【第十五話:低排気量の相棒】
千里浜の朝は、波の音で始まった。
テントを撤収して、バイクに荷物を積んだ。
全員が同じ動作を、それぞれのペースでやっている。
朝の砂浜に、九台が並んでいる。
昨夜の焚き火の跡が、まだそこにある。
ミーハーが本田の隣に来た。
「新潟まで、一緒に走ってくれる?」
「もちろんです」
本田が答えた。
ミーハーにとって今回が初めてのフェリーだ。
ロリから教わった乗船方法を、本田が教えながら一緒に新潟まで走る。
それだけのことだが、それで十分だった。
出発の時間になった。
全員が自然に集まった。
並んで、左手を上げた。
「「「「「「「「「「I have a low exhaust!」」」」」」」」」」
十人の声が、千里浜に響いた。
波が、それを受け止めた。
ミーハーのAV50と、本田のプレスカブが、先に走り出した。
後ろで、残りの八台が見送っている気配がした。
振り返らなかった。
でも、わかった。
*
富山に入ったのは、昼前だった。
岩瀬の古い町並みへ向かった。
バイクを止めて、二人で歩いた。
石畳の道。
古い商家が並んでいる。
北前船で栄えた港町の名残が、そのまま残っている。
富山港展望台へ上がった。
琴平社の常夜燈をモチーフにした、らせん階段の展望台だ。
約百段。
ミーハーが「AV50で登りたい」と言ったが、無理だった。
頂上に出た瞬間、視界が開けた。
岩瀬の町並みが眼下に広がっている。
富山湾が光っている。
遠くに、立山連峰のシルエットが見えた。
「……でかい」
本田が呟いた。
「山が、でかい」
「富山ってこんなに山が近いのね」
ミーハーが言った。
「鹿児島にいた時は、山の存在感がこんなじゃなかったです」
「秋田も山はあるけど、これはちょっと違うわね」
二人で、しばらく黙って立山を見た。
旅をしているから見える景色が、日本中にある。
それを、少しずつ知っていく。
*
北前船廻船問屋の森家を覗いた。
国の重要文化財に指定された豪商の邸宅だ。
「昔の人、すごいですね」
本田が言った。
「北前船で日本中を走り回ってたんでしょ? ある意味、私たちと同じよね」
「船で日本縦断ですか」
「そうよ。ルートは違うけど、前へ進もうとしてたのは同じじゃない?」
本田は少し考えた。
確かにそうかもしれない。
北前船が走っていた海を、今日も原付が走っている。
時代が変わっても、前へ進もうとする人間は絶えない。
大塚屋で三角どら焼きを買った。
一般的などら焼きと違って、三角形をしている。
二人で食べ歩きながら、石畳を歩いた。
「なんで三角なんですかね」
「さあ。でも美味しいからいいじゃない」
「確かに」
MUROYAでランチを食べた。
蔵をリノベーションした、落ち着いた空間だ。
富山の食材を使った料理が並んでいる。
ミーハーが当然のように全部頼んで、当然のように本田の分も払った。
「またご馳走になってしまいます」
「お兄ちゃんからたくさんもらってるから大丈夫よ」
「お兄さんも太っ腹ですね」
「就活頑張れって渡してくれたんだけど……まあ、旅の資金になっちゃったわ」
「就活はどうするんですか?」
「考えたくない」
ミーハーが窓の外を見た。
「旅が終わったら考える。今は走ることだけ考える」
それは逃げているのか、前向きなのか、本田にはよくわからなかった。
でも、今は旅の途中だ。
それでいい気がした。
食後、コモン天下堂へ寄った。
アンティークな雰囲気の漂うカフェだ。
ミーハーがコーヒー豆を物色し始めた。
「昨夜の二三味コーヒー、好評だったわね」
「おいしかったです」
「豆にこだわるのはカワサキ乗りとして当然よ」
「そういうものですか」
ミーハーが豆を買った。
本田はホットコーヒーを一杯飲んだ。
旅の途中のコーヒーは、なぜかいつもより旨い。
*
岩瀬を出て、国道8号線を東へ走り始めた。
富山湾が左手にある。
日本海が、午後の光に光っている。
信号待ちで、ミーハーが隣に並んだ。
「ねえ、さっき大型トラックに幅寄せされなかった?」
「されました。あれはひどかったです」
「わかる! なんで原付に対してあんな追い越し方するの!?」
「あれが一番怖いですよね。風圧でハンドルが取られるし」
「峠の途中で後ろからトラックのライトが迫ってきた時のプレッシャーも最悪よ」
「わかります。ギリギリまで端に寄るんですけど、それでも焦るんですよね」
信号が青になって、また走り出した。
次の信号でまた並んだ。
「ガソリンスタンド、田舎に入ると全然ないわよね」
「そうなんですよ。山間部に入ると急に不安になって」
「残量のメモリを何度も見ちゃう」
「わかります! 一メモリ減るたびにドキドキして」
「しかも見つけたスタンドが閉まってた時の絶望感」
「一番最悪のやつです」
二人で笑った。
走りながらの信号待ちの会話が、続いていく。
「SNSの誹謗中傷もひどいわよね」
ミーハーが言った。
少し声のトーンが落ちた。
「それで運営のHPを見るのが嫌になって」
「俺もです」
本田が答えた。
「最初は気にしてたんですけど、途中から見るのをやめました」
「だから全員が生き残りの人数を知らなかったのよね、昨夜まで」
「結果的に良かった気がします。知ってたら途中で気持ちが変わってたかもしれないので」
「そうね」
ミーハーが頷いた。
「でも」
本田が言った。
「止まれないんですよね。結局」
「そうなのよ」
ミーハーが前を向いた。
「宗谷岬、この目で見たいから。それだけで走れちゃう」
「俺もそうです」
二人が同時に、アクセルを少し開けた。
AV50とプレスカブが、並んで日本海沿いを走る。
「I have a low exhaust、って良い言葉よね」
ミーハーが言った。
「今更だけど」
「今更ですよね」
本田も笑った。
「でも、今更だからこそわかる良さっていうか」
「そうよ。ここまで走ってきたから、あの言葉の意味が体に染みてる」
低い排気量でも、前へ進める。
遅くても、止まらなければ、どこへでも行ける。
それが全身でわかった今だから、あのキャッチフレーズが胸に刺さる。
「最高のキャッチフレーズだと思います」
「謎の運営、粋よね」
「本当に」
*
園家山キャンプ場に着いたのは、夕方だった。
富山県入善町。
海が近い、静かなキャンプ場だ。
炊事場に、湧き水が流れている。
無料で使える。
テントを設営した。
ミーハーが手際よく自分のテントを張っている。
本田のテントの設営も手伝ってくれた。
「銭湯、行きましょうか」
「観音湯?」
「近くにあるって調べたので」
二人でバイクを走らせた。
観音湯は、地元の人たちに愛される昔ながらの銭湯だった。
のれんをくぐると、番台のおばさんが出迎えてくれた。
男湯と女湯に分かれて入った。
*
湯船に浸かった。
熱い。
でも、気持ちいい。
旅の疲れが、じわじわと溶けていく。
ミーハーは女湯の湯船で、天井を見上げていた。
今日一日を思い返した。
岩瀬の町並みを歩いた。
三角どら焼きを食べた。
大型トラックの話で盛り上がった。
ガソリンスタンドがない恐怖を共有した。
日本海沿いを並んで走った。
(楽しかった)
素直にそう思った。
大会に出るまで、ミーハーは常に一人で走っていた。
カワサキ仲間はいない。
というか、AV50に乗っている人間が周りにいない。
だから、いつも一人だった。
でも今日は、隣に本田がいた。
ペースが合う。
話が合う。
何より、止まらないところが合う。
(カワサキ以外のバイクと走るのも、悪くないわね)
ミーハーは湯船の中で、小さく笑った。
それから、ふと思った。
(本田くんのバイクって、なんだったかしら)
プレスカブ、とは聞いた。
でも、どこのメーカーだったか。
(確か……トヨタ? だったかしら)
ミーハーはしばらく考えた。
でも、確信が持てなかった。
(まあ、カワサキじゃないのは確かね)
それだけはわかった。
でも、一緒に走っていて楽しかった。
メーカーが何であれ、並んで走れれば、それでいい。
ミーハーは天井を見上げた。
湯気が立ち上っている。
今夜は、ゆっくり眠れそうだった。
*
銭湯を出ると、善食居へ向かった。
地元の食材を使った、落ち着いた食堂だ。
ミーハーがまた迷わず全部頼んだ。
また迷わず払った。
「本当にいつもすみません」
「お兄ちゃんのお金だから気にしないで」
「お兄さんに感謝です」
「就活頑張れって渡してくれたんだけどね」
ミーハーが笑った。
「僕も就活、頑張ります」
「そう言えるだけ偉いわよ。私なんて頑張る気が全然なくて」
「でも、ここまで走ってきたじゃないですか」
「そうね」
ミーハーが箸を置いた。
「ここまで来たんだから、就活くらいなんとかなるかしらね。カワサキが好きな人間を採ってくれる会社が、日本のどこかにあるはずよ」
「絶対あります」
「そうね」
ミーハーが微笑んだ。
少しだけ、本気の顔だった。
食事を終えて、キャンプ場へ戻った。
テントに潜り込んだ。
波の音が、遠くにある。
富山の夜が、静かだった。
明日は新潟を目指す。
ミーハーは生まれて初めてのフェリーに乗る。
小樽で六十時間、待っている。
本田は新潟から、また一人旅に戻る。
プレスカブのエンジン音が、頭の中に流れた。
AV50のエンジン音が、隣で重なった。
二つの音が並んで、日本海沿いを走っていく。
本田は目を閉じた。
富山の夜が、波の音と共に更けていった。




