表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/60

【reverse 19 湯と、旅の終わりの話】

 下風呂温泉。


 まるほん旅館。


 チェックインを済ませた四人が、ロビーに集まった。


 旅館の猫が、暖かい場所を探してロビーをうろついていた。


 リリーが膝の上に乗せた。


 花が横から撫でた。


 猫が、目を細めた。



「お二人が宿泊なんて珍しいですね」



 リリーが言った。


 本田が答えた。



「花さんはまだ原付を始めたばかりですからね。テントとか持ってないんですよ」



「あぁ、なるほどね! こちとらYouTuberなんで老舗旅館に泊まるのも動画的にはアリなんで嬉しいですけどね! でも、久しぶりに焚き火トークもしたかったなぁ〜」



「秋田県に行く時にすればいいじゃないですか」



「そだね」



 花が、二人の会話を聞いていた。


 焚き火トーク、という言葉が、引っかかった。



「リリーさんの動画の中には焚き火トークは映ってなかったですよね? そんなに良いんですか?」



「さすがに焚き火トーク中はカメラは回せないなぁ〜。本音で語り合ってるからね〜。だからこそ焚き火トークって面白いよ〜。アプリさんも焚き火トークでは冗談言ったりするんだよ」



「えっ、アプリさんが?」



 リリーが、アプリを見た。


 背筋を伸ばした。


 一オクターブ低い声を作って言った。



「『だが、断る』」



 アプリが、リリーを見た。



「それはギャグじゃない。本気の拒否だ」



 花が吹き出した。


 本田も笑った。


 リリーが、アプリに向かって「ほらほらー!」と言いながら笑っている。


 アプリだけが、真顔だった。


 その真顔が、また可笑しかった。


 ロビーが笑い声で満ちた。


 猫が、リリーの膝から降りた。



「さあ、花ちゃん! せっかく温泉旅館なんだし、温泉行こ!」



 リリーが花の腕を引いた。


 花が笑いながら立ち上がった。


 二人が廊下の奥へ消えていった。



 本田とアプリが、ロビーに残った。


 テーブルの上に地図を広げた。


 秋田県までのルートを確認した。



   *



 女湯。



 まるほん旅館の湯船は、独特の色をしていた。


 茶褐色の湯が、湯船を満たしている。


 鉄分が多い温泉だ。


 匂いがある。


 でも、体に染み込んでいくような温かさだ。



 リリーと花が、湯船に並んで浸かった。



「私までおばあちゃんの家に厄介になっても本当に良いの?」



「はい! もちろんです。本田くんなんてもう自分の家のように暮らしてますよ!」



「そうなんだ。今から楽しみ」



 花が、湯船の縁に肘をついた。



「秋田県までは一日あれば着きますよね?」



「うん、着くとは思うけど、あの二人のことだから、いつ着くのかはわからないわ」



「良いなぁ……。私もそんな気まぐれな旅をしてみたいなぁ」



「花ちゃんも来れば良いのに!」



「秋田県まで!? 無理ですよ〜。テントとか持ってないし」



「私のテントなんてドン・キホーテで買ったやつだよ?」



「でも、キャンプなんてしたことないですし……」



「そだね。ゆっくりと出来ることを増やしていけばいいよね! 動画で見たでしょ? 私なんてまだ押しがけも出来ないんだしさ!」



「あの動画見ましたよ! 紋別ってところのキャンプ場で、リリーさん泣いてましたもんね」



「そうそう! あの時にアプリさんが助けてくれなかったら、と思うと今でも怖くなるよ」



「私もあんなところでモトラのバッテリーが上がったら、絶対に泣いちゃいます」



 リリーが、背筋を伸ばした。


 一オクターブ低い声を作った。



「『キックがあるだろ』」



 花が爆笑した。


 リリーも笑った。


 二人の笑い声が、湯気の中に広がった。



 しばらく笑ってから、花が湯船を見つめた。


 茶褐色の湯が、静かに揺れている。



「秋田県に行く三人のこと、少し羨ましいです」



「花ちゃんも来たら良いじゃない、本当に」



「まだ早いですよ……。でも」



 花が、少し間を置いた。



「でも、いつか追いかけます。絶対に」



 リリーが花を見た。


 それから、にこっとした。



「その時は一緒に走ろうね」



 二人は、また湯船に浸かった。


 下風呂温泉の湯が、今日一日走ってきた体に染み込んでいった。



   *



 翌朝。


 四人が旅館を出た。



 今日のスタイルが決まった。


 アプリとリリーが先行する。


 本田とアプリのペース差は大きい。


 それよりさらに遅いモトラが加わった今、全員が同じ速度で走るのは無理だ。


 プレスカブとモトラが後を追う。


 道の駅で合流する。



「行くか」



 アプリが言った。


 RS50とボルティが走り出した。


 すぐに見えなくなった。



 本田と花が、顔を見合わせた。



「置いてかれましたね」



「慣れましたよ」



 本田が笑った。


 花も笑った。


 二台が、ゆっくり走り出した。



   *



 はまなすラインを南下した。


 陸奥湾が、右手に広がっている。


 花のモトラが、本田のプレスカブの横を走っている。


 二台のエンジン音が混ざって、国道に響いている。



 道の駅よこはまで、先行二人が待っていた。


 リリーが「遅い!」と言った。


 アプリが何も言わなかった。



「青森なのに横浜?」



 リリーが道の駅の看板を見て首をかしげた。



「函館の近くにも福島があるだろ」



「あ、そっか」



 リリーが納得した顔をした。


 花が「私も最初にナビで見た時に二度見しました」と言った。


 四人で、少し笑った。



 また走り出した。


 野辺地を抜けて、浅虫温泉へ向かった。



   *



 道の駅浅虫温泉ゆ〜さ浅虫。


 五階に、展望浴場がある。


 はだか湯という名前だ。


 三百六十円。



 女性陣は昨夜入ったので今日はパス、と言った。


 本田とアプリが五階へ上がった。



 湯船に浸かった。


 窓の外に、陸奥湾が広がっていた。


 湾の真ん中に、小さな島が見えている。


 湯の島だ。


 夕暮れが近い空が、湾の水面に映っている。



「道の駅に温泉って、理想郷ですよね」



 本田が言った。


 アプリが湯に浸かったまま、窓の外を見た。



「まだ少ないが、日本各地で百件を超える道の駅に温泉や足湯が併設されてるぞ」



「まさかアプリさんって、全ての道の駅を網羅してるんですか?」



「それはしない。そっち方面はキャンピングカー勢がよくやってるぞ」



「キャンピングカーですか! 一回くらいはキャンピングカーで日本一周とかしてみたいですね」



 アプリが、少し間を置いた。


 それから言った。



「この旅が終わったら、二人でレンタカーで良ければやってみるか?」



 本田が、アプリを見た。



「えっ」



「意外とやってみると、原付に乗れないことでイライラするぞ」



「イライラ?」



「本田はまだ自動車も普通二輪も運転したことないからな。実感は湧いてこないと思うが、自動車も普通二輪も、車の流れに沿って走ることになる。わかりやすく言うと、常に目の前には誰かの車が走ってる。目の前に誰もいない世界ってのは、原付だけだ」



「あ、そうか! 確かにバスやタクシーに乗ってると、常に誰かの後ろを走ってますね!」



「キャンピングカーなんて遅い車で走ると尚更だ。テントを張らなくていいし天候にも左右されないのは確かに便利だ。ただ、それだけだ。暇すぎてやることが無いから道の駅でスタンプラリーをする」



「めちゃくちゃわかります! 原付旅って、暇な瞬間なんてないですもんね。ってことはキャンピングカー旅って、実はストレスが溜まりそうですね」



「まあ、使い方だな」



「なるほど」



 しばらく、二人とも黙った。


 陸奥湾が、窓いっぱいに広がっている。


 夕暮れの光が、水面を染めていく。


 湯の島が、シルエットになっていく。



 本田は、アプリが言ったことをゆっくりと考えた。


 この旅が終わったら、一緒にレンタカーで走ってみるか。


 そう言ったのだ。


 アプリが。


 旅が終わった後も、一緒に走ろうと言ったのだ。



(いつの間に、こんな仲になったんだろう)



 本田は湯の島を見ながら思った。


 鹿児島でプレスカブを買った日、アプリのことを怖い人だと思っていた。


 前夜祭で初めて話した時、何を考えているのかわからない人だと思っていた。


 でも今は、隣で黙って温泉に浸かっている。


 同じ景色を、同じ窓から見ている。



「アプリさん」



「なんだ」



「レンタカーの話、本気ですか?」



「本気じゃなければ言わない」



「じゃあ、やります」



「そうしろ」



 それだけだった。


 短い。


 でも、それで全部だった。



 二人は、また黙って湯に浸かった。


 陸奥湾の夕暮れが、どんどん深くなっていった。



   *



 道の駅で女性陣と合流した。


 リリーがGoProで動画を撮っていた。


 花が、陸奥湾を見ていた。



「綺麗ですね」



「そうですね」



 本田が隣に立った。


 二台が、駐車場に並んでいる。


 プレスカブとモトラ。


 全然違うバイクだ。


 でも、どちらも原付だ。



 四台が並んで、また走り出した。


 青森市街地を抜けた。


 県道に入った。


 横内に向かった。



   *



 夕暮れの中、菊の家の前に着いた。


 四台のエンジン音が、静かな住宅街に響いた。



 玄関の灯りがついた。


 障子が開いた。


 菊が出てきた。



 エプロン姿だ。


 手が、小麦粉で白くなっている。


 夕飯の支度の途中だったらしい。


 でも、笑顔で出てきた。



 四台のバイクと、四人の顔を見た。


 この前まで二人だったのに、今日は四人いる。


 菊は一瞬だけ目を丸くした。


 それから、また笑った。


 さっきより、もっと笑った。



「んだんだ、賑やがで良いなぁ。みんなして、ゆっくりしてげ〜」



 本田には三割しか聞き取れなかった。


 でも、意味はわかった。


 全部、わかった。



 リリーが「はじめまして!」と元気よく言った。


 花が「おばあちゃん、一人増えました!」と言った。


 菊が二人を見て、また笑った。


 今日一番の笑顔だった。



 四人が、菊の家の中に入っていった。


 四台のバイクが、庭に並んだ。


 RS50。


 プレスカブ。


 モトラ。


 ボルティ。


 四台が、夕暮れの庭に静かに停まっていた。



 菊が、障子の隙間からその四台を見た。


 しばらく見ていた。


 それから、台所に戻った。


 今夜は、いつもより多く作らなくてはならない。


 菊の足取りが、少しだけ軽かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ