二日目 鎌倉散策日和
「おはよう」
朝、少女の声がして起きた。
今度はちゃんと部屋のドアの外からだ。
昨日老人ホームから家に帰る途中、少女は言った。
「私もあなたの家に泊まるわ」
「なんで!?」
電車の中で、驚いて声を出した俺に乗客の皆さんの視線が集まる。
元々、少女の外見が注目されていただけに、集まった視線に不信感が混ざっているような気がした。
「おじゃまします」
少女は俺の家に入ると、台所に立っていた母親にそう言った。
母親は「えっと、どなた?」と慌てている。
「今日、ユウさんの家に泊めてもらうことになっていたマリーアントワネットです」
「はあ」
「マリーって呼んでください」
もちろん俺は質問攻めにされた。
俺はバイト先の先輩の親戚で、茅ヶ崎を案内することになった、と話を作った。
「おはよう」
掃除機の音で起こされないなんて、何時以来だろう。
俺は半分寝たまま着替え、リビングに降りた。
びっくりしたのは俺の朝食の準備がしてあったことだ。
さすがにお客様がいる前で、母親も俺に気を遣ったらしい。
少女は今日も牛乳を飲んでいる。
「マリーちゃんと今日は鎌倉でも行ってきたら?」
と俺にホットコーヒーを出しながら、母親が言う。
「どうするかなー」
俺は考えた。
俺は天国に行くために「良い事」をしなければいけない。
鎌倉で海岸清掃でもしてくるか。
季節は秋。少し肌寒いかもしれないが、ここのところ寒い日と温かい日が混ざっている。
俺は窓の外を見た。
「今日は天気もいいし、暖かいって」
母親が言う。
「そうだなー」
「私、鎌倉行ってみたいです」
少女が言う。
「オカアサンも一緒に行きましょうよ」
なんでこうなったのか。
俺は母親と少女と三人で鎌倉に来ていた。
もはやただの観光になっている。
これでは「良い事」が出来ないではないか。
昨日もチラッと思ったが、死神は俺が天国に行くのをジャマしようとしてはいないか?
俺の母親と手をつないで歩く少女を見る。
彼女は今日は妹のお古のワンピースを着ている。
昨日お風呂に入る前に無理やりドレスを脱がされたのだ。
「こんなにしっかり締めたドレス着て眠れるわけないでしょう?」
母親が呆れるように言っていた。
妹が少女を着せ替え人形のように、色んな服を着せていた。
「マリーちゃん、紫芋アイス食べよっか」
「マリーちゃん、焼きたてのおせんべいだって」
「マリーちゃん、これ似合いそうね」
母親は少女にべったりだ。
はあ。俺は密かにタメ息をついた。
「アンタ、ボランティアしてるんだって?」
お昼に入った豆腐屋で豆腐ご膳を食べている時、母親が言った。
「最近、起きて、食べて、寝て、しかしてなかったでしょ。
お母さん、心配だったのよ」
「バイトもしてたよ」
「大学いけなかったから落ち込むのはしょうがないけど、そろそろちゃんとするべきだと思ってたの」
俺は何か怒りがこみ上げてきた。
勝手に人を落ち込んでいると決め付けないでほしい。
実際、凹んでいたけど。お前に言われる筋合いない。
「でも、ボランティアしてるんだって聞いたとき、もう大丈夫ねって思ったの。
前を向いてくれたんだなって」
なんだか腑に落ちなかった。
ボランティアは俺が天国に行くため、仕方なくしたことだ。
それをこんなふうに捉えるなんて。
「オカアサン、誰に聞いたんですか?」
少女が豆腐をスプーンで掬いつつ言った。
「昨日電話があったの。老人ホームからまた来てくださいねって」
午後は鶴岡八幡宮や、大仏を観てまわった。
由緒あるお寺や神社を観て行くうちに俺は思った。
俺は逃げていたのだろうか。
大学に行けなかった事実から。
俺の人生から。
その日の夜。帰りの遅い父親と妹を待たず、三人で夕飯を食べた。
少女が風呂に入っている途中、妹が帰って来た。
妹は中学三年生。今年受験だ。
公立の頭の良い高校を目指しているため、遅くまで塾に行っている。
「マリーちゃんは?」
「風呂」
妹は少女のことが気に入ったらしい。
「マリーちゃんってかわいいよね。
ヨーロッパって感じ」
「私はロシアとかそっちの方だと思ったけど」
台所で母親が言う。
妹が帰って来たから妹の夕飯を温めているのだ。
「さあ、どうだろう?」
俺は曖昧に頷いた。
確かにロシア人っぽいような気がするけど、少女に聞かないと分からない。
「バイト先の先輩の親戚なんでしょ」
妹が俺に聞く。
「杉山っていうハーフの親戚」
俺は用意しといた言葉を言う。
俺の元バイト先(ビルの清掃員)の先輩にハーフの先輩がいるのは本当だ。
ただし杉山はインドネシア人とのハーフだけど。
「じゃあ、杉山さんに聞いといて」
「了解」
「えー、夕飯焼きそば? 手抜きじゃん!!」
その夜、遅くに帰って来た父は妹と同じ事を言ったらしい。
その声を聞いたのは誰もいなかったが。(全員寝てた)




