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おじさんと王子様のお墓参り

 

 小さな店主が日の出とともに起きて、小さな箒で床を掃いて、それから小さな雑巾で床を拭き終わると丁度お店を開く時間になる。

 もちろん、お店を開く前に身だしなみを整えることも忘れない。

 肉球の付いた猫のような手で顔を洗うのは大変なので、絞った布で顔を拭く。頭の天辺に付いた丸い耳も、ポコンとした丸いお腹もちゃんと拭く。

 それから手作りのカレンダーを眺めた。集会所に子供や村人が集まり、そこで先生の指導のもとに作成されたものだ。


「今日は誰も来ない日」


 基本はメイは七日に一度、ティトは三日に一度やってくる。それ以外の日は、村人たちがポツポツとやってきては品物を眺めて目の肥やしにしている。メイもティトも午後に時間ができれば、やってくることもある。

 トキぞうはお店の前に出ると「準備中」の札を下げ、小さな雑巾で扉を拭き始めた。

 誰も来ない日は朝から扉や壁を拭くことにしている。それが終わると、草むしりを始める。ぶちぶちとむしるので、根っこが残ってすぐにまた生えてくる。

 そうやって入口の脇の雑草と格闘していると、店の前がにわかに騒がしくなってきた。ガラガラという車輪の音。それが止むと、草を踏みしめる音に混じって人の話し声。


「それにしても、相変わらず狭くて臭くて汚い店だな」


「ええ。相変わらず古びて汚くて、店主のお婆さんみたいな店ですね」


 お店とおばあちゃんをけなす声が、一生懸命草をむしっていたトキぞうの耳に入った。しかし、今日はお客の来ない日だと知っているため、草をむしり続ける。とりあえず目に入った地中深くに根を張るぺペン草に手を伸ばした。

 ぺペン草の根は、調合する薬草によっては傷薬にも解熱薬にもなる。


「以前よりまして寂れてきたようだが……。さて、今日は何を手に入れようか」


 両手で葉を挟んで掴みぶちぶちと引っこ抜いていると、そんな声が聞こえ思わず草をむしる手が止まった。

 そして、頭の中でその声を反芻し、ようやく理解した。


「たいへん、お客だ」


 慌てて立ち上がると勝手口に周り、汲んでおいた水で手を洗い店へ急いだ。

 洗った手を振り水を飛ばしながら店へ入ると、カウンターの前の小さな椅子に腰かける小太りの中年男が目に入った。その後ろには、唇が赤く肌が青白いが綺麗な顔の若い男がつんと澄まして立っている。

 二人とも何度も見掛けたことがある。数か月に一度やってきては、おばあちゃんと罵りあいながら、それでも最後には気に入った物を買っていく二人だ。

 トキぞうがこの二人に直接対面するのは初めてだ。

 村人以外のお客が来たときは、いつもトキぞうは扉の陰からじっと見ていただけだったのだから。

 小太りのおじさんは、おばあちゃんの昔からの友達だ。若い男は絵本の王子様に似ているので、おばあちゃんに聞いたら、そうかもしれないねぇ、と言って笑っていた。

 小太りの男は突然現れた緑色の小さなトキぞうを思わず見つめると、トキぞうも男を見つめ返した。

 お互いに見つめ合うことしばし、先に口を開いたのは男だ。


「店主はいないのかな?」


「ぼく、トキぞう」


「アンタの名前なんて聞いてないわよ。さっさと店主出しなさいな」


 慌てて名前を告げると、ツンと澄ました男が高い声を出しながらハンカチを振っている。それでトキぞうは大事なことを忘れていることに気が付いた。


「ぼく、店主!」


 トキぞうが胸を張って元気に名乗ると、二人の男は目をしばたいて訝しむような顔をした。


「坊やは誰かな? サクラ殿はいないのか?」


「ぼく、おばあちゃんの孫。おばあちゃん、死んだ」


 小太りの男を見上げたトキぞうが言うと、男は目を見開いてトキぞうを見つめた。 


「孫? いや、サクラ殿が亡くなった? まさか、いや、三月前は元気に儂に悪態を吐いておったのに……」


「冬の間、おばあちゃんの咳止まらなくなって、起きられなくなった。先月、死んだ」


 トキぞうが淡々と事実を告げると男は茫然としていたが、徐に目を閉じてふくよかな手で顔を覆った。その手は小刻みに震えている。


「おじさん、寒い?」


「いや、そんな、まさか……サクラ殿は、まだ……」


「嘘言ってないでさっさと呼んできなさいな!」


 信じられない、と言った顔の若い男が叫んだ。だが、トキぞうにはどうしようもない。


「おばあちゃん、裏の庭に埋まってる」


「そんなの信じないわよ! は! 大体、アンタみたいな孫がいるだなんて聞いてないし……。やだわ、もしかして病気で寝込んでいるのかしら? なら、お医者を寄越すから――」


「やめなさい、ルティエンヌ」


「だって、このチンチクリンがサクラを出さないのが!」


「いい加減にしなさい!」


 小太りの男が、矢継ぎ早に言い募る若い男をピシャリと窘めると男は押し黙って俯いた。


「君が看取ったのかい、坊や?」


「みとった?」


「坊やは、サクラ殿が死ぬ瞬間まで傍にいたのかな?」


 トキぞうが分からず首を傾げると、おじさんは分かりやすく優しく聞き直した。


「ん、ぼくおばあちゃんの横にいた。あと、メイちゃんのママとパパと、ティトとディタ爺とセンセとセンセの奥さんと……」


 トキぞうはあの日、この家にいてくれた人たちを思い出しながら口にした。



*


 銀貨の入った小さな巾着をしっかり肩から下げて、トキぞうは走った。

 おばあちゃんの熱はちっとも下がらず、咳もひどくなっていく一方だった。メイのばあちゃんから買った薬も無くなってしまった。それに、昨夜から目を覚まさない。

 意を決したトキぞうは、雪がまだ薄らと残るその日の夕方、家を飛び出て走りに走った。


 村はずれのトキぞうの家は、街道すじにあるのだが、メイの家は林を抜けて丘を登った集落の中にある。大人の足でも二十分はかかるだろう。

 小さなトキぞうならば走ってもそれ以上はかかる。だが、トキぞうは走った。薄く氷が張ったところで転んだり、木の根に足を取られて転んでも走った。


 集落に着くと先生が地図を広げながら歩いていた。彼は走ってくるトキぞうに何事かと目を見開いて、事情を聴くとトキぞうを小脇に抱えてメイの家まで走った。

 それからメイのばあちゃんは、あるだけの薬を出してくれて、配達に来ていたディタ爺がロバ車に乗せてくれた。

 トキぞうが家に着くと、おばあちゃんはベッドから体を起こしていた。トキぞうは走ってキッチンに行き大急ぎでコップに水を汲み、薬を渡した。


「お帰り、トキぞうや。外は寒かったでしょう」


「おばあちゃん、薬!」


「ありがとうね。こんなに冷たくなって……ほら、おばあちゃんの横にお入り」


 トキぞうは、おばあちゃんが元気になった、と嬉しくなりぴょんと飛び跳ねておばあちゃんの横に入った。だから、大人たちが難しい顔で話をしていたのは知らない。

 夜になるとやってきたメイの母親と父親、ティト、先生夫婦とディタ爺が暖炉に薪をくべて一晩中部屋を暖かくしてくれていた。

 トキぞうは眠くなるまでおばあちゃんと話をした。小さい頃の話や、オムレツの話、それから不思議な昔話。そうしてトキぞうはいつの間にかうとうとしていた。

 おばあちゃんが、ぽんぽんと一定のリズムで布団を叩くとトキぞうはすっかり安心してなんとか挨拶をした。


「お休み、トキぞう」


「ばあちゃ……、やすみ、なさ……」


「……みなさん。トキぞうのこと、宜しく頼みます」


 おばあちゃんのしっかりした声が聞こえたが、何と言っているかまでは分からなかった。

 そして、それがトキぞうが聞いたおばあちゃんの最後の声だった。


*


 おばあちゃんのお墓は、通りとは反対の日当たりの良い庭にひっそりと静かにある。そこに、トキぞうはたくさんの花の種や野菜の種を植えた。早い物は蕾を付けて、もう少し暖かくなったら花が咲くだろう。

 その、おばあちゃんのお墓の前に小太りの男と綺麗な青年が跪いている。頭を下げて目を閉じて。


「ありがとうございました……ほんとうに、ほんとうに……」


 小太りの男が呟くのが薄らとトキぞうの耳に聞こえた。若い男は目を固く閉じて、口も固く閉じていた。


「また、来て。おじさん、王子様」


「また来るよ、坊や」


「あたしは王子様じゃないわよ」


 結局、二人の人物はおばあちゃんのお墓に手を合わせて項垂れながら帰って行った。

 二人はきっとまた来てくれるだろう。




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