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【第二十話:誰もいない国道】

 函館の朝は、本州より早く来る気がした。



 テントを撤収して、荷物をカブに積んだ。


 近くのセイコーマートへ向かった。



 セイコーマート吉川店。


 北海道のコンビニだ。


 本州では見かけない。



 店内に入ると、店内調理コーナーがあった。


 大きなおにぎりが並んでいる。


 それと、パスタがある。


 値段を見て、目を疑った。



(安すぎる)



 本州のコンビニの半分以下の値段だ。


 本田はパスタと大きなおにぎりを買った。


 店の外のベンチで食べた。


 おにぎりが、本当に大きかった。


 パスタが、本当に安かった。


 でも、旨かった。



 七時に出発した。


 大野新道を通って、七飯町へ入った。


 函館の街が、後ろへ遠ざかっていく。


 国道5号線を北へ。


 北海道の旅が、始まった。



   *



 八雲の街に入る手前だった。


 五号線沿いに、パン屋が見えた。


 「スガワラ」という看板がある。



 本田は吸い寄せられるように止まった。


 中に入ると、昨日の売れ残りが大量に残っていた。


 全品半額のシールが貼ってある。



「昨日の分が残ってまして、よければ」



 店のおばさんが言った。



 本田はカゴを取った。


 昼用のパンを選んだ。


 夜用のパンも選んだ。


 気づいたら、カゴがパンで溢れていた。



「これ、全部で大丈夫ですか?」



「もちろんです。ありがとうございます」



 本田はパンを全部キャリアに括り付けた。


 プレスカブの後ろが、パンだらけになった。



(こんなに食べられるか?)



 でも、後悔はなかった。


 半額のパンを大量に持って、本田は走り出した。



   *



 長万部に入った。


 給油のためにスタンドに寄った。



 タンクに燃料を入れていると、声をかけられた。



「あの、すみません」



 振り返ると、中年の男性が立っていた。


 手に、缶コーヒーとカイロを持っている。



「原付キャノンボールの方ですよね?」



「……はい、そうですが」



「よかった。これ、どうぞ」



 缶コーヒーとカイロを、差し出してきた。


 本田は戸惑いながら受け取った。



「ネットで知ったんです。応援してますよ」



 男性が笑った。


 本田は頭を下げた。



「ありがとうございます。でも、なぜわかったんですか?」



「ナンバーが鹿児島ですから」



 確かに、北海道で鹿児島ナンバーの原付は目立つ。



「そうだ、一つ教えておきたいことがあって」



 男性が続けた。



「昨日、モンキーに乗った若い女の子が37号線ルートで通りましたよ。熊本ナンバーで、可愛いモンキーで」



「くま子さんが!」



「知り合いですか?」



「同じレースの参加者です」



「そうでしたか。お気をつけて」



 男性は会釈して、去っていった。



 本田は缶コーヒーを開けた。


 温かかった。



(みんなが知ってる訳じゃないけど、見ててくれる人もいるんだな)



 軽く受け止めて、カブにまたがった。


 くま子は37号線を行ったのか。


 だったら自分は5号線を行こう。


 ウサギとカメは、ルートまで分かれた。



   *



 長万部を過ぎた。



 その瞬間だった。



 世界が、変わった。



 信号がない。


 対向車がいない。


 追い抜いてくる車もいない。


 人がいない。



 道だけがある。


 山と木々と空だけがある。


 そして、その真ん中に、国道5号線だけがある。



(誰もいない……)



 本田はアクセルを開けたまま、周りを見渡した。


 誰もいない。


 本当に、誰もいない。


 真昼間の国道なのに、貸し切り状態だ。



 一分が経った。


 誰もいない。


 五分が経った。


 誰もいない。


 十分が経った。


 誰もいない。


 二十分が経った。


 まだ、誰もいない。



『こんな気持ちのいい道が、この世にあったなんて……』



 本田は思った。


 いや、思った、というより、全身で感じた。


 体中の細胞が、この解放感を受け取っていた。



 本州では、一秒たりとも気を抜けなかった。


 大型トラックが幅寄せしてくる。


 後ろからライトが迫ってくる。


 せまい国道を、大型車と原付が共存している。


 常に、緊張していた。


 常に、端に寄っていた。



 でも今は違う。


 誰もいない国道の、ど真ん中を走っていい。


 端に寄る必要がない。


 緊張する必要がない。


 ただ、前を向いて、走ればいい。



 本田は、道のど真ん中に出た。


 アクセルを全開にした。


 三十キロ。


 プレスカブの全力だ。


 誰もいない国道を、三十キロで全力疾走した。



(くま子ならカッ飛んで走っただろうな)



 そう思うと、少し笑えた。


 過給機のモンキーで、この無人の国道を走ったら、くま子はどんな顔をするだろう。


 きっとにやりと笑って、アクセルを全開にするんだろう。



 でも今は、この贅沢な時間は本田だけのものだ。


 日本縦断の旅で、初めて、本当の意味で一人になれた気がした。


 一人は、孤独じゃない。


 一人は、自由だ。



 誰もいない国道を、プレスカブが走り続けた。


 山が続く。


 木々が続く。


 空が広い。


 北海道の空は、本州より広い。


 同じ空なのに、なぜか広い。



 本田は一発で、この国道5号線が好きになった。



   *



 ニセコに入ると、世界がまた変わった。


 今度は人が増えた。


 でも、様子がおかしい。



 コンビニに寄った。


 店員が、外国人だった。


 道を歩いている人が、外国人だった。


 道の駅に入ると、聞こえてくる言葉が、日本語じゃない。



(ここは日本か?)



 本田は、きょろきょろした。


 どこを見ても、外国人がいる。


 スキーのシーズンではないのに、外国人がいる。


 普通に生活している外国人がいる。



 ホクレンのガソリンスタンドで給油した。


 店員が声をかけてきた。



「ツーリングですか? よければこれを」



 差し出されたのは、細長い旗だった。


 オレンジ色の旗だ。


 「HOKUREN」と書いてある。



「北海道でツーリングするライダーに配ってるんです。荷台に付けるとかっこいいですよ」



 本田は受け取った。


 それから気づいた。



 そうだ。


 北海道に入ってから、すれ違うほとんどのライダーが、荷台に旗を付けていた。


 オレンジの旗が、バイクの後ろで風になびいていた。


 あれが、これだったのか。



 謎が解けた瞬間、本田はキャリアに旗を括り付けた。


 オレンジの旗が、プレスカブの後ろで風になびいた。


 北海道のライダーの仲間入りをした気がした。



   *



 倶知安町に入った。


 町の中に入った瞬間、目に飛び込んできた看板があった。



「らーめんさんぱち 倶知安店」



 腹が減っていた。


 パンは大量にあった。


 でも、北海道に来たのだ。


 味噌ラーメンを食べたい。


 本田は迷わず入った。



 カウンターに座った。


 味噌ラーメンを頼んだ。



 しばらくして、同世代くらいの女の子が、ラーメンを持ってきた。


 本田を見た。


 それから、店の外のプレスカブを見た。


 また本田を見た。



「あの……キャノンボールの方ですよね?」



「えっ? なんで知ってるんですか?」



「そりゃあ知ってますよ!」



 店員の顔が、一気に輝いた。



「ミーハーさんって、本当に可愛いですよね!!」



 本田は、一瞬固まった。



(ミーハーが……ここに来たのか?)



「あの、ミーハーさんって、ここに来たんですか?」



「え? 来てないですよ。でも有名じゃないですか!」



「有名……?」



「えっ、知らないんですか?」



 店員がスマホを取り出した。


 YouTubeを開いた。


 動画を再生した。



 画面の中に、ミーハーがいた。


 マイクを向けられたミーハーが、落ち着いた顔で話している。



『人は弱い者を叩きたくなるんです。原付は、その対象にしやすいだけなんです』



『そんな適当な誹謗中傷しかできない人たちからの言葉は、私たちの心には響きません』



 本田は、スマホを持つ手が止まった。



『今、生き残っている参加者たちで、誹謗中傷で心が傷つく人はいないんです』



 ミーハーの声が、店内に流れた。


 本田の横で、他の客も聞いている。



『鹿児島から、ここまで来ましたから』



 最後の一言を聞いた瞬間、本田は全部を理解した。



 長万部での缶コーヒー。


 カイロ。


 あの人が笑顔で近づいてきた理由。


 全部、これだ。


 ミーハーが拡散していた。


 ミーハーが、レースの存在を日本中に広めていた。


 ミーハーがバズっていた。



(そうか……そうだったのか)



 本田は、スマホをそっと店員に返した。


 それから、味噌ラーメンを一口食べた。



「……美味っ!なにこれ!!」



 声が出た。


 止まらなかった。


 濃厚な味噌のスープが、喉を通る。


 体の芯まで、温かくなる。


 麺が、スープをたっぷり持ち上げてくる。


 チャーシューが、柔らかく解ける。



 ミーハーのことも、誹謗中傷のことも、全部どこかへ飛んでいった。


 今この瞬間は、ラーメンだけだ。


 夢中で食べた。


 あっという間に、丼が空になった。



 会計を済ませると、店員が追いかけてきた。


 手にアイスを持っている。



「これ、よかったら。うちの店、ラーメン食べてくれたお客さんにアイス出してるんです」



「え、いいんですか」



「もちろんです。気をつけてくださいね」



 本田はプレスカブに跨がって、アイスを食べた。


 北海道の風が吹いている中で、アイスを食べた。


 寒いのか、美味いのか、よくわからなかった。


 でも、美味かった。



 店員がまた出てきた。



「倶知安で一番おいしいチーズケーキ、知ってますか?」


「知らないです」


「マタリアベーカリーっていうお店です。ここから近いですよ」



 丁寧に行き方を教えてくれた。



 本田は、キャリアのパンを見た。


 スガワラで大量に買ったパンが、まだある。


 でも。



 北海道で一番おいしいチーズケーキ、と言われたら。


 行くしかない。



   *



 マタリアベーカリーは、小さなお店だった。


 でも、店の前に漂う甘い匂いが、本田を呼び込んだ。



 ショーケースの中に、ニューヨークチーズケーキが並んでいた。


 一切れを買った。


 店主に断って、店内のテーブルで食べた。



 フォークを入れた。


 一口、口に入れた。



 固まった。



 天地がひっくり返るような、とはこういうことを言うのだ、と思った。



 濃い。


 でも、重くない。


 チーズの香りが、鼻を抜ける。


 甘さが、じんわりと広がる。


 しっとりした生地が、舌の上でゆっくりと溶けていく。


 後味が、きれいだ。


 食べ終わっても、口の中に幸せだけが残っている。



 本田は、しばらく動けなかった。



(これが……チーズケーキ?)



 今まで食べてきたチーズケーキとは、別の食べ物だ。


 同じ名前を名乗っているが、全然別の食べ物だ。


 小樽のLeTAOが最高と言っていたミーハーの言葉が頭に浮かんだ。


 LeTAOを知らないから比べられないが、マタリアベーカリーのこれは、間違いなく本田が生まれて二十一日間で食べた中で最も美味いものだ。



 本田はフォークを置いた。


 そして、また立ち上がった。


 ショーケースへ戻った。



「もう一つください」



 店主が、にこりと笑った。



 二つ目を、同じ速さで食べた。


 二つ目も、同じくらい美味かった。


 いや、もしかすると一つ目より美味かった。


 一つ目で舌が覚えて、二つ目で完全に理解した感じがした。



 食べ終わって、店を出た。


 店主が、扉のところで見送ってくれた。



「気をつけてね」



「ありがとうございました。また来ます」



 本田は言った。


 お世辞じゃなかった。


 本当にまた来たいと思った。


 宗谷岬へ行ってまた南下する時に、絶対にここへ来ると思った。



 プレスカブに跨がった。


 キャリアのパンを見た。


 スガワラのパンが、まだ大量にある。


 今夜も明日もパンだ。


 でも、後悔は一切なかった。



   *



 余市に着いたのは、十四時半を過ぎた頃だった。


 北海道は速い。


 信号がない分、止まらない。


 止まらない分、距離が稼げる。


 二百キロが、本州より全然楽だ。



 余市の道の駅で、一息ついた。


 スマホを開いた。



 ミーハーのラジオ音源が、SNSでまだ拡散されていた。


 コメント欄が、賑やかだ。



『美しすぎる珍車娘』


『この発言かっこよすぎる』


『他の参加者も追いたい』



 本田は自分の名前を検索した。


 出てきた。


 プレスカブの写真が出てきた。


 「鹿児島の17歳」として紹介されていた。



(俺も、見られてたのか)



 長万部で缶コーヒーをくれた人のことを思い出した。


 あの人は、ミーハーの発言を見て、レースを知って、たまたまスタンドで鹿児島ナンバーの原付を見つけて、声をかけてくれたのだ。


 ミーハーが繋いでくれた縁だった。



 本田はミーハーにLINEを送った。



『倶知安でバレました。ミーハーさんのおかげです。ありがとうございます』



 送信した。


 既読がつかなかった。



 まあ、走ってるんだろう、と思った。


 ミーハーも今日のどこかで走っている。


 どこかの国道を、AV50で走っている。



 スマホをポケットにしまった。



 プレスカブに跨がった。


 走り出した。



 しばらく走ると、緑の看板が見えた。



「余市郡 余市町」



 カントリーサインだ。


 リンゴのイラストが描いてある。


 余市に、入った。



 本田はその看板を横目に、アクセルを緩めなかった。


 北海道のカントリーサインは、走り続けた証だ。


 一枚ずつ増えていく証だ。



 ホクレンの旗が、風になびいている。


 オレンジの旗が、夕暮れの空と同じ色に染まっていた。



 その頃、小樽港では。


 ペナルティタイムを消化したミーハーが、AV50のエンジンをかけていた。


 時刻は十六時。


 六十時間の小樽が、終わった。


 ミーハーは前を向いた。


 北へ。


 宗谷へ。


 カワサキで、前へ。



 本田はそのことを、知らなかった。


 ただ、余市の夕暮れの中を、走っていた。



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