【第二話 : 佐多岬の咆哮、あるいは鉄クズたちの狂宴】
本土最南端、佐多岬。
運営が貸し切った温泉宿の広大な駐車場には、夕闇の中で参加者たちのマシンが並んでいた。
厳格な車検を終えた者だけが、明日のスタートラインに立てる。
海を見下ろすその場所は、異様な熱気に包まれていた。
最新のレーサーレプリカ。
歴史の遺物のような珍車。
実用一辺倒の業務車両。
ふざけたペイントを施されたご当地仕様。
何もかもがバラバラで、ちぐはぐで、なのになぜか全員同じ顔をしている。
爛々と輝く、子供みたいな目だ。
共通しているのは、それらがすべて「50cc」だということだけ。
そしてここに集まった人間が、多かれ少なかれ頭のネジを何本か外してきたということだけだ。
「……すごい」
僕はプレスカブのハンドルを握りしめ、ただ圧倒されていた。
鹿児島の街路をトコトコ走っていた時とは、空気の密度が違う。
みんな、本気だ。
体の芯から、本気だ。
そのことが、わかった。
*
「おい、そこのプレスカブ」
最初に声をかけてきたのは、無骨なビジネスバイクに跨る青年だった。
ヤマハ・メイト。
プレスカブと同じ「働く原付」の系譜に連なる一台だ。
「俺はモドキ。ヤマハ・メイト乗りだ」
青年はニヤリと笑って、エンジンを軽く吹かした。
タン、タン、タン、と小気味よい音が響く。
「"働く原付"の世界じゃ、カブだけが主役じゃないからな。それを証明しに来た」
「……モドキさんは、どこから来たんですか?」
「東京。失業保険もらいながら来たから、ぶっちゃけ交通費が一番痛かったわ」
あっけらかんと言い放つ。
なんというか、清々しい動機だった。
「俺のは2st。4stのカブとは、信号ダッシュの次元が違う。ま、うちらは同士みたいなもんだから仲良くしようぜ」
そう言いながら、彼は僕の肩をポンと叩いた。
悪い人ではなさそうだった。
「2stこそ至高、だな」
その声と同時に、鋭い排気音が駐車場に響き渡った。
振り返れば、真紅のレーサーレプリカが滑り込んでくるところだった。
アプリリアRS。
レース用の設計を50ccに詰め込んだ、異端の一台。
その乗り手は、三〇代とおぼしき男性で、革ジャンにフルフェイス、どこからどう見ても「本物」の雰囲気を纏っていた。
「アプリだ」
短く名乗る。
「2stの音を、日本縦断で響かせる。そのためだけに来た」
余分な言葉が一切ない。
この人は多分、本当にそれだけを考えてここに来ているのだと思った。
「……2stなら、俺も黙ってらんねえ」
続いて現れたのは、ストリートマジックに乗った若い男性だった。
全身スズキ尽くしのウェアで固めていて、ヘルメットにまでスズキのステッカーが貼ってある。
「鈴菌だ。スズキ至上主義ってやつ」
腕を組んで、当然のように言う。
「本当はガンマで来る予定だったが、今回は様子見だ。ガンマを壊すわけにはいかないからな」
アプリがその言葉に反応した。
「……ガンマ持ってるのか」
「ああ」
二人の間に、一瞬だけ静電気のような緊張が走った。
鈴菌の表情に、わずかな後悔の色が滲む。
ガンマで来なかったことを、今まさに悔いている顔だった。
そこへ、場の空気を一瞬で塗り替える声が飛び込んできた。
「なーん、みんな難しか顔してから!」
弾けるような声と、くまモンの顔が全面に描かれたモンキーが颯爽と現れた。
乗っているのは、ポニーテールの女の子だ。
熊本弁のイントネーションが、周囲の殺気立った空気にまったく馴染んでいない。
でも、それがかえって心地よかった。
「うち、くま子! 見てん、このモンキー! くまモン仕様ばい!」
くま子は誇らしげにモンキーのタンクをぺたぺたと叩く。
確かに、くまモングッズの完成度は高い。
タンクにシートにハンドルに、くまモンが溢れている。
レースに出るバイクじゃなくて、テーマパークのアトラクションみたいだ。
「なんでここにいるの?」とモドキが問うと、
「くまモングッズ買いよったら原付ハマってしもうたと。それだけたい」
とくま子はケロリと答えた。
それだけで来たのか、という驚きと、なんか勝てる気がしないという謎の敗北感が同時に来た。
「……いや、一番カッコいいのはカワサキでしょ」
少し離れた場所から、低い声がした。
長身の女性が腕を組んで立っている。
秋田ナンバーのAV50。
カワサキが誇る50ccスポーツモデルだ。
「私はミーハー。初心者だけど、メーカーはカワサキって決めてる」
揺るぎない目をしている。
「カワサキってだけで勝ちだから。なんたってカワサキはカッコイイ代表でしょ」
誰も突っ込まなかった。
突っ込む隙がなかった、という方が正確かもしれない。
彼女の確信は、議論を受け付けない種類のものだった。
「あら、楽しそう」
フルプロテクター姿の女性が近づいてきた。
肘、膝、脊椎、全部ガードされている。
装備だけ見れば、モトクロスの選手だ。
でも乗っているのは、ヤマハのDT50だった。
「モト子です。会社辞めて、勢いで来ちゃった」
ニコニコしながら言う。
あっさりしている。
「このDT50って……速いの?」
アプリと鈴菌が同時に顔を向けた。
二人とも、微妙な表情をしていた。
「……DTなら優勝候補だよ」
アプリが答える。
「オフロード用の高回転エンジンで、路面を選ばない。いいバイクを選んだな」
「そうなんですか! じゃあよかった」
モト子はパッと顔を明るくした。
「実はバイク屋さんに『日本縦断できそうな原付ありますか?』って聞いたら、これを売ってくれたんですよ。どんな性能かはよくわかってないんですけど」
アプリと鈴菌の間に、沈黙が流れた。
鈴菌がゆっくりと空を仰ぐ。
アプリはヘルメットを少し深めに被り直した。
「……そうか」
「はい!」
なんとも言えない空気が漂ったが、モト子はまったく気にしていない様子だった。
ある意味、最強かもしれない。
*
「はっはっは、若いもんは元気でいいな」
穏やかな笑い声が聞こえた。
三輪のジャイロXに乗るふくよかな女性と、丁寧に磨き込まれたホンダ・ビートに跨る老人が並んで近づいてくる。
「私はミルミルよ。元ヤクルトレディ。子供も独立したし、旦那は私のことより釣りが大事みたいだから、旅に出ることにしたの」
さらりと言うが、なかなかの爆弾発言だと思った。
「このジャイロX、絶対壊れないって聞いたから選んだの。ヤクルトで毎日乗り回してたから運転は得意よ」
「ワシはVタック。六十六歳じゃ。定年後の暮らしが暇すぎてな、応募してみたら通ってしまった」
老人はビートのシートをそっと撫でながら笑う。
「このビートとは、もう三十年来の付き合いでな。新車で買ってから一度も手放せなかった。こいつで走る最後の旅にしようと思っとる」
その言葉が、静かに胸に刺さった。
三十年。
僕が生まれる前から、ずっと一緒にいた相棒と旅に出る。
それは、なんだかとても格好いいことのように思えた。
Vタックさんの穏やかな声に、僕の緊張が少しだけほどけた。
でも、アプリと鈴菌だけは違った。
二人ともビートを真剣な目で見つめている。
「……ビートか」
アプリが低く呟く。
鈴菌も腕を組んで黙っている。
何かを計算している顔だった。
ほのぼのとした空気とは正反対の、鋭い視線。
このレースには、まだ僕の知らない何かがあるのかもしれない。
*
その時、特設ステージの照明が一斉に点灯した。
駐車場の端に設置された簡素なステージに、スポットライトが当たる。
眩しくて目を細めた僕の視界に、まず脚が映った。
次に、マイク。
そして、笑顔。
「――はい注目! 無茶したい皆さん、こんばんは!」
場の空気が、一瞬で変わった。
モデルのように美しい女性がマイクを掲げている。
声に張りがあって、よく通る。
何より、存在感が凄まじかった。
「司会進行のラビットです」
にっこりと笑う。
絵になる笑顔だった。
「今夜は『人生をちょっと踏み外した勇者たちの前夜祭』へようこそ!」
会場から笑いが起こった。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
「ルールはシンプル。二十日以内にゴールへ到達すること。現在地はGPSで全国にリアルタイム公開。ズルも迷子も、全部バレます」
ラビットはステージの端まで歩いて、参加者たちを見渡した。
「さあ、質問タイム。今夜だけは優しく答えちゃうかもしれませんよ?」
真っ先に手が上がった。
モドキだ。
「フェリー使用時のペナルティは、港ごとに違いますか?」
「到着港で、運営が指定する待機時間を消化していただきます」
ラビットは笑顔のまま答える。
「何時間かは――その時のお楽しみ、ということで」
どよめきが走った。
「側道は?」
アプリが続ける。
「法律上通行可能ならOK。ただし、危険と運営が判断した場合は失格です」
「その判断基準は?」
「企業秘密です♡」
アプリが一瞬だけ眉を動かした。
それ以上は聞かなかった。
「エンジンブロー時の、同型エンジンへの載せ替えは?」
鈴菌が腕を組んだまま問う。
「同一車両登録が確認できれば可。ただし、過度な改造は減点対象です」
「基準は?」
「企業秘密です♡」
鈴菌も黙った。
モト子がおずおずと手を挙げる。
「あの……パンクしたら、どうなりますか?」
「自力修理。もしくはリタイア」
ラビットの声は、変わらず明るい。
だが、内容は容赦なかった。
「当方の謎のトラックは『救済』ではなく『回収』です。壊れたバイクと夢を、丁寧に積み込んでお返しします」
場の空気が一段階、冷えた。
「任意保険のロードサービスがあるだろ」
アプリが割って入った。
「近場のバイク屋まで運んでくれる。パンクなら修理してもらえばいい」
モト子がパッと顔を上げる。
「そういう手があるんですね!」
「公道を走る以上、保険は入れ。それだけだ」
アプリは短く言って、また黙った。
不愛想だけど、フォローはちゃんとする人なのだと思った。
くま子が明るく手を挙げる。
「ここの宿の温泉は、今夜は入り放題と?」
「もちろん! 今夜だけはね」
ラビットが笑う。
「食事も無料ですよ。明日からは三〇キロの修行が始まりますから、今夜はゆっくり英気を養ってください」
「やった! くまモンのお風呂グッズ持ってきとったと!」
くま子がガッツポーズをした。
場から笑いが漏れる。
ミルミルが穏やかに手を挙げた。
「例えばフェリー乗船が夕方で下船が深夜なら運転していいのかしら?夜は19時までしか運転出来ないのよね?」
「港のある県内から出なければ、ペナルティタイム中の行動は自由です。夜間も原付での観光はOKですよ。ようするに次の街へ進めないってだけなんでペナルティタイム中は好きに使ってください!」
「まあ、それは助かるわね。どうせ待つなら楽しく待ちたいもの」
ミルミルがにこりと笑う。
そのやり取りを聞いて、僕は思い切って手を挙げた。
「あの」
「はい、プレスカブくん」
ラビットがこちらを向く。
全員の視線が集まった。
少し怯んだけど、言葉を続けた。
「ペナルティタイム中に、県内であれば本当に何処に行っても良いんですか? 例えばチェックポイントじゃない観光地とか……?せっかくだから、行ったことのない土地を少し走ってみたくて」
一瞬、静寂があった。
次の瞬間、ラビットが弾けるように笑った。
「ありです! むしろ推奨します」
笑い声が広がる。
アプリが鼻を鳴らした。
鈴菌が小さく「バカか」と呟いたが、口元が少し緩んでいた。
モドキが「お前らしい」と笑った。
「ただし」
ラビットが続ける。
「観光中のトラブルも、自己責任です。迷子になっても、当方は関知しません♡」
「……わかりました」
笑われたけど、恥ずかしくはなかった。
むしろ、みんなの顔が一瞬だけ柔らかくなったのを見た気がした。
Vタックさんが、隣で小さく頷いてくれた。
*
「それでは皆さん」
ラビットがマイクを高く掲げた。
「三〇キロ制限、日本縦断二〇〇〇キロ」
駐車場に、静寂が戻る。
「壊れるか、笑うか――どっちかしかありません」
その言葉を合図にしたように、誰かがアクセルを吹かした。
それがきっかけで、次々と排気音が上がっていく。
二ストの甲高い音。四ストの低い鼓動。三輪の独特のリズム。
ばらばらで、不揃いで、でも全部本気の音だ。
歓声が上がった。
笑い声が混じった。
夜の佐多岬に、鉄クズたちの咆哮が響いた。
僕はただ、その真ん中に立っていた。
ただの新聞配達員だった僕が、今、この場所にいる。
プレスカブのエンジンに手を置くと、エンジンの温もりが掌に伝わってきた。
田辺さんが言っていた通り、こいつは今も生きている。
明日、夜が明ければ。
二〇〇〇キロの戦いが、始まる。
YAMAHA メイト50
型式A-V50
最高出力5.0ps/6000rpm
Aprilia RS50
型式MM
最高出力8.8〜9.0ps/9000rpm
SUZUKI ストリートマジック
型式A-CA1LB
最高出力7.2ps/7000rpm
HONDA くまモン仕様モンキー
型式JBH-AB27
最高出力3.4ps/8500rpm
+過給機5.0〜7.0ps
kawasaki AV50
型式AV050A
最高出力5.0ps/9500rpm
YAMAHA DT50
型式A-17W
最高出力7.2ps/9000rpm
HONDA ジャイロX
型式2BH-TD02
最高出力4.6ps/7500rpm
HONDA ビート
型式A-AF07
最高出力7.2ps/7000rpm




