストに入れた。
定刻ちょうどにその場にやって来たのは、<九王会>副局長の東雲瑠美であった。
さすがにおれも伊織玲子も呆気にとられて言葉が出なかった。
<九王会>が最高戦力を投入してきたのだ。
遠目に見たことはあったが、おれは彼女と作戦を同じくするのは初めてであった。
「曲宮八式です」
名乗ると、東雲瑠美はコクンと頷きを見せた。
背に流した黒髪は艶やかで、整い過ぎた顔立ちと大きくてつぶさに輝く瞳とを眺めていると、吸い込まれそうな気分になる。
濡れた薄桃色の唇が開き、耳に心地好い声音を紡ぎ出した。
「<九王会>の東雲瑠美です。お待たせしました。2人とも、参りましょうか」
伊織玲子と同じ黒のレザー装備の東雲瑠美を先頭に、おれたちは再び夜叉の住まう洋館へと突入を開始した。
前回と同様に、おれは呪符でもって灯りをともした。
伊織玲子が銀の兵器を準備しながら、東雲瑠美に2階奥の部屋に関して説明する。
「では念のため、階段を上がった先の部屋を全て洗いましょう。探索は私が。曲宮君は、階段上で廊下全体の見張りと奇襲への迎撃を。伊織さんは、階下にて挟み撃ちの警戒を。頼みます。」
指示を出して、東雲瑠美が階段を駆け上がった。
彼女の両肩や背中、腰回りなど全身に、奇妙な外観をした銀の装具が見受けられた。
あれが聞くところによる銀の自動化兵器<流星>なのだろう。
彼女に続き、おれも<ミョルニル>を手に階段上へと躍り出た。
そこで廊下奥までを見渡す。
東雲瑠美はすでに手近な部屋に進入して、中を調べているようだ。
階下を見ると、伊織玲子が敵を探して周囲に視線を這わせていた。
やがて部屋から出てきた東雲瑠美はおれに首を振って見せ、その隣、そのまた隣と、しらみ潰しにしていった。
一番奥、館裏の雑木林と一体化していた部屋だけが残った。
その扉は閉まっており、確かおれたちが交戦した際は開け放たれていたはずだ。
東雲瑠美が「曲宮君、10歩こちらへ。伊織さんは階段上で待機を」と配置変更を促した。
そして彼女はおもむろに扉を開けた。
おれの妖気計が急報を告げた。
「東雲さん!」
扉の向こうから、鉤爪が東雲瑠美を襲った…かに見えて、おれは悲鳴に近い叫び声を上げた。
しかし、飛び掛かった夜叉は、東雲瑠美の腰から立ち上がった銀の触手のようなギミックによって見事に防がれていた。
そして彼女の肩から飛び出した幾筋もの銀の刃によって、あっという間にスライスされた。
そのまま東雲瑠美が部屋へと飛び込んだので、おれは慌てて後を追った。
部屋の前で中を覗くと、そこで起こっていたのはおぞましい殺戮の嵐であった。
薄暗い室内に冷たく青く光る刃が、東雲瑠美の肩から背から腰から両の手から、四方八方に流れて夜叉を切り刻んでいたのだ。
部屋の奥、窓と雑木林が融合したあたりから続々と飛び出してくる夜叉は、その都度無限にも思える刃の奔流に呑み込まれて果てていった。
これが<流星>…。
これが、人類最強と名高い東雲瑠美なのだ。
何十の夜叉を葬り去ったか。
このまま全てを狩り尽くすのだろうと確信したその時、いきなり東雲瑠美が床に両の膝を着いて体勢を崩した。
おれは部屋に飛び込み、窓外から分け入ってくる夜叉に銃撃を見舞って、東雲瑠美を引きずり出した。
こうなると夜叉による挟み撃ちが気になる。
「伊織、下を頼む!」
叫び、扉外に出てくる夜叉を撃ち続けながら左腕で東雲瑠美を抱えて、2階階段付近にまで後退した。
階下が騒がしくなり始め、懸念の通りに夜叉どもが上から下から総攻撃をかけてきたのだと知れた。
背後に寝かせた東雲瑠美の口許から、一筋の真っ赤な血が滴っているのが見えた。
顔色はひどく青白かった。
「くたばれ!」
<ミョルニル>を可能な限りの速度で連射し、夜叉には廊下を一歩も進ませない。
ふと頭の片隅を残弾の件がよぎり、おれは<ミョルニル>を後ろに放って銀のナイフを構えた。
そして腰を落として前傾姿勢で廊下を蹴り進んだ。
1匹目の夜叉の右側面をすり抜けて、振り返らずに後ろ手で首の後ろを掻き切る。
そのまま2匹目の正面へ向かって、左右両腕の殴打を掻い潜って、喉元を突いた。
3匹目の鉤爪に右太股の肉をざっくりと持っていかれたが、転がりざまに両足首の腱を切り、倒れ込んだところで眉間を刺した。
4匹目に馬乗りになられ、腹に一撃を入れられたが、懐から対妖呪符を掴み出して火柱を具象化させる。
間近で炸裂したため、おれも火傷を負ったが、夜叉は業火に包まれて滅んだ。
5匹目は…こなかった。
奥の部屋からの夜叉の出現が止み、妖気計は針を平常に戻した。
階下も静かになり、伊織玲子が階段を上がってくるのが分かった。
「伊織、すまん…。ちょっと足の止血を、頼む…」
おれは薄れ行く意識の中で、それだけの言葉を絞り出した。




