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トキぞうとティトの野望

 


 小さな店主が日の出とともに起きて、小さな箒で床を掃いて、それから小さな雑巾で床を拭き終わると丁度お店を開く時間になる。

 もちろん、お店を開く前に身だしなみを整えることも忘れない。

 肉球の付いた猫のような手で顔を洗うのは大変なので、絞った布で顔を拭く。布を絞るのも一苦労だ。そして頭の天辺に付いた丸い耳も、ポコンとした丸いお腹もちゃんと拭く。


 小さい頃、おばあちゃんに、どうしてみんなと姿が違うのか聞いたことがあるが、おばあちゃんは笑っただけだった。


 ――トキぞうはトキぞうでしょう。おばあちゃんの可愛い孫に違いないんだから


 それでも不思議でもう一度だけ聞くとおばあちゃんは悲しそうな顔をした。


 ――誰かに苛められたのかい?


 トキぞうは慌てて首を横に振った。村の人はトキぞうが大好きで、トキぞうもみんなが大好きだから。

 それきり姿かたちに疑問を持つことはしなくなった。


「今日は、ディタ爺が来る日」


 六日に一度、牛飼いのディタが荷車に積んだミルクやバターを持ってくる日だ。ディタは月に一度小麦も持ってきてくれるので、一度にたくさん持てないトキぞうにはありがたい。

 ミルクやバターの代金を銀の箱から出して用意して待っていると、カランとお店の扉が開く音がした。


「トキぞう、ミルク持ってきたぞ!」


 そう言って元気に入ってきたのは、ディタの孫のティトだ。


「ディタ爺は」


「じいちゃん、腰痛めて。年だからさ、おれが代わりに荷物運んでんだよ」


 擦り切れたシャツに膝当てのされたサロペットに木靴の少年は、のんびりと言った。長身痩躯の赤毛のこの少年は、のんびりとした口調とは裏腹に頭の回転が早く、野心家だ。


「爺、大丈夫」


「うん、大丈夫だよ。重いの持ったりしなきゃ良いんだよ」


「ん、分かった」


「んでさ、おれが外に出てるから、バターがたくさん作れなくて。次は持ってくるけど……ミルクは台所で良いか?」


「ん」


 ティトが聞くとトキぞうは頷き、二人で一度外に出るとロバの牽く荷車からティトがミルクの入った小さな木のバケツを抱えた。

 その間にトキぞうは台所から、前回の分の木のバケツ――もちろんちゃんと洗ってある――を持ってきて荷車に積む。これくらいならトキぞうでもできる。

 ミルクを台所に置いたティトが荷車に戻ってくると、今度はカゴを下ろした。カゴには卵が四つ入っている。


「ありがとな。んでさ、バターの代わりに卵持ってきたから。おまけみたいなモンだから代金はいらないよ」


「……卵」


 喜ぶと思ったらトキぞうは短い腕を組んで考えるような仕草をした。


「あれ? トキぞう、卵嫌いだっけか?」


「好き……だけど、卵、掴めない」


 そう言いながら広げた手は小さく、丁度卵と同じ大きさだ。猫のように丸くて肉球の付いた手は卵を掴むのには適さない。


「両手で持って、こう、ポンってうまいこと割れないか?」


 ティトは簡単に言うが、以前、それをやって卵の殻がオムレツに入ってじゃりじゃりした嫌な食感のオムレツができたものだ。それ以来、卵はおばあちゃんに割ってもらっていたが、今ではやってくれる人はいない。

 だが、トキぞうは良いことを思い付いた。


「ティト、割って!」


 キラキラした丸い黒い瞳でティトを見つめると、ティトは笑いながらトキぞうの頭に手を置いた。


「良いぞ。ちょうどここで荷物運び終わりだからな」


「一緒に食べよ」


「良いのか? でも、腹減ってきたしな……」


 成長期の彼は、少し遠慮しながらもトキぞうの後について台所に入った。

 ちゃんと竈に火種は残っている。

 鍋には麦粥が入っており、トキぞうがこればかり食べているのでは、とティトは心配顔で鍋を覗き込んでいる。

 トキぞうが竈に枯れ枝を入れて火を強くしている間に、ティトは卵をポンと割り始めた。トキぞうは油を垂らした浅い鍋を急いで火に掛けると、卵を割るところを見始めた。


「四つ全部割っておこうか?」


「ん」


 上手に卵を割るティトの手元をトキぞうはじっと見ている。


「卵って不思議だなぁ」 


「どして」


「必ず出てくるんだよ。それでさ、たまに二つ、黄色の出てくるときもあるんだ」


「知ってる!」


 そういう卵が出てきたときは、おばあちゃんはオムレツにしないで目玉焼きにしてくれたものだ。

 残念ながら今回は四つとも黄身が一つづつだった。


「豆入れる」


「うん、良いな。豆入りオムレツ」


 ティトが卵を混ぜ始めると、トキぞうは昨日メイに貰った豆をそこに入れた。それから匙で少しだけ掬った塩も入れる。結局ティトがオムレツを焼いて、ティトが卵三つ分、トキぞうが一つ分食べることになった。

 お皿に分けてテーブルに持っていくと、先ほどティトが持ってきたミルクも食卓に上がった。

 それを見ていたティトは真面目な顔で、トキぞうを見つめた。それから食べ始めると、ティトがおもむろに口を開いた。


「なぁ、トキぞう。この村どう思う?」


「大好き」


 おばあちゃんが言うには、トキぞうは生まれた頃からこの村に住んでいる。のんびりした気質のこの村の人も村も大好きだ。


「うん、おれも大好きだ……でもな、このままじゃダメだと思うんだ」


「ダメなの、どして?」


「だってさ、この村はもう五十人くらいしかいないんだ」


 そう言いながら指を折ってティトは村人を数え始めた。

 ティトの家で五人、メイの家で四人、先生のとこで六人――と、全部で十一世帯、四十八人しかいない。


「確かに、村の中で賄えてはいるんだけど、村は大きくならないし、人がいなくなっていつか村はなくなっちまう」


 村自体は立地条件が良い。温暖な地域のため年間の日照時間が長く、雨も適度に降るため作物もよく育ち、牛や羊、ヤギの放牧地だって広々としている。乱獲していないので狩猟だってできる。何より温暖な気候のせいか、温厚で人好きな性質の村人たちは、入植者や移民を快く迎えられる度量がある。

 だがトキぞうは知らないのだが、昔のある事件を切っ掛けに半数以上が村を出ていき、それから人が入ってくることはなく、むしろ人が避けて通る村になってしまった。

 このままではティトの言うとおり、遠くない将来に村は絶えてしまうだろう。


「た、たいへん……村が、なくなる……お店、なくなる」


 ティトは、匙を落としてカタカタと震えるトキぞうを更に脅かすように声を潜めて続けた。


「市の話は知ってるか?」


 トキぞうはドキドキしながら匙を拾って、首を傾げてから頷いた。

 行ったことはないが、月の終わりに三日、大きな街で開かれる市場――大きなお店、とトキぞうは理解していた。


「ウチの村も許可証はあるって知ってたか?」


「キョカショ?」


「うん。市に参加する村も、開く街も王様の許可証ってのがいるんだ」


 ティトの言葉にトキぞうは、匙を持った手を振り上げた。


「お客さんたくさん! 人いっぱい」


 そこに参加すればお客さんがたくさん来て村の宣伝にもなる。村の良さが分かれば、人が増える。ついでにトキぞうのお店も繁盛するに決まっている。


「市に行こう! ティト、メイも行く!」


 興奮して椅子から飛び降りたトキぞうは、ティトの服を引っ張り叫んでいる。


「だから落ち着けって……まだ十日以上先なんだから。それに、ノス村っていうだけで品物は値切られちまうんだ」


 布や調理器具などの村で生産できない物は、街に市が立つ日に野菜やチーズやバター、獣の皮を売りその金で買ってくることで手に入れていた。

 だが、ノス村というだけで品物はさっぱり売れず、結果市場の半値で安く売りさばき買うときもふっかけられてしまう。

 国王から正式な許可証を得ているにも関わらずだ。

 そのため、村人たちはあまり市での商いは行わず、擦り切れた服を着て、年季の入った器具を使って生活している。


「な、な……」


 トキぞうがまたカタカタと震え始めた。だが、それは恐怖ではなく怒りのあまりにだ。

 怒りに震える彼は、再び椅子に乗り小さな手を握りしめてテーブルをドンと叩いた。

 トキぞうが怒るのを初めて見たティトは目を丸くして驚いた。


「ゆ、ゆるさない……そんな……ね、ね……」


 口に出すのも悍ましい悪魔の呪文が口から飛び出そうになり、トキぞうは両手で口を塞いだ。


 ――「値切る」


 それは彼にとって、神を冒涜する以上に許しがたい行為。神聖なる取引を穢す悪魔の所業。


「交渉、しないの」


 突然怒り出したトキぞうの逆鱗が何かを理解したティトは、我に帰って頷いた。


「あ、うん。品物よく見もしないで値切らせるんだよ。ノス村だからってだけで……」


 交渉は文字通り高尚な行為だ。

 相場をきちんと把握して、実際の品物を吟味して価値を見極め、それによって品物が高くなる可能性もある――もちろん安くなるかもしれない。

 だが、それを無視しての一方的な「値切り」。


「うちのバターもチーズもウマいのにさ、試食だけで品切れとかさ。メイのばあちゃんの傷薬だって、一級品なのに」


 ティトのバターは香り高く芳醇で、チーズはまろやかでとろろん。傷薬は普通は二つで銅貨一枚だが、メイのおばあちゃんのは少なくともその十倍は効果がある。

 それでも、良心的な値段――付加価値は付けずに市場で売られているのと同じか、やはり半額で売っている。


「ゆるさない」


 「ゆるせない」、ではなくて「ゆるさない」だ。

 手が痛くなるのも構わずにドンドン、とテーブルを叩くトキぞうを、ティトが慌てて止めた。


「市に行く!」


「落ち着け、トキぞう。おれだって考えなしにこの話しをしたんじゃないんだから。冷静にならないと大局を見失う……て、先生も言ってるだろ?」


 トキぞうはふぅふぅ、と息を整えて両手でコップをつかみ、ミルクを一気に飲み干す。そうすると落ち着いてきたのか椅子に座り直した。


「いいか?」


 ティトが白いヒゲを付けたトキぞうの口の周りを拭いてやりながら聞くと、こくんと頷いた。


「まず客として様子を見に行くんだ。敵を知らなければならないって、先生も言ってたろ?」


 買うだけ、というお客さんは市の三日だけは、許可証なく街に入ることができる。

 トキぞうはもちろん、ティトもここ五年は市に行っていないから、状況をきちんと把握しておきたいのだ。


 なぜ、ノス村が忌避されているか。それは過去の話であり、ほとんどが噂に尾ひれがついて大袈裟に広まっただけの話だ。ティトはそれを知っているし、いずれはトキぞうも知らなければならない。

 そして、若い彼らがその噂を凌ぐ村の良さを他の村、町に伝えなければ先はない。


 ――おれは、ゆくゆくはノス村で市を開きたい


 参加する許可証と、開催許可証では訳が違う。参加許可証はどこの集落でも発行されるが、開催地には様々条件が課せられる――人口、農作物の収穫量、コミュニティの資産など。

 真剣な瞳で語ったティトにトキぞうは感銘を受けて、協力することを約束した。

 

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