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ヴァイキング

作者: 柿緒

ヴァイキングに奪われるこどもの話なので、残酷だと感じる描写がある可能性があります。

 海に煙が上がっていた。

 煙は同時に狼煙(のろし)だった。

 波の向こうに目を凝らすと、どうやら“こちら”の船が燃えているようだった。

 「……だめか」と、周りで共に様子を眺めていた大人の一人がつぶやいた。そうか、だめなんだ、と素直に思った。

 じりじりと周りに人がいなくなっていくのが分かったけれど、燃えている船と、そこから青い空の中に長々と立ち上る灰色の煙に目を離せずに立ち尽くしていると、「こんなところで何をしているの、アリー」と怒ったような母の声がして、ぐいっと腕をつかまれて引きずられた。引きずられながらもう一度海を振り返ったら、煙の先に赤い竜の頭が見えた気がした。

 


 家の前に姉が青ざめた顔で立っていた。こちらの姿を見つけると小走りに駆け寄ってきて「どうしよう」と母に小さくつぶやいた。「まだ時間はあるから、あなたはアリーと一緒に村から離れなさい。私はここでスノッレを待つわ」「でも、お父さんの船は燃えたってみんなが・・・」「いいえ、ここに誰か残らなければ」話は終わりというようにそこで母は言葉をきり、家に入って、小さい袋を胸に抱えて戸口に戻り、それを姉に押し付けた。「時間がないわ。さあ、行きなさい」

 姉は青ざめた顔のまま、私の右手を握って家に背を向け、海と反対側に駆け出した。


 いったいどこに向かっているのだろうと思ったけれど、姉にぎゅっと手を引かれていたので不安は感じなかった。海から来た悪い人たちに追われているのは分かっていたけれど、どうして追われているのかは分からなかった。

 村の外に出て、道の端に家がなくなるところまで走ったとき、姉が急に立ち止まった。「おかあさん…」とつぶやいたのが聞こえた。そして、じっとこちらを見下ろして迷う様子を見せたあと、「アリーシャ、この袋を持って、一人で行きなさい。途中でわたしたちと同じように逃げている人か、ほかに誰か信じられそうな人を見つけたら、その人についていきなさい。」と言った。「お姉ちゃんはどうするの」と聞いたら、「お姉ちゃんはお母さんを連れてくるから。あとでちゃんとアリーシャに追いつくし、もしすぐに追いつけなくてもちゃんと探して見つけるから」と言った。一人になるのは嫌だと思ったけれど、行かないでと言えそうにはなかった。どう言葉にすれば行かないでほしいと姉に伝えられるのかが分からなかった。姉は一人で村に残った母の元に走っていってしまった。一人で道の真ん中に残されて、このまま先に進もうか迷い、迷った末に自分も姉の後を追った。


 ようやく村に近づいて息を切らせながら立ち止まったとき、あたりが暖炉に(まき)を入れたときのようなにおいでいっぱいになっていて、むせ返るようななにかひどく濃密な気配に満ちていることに気づいた。黒い煙が村のそこここから伸びていることには気づいていた。たくさんの家が燃えていることも分かっていた。けれど、自分の家はまだ燃えていないと思った。姉に追いつこうと必死に走り続けたせいで足の裏が痛かった。村の方向に歩いていくたびに火のにおいがひどくなってくる。ときどき村の方角から、今まで聞いたことのない甲高い動物のような声もした。村の入り口に立ったときには火のにおいどころか火そのものが村に無遠慮に居座っているのを感じていた。顔が熱気で苦しかった。不意に、奥の燃える家から変な丸い兜を被ったひげの男が何人も出てきて、無意識に男たちの視線を避けるように体が動いた。先頭の男の兜の下に火のような赤く獰猛な眼を見て、肌がピリピリと痺れて、彼らに見つかってはいけないと理解した。

 家に向かってまっすぐ村の道を通ることをやめ、燃えている家の影を見つからないように動いた。見慣れているはずの家々は、壁にも屋根にも赤く火が移り、おまけにどんよりと黒い煙がくっついているせいで、どこも初めて見るような新鮮な感覚がした。そして、見知らぬ場所に一人で放り出されたようにとても心細くて怖かった。唐突に獣のような叫び声がして、体がびくっと反応した。老人か若者か判別できない、とにかく男の声が長く断続的に響き渡り、また唐突に途絶えた。何が起こったのかわからないけれど、とても不吉なことが起こったのだと思った。そして、いま自分がまさにその災禍の真っ只中にいる認識が、霧を払うかのように明確に頭の中に現われた。そして、わたしはそこから一歩も動けなくなった。

 

 恐怖が胸の内にどんどん溜まっていって、わたしはその場にうずくまって目を閉じ、ぎゅっと両手で耳をふさいでいた。黒い煙のにおいが鼻に入ってくるので、口で呼吸をしてなるべく息を吸わないようにした。

 どんっと額に衝撃を受けて、しりもちをついた。反射的に耳から手を離してしまい、両手に地面を感じる。反射的に目を開けてしまう。目の前に黒い影が立っていた。

 「おい、立て」

と影が威圧する。影は丸い兜の男だった。赤く見えた眼は激しく血走っているために赤く見えたのだとわかった。

 「早く立たないとコロスぞ」

と黒く汚れた刃の剣を鼻先に突き出された。恐怖に突き動かされて必死に立とうとするけれど、両足に力が入らないので立てなかった。そのくせ、男の兜の下の血走った眼から目を逸らせなかった。

 男が舌打ちをして、黙って黒い剣を振りかざした。あ、殺される、と思った。男の血走った眼からいよいよ目を逸らすことができなくなっていた。高く振り上げられた剣が目の端に入ってふるっと震えたと思ったが、しかし、剣はわたしに振り下ろされないで、だらりと意思を失ったように男の横に下ろされた。 男の顔にはいつのまにか怯えが現われていた。眼はわたしを見ないでわたしのうしろのなにかを見ているようだった。黙って男がわたしの腕を取って立たせる。で、背中を押して前に進めと暗黙に伝える。燃えている建物の間を押された勢いで歩いていくと、何人かの見知った村人が丸兜でひげの男たちに囲まれていてわたしもこの輪の中に入るのだと知った。


(以下、メモ)その後、家の中で自死を選んだ母を見つけ、押し入った海賊によって家に火をつけられ、姉は殺されて、自分は捕らえられた。売られた家で家畜のように使われていた日々のある朝、奪われた日の血に塗れたこどもの自分を夢にみて目を覚ました。わらに横たわる細いけれど成熟した体を見下ろして、もう自分は子供ではないと解った。

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