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HERO?  作者: シンドゥー


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第一話

歓声というものは、斯くも暴力的なものだったか。


耳の奥に押し込まれような喝采、戦地とは違いここには喜びで溢れているはずなのにどうも俺を不快にさせる。家族や恋人、会いたくたまらない人達にもうまもなく会えるというのにな。


視線を横に移してみる。沿道に溢れた人々が手を振っている。旗が揺れている。誰かが花を投げた。赤い花弁が宙を舞って、俺の肩に触れた——はずだった。




 感触がない。




いや、正確には違う。触れているとわかる。花弁が肩に落ちた事実は、神経が拾っている。だがそれは情報として処理されるだけで、俺の中に何かを生み出さなかった。暖かいとか、柔らかいとか、そういう言葉に変換される前に、信号はどこかへ消えてしまう。


 


あの日から、ずっとそうだ。


 


体は俺のものではなくなった。いや、俺のものではなくなった、というよりも——俺が体の外側に追いやられた、という方が正しいかもしれない。歩くためには、足を動かすことを考えなければならない。右足を上げる。左足を前に出す。重心を移す。常人が無意識にやってのけることを、俺は一つずつ言語化しながら実行している。機械に命令を下す操縦士のように、自分の肉体に指示を出し続けている。それなのに手に宿る逆手剣とハンドガンの感覚は今だに消えない。




英雄達の凱旋とは、こういうものだったのか。




 兵士が整列して俺の横を歩いている。勲章が胸で光っている。式典用に磨き上げられた軍靴が、石畳を叩くたびに乾いた音を立てた。俺はその音を数えていた。考えることがなくなると、脳が勝手に何かを数え始める。これも、あの日以来の癖だった。




右。左。右。左。


 三百と……いや、もういい。




 群衆の中に、知った顔が見えた気がした。瞬間、心臓が跳ねた——これだけは、まだ動く。体の感触を失っても、この臓器だけは言うことを聞いてくれない。


 


だが次の瞬間には、その顔が別人だったとわかった。


 知っているはずの顔が、もうどこにもない。当たり前だ。あいつらは全員、あの丘に置いてきたのたがら。




何百と歩いたかわからなくなったが壇上に着いた。


壇上には国のお偉いさん達が拍手で迎えてくれた。俺はそこで戦争での偉業を煌々と讃えられ最後には国民栄誉賞を貰った。


ここにいる者は皆笑顔だった。 


嬉しそうに、そうとても嬉しそうにしている。


人殺しも時と場合によってはしても良いものなのか。


人の善悪なんて大した事ないな。


考えれば考えるだけろくな事が思いつかない。




もう何も考えてはダメだ…





気がついたら式典は終わっていた。


目の前の人混みをかき分けて走ってくる姿が見えた。


神海珊瑚しんかい さんごだ。


俺は咄嗟に右足を一歩前に出した。意識的に。左足も出した。意識的に。彼女に向かって歩き出した——それだけのことが、俺には精一杯の返答だった。




「楼——っ」


 声が震えていた。名前を呼ばれた瞬間、俺の胸の中で何かが軋んだ。錆びたドアが開くような、くぐもった痛みだった。嬉しいという感情は確かにある。三年ぶりに聞くこの声が、こんなにも俺の名前を呼ぶことが——嬉しい。それは本当だ。嘘じゃない。


 珊瑚は俺に飛びついてきた。


細い腕が背中に回され頭が胸に押しつけられ体温が伝わってくる。


体温が伝わってきた……いや、伝わってきた、というより、伝わってきているとわかった。神経が「温かい」という情報を拾っているのに、それが感情に届くまでの回路が、どこかで途切れている。抱きしめられているのに、抱きしめられている実感が薄い。水の中にいるような、一枚膜を隔てたような——


 俺は腕を持ち上げた。意識的に。彼女の背中に回した。意識的に。




「…ただいま」




俺の口から出たのはそれだけだった。この一言を言うためにどれほど苦労してきたのか振り返れば、振り返るほど積もる思いが溢れてきた。




「おかえり」と珊瑚は言った。


泣いていた。





「おかえり、楼。待ってた。ずっと、ずっと待ってた」




言葉にならないほど声は滲んでいた。


珊瑚の声が俺の頭の中で何度も反復する。その声が彼女を抱きしめる力を強くしていく。


この温もりずっと感じていたい。


もうこのまま全てを忘れて幸せになりたい。


そうだどこか田舎に家を建ててそこで隠居しよう。


珊瑚といればどこに行っても楽しいさ。




珊瑚、3年間も俺を信じて待っててくれてありがとう。


待っててくれる人かーー




待っていてくれた人間がいる。この手で殺した人間にも、待っていた誰かがいたはずだ。


 妻かもしれない。母かもしれない。恋人かもしれない。


 俺が引き金を引くたびに、どこかで誰かが「待っていた」という言葉を飲み込んだ。永遠に言えなくなった。


 珊瑚が顔を上げた。涙で濡れた瞳が、俺を真っ直ぐに見ていた。




「すごかったよ、楼。テレビで見てた。ニュースで何度も流れて……みんなが楼のことを話してた。英雄だって。国を救ったって」




英雄。


その言葉が耳の中で反響した。


英雄。英雄。英雄。英雄。英雄。英雄。英雄。




テレビの向こうで称賛されるたびに、俺は何かが正しく機能していないことを感じた。称えられて、嬉しいと思う自分がいた。それは事実だ。人に認められることへの、動物的な喜びのようなもの。だが次の瞬間には必ず、その喜びを感じた自分への嫌悪が来た。人を殺して、称えられて、喜んでいる。何がおかしいのか、全部わかった上で、それでも喜んでいる。俺は誰かの大切な人を殺しておいてヒーローヅラをする。


 その歪んだ循環を、誰も知らない。




「……そっか」




「ねえ楼、何か言いたいことない? 三年ぶりだよ? もっとこう……」




珊瑚は少し笑った。泣き笑いの顔だった。俺はその顔を見て、胸が痛くなった——これも、まだ動く。




「言いたいことは、ある」




「うん」




「でも今は……うまく言葉にならない。ごめん」


 


珊瑚はしばらく俺を見ていた。それから、また胸に顔を埋めた。




「いいよ。ゆっくりでいい」




 ゆっくりでいい、か。


 俺は空を見上げた。快晴だった。雲一つない青が、どこまでも続いていた。





あの日の記憶は今も欠けることなく明瞭に覚えている。俺が戦場で最初に覚えているのは空の色だ。泥の匂いでも、硝煙でも、悲鳴でもなく——青。抜けるような、残酷なほど清楚で綺麗な青。




俺はもともとただの一般人だった。特別な才能があったわけじゃない。徴兵されて、訓練を受けて、銃の持ち方を教わって、前線に送られた。それだけだ。大学の途中で召集令状が来て、珊瑚に「行ってくる」と言って、それで終わりだった




訓練をしていく中で4人の仲間ができた。




それぞれ全然違う人間だったが、不思議と馬が合った。一人はアニメオタクで、訓練の合間に熱心にスマホで動画を見ていた。「今これが面白いんだよ」と画面を見せてくるのが口癖で、俺は内容よりもそいつの楽しそうな顔を見ていた気がする。


一人は故郷に待っている人がいると言っていた。夜になると決まってその話をした。何度同じ話を聞いただろう。それでも俺は毎回聞いた。嫌いじゃなかった。一人は普段は無口なのに、妙なところで笑いのツボが浅くて、誰も笑っていない場面で一人だけ吹き出すような奴だった。最後の一人は面倒見がよく、新入りだった俺に銃の手入れを最初に教えてくれた。




みんな俺のとっての心の支えだった。いつ死ぬのか分からない。そんな環境の中で正気でいられたのは間違いなくみんながいてくれたからだった。




俺と戦友達は生きていた。あの丘での戦闘が始まるまでは。




戦闘の記憶は今も断片的にしか繋がらない。銃声。爆発。誰かの声。泥の冷たさ。それらが順番もなく頭の中に散らばっていて、整理しようとすると余計に崩れる。だから俺は思い出すことをやめた。やめようとした。


 気づいた時には、一人だった。


 四人が——いなかった。


 俺は立っていた。なぜ立っていられたのか、今でもわからない。体中が震えていたはずなのに、足だけは地面を踏んでいた。空を見上げた。青かった。あの朝と同じ、残酷なほど青かった。


 その時だった。


 何かが変わった。劇的な感覚ではなかった。むしろ静かだった。体の中を流れていた何かが、音もなく組み替えられたような——神経の一本一本が別の精度を持ち始めた。風の向き。空気の微細な揺れ。遠くで草が動く気配。それらが言葉になる前に体へ届いた。研ぎ澄まされたというより、余計なものが全部削ぎ落とされた、という感覚に近かった。


 俺はその時、ほとんど何も考えていなかった。


 ただ一つだけ思ったことがある。


 ——終わらせる。


 あいつらが守りたかったものを守るために、この戦争を終わらせる。それだけが俺を動かした。それだけが、俺の足を前に向けた。


 それから先のことは、ここには書かない。書けない。


 ただ、戦争は終わった。そして俺は——英雄になった。





珊瑚の体温が、薄い膜の向こうにある。


 俺は彼女を抱きしめながら、自分の腕に力を入れていた。意識的に。こうしていれば、抱きしめているように見える。そしてそれは事実でもある。俺は珊瑚を抱きしめている。この感触が薄いのは、体の問題であって、気持ちの問題じゃない。


 ……そう、言い聞かせている。


 彼女はこの腕が何をしてきたか、知らない。知っているのは、戦争があって、俺が戦って、帰ってきたということだけだ。その間に俺が何人を殺したか、一人殺すたびに何を感じたか、最後の方には何も感じなくなっていたことを——彼女は知らない。


 知らないから言える。


 知らないから、英雄と笑って言える。


 俺はその笑顔が好きだ。好きだからこそ、汚したくない。だがこの手は既に汚れている。この体は既に汚れている。




「楼?」


 


珊瑚が顔を上げた。




「泣いてる?」




 俺は瞬きをした。頬が濡れていた。


 泣いていることすら、わからなかった。




「……そうみたいだな」




「楼……」




「大丈夫だよ」




 大丈夫、という言葉が口から出るたびに薄くなっていく気がした。使い続けるうちに磨耗して、意味を失っていく。それでも俺はその言葉しか持っていなかった。


 空はまだ青かった。


 俺はこれからどうやって生きていけばいいのか——答えを持たないまま、珊瑚の温もりをどこか遠くに感じながら、ただ立っていた。





これを書いているのは、凱旋から三日後の夜だ。


 珊瑚は今日も家に来てくれた。飯を作って、笑って、帰っていった。俺はその間ずっと、大丈夫だと言い続けた。


 最初は日記なんて書くつもりはなかった。ただ、誰にも言えないことが溜まっていくから、どこかに吐き出したかった——


 


これからもこうして日記をつけようと思う。俺にとって英雄とは何か答えが出さないといけないから。


俺が珊瑚の隣にいていいのか、幸せになっていいのか、心の底から笑っていいのか。それを知ることができるその日まで。



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