【reverse 18 大間で全員集合】
脇野沢港に着いた。
フェリーのスロープから、三台が出た。
下北半島だ。
初めて踏む土だ。
アプリが言った。
「ここからも花が先頭で行けるか?」
「下北半島に来たのは初めてですけど、頑張ります!」
花がモトラのスマホホルダーをセットした。
カーナビを入れた。
大間港、と打ち込んだ。
七十四キロ。
原付で二時間半。
花は深呼吸した。
それから走り出した。
後ろを振り返らなかった。
*
花視点。
国道338号線に入った。
海峡ラインと呼ばれる道だ。
序盤は山岳道路だ。
深い緑の中を、道が切り込んでいる。
走りながら、花は考えていた。
アプリは、いつも先頭を自分に任せる。
蟹田から来た道も、そうだった。
今日の脇野沢からも、そうだった。
最初は怖かった。
でも、先頭を走ることで見えてくるものがある。
後ろを走っていると、前の人が判断してくれる。
でも、先頭は自分で全部判断する。
どこで曲がるか。
どこで止まるか。
どこを見るか。
全部、自分だ。
(これって、自由になるための練習なんだ)
花は思った。
アプリは厳しいことを言っているようで、ちゃんと自由のあげ方を知っている。
先頭を走ることが、自由そのものだから。
後ろから見守りながら、転んでも拾いに来てくれる位置にいながら、花に先頭を走らせている。
モトラのキャブレターのことを思い出した。
あの日、アプリはすぐに駆けつけてきてくれた。
でも、アプリ自身は直さなかった。
本田に、全部任せた。
本田がキャブレターを磨いて、組んで、キックを踏んだ。
アプリは横で指示を出しながら、手は出さなかった。
今の自分と、同じだ。
アプリは先頭を花に任せる。
本田にはキャブレターを任せた。
任されることで、自分でやるしかなくなる。
自分でやるから、できるようになる。
できるようになるから、自由になれる。
(こんな人と、本田くんはレースをして、ずっと一緒に旅してるんだ)
バックミラーを見た。
アプリのRS50と、本田のプレスカブが並んで走っている。
二台が、花の後ろをついてきている。
本田は自分より一学年下だ。
十八歳だ。
でも、花には本田が年下だとは思えない。
本田が大人っぽく見えるのは、アプリと旅をしてきたからだ。
あれだけの距離を、あれだけの経験を、あの短い時間に積んできた。
本田が大人なのは、当たり前だ。
でも、花は少し違うことを考えていた。
本田はキャノンボールに救われたと言っていた。
でも、本当にそうだろうか。
一億人いる日本人の中で、キャノンボールランに申し込んだのは二十八人だ。
たったの二十八人だ。
開催を知ったとして、申し込む人がどれだけいるか。
知っていても、申し込まない人の方が圧倒的に多い。
でも、本田は申し込んだ。
仕事を辞めて、アパートを借りて、面接を受けた。
次の日に。
見た翌日に、動いた。
その時点で、本田には翼があったんだ。
自由の翼は、最初から本田の中にあった。
キャノンボールが翼をくれたんじゃなくて、翼があったから本田はキャノンボランに飛び込んだ。
ただ、本田はそれに気づいていなかった。
引きこもっていた頃の本田は、自分の中に翼があることを知らなかった。
(私は?)
花は走りながら、考えた。
自分の中に、翼はあるか。
本田から話を聞いた日に、仕事を辞めた。
次の日に、辞めた。
本田と同じだ。
聞いた翌日に、動いた。
だから、花にも翼はあるんだ。
ただ、気づくのが少し遅かっただけだ。
半年間、怒鳴られながら、縮みながら、それでも毎日店に行っていたあの日々は、翼に気づけなかった半年間だったんだ。
道が、突然開けた。
木々が途切れて、視界が広がった。
目の前に、青い海が現れた。
津軽海峡だ。
水平線が、遠い。
空と海の境目が、どこまでも続いている。
花は、思わずアクセルを緩めた。
ゆっくり走りながら、その景色を眺めた。
同じ青森に、こんな景色があったのか。
市内にいたら、一生見なかった景色かもしれない。
バックミラーを、もう一度見た。
アプリと本田が、後ろを走っている。
二人が、自分を追いかけてきている。
その景色が、なんとなく可笑しくて、嬉しくて、花はヘルメットの中で笑った。
ありがとう、と声に出した。
誰にも聞こえない声で、言った。
*
仏ヶ浦の展望台から見えた白い奇岩が、まるで別の星の景色のようだった。
佐井村を過ぎると、津軽海峡の対岸に山並みが見えてきた。
北海道だ。
函館のある方角だ。
数日前まで自分はこんなに北海道まで近づいた事は無かった。
もはや完全に肉眼で函館の街が見えている。
走り続けた。
七十四キロが、あっという間だった。
夢中で走っていると、距離も時間も感覚が変わる。
これが、原付の面白さなんだ。
と、花は思った。
大間の街が見えてきた。
大きなマグロのモニュメントが、前方に見える。
あれが目印だ。
花がモトラを止めた。
ヘルメットを脱いだ。
振り返った。
アプリが止まった。
RS50から降りた。
「着きました〜! 凄くいい景色でしたね! 同じ青森とは思えませんでしたよ!」
アプリが、花を見た。
一言だけ言った。
「よくやった」
花の胸に、その言葉が落ちた。
たった5文字だ。
でも、たった5文字で十分だった。
花は誠心誠意、頭を下げた。
「ありがとうございます」
その瞬間だった。
「あーー!! アプリさんが浮気してるーー!!」
大声が、大間の港に響いた。
シルバーのボルティが、アプリと花の間に割り込んできた。
急ブレーキで止まった。
ボルティから女性が降りた。
アプリの腕に、縋りついた。
「港ごとにマドンナを作ってるんですか!!」
花が、困惑した顔で固まった。
アプリが、無言でその女性の腕を引き剥がした。
「リリーさん、今フェリーで着いたんですか?」
リリーが本田に振り返った。
満面の笑みだ。
「十三時三十分着でしたよ〜! タイミングバッチリでしょ! アプリさんの浮気現場も抑えられたし!」
「浮気じゃない」
「顔が赤くなってるじゃないですか〜!」
「なってない」
本田が、花に向き直った。
「こちらがLINEでお知らせした花さんです」
花が、リリーに向かって丁寧に頭を下げた。
「初めまして。私、YouTuberに会うの初めてです! 本田くんから聞いて動画も見ました。チャンネル登録もちゃんとしました!」
「ありがとう! なんて可愛い子!!」
リリーが、花を抱きしめた。
花が、少し目を丸くした。
でも、悪い顔ではなかった。
「ところで花ちゃんのバイク、ゴツゴツしてて美少女が乗るとギャップが凄いよね?」
「えっ、そうですか? 私、このモトラは凄く気に入ってるんですけど……。リリーさんのkawasaki、オシャレでセンス良いですよね」
リリーが、ドヤ顔になった。
胸を張った。
「そだね! やっぱりバイク乗りはkawasakiじゃないとね! 漢の中の漢って感じするよね。センス良いバイクに乗ってると、フェリーの中でも色んなライダーから注目されてたもん!」
花がキラキラした目でリリーを見た。
「リリーさんって、本当にバイクのことよくわかってるんですね……!」
本田とアプリが、同時にマグロのモニュメントに目を向けた。
二人とも、遠い目をしていた。
マグロが、秋の空の下で佇んでいた。
何も言わなかった。
言えなかった。
*
魚喰いの大間んぞくに入った。
四人でテーブルについた。
「三色マグロ丼、四つで」
アプリが言った。
全員分、まとめて頼んだ。
リリーが「え、聞いてくれないんですか!」と言ったが、メニューを見て「三色マグロ丼でいいです」と言った。
花が「私もそれで」と言った。
来た。
丼の上に、大トロ、中トロ、赤身が並んでいる。
大間のマグロだ。
十月は旬のど真ん中だ。
本田が一口食べた。
(とろける)
脂が、口の中に広がる。
マグロの甘みと旨みが、混ざって、消えない。
大トロが特に凄い。
今まで食べてきたマグロは、全部練習だったんじゃないかと思えた。
「美味い……」
「美味いですね……」
本田と花が、ほぼ同時に言った。
リリーがGoProを取り出した。
「大間のマグロです!! 大トロが口の中で全部溶けちゃいますよ!! これは函館のマグロとも違う!!」
花がリリーを見た。
リリーがGoProを食堂中に向けている。
テキパキと動いている。
言葉が止まらない。
さっきのkawasakiの件とは全然関係なく、映像を撮ることにかけては本物だ、と花は思った。
アプリが黙って丼を食べていた。
食事が終わった。
四人が店を出た。
大間崎の風が、四人を吹き抜けた。
津軽海峡が、目の前にある。
対岸に、北海道が見えている。
「行くか」
アプリが言った。
四台がエンジンをかけた。
RS50。
プレスカブ。
モトラ。
ボルティ。
四台が並んだ。
この組み合わせは、世界中を探しても他にない。
本田はそう思いながら、アクセルを開けた。
四台が走り出した。
下風呂温泉へ向けて、下北半島の道を進んでいった。




