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【第十六話:ウサギとカメと料理人】

 新潟港に着いたのは、正午だった。



 ミーハーがフェリーターミナルの前で、緊張した顔をしていた。


 カワサキ至上主義者が、生まれて初めてフェリーに乗る日だ。



「手続きは、まずここで乗船券を買って」



 本田が案内した。


 ロリに教えてもらった手順を、そのまま伝える。



「バイクは向こうの乗船口から乗り入れて、係員の指示に従って固定してもらいます」



「バイクを置いてくるの?」



「車両甲板に置いてきます。部屋は別です」



「AV50が心配だわ」



「大丈夫ですよ。フェリーに慣れたら楽しくなります」



 乗船手続きを終えた。


 ミーハーがAV50を乗船口へ向けた。


 乗り込む直前に、振り返った。



「本田くん、ありがとう」



「楽しんできてください。小樽で六十時間」



「ええ。カワサキで小樽を制覇してくるわ」



 ミーハーがAV50に跨がって、フェリーの中へ消えた。


 本田はその背中が見えなくなるまで、見ていた。



 それから、プレスカブのキックを踏んだ。


 一発でかかった。


 山形へ向かう。



   *



 新潟港を十三時に出た。


 国道113号線を東へ。


 関川村を過ぎると、山が近くなった。


 十三峠へ向かう上り坂が、始まった。



 峠道に入ったところで、本田は目を疑った。



 くまモンのモンキーが、道の端を押されている。


 押している人間は、汗だくだ。


 でも、腐った顔はしていない。


 黙々と、前へ進んでいる。



「くま子さん!?」



 近づいて声をかけた。



「故障?」



「ガス欠たい」



 くま子がケロッとした顔で答えた。



「過給機は燃費が悪かとよ。わかっとったんだけどね」



 汗が額から滴っている。


 峠の上り坂を、モンキーを押しながら歩いている。


 それでも、表情には余裕がある。



(お嬢様だと思ってたけど……)



 本田は正直驚いていた。


 くま子はいつもホテルに泊まって、ガソリンを切らしても笑顔で押し歩く。


 思っていた人間と、少し違った。



「ど根性だね」



 思わず呟くと、くま子が笑った。



「好きでやっとるだけたい」



 あっけらかんとしていた。



 本田はバッグを漁った。


 取り出したのは、アモ缶だ。


 京極で買った、戦場で弾丸を入れるアルミ缶だ。


 中には、小型の携行缶が入っている。



「これ、使ってください」



 くま子がアモ缶を受け取って、蓋を開けた。


 携行缶を取り出した。


 そして、アモ缶をそのまま路肩へ、ポイッと投げ捨てた。



「あっ!」



 本田が慌てて拾いに行った。


 アモ缶についた砂埃を、丁寧に払った。



 くま子が不思議そうな顔をした。



「空箱をどうするの?」



 携行缶をモンキーのタンクに注ぎながら聞いた。



「大事な箱なんですよ、これ」



「弾丸ケースが?」



「京極で買ったんです。アプリさんと一緒に。ほら?このドックタグもカッコイイでしょ?」



 本田が笑いながら、首から下げていた京極のミリタリーショップで購入した自分の名前とプレスカブのナンバーが刻まれたドックタグを見せた。くま子が給油を終えて携行缶を返してきたので丁寧にアモ缶に携行缶を戻した。


 それを見ていたくま子が、つられて笑った。



「変わっとるね」



「よく言われます」



 給油は終わった。


 くま子がモンキーに跨がった。


 エンジンをかけた。


 過給機の独特な音が、峠の山に響いた。



 それから、本田を一瞥した。


 にやりと笑った。



 アクセルを全開にした。


 くまモンモンキーが、十三峠の上り坂を弾丸のように駆け上がっていった。


 過給機が唸る。


 あっという間に、姿が見えなくなった。



 本田は残された上り坂を見た。


 きつい坂だ。


 プレスカブには、少々手強い。



「……行きますか」



 自分に言い聞かせて、アクセルをゆっくり開けた。


 プレスカブがうなりながら、マイペースで坂を登り始めた。



   *



 峠を越えた。



 下り坂に入ったところで、道沿いに宿が見えた。


 つたや旅館だ。


 駐車場を見た瞬間、本田は笑いが込み上げた。



 くまモンモンキーが、止まっていた。



(もう休んでるのか)



 ウサギとカメだ、と思った。


 くま子は猛スピードで峠を駆け上がり、宿に飛び込んだ。


 本田はマイペースで峠を越えて、今まさにその宿を通り過ぎようとしている。



 本田は笑いながら、つたや旅館の前を通過した。


 部屋の窓の向こうで、くま子がぬくぬくとしているのかもしれない。


 それでいい。


 ウサギはウサギのペースで進む。


 カメはカメのペースで進む。


 どちらが先にゴールするかは、まだわからない。



 プレスカブが、山形の夕暮れの中を走り続けた。



   *



 道の駅いいでで、休憩した。


 自販機のコーヒーを買って、ベンチに腰を下ろした。


 足が重い。


 峠越えの疲れが、じわじわと出てきた。



 その時、聞き慣れたエンジン音が近づいてきた。


 ヤマハメイトの、2stの音だ。



「モドキさん!」



 本田が立ち上がった。



 モドキがヘルメットを脱いだ。


 疲れた顔をしているが、目は生きている。



「おう、本田か。奇遇だな」



「今夜はどこに?」



「白い森オートキャンプ場に行こうと思ってる。お前は?」



「決めてなかったです」



「じゃあ来い。ただし、飯の材料を買ってから行く」



「飯の材料?」



「スーパーに寄る。食うだろ」



 本田は頷いた。



   *



 おーばん川西店。


 山形の地元スーパーだ。


 夜の九時近くまで営業している。



 入ると、モドキがカゴを二つ取った。


 一つを本田に渡した。



 本田はいつもの癖で、値引きシールの貼ってある棚へ向かった。


 半額になったサンドイッチ。


 三割引の惣菜パン。


 手を伸ばした瞬間、モドキに止められた。



「待て」



「え?」



「こっち来い」



 モドキが肉売り場へ歩いた。


 豚ロースの切り身が並んでいる。


 半額のシールが貼ってあった。



「これ、生姜焼き用だ。二人分取れる」



 モドキがパックを二つカゴに入れた。



「次、野菜」



 野菜売り場へ移動した。


 モドキが玉ねぎを一個取った。


 それから、カット野菜のコーナーへ向かった。


 千切りキャベツのパックを手に取った。



「カット野菜は高くないですか?」



 本田が聞いた。


 丸のキャベツの方が安い。



「キャベツ半玉、今夜中に使い切れるか?」



「……使い切れないですね」



「旅中だぞ。余らせたら捨てるしかない。カット野菜の方が安上がりだ」



 本田は感心した。


 頭の中で計算したことがなかった発想だった。



「白米は持ってるか?」



「持ってます」



「味噌汁の素は?」



「あります」



「じゃあこれだけでいい」



 モドキがカゴを確認した。


 豚ロース、玉ねぎ、千切りキャベツ、生姜チューブ、醤油の小瓶。


 迷いがない。


 まるで毎日やっていることのように、手が動く。



「モドキさん、料理できるんですか?」



「飲食店で働いてたからな」



 それだけ言って、レジへ向かった。



 本田は値引きパンを戻して、モドキの後を追った。



   *



 白い森オートキャンプ場に着いた。


 二人で慣れた手つきでテントを張った。


 焚き火を起こした。



 モドキがクッカーを取り出した。


 米を研いだ。


 飯盒で炊き始めた。



 その間に、フライパンを火にかけた。


 豚ロースを広げた。


 玉ねぎを切った。


 生姜と醤油を合わせた。



 手際が、全然違う。


 本田が見ているだけで、料理が完成していく。



 焚き火の前に、生姜焼き定食が出来上がった。


 豚の生姜焼き。


 千切りキャベツ。


 白米。


 味噌汁。



「食え」



 モドキが本田の前に置いた。



 本田は一口食べた。



「……うまい」



 うまい、では足りなかった。


 肉が柔らかい。


 生姜が効いている。


 米が甘い。


 味噌汁が体に染みる。



「モドキさん、これ本当においしいですよ」



「当たり前だ」



 モドキが黙って食べた。


 本田も黙って食べた。


 焚き火が揺れている。


 山形の夜が、静かだった。



   *



「モドキさんって、どこを走ってきたんですか」



 食後の焚き火を囲みながら、本田が聞いた。



「九州を縦断してから関門海峡を渡った」



「関門海峡! アプリさんの料金所の時ですよね」



「そうだ」



 モドキが焚き火を見た。



「あれはひどかった。料金所に着いたら、アプリリアが係員に囲まれてた。俺は先に通れたけど、アプリは1番速く関門海峡に着いていたらしいけど結局、渡れたのは1番最後だったらしいぞ。でも、俺たち全員角島大橋でアプリに追い抜かれたぜ」



「流石です!やはり最強の原付ですね!」



「あの時の顔、アプリのドヤ顔を一生忘れない」



 モドキが珍しく笑った。



「関門海峡を渡ってから、角島大橋へ行った」



「角島大橋、どうでしたか?」



「エメラルドグリーンの海の上を走る橋だ。原付で走ると、海に浮いてる感じがする」



「しまなみ海道と似てますか?」



「全然違う。しまなみは橋が長くて高い。角島は短いけど、海の色が別物だ。両方走って正解だった」



 本田は頷いた。


 しまなみ海道の橋の上から見た瀬戸内海を思い出した。


 あの日の風を、今でも覚えている。



「それから?」



「しまなみ海道を渡って、高知へ向かった。桂浜に行った」



「坂本龍馬の?」



「そうだ。でかい像が海を見てた。俺のメイトと並べて写真を撮った」



「メイトと龍馬」



「似合わない組み合わせだが、悪くなかった」



 モドキが缶コーヒーを一口飲んだ。



「徳島から和歌山までフェリーで渡った。そこから串本町の潮岬へ」



「本州最南端ですか」



「訪問証明書をもらった。本州の端っこに来たと思ったら、なんか笑えた。メイトで来る場所じゃないだろって」



「でも来れた」



「来れた」



 モドキが短く言った。


 でも、その一言に全部が詰まっていた。



「奈良、京都、滋賀は本田とほぼ同じルートだ。琵琶湖大橋は……」



「料金所ですか?」



「ああ。あそこで本田のことを聞いた。アプリと一緒に来てたって係員が言ってた。あいつらまだ覚えてた」



 本田は笑った。


 アプリの二度目の料金所バトルは、係員の記憶に残ったらしい。



「そっからはほぼ同じだ」



 モドキが焚き火に薪を足した。


 炎が大きくなった。



「本田はどこが一番よかった?」



「千里浜です。みんなで横一列に並んで走った時」



「あれは確かに最高だった」



「モドキさんは?」



「桂浜」



 即答だった。



「なんで?」



「龍馬が見てた海を、俺も見たから」



 それだけだった。


 でも、本田には十分わかった。


 旅で見た景色は、言葉にすると小さくなる。


 言葉にならない部分が、一番大事だ。



「明日、どこへ行くつもりだ?」



 モドキが聞いた。



「蔵王のお釜へ行こうと思ってます」



 モドキの手が止まった。


 本田を見た。



「……俺も蔵王だ」



「え?」



「明日の目的地が同じだ」



 二人が顔を見合わせた。


 それから同時に笑った。



「じゃあ一緒に行くか」



「はい」



 ライバル機同士が、明日は並んで蔵王を目指す。


 ホンダとヤマハ。


 カブ系の4stと、ビジネス2stの二台。



 焚き火が、山形の夜に揺れていた。


 白い森の木々が、風に揺れている。



 本田はもう一度、夕方のことを思い出した。


 くまモンモンキーが、峠を弾丸のように駆け上がっていった。


 その先のつたや旅館に、くま子が泊まっている。



 ウサギは宿で眠っている。


 カメは焚き火の前にいる。


 明日また、同じ道を走る。



 どちらが先に宗谷岬に着くかは、まだ誰にもわからない。



 本田は目を閉じた。


 モドキの生姜焼きの味が、まだ口の中にある。


 山形の夜が、静かに更けていった。



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