トキぞうとメイのシップ作り
小さな店主が日の出とともに起きて、小さな箒で床を掃いて、それから小さな雑巾で床を拭き終わると丁度お店を開く時間になる。
もちろん、お店を開く前に身だしなみを整えることも忘れない。
肉球の付いた猫のような手で顔を洗うのは大変なので、絞った布で顔を拭く。頭の天辺に付いた丸い耳も、ポコンとした丸いお腹もちゃんと拭く。
「準備中」の札を扉に下げて、肩から巾着を斜めに掛けた。巾着に入っているのはペペン草とウスムラサキ草、両方の葉と根を乾燥させた物だ。それからスコップの入った籠をもてば、お出かけ準備完了。
トキぞうの家の前から街道を歩くと、五十メートルほどで「街道ここまで」の立札が立っている。そこから明るい林の中に入り、自生しているビックリグミを見て立ち止まる。そろそろ食べられる時期になるなと思いながら。苺やベリー類はそろそろ葉が大きくなってきている。
次に上を見上げるとキイロサクランボもそろそろ実がつく頃だ。メイちゃんやティトと一緒に摘んで食べよう。
それから林の少し奥に入り薄いピンクのオオカタクリを見付けると、しゃがんでそれを掘り返した。根っこまで掘ると顔まで土だらけだが、トキぞうは気にせずにそれを籠に入れて歩きだした。
そして次のオオカタクリはそのままにして、次のオオカタクリを掘り返す。
そうやってオオカタクリを掘り返しながら林を抜ける頃には太陽はずいぶんと高くなってきていた。林は寄り道しなければ五分と掛からず抜けられるが、二時間ほど掛かったかもしれない。
林を抜けると、青々としたなだらかな丘陵地帯が向こうに見える。その緑の丘に見える黒い点々はティトの家の牛だろう。もしかしてティトもいるかもしれない。
大きな声で「おーい!」と叫んだが、返事は聞こえなかった。
目線を少し手前に戻すと、緩やかな丘陵地帯に煉瓦造りの赤茶色の家が並ぶ集落が見える。
煙が立ち上っている家もある。トキぞうはその煙が上っている家の一つを目指して歩き始めた。
「おはよ、トキちゃん! 今からトキちゃんちに行くとこだったんだよ!」
二十分ほど歩いて集落に辿り着くと、トキぞうを見付けたメイが走ってきた。メイは煮た豆や野菜、チーズとハムを挟んだパンの入った籠を持っている。
「おはよ、メイちゃん。ばあちゃんいる」
「うん、いるよ。トキちゃんの薬のおかげで元気になってきた! ありがとね! これお礼にね、母ちゃんが持ってけって!」
嬉しそうに籠の中身を見せるメイに、トキぞうは良かったと大きく頷いた。メイのおばあちゃんにはまだまだ元気でいてもらいたい。
「ん! ばあちゃんに、シップ作ってもらう」
そう言いながらトキぞうも籠に乗っているオオカタクリを見せた。
「シップならあたしも作れるよ。こんだけあればいっぱい作れる!」
メイが嬉しそうにそう言うと、二人は手を繋いでメイの家に向った。
メイは午前中トキぞうの家に行って、二人でお昼を食べたら午後からティトの家に手伝いに行くんだ、と言っている。
「ぼくも! ディタ爺にシップ持って行く」
「んじゃ、一緒に行こうよ! 一緒にシップ作って、うちでお昼食べて。そんで、ディタ爺のとこ持ってこうよ。あたしね、バター作るの手伝いに行くんだ!」
トキぞうも以前、バター作りを手伝ったことがある。
皮袋に入れたミルクをぶんぶん振って、一生懸命振って、まだまだ振ってようやくできたほんの少しのバター。ディタ爺はそれをお駄賃にくれたのだ。早くディタ爺にもシップを持って行きたい。
そう思うとトキぞうの歩みは少し早くなった。
「あら! 元気だったかい、トキちゃん。薬ありがとね」
メイの家に着くと、メイに良く似た目の大きい小柄で元気いっぱいのお母さんがにこにこしながら迎えてくれた。茶色の髪を生成りの頭巾にしまい、すっかりくたびれて色が煤けたワンピースと前掛けをしている。
「おばさん、カブと豆ありがと」
「良いんだよ。あれっぽち! 今日は家でお昼食べてきなね!」
「ん! ありがと」
「母ちゃん、トキちゃんがね、シップ作りたいんだって!」
メイがお昼の入った籠をお母さんに渡しながら言うと、お母さんは頷いた。
「なら、ばあちゃん薬小屋にいるから。後でガーゼ持ってくから」
メイの母親が言うガーゼは、ガーゼという草を煮て叩いて繊維を取り出して、それを編んだものだ。薄い黄色のガーゼは丈夫で、洗えば何度も使える。
それからトキぞうはメイに引っ張られながら、家の裏の畑を抜けた小屋に入って行った。畑にはカブやレタスがたくさん生っている。
煉瓦造りの小屋の中は薬草の匂いでいっぱいだ。壁際の棚には薬草がたくさん置いてあり、横長のテーブルには天秤や鉢や瓶が並び、竈もある。
そして小屋の真ん中に置いてある四角いテーブルの前にばあちゃんが座って作業をしていた。
「ばあちゃん! トキちゃん来たよ!」
「久し振りだな。薬ありがとな」
メイのばあちゃんは、すり鉢でごりごりと何かの実をすり潰している。そこから甘くてとても美味しそうな香りが漂ってくる。ばあちゃんの手許は確かで、すっかり元気になったことが窺える。
「ばあちゃん、元気になって良かった」
トキぞうは甘い良い匂いを鼻いっぱい吸いながら嬉しくなった。
「あのね、ばあちゃん。トキちゃんシップ作りたいんだって」
「そんじゃ、そこに座って待っとれ」
ばあちゃんは作業する手を止めずに、そう言ったので二人は頷くと黙って座った。
トキぞうもメイも婆ちゃんの作業を静かに見ていた。ゴマの実ほどの大きさの実をすり潰したばあちゃんは、それを何回もふるいにかけて真白い粒だけを取り出した。それをボウルに入れて、水の入った鍋に入れてから火にかけた。
それから二人に向き直るとにこりと笑った。笑うとメイに似て大きな目が細まる。
「どれ、シップ作りか?」
「ん。オオカタクリ持ってきた! あと、ペペン草とウスムラサキ草も!」
籠いっぱいのオオカタクリと、巾着から出した乾燥草を出すとばあちゃんは呆れて笑った。
「おんや、こんなに持って来て」
「これ、ペペン草とウスムラサキ草で咳止めとか作れる」
「この前の薬だな? 蜂蜜も入ってたね? ありゃびっくりしたもんだよ。サクラ婆さんに教わったのかい?」
ばあちゃんに聞かれてトキぞうは頷いた。
「ん……」
「そうかいそうかい。あたしに教えて良いのかい? 秘伝だろ?」
「ばあちゃんなら、もっと効くように作れるから」
トキぞうが言うとばあちゃんはほ、ほ、と笑った。
「んじゃ、シップだな。まず、オオカタクリの根っこを綺麗に洗うんだ。日に当たらないように、よっく注意して洗うんだ」
二人はばあちゃんの指示に従い組んできた水で綺麗に洗った。それから、刻んでねばねばするまですり潰し、小さな砂時計の砂が落ちるまで火にかけてから、シプーの種を乾燥させて粉にした物をミント油で練った物を同じ量入れた。熱々のオオカタクリはシプーを入れると途端にひんやりしてきた。
「ガーゼ持ってきたよ!」
そこへちょうど良くガーゼを持って来たメイのお母さん。大人の掌ほどのガーゼに練ったものを塗ってシップの出来上がりだ。
「上手にできたもんだ!」
お母さんに褒められて、トキぞうもメイも嬉しくなってお互いに顔を見合わせて笑った。
それから、少し早いけれどお昼にしなさい、と言われて二人はお昼を食べた。籠に入っていた物の他に、カブのスープと桃のシロップ漬けもお母さんは出してくれた。
お腹いっぱいになった二人は、少し休んでから出来上がったシップを籠に載せて外へ出た。
「おんや、トキぞうでねぇか。元気でやってか? 薬ありがとな」
二人が外へ出てティトの家へ向かう道すがら、メイのお父さんと数人のおじさんたちに出くわした。みんな斧を肩に担いで、さらに大きな鳥や兎などのその日の罠に掛かった獲物を持っている。
メイのお父さんは顎髭を生やした朗らかな男だ。とはいえ、ノス村の村人は全員朗らかで明るく元気だ。
「父ちゃんだ! 今からトキちゃんとティトんちに行ってくる」
「気を付けて行くんだぞ!」
お父さんとおじさんたち皆に見送られ、トキぞうとメイは手を振りながらティトの家に向った。