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第1章 妖魔を狩る者たち(上)

第1章 妖魔を狩る者たち(上)

§伊織玲子§

校舎外壁に絡まる蔦は、枯れて力なく垂れ下がる。


風が吹けば落ち葉が舞い上がり、狭いキャンパスを我が物顔で席巻する。


大学の構内は、冬休みを目前に控えて少しだけ活気を取り戻していた。


皆が皆、会うたびにノートや課題のレポートの話に興じていた。


「曲宮、久しぶりだな!」


そういった呼び掛けを3、4といなし、おれは掲示板付近へと急いだ。


目的の相手は、寒そうに手を顔の前で擦りながら待っていた。


「遅いじゃない!耳寄りな情報、持ってきたっていうのに」


ファー付の黒のコートに身を包んだ、伊織玲子(いおりれいこ)がおれを非難する。


栗色のボブカットがよく似合い、背は標準より低めだが、学内では間違いなく綺麗どころにあたる。


その声も、女の子らしく高くて甘い風情だ。


…だが、彼女も妖殺屋であった。


「鬼が、出たらしいの。<特捜>じゃ歯が立たなかったって」


「…何で<会社>が動かない?」


「単純に、人手不足。私だって、冬休み返上で雪山に出張よ」


<特捜>というのは警察の<特異物捜査対策課>の略称で、<会社>は<九王会>の隠語にあたる。


伊織玲子は<九王会>の契約スタッフで、見た目は普通の女子大生だが、妖殺屋の世界では腕利きで知られていた。


<九王会>とは、妖魔退治を生業とする組織で、表向きは害虫駆除業者に過ぎない。


だが、その本質は政府直轄の戦術部局で、防衛省外局の<408管理局>と並び、日本の妖魔対策を牛耳っていた。


「<三途の川>に行けばいいのか?」


「ええ。もうすぐ宍戸さんに話が下りるはずよ」


「了解。伊織、ありがとう」


「報酬出たら、奢ってね…あれ?」


伊織玲子が怪訝な表情を見せた。


その視線を追うと、そこには韮崎愛羅の姿があった。


「こんにちは」


「…こんにちは」


韮崎愛羅が声をかけ、伊織玲子が応じた。


彼女が幾分注意を払っているとわかる。


「八式くん、どちら様?紹介して」


韮崎愛羅がにっこりと笑って言う。


何が八式くん、だ…。


「え、と…彼女は学部の友人で伊織、玲子。伊織、この子は…」


<骸神>の、<不死の女王>です…。


韮崎愛羅の顔を見ず、独り心中でこぼす。


「私、韮崎愛羅です。八式くんの同居人です」


「んなっ?」


「えっ?」


おれと伊織玲子は、同時に声をあげた。


同居しているのは本当だが、その実態は強制である。


かと言って、それを話せばおれや東京中の人間は殺されるのだ。


伊織玲子が不審な目を向けてきた。


「へええ…曲宮君、同居って本当?」


「…本当かと言われれば、本当だ」


「…そう。もう用事もないし、私行くわね。色々、バレないように気を付けなさいよ、色男。…韮崎さん、またね」


韮崎愛羅は手を振って伊織玲子を見送った。


おれは棒立ちのまま、ことの推移を見守るだけだ。


「これが、青春ね」


「…何がだ」


「彼女、ちょっと妬いてたわよ。脈あるんじゃない?」


「あのなあ…」


「妖殺屋同士でちょうどいいし」


見抜かれていた。


胃のあたりがきゅっと痛む。


「…おい。伊織をどうする気だ?」


「ん?どうもしない」


「同族を殺ってる妖殺屋を、何とも思わないのか?」


「八式くんは質問が多いな~。一日ひとつにしてくれない?兎に角、私は別に誰にも何もしません」


そうしておれが講義に出席するべく移動すると、先々へ韮崎愛羅は付いてきた。


会う友人会う友人に「八式くんと同居中です」と挨拶するので、半ばおれと韮崎愛羅の関係が既成事実と化した。


***


宍戸さんは妖殺斡旋処兼バー<三途の川>の店主だ。


伸ばした長髪を後ろでまとめ、右目を眼帯で覆っている。


白いシャツに黒の蝶ネクタイを締め、カウンターの中で酒を作るこの男は、元<九王会>の副局長だ。


10年前に<首無し鬼>に片目片足を潰されて、引退を余儀無くされたと言う。


50近いはずだか、宍戸さんの立ち居振舞いはびしっとしていて、また豊富な知識と経験から良きアドバイスをくれた。


おれはここにきて彼と話す時間を気に入っていた。


だから、本当は韮崎愛羅のことも相談したかったのだが、彼女はどこに目と耳があるか分からず躊躇する。


おれはカウンターの上に、先日の<聖石>を3個並べた。


「ほう。曲宮にしては手早いな。もう片付けてきたか」


「ただの小鬼ですから」


韮崎愛羅が狩った分については伏せておく。


「ふむ。鬼と言えばな、大物が出たぞ」


「伊織から聞いてます。宍戸さん、おれに回してください」


宍戸さんは酒を作る手を止め、おれをじっと見た。


地下に佇む店内は薄暗く、他に客も無いのでしんと静まり返っていた。


カウンター内、壁面に並ぶボトルの数々が、つまらない手狭な景観を赤だ紫だと盛んに彩る。


「<特捜>は手を焼いている」


「宍戸さん。さすがにあいつらと比べられたら、おれもたまりませんよ」


宍戸さんは黙って頷いた。


<特捜>の妖殺戦力は、B級の集まりと名高い。


それ故、手に余るとすぐに<三途の川>のようなフリーの妖殺斡旋処を頼るので、おれたちが潤うという図式だ。


「鬼が1匹というのが気になってな」


「…<首無し鬼>を疑ってるんですか?」


「いや、それはない。<骸神>など、この10年確認されていない。それに、奴が動いていたら<九王会>が総動員をかけてるはずだ」


今度はおれが頷く。


しかしながら、<骸神>を名乗る女性がうちにはいた。


「1匹で暴れてるということは、相当腕っ節に自信があるのだろう」


「おれもありますよ」


「…せめてあと1人、お前に仲間がいたならな。俺も安心して任せられるのだが」


こうして、苦慮した結果、鬼退治には韮崎愛羅を伴うことになった。


§三途の川§

韮崎愛羅の力は本物だった。


彼女は一夜にして「妖殺屋の身分を持つ韮崎愛羅」を造り上げてしまった。


妖殺屋の免許から登録情報、そして関係者の記憶まで。


彼女は世界をほんの少しだけ改変して、自らをフリーの妖殺屋に成らしめたのである。


この力で、マンションのおれの部屋の鍵や契約書も作り出したと言う。


恐るべき能力であった。


お蔭で宍戸さんからは鬼退治の依頼をもらえたのだが、心中は複雑だ。


<骸神>によって第一線を退かされた彼を、<骸神>の力でもって騙した形になるからだ。


「深く考え込まない方がいいよ。迷ってたら、鬼に殺られちゃうかも」


韮崎愛羅はあっけらかんと言ったものだ。


***


彼女は捜索に同行していたが、「私は戦闘には参加しないからね」と釘を刺されていた。


元より、妖魔退治に妖魔の力を借りる気などなかった。


上野公園は、警察によって全周に封鎖線が張られていた。


その内側を、ラクロスケースを背負った黒のロングコート姿のおれと、赤いピーコートを着て手ぶらの韮崎愛羅が散策している。


まだ日が高いため、視界は良好であった。


標的はそこそこに大きい鬼とのことで、木々も疎らなこの園内なら見失うことはなさそうに思われた。


「鬼を見付けたら、いきなりそれをぶっ放すの?」


「そうだよ」


答えて、おれはケースから<ミョルニル>を取り出して組み立て、銀弾を装填した。


「警察はやられたんでしょう?他に準備しないでもいいの?」


「…準備、してたんだけど」


園内をただ散歩していたわけではなく、道々に対妖呪符を落としてきていた。


初撃で鬼を仕留めきれない、或いはこちらが劣勢になった折に元来た道を帰れば、地雷の如く呪符が発動する寸法だ。


「あんなの、効くかしら?」


「一応、妖殺には定評がある巫女から買い付けてはいるんだけど」


遠くで爆音が響き渡り、人ならぬものの咆哮が聞こえた。


「呪符が発動した?向こうだったか!」


音のした方角へと踵を返した。


視界に飛び込んできたそれは、想像のふた回りは上をいく、巨躯でやたらと筋肉質の鬼。


瞳のない白濁した目が、中距離ながらこちらを捉えたようだ。


おれは<ミョルニル>を構えて銃撃を見舞った。


初撃、2撃目と敏捷なステップでかわされた。


対妖呪符によるダメージも特にないらしい。


「どうするの?」


「黙って!気が散る」


おれは<ミョルニル>を構えたまま、鬼と距離を詰めるべく前に出た。


銃による戦闘ではセオリーではないが、おれにはこれでよかった。


機を見て近距離で引き金を弾き、回避しそこねた鬼の肩口を吹き飛ばす。


逆上した鬼は剛腕を振りかぶってきたが、おれは地面を転がるようにしてそれを避けた。


直撃を受けた地面のコンクリートが抉れて、方々へ破片を撒き散らせた。


その破壊力は、一撃でおれを葬るに足りる。


鬼は逃げたおれを追って接近してきたが、急速反転して逆に懐に潜り込み、銀のナイフで腹下を切りつけた。


ナイフの刃は鬼の鋼の筋肉を容易く切り裂き、切り口からどす黒い体液をあふれさせた。


地面を蹴って素早く後退して、続けざまに<ミョルニル>で攻撃する。


弾は命中し、右足を吹き飛ばされた鬼が地に倒れ伏した。


用心のためさらに距離をとって、とどめの銃弾を撃ち込んだ。


銀弾が鬼の頭部を爆散させた。


「<聖石>、出たわよ」


歩み寄ってきた韮崎愛羅が鬼の伏していた辺りを示して言った。


一際大きい、青く光る石が転がっていた。


「その銃とナイフ。いい性能をしているわ」


…その銃の威力を、身動ぎせずに無効化しておいてよく言う。


「師匠から受け継いだものでね。銀の純度が素晴らしく高いんだ」


「あと、八式くんの動きもトリッキーでよかったと思う」


「…ありがとう」


妖魔に褒められたところで複雑だ。


<聖石>を懐に収めて、おれたちは足早に上野公園を後にした。


§九王会§

シャワーを浴びて汗を流し、リラックスした状態で銀の兵器の手入れをする。


<三途の川>で<聖石>を換金してもらって、おれたちは帰宅していた。


帰路にスーパーで食材を買い込み、それらは今キッチンで韮崎愛羅によって調理されていた。


妖魔が、それも<骸神>が手料理を振る舞うというのは前代未聞に違いなかった。


「八式くん、そろそろ出来上がるからテーブルの上を片付けて」


キッチンから韮崎愛羅の声が届いた。


おれはメンテナンスの器具を仕舞い、テーブルを綺麗に拭いた。


並べられた料理は、ビーフシチューにガーリックトースト、シーザーサラダ、鮭のムニエル、マッシュポテトにシャンパンと、見栄えは悪くない。


「鬼退治を祝って、乾杯をしましょう」


言って、韮崎愛羅がグラスにシャンパンを注いだ。


グラスをかちんと合わせて乾杯をした。


彼女が腕を振るった品々は、ふつうに美味しかった。


久しぶりに満腹になるまで食事を楽しんだ。


***


<三途の川>で何とは無しに酒を飲んでいたところ、珍しく客が訪れた。


熊田と日下部である。


ダブルのダークスーツにサングラスをという、堅気とはかけ離れたナリで現れた二人は、カウンターでおれの隣に陣取った。


「景気がいいらしいな」


角刈りの熊田が言った。


まだ20代の筈だが、厳つい顔が年齢以上に老けて見せる。


「あんたら程じゃないさ」


おれは二人に視線すら送らずに答えた。


「…小僧、調子にのるなよ。鬼をたかが一匹、狩ったくらいで」


日下部が低い声で恫喝する。


こいつは蜥蜴みたいに狡猾そうな目鼻立ちをした痩せた男で、30を少し過ぎていた。


「ここで揉め事は許さんぞ」


宍戸さんはグラスを磨きながら、左目でおれたちを鋭く睨んだ。


日下部が「やだなあ。大先輩の前でそんな失礼は働きませんよ。ただの挨拶ですって」と、下卑た笑みを浮かべて言う。


熊田と日下部の二人は<九王会>の局員で、対妖魔戦闘のエキスパートだ。


宍戸さんが副局長を務めていた頃とは年代がずれていて、任務を同じくしたことはないと聞いていた。


熊田がウイスキーをソーダ割りで注文し、宍戸さんに話しかけた。


「来週、でかいヤマがあるんです」


「日下部は何にする?」


「自分は下戸なもんで。オレンジジュースでもください」


宍戸さんは黙って冷蔵庫からオレンジを取り出した。


誰も反応しなかったので、仕方無しにおれが熊田に質問した。


「悪霊の賢人会議とかですか?」


「違う。獣魔の巣窟を見つけた」


熊田が正直に答えた。


日下部が「そいつに話すことはねえだろ…」と呟く。


「なら<会社>は総動員か?」


宍戸さんが熊田にウイスキーを出しながら問うた。


「いえ。長野でも別の作戦を実行中です。向こうは東雲副局長が、こちらは衛藤係長が指揮を執られます」


「雪山で、影女どもが暴れてやがるんです。あっちはあっちで、相当な数でしてね」


日下部が情報を補完した。


伊織玲子が言っていた「雪山への出張」とはこのことだろう。


「それなら、獣魔はどうする?やつらの巣となると、潜伏数は10じゃきかないだろう?」


「それで相談にきたわけですよ。宍戸先輩、腕利きを2、3人回していただけませんか?」


宍戸さんが日下部に、顎でおれを指し示した。


「ガキは駄目です。衛藤さんが嫌います。出来れば25歳より上で、A級をお願いしたい」


「…いつまでだ?」


「決行は、3日後の昼です」


宍戸さんが渋面を形作った。


おれは21歳で、取り敢えず需要はないようなので立ち去ることにした。


席を立ったおれに、熊田が一声かけてきた。


「長野の伊織づてで、中臣静さんに協力いただけることになった。一応、伝えておく」


「…そうですか。ありがとうございます」


熊田に礼を言って、思案顔の宍戸さんに挨拶してから店を出た。


***


日下部たちから獣魔退治の話を聞いた翌日、中臣静から連絡があった。


<九王会>の作戦に参加するため上京するので、しばらく泊めて欲しいとのことであった。


快く了承して、同居人に事後相談を持ち掛ける。


「…というわけだ。おれはリビングで寝起きするから。静さんにはおれの部屋を使ってもらう」


「わかった。八式くんの部屋、掃除しとくね」


「…出来れば入らないで欲しいんだけれど」


「だって、汚いとお姉さんに失礼でしょ?拭き掃除もしとかなきゃだし」


妖殺屋の部屋を妖魔に掃除してもらうというのはどうなのだろう。


韮崎愛羅がやたらと世話をやきたがるので、おれの思考もだんだんと麻痺してきた節がある。


中臣静は、おれの妖殺屋としての師匠の娘で、兄弟子にあたる。


おれが中学生に入りたての頃からの付き合いで、歳が10近く離れていたせいもあって、姉と母の中間のような存在であった。


今でも頭が上がらず、「姉さん」と呼んでいた。



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