【reverse 1 GO!SOUTH!】
朝から、サガレンが騒がしかった。
ミーハーが荷物をまとめている。
ミルミルがジャイロXに積んでいた荷物を全部降ろしている。
チャンプがペリカンジョグのメーターを眺めながら、何かをノートに書き留めている。
運営のHONDAレジェンドが、サガレンの前に止まった。
最終型の、黒いセダンだ。
静かで、大きくて、威厳がある。
謎の運営らしい車だ、と本田は思った。
*
最初に動いたのは、ミーハーだった。
女子組が、ガレージの前に集まった。
くま子、モト子、ミーハー、ミルミルの四人だ。
ミーハーが、くま子を抱きしめた。
次に、モト子を抱きしめた。
目が、赤い。
「また会えるわよね?」
「会えるけん。絶対たい」
くま子が答えた。
モト子がミーハーの背中を叩いた。
「バズった後でも連絡してよ。芸能人になっても忘れないでよ」
「失礼ね。私がそんな人間に見える?」
「見える」
「……まあ、でも絶対に連絡する」
ミーハーが、涙目のまま笑った。
カワサキ至上主義者が泣くところを、本田は初めて見た。
意外と、人間だった。
いや、ずっと人間だったのか。
ミルミルがミーハーの手を握った。
「ミーハーさん、活躍を楽しみにしてますよ。ヤクルト1000を毎朝飲むことだけは忘れずにね」
「わかってるわ。腸活でしょ」
「正解です」
二人が笑った。
ミーハーがAV50を一度撫でた。
秋田ナンバーのカワサキが、朝の光を受けている。
この旅をここまで連れてきたバイクだ。
トラック部隊が後で秋田まで届けてくれる。
「稚内から秋田まで、飛行機だなんて。飛行機もあんなに大きいんだからAV50くらい積み込めると思うんだけど……」
「ミーハーさん!」
全員が同時に叫んだ。
「わかってるわよ。冗談よ」
ミーハーが微笑んだ。
本当に冗談かどうか、少し怪しかったが、全員が見て見ぬふりをした。
ミーハーとミルミルがレジェンドに乗り込んだ。
窓が開いた。
ミーハーが二本指を立てた。
two-finger salute。
全員が返した。
レジェンドが、静かに走り去った。
稚内空港へ。
新千歳経由で、秋田へ。
秋田駅からミルミルは新幹線で群馬へ向かう。
こまちで大宮まで、上越新幹線で高崎まで。
長い旅の帰り道だ。
ガレージが、少し広くなった気がした。
*
暫くして、チャンプが動いた。
ペリカンジョグのメーターを最後にもう一度確認して、ノートを閉じた。
全員の前に立った。
「皆さんのおかげで、最高の取材ができました。ありがとう」
丁寧に頭を下げた。
それから、顔を上げた。
「再来月の巻頭特集になるからね」
にやりと笑った。
チャンプらしい締め方だった。
チャンプが二本指を立てた。
全員が返した。
レジェンドが、サガレンの前に停まっている。
チャンプが先に乗りこんだ、一緒に羽田空港まで帰るくま子が乗り込むのを待っている。
羽田への直行便で、東京へ。
一時間五十分のフライトだ。
チェッカーフラッグを振ったあの手が、カメラのシャッターを押し続けた旅が、終わった。
*
くま子が、本田の前に立った。
荷物は全部降ろした。
くまモンモンキーは、トラック部隊に任せる。
くま子は羽田経由で熊本へ帰る。
羽田までは、チャンプと同じ便だ。
くま子が本田を見た。
真っ直ぐ、本田の瞳を見た。
「はよ帰ってこんと、ふてくさるよ?」
熊本弁で言った。
いつもより、少しだけ柔らかい声だった。
「谷中湖、二人で走いに行くとたいね?」
「行きます。絶対に」
「じゃあ、待っとるわ」
くま子が笑った。
爽やかな、清々しい笑顔だった。
モンキーの鍵に揺れるドッグタグが、朝の光を受けて光った。
くま子はレジェンドに乗り込んだ。
窓から、片手を出した。
two-finger salute、ではなかった。
ただの、手を振る仕草だった。
でも、それで十分だった。
レジェンドが走り去った。
本田はしばらく、その方向を見ていた。
九州で待っている。
その言葉が、プレスカブのエンジン音より静かに、でも確かに、胸の中で燃えていた。
*
ガレージに残ったのは、鈴菌とVタックとモト子とアプリとラビットと本田だった。
鈴菌が腕を組んだ。
「明日からVタックさんと富良野と美瑛へ行く。苫小牧から名古屋のフェリーで帰る」
Vタックが続ける
「運営からは帰り賃として15万円も貰ったからの。ワシら東海勢には多過ぎるくらいじゃな。」
「そんな事ないですよ。先に帰られた方々はバイクの輸送費も支払うとおひとり様だいたいそのくらいかかってますかね」
ラビットが分かりやすく説明していると
「私もついていって良いですか?」
モト子が申し出た。
「六郷には行ってみたくて」
Vタックが頷いた。
「五郎の石の家だろ?」
その瞬間、Vタックの声が変わった。
低く、穏やかで、どこか懐かしい声になった。
鈴菌も同じ声になった。
モト子も続いた。
アプリまで続いた。
ガレージの空気が、北海道の大地の匂いになった。
本田は状況が飲み込めなかった。
ラビットが本田の耳元で小さく言った。
「ドラマですよ。北の国から」
ラビットが本田の背中を押した。
「電気がなきゃ暮らせませんよ。夜になったら真っ暗になるんですよ。て言ってごらん」
本田はラビットに促されるまま、恐る恐る、全員に向かって言った。
「電気がなきゃ暮らせませんよ。夜になったら真っ暗になるんですよ」
全員が本田を見た。
一拍置いた。
それから、全員が口を揃えた。
「……夜になったら、眠るんですよ」
低い、穏やかな、大地の声だった。
本田はラビットの背後に隠れた。
「ラビットさん、あれは何ですか」
「ドラマですよ。名作です」
「どんな話なんですか」
「簡単に言うと……」
ラビットが説明を始めた。
説明を聞くほどに、本田の顔が曇っていった。
電気もない。
水道もない。
お金もない。
北海道の大地で、親子が生きていく話らしい。
「絶対に見たくないです」
「え?」
「そんな不幸な話を、なんでみんなあんなに好きなんですか」
ラビットが腹を抱えて笑った。
鈴菌とVタックとモト子とアプリも笑った。
なぜ笑われているのかが、本田にはわからなかった。
それがさらに笑いを呼んだ。
翌朝、鈴菌とVタックとモト子が出発した。
三台が並んだ。
SUZUKIストリートマジック、
HONDAビート、YAMAHA DT50。
三台とも、七・二馬力だ。
「7.2馬力軍団!」
誰かが言った。
三人が笑った。
本田とアプリに向かって、三人が同時に二本指を立てた。
two-finger salute。
本田とアプリが返した。
三台が走り去った。
富良野へ。
美瑛へ。
六郷の石の家へ。
そして最終的には、苫小牧から名古屋への長いフェリーへ。
ガレージに、アプリと本田だけが残った。
ラビットが、二人を見た。
何も言わなかった。
ただ、優しい目で見ていた。
*
午後。
ガレージは静かだった。
アプリがRS50のエンジンを開けていた。
工具が、綺麗に並んでいる。
手が、迷いなく動く。
整備しているアプリは、走っているアプリと同じくらい静かだ。
本田はプレスカブのオイルを換えていた。
三十年前のカブだが、オイル交換くらいは自分でできる。
ドレンボルトを抜いた。
黒いオイルが出てきた。
新しいオイルを注いだ。
ボルトを締めた。
それだけだ。
先に終わった本田がアプリに聞いた。
「僕も、エンジンをバラせるようになった方が良いですかね?」
「カブのエンジンは案外めんどくさいぞ」
アプリがチェーンを確認しながら答えた。
「それに、カブのエンジンなら壊れるまでは開けない方が良い。触らない方が長持ちする」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
本田はプレスカブを見た。
三十年間、誰かに乗られ続けたエンジンが、今日も動いている。
下手に触らない方が良いのかもしれない。
「アプリさんは、まだ帰らないんですか?」
「知床には行こうかと思ってる」
「知床……」
「最終的には奥尻島を経由して函館だな」
本田は地図を頭の中で広げた。
知床は道東の果てだ。
奥尻島は道南の日本海側にある。
稚内から知床へ行って、奥尻島を経由して函館まで。
北海道をほぼ一周する距離だ。
「それって……軍資金は運営から貰う帰り賃の十五万円で足りますか?」
「俺は普段から現地で日雇いしながら旅をしてるから関係ない」
さらりと言った。
当たり前のように言った。
でも、本田には当たり前じゃなかった。
「現地で仕事が見つかるんですか?」
アプリが黙った。
それから、工具を置いた。
立ち上がって、ガレージの掲示板を指さした。
チラシが、何枚も貼ってある。
農家のバイト募集。
漁業の日雇い。
民宿の手伝い。
稚内市内だけで、これだけある。
「このチラシって……そういうことだったんですか」
「北海道は特にライダーを使う日雇いに恵まれてる。どこへ行ってもバイトは困らん」
本田は掲示板を見た。
もう一度見た。
胸の底が、燃えていた。
さっきまでくすぶっていた何かが、ちゃんとした炎になっていた。
「アプリさん」
「なんだ」
「一緒に南下しませんか」
アプリが本田を見た。
無表情だった。
でも、一秒だけ、何かが動いた気がした。
「稚内から佐多岬まで」
本田は続けた。
「道中でバイトしながら。時間はかかっても良い。ゆっくり走りたいんです。今度は誰かと競いながらじゃなくて、ちゃんと景色を見ながら」
アプリがチェーンに手を戻した。
しばらく、何も言わなかった。
工具が動く音だけが、ガレージに響いた。
やがてアプリが言った。
「知床には寄る」
「寄りましょう」
「奥尻島も行く」
「行きましょう」
「急がないぞ」
「急ぎません」
「バイトもする」
「します」
アプリが工具を置いた。
立ち上がった。
本田を見た。
「わかった」
たった一言だった。
でも、本田には十分だった。
ラビットがガレージの入口で、笑っていた。
最初からわかっていたような顔で、笑っていた。
*
サガレンのガレージに、
プレスカブの隣に、RS50が並んだ。
最速の原付と、最遅の原付が、また並んだ。
千里浜の夕日の日みたいに。
ゴールデンビーチの夕日の日みたいに。
でも今度は、ゴールに向かって走るんじゃない。
どこかへ向かって走るんじゃない。
走ること自体が、目的だ。
Move Forward。
南へ。
原付転生 reverse、始まる。
HONDA レジェンド 最終型
型式: 6AA-KC2
エンジン: 3.5L V型6気筒 i-VTEC
(最高出力 314PS)
システム最高出力: 382PS
駆動方式: SPORT HYBRID SH-AWD(4WD)




