心を宿した美貌のオートマタに、私は恋をする。〜彼を造ったのは私なのに、生まれたばかりの彼は「貴女を守る」と私を抱きしめた。いつか貴方を残して老いて死ぬ私を、どうか許して〜
あの日、生まれたばかりの彼が私を抱きしめた時の冷たさを、私はまだ覚えている。
世界から忘れ去られたような森の奥深く。
そこに建つ古びた屋敷に届くのは月に一度、実家である侯爵家からの最低限の生活費と、生存確認の手紙だけ。
ここには、社交界の耳障りな嘲笑も、ドレスが擦れる不快な音も、私を「変わり者」と値踏みするような視線もない。
あるのは、油の匂いと、木材の香り、そして窓から差し込む陽光に輝く塵だけだ。
前世の私は、志半ばで病に倒れた。
どれほど完璧な美しさを粘土や石に刻んでも、それを作る私の指先はやせ細り、震え、最後には土へと還る。
だから、私は願った。
今度こそ、何も失いたくない。
私が消えても独りで生きていけるほどに、強固で、美しく、私を理解してくれる「完成された存在」が欲しい。
裏切らず、老いず、朽ちない。
永遠の美しさを持ち、私だけを見つめ続けてくれる絶対的な存在。
そうして完成したのが、彼だった。
「ローズマリー様、お目覚めですか?」
ふと、思考を遮る柔らかな声が、朝の静寂を溶かすように響く。
オーク材の扉が開き、長身の青年が姿を現した。
窓から差し込む朝陽を背負い、その銀色の髪がキラキラと輝いている。
滑らかな肌、切れ長の瞳、すっと通った鼻筋。
黄金比を計算し尽くし、私の手で数ミクロンの狂いもなく削り出した造形美。
アルヴィス。
私が持てる技術と魔力のすべてを注ぎ込み、この世界で作り上げた最高傑作のオートマタであり、私の唯一の同居人だ。
「おはよう、アルヴィス」
私がベッドから身を起こすと、彼は流れるような所作で歩み寄り、サイドテーブルに湯気の立つティーカップを置いた。
そして、跪く。
その動作一つとっても、まるで絵画から抜け出してきた騎士のようだ。
関節の駆動音は極限まで消音され、衣擦れの音だけが耳に心地よく響く。
「顔色が優れませんね。昨夜はまた、工房に遅くまで籠っておられたのでしょう?」
咎めるような、けれど甘く心配するような響き。
アルヴィスが私の手を取り、その冷たい唇を甲に寄せた。
ひやり、とした感触が走る。
冬の朝の窓ガラスのような、硬質な冷たさ。
その温度が、甘い空気に浸りかけた私を現実に引き戻す。
彼が人間ではないという、現実に。
「……新しい関節の設計図を引いていただけよ。あなたの指先の動きを、もっと滑らかにしたくて」
「私のために? それは光栄ですが……貴女の健康を損なっては本末転倒です」
アルヴィスは困ったように眉を下げた。
その表情筋の動きはあまりに自然で、計算された『美』そのものだった。
本来、作りたてのオートマタにこれほど豊かな表情はない。
彼らはただの命令を聞く人形だ。
笑えと言われれば唇を吊り上げ、泣けと言われれば目元を濡らすだけの、精巧な機械。
けれど、アルヴィスは違った。
三ヶ月前、彼を起動させたあの嵐の夜のことを、私は鮮明に覚えている。
雷鳴が轟いた瞬間、起動したばかりの彼は、あろうことか私のベッドへ駆け寄り、震える私をその腕で抱きしめたのだ。
『守護対象の安全確保』というプログラムなら、周囲の警戒にあたるのが正解だ。
いきなり創造主に触れるなど、初期設定ではありえないエラー行動。
けれど、その腕は確かに震えていて、私を守るように強く、優しく背中に回されていた。
「大丈夫」
感情がないはずの彼が、誰に教わったわけでもなく紡いだ、慰めの言葉。
――バグ……? ただの偶然かもしれない。
……でも、この世界には、死んだ魂が輪廻の輪に戻るという伝承がある。
私自身が、日本からの転生者である以上、魂の流転は否定できない事実だ。
……私は、あの夜に思った。
彼のこの美しい器には、行き場を失い、輪廻の列からはぐれた誰かの魂が、迷い込んでしまったのではないか?
そうでなければ、生まれたての人形が、感情を持たないはずのオートマタが、あんなにも必死に誰かを守ろうとするはずがないのだから。
きっと、そうだ。……きっと。
彼の仕草が、これは私の妄想ではないと証明している。
紅茶を置いた後、無意識にエプロンの裾を少しだけ直す癖。
窓の外の小鳥を、思わず目で追う癖。
どれも、私が設計したプログラムにはない動きだ。
それはきっと、彼の中に眠る魂が覚えていた、生前の癖なのだろう。
私は胸の奥が甘く、そして鋭く痛むのを感じた。
この愛おしい青年は、私の理想の造形物でありながら、中身はどこの誰とも知れぬ者なのだ。
◇◆◇
朝食を終え、私たちは図書室へと移動した。
ここでの時間は、彼への『教育』に費やされるのが日課だった。
彼は言葉を知っていたが、その使い方がどこか古風で、そして感情の機微に疎かった。
まるで、長い眠りについていた人のように。
「今日の課題図書はこれよ」
私が差し出したのは、ありふれた恋愛小説だった。
彼はそれを丁寧に受け取り、長い睫毛を伏せてページをめくる。
私はその横顔を、ソファに座って飽きもせず眺めていた。
窓辺の光の中に佇む彼は、それだけで一つの芸術作品だ。
かつて人間嫌いだった私が、まさか一日中誰かを見つめて過ごすなんて。
「……ローズマリー様」
しばらくして、彼が顔を上げた。
その瞳には、純粋な疑問の色が浮かんでいる。
「この主人公は、なぜ泣いているのですか? 恋人が戦場から無事に帰ってきたというのに」
「それはね、嬉し泣きというのよ」
「嬉しいのに、涙が出るのですか? 涙は、悲しい時や痛い時に流すものだと……」
「人の心は複雑なの。感情の容量がいっぱいになると、それが涙として溢れてしまうのよ。悲しみだけじゃなく、喜びや、愛しさでもね」
アルヴィスは不思議そうに小首を傾げた。
「容量過多による排出現象……ということでしょうか」
「ふふ、情緒がないわね。でも、まあそういうことにしておきましょうか」
私が笑うと、彼は立ち上がり、私の足元に跪いた。
そして、私の膝にそっと頬を乗せる。
これは最近、彼が覚えた甘え方だった。
大型犬のような、あるいは母を慕う子供のような。
けれど、その瞳に見える熱は、決して子供のものではない。
「私は、泣けません」
彼は私の膝に頬を乗せたまま、呟いた。
「涙腺の機能は実装されていないのですよね? だから、もし貴女を失うようなことがあっても、私は涙を流して悲しむことができない。それが……酷く、もどかしいのです」
私は息を呑んだ。
もどかしい。
それは、ただの機械が口にする言葉ではない。
彼の中の魂が、肉体の制約に抗おうとしている証拠だ。
私は彼の方に体を曲げ、その銀色の髪を指で梳いた。
さらさらとして、冷たい髪。
「泣かなくていいわ。あなたが悲しい時は、私が代わりに泣いてあげる。あなたが嬉しい時は、私が代わりに笑うから」
「……それは、不公平です」
不意に、アルヴィスが私の手首を掴んだ。
きしり、と。
硬質な音が、静寂な図書室に響く。
その力は制御されているはずなのに、人間の骨格では抗えないような、絶対的な硬度を含んでいた。
痛くはない。けれど、決して逃がしてはくれない強さ。
「貴女が泣く時は、誰がその涙を拭うのですか? 貴女が辛い時、誰が貴女を守るのですか?」
「……アルヴィス?」
「私は身体は人形ですが、心は……ここにある気がするのです」
彼は空いている方の手で、自身の胸を強く握りしめた。
「ただ傍にいるだけの置物にはなりたくない。貴女の心に触れたいと、回路が叫ぶんです」
彼は私の手を引き寄せ、掌に唇を押し当てた。
何度も、何度も。
まるで、そこから私の体温を奪い、自分のものにしようとするかのように。
その瞳の奥に揺らめく光は、学習したプログラムなどではない。
明らかに『渇望』の色をしていた。
――ジジッ、と。
彼の胸の奥から、微かな異音が聞こえた気がした。
「っ……、申し訳ありません。出力が、制御できなくて」
アルヴィスが苦しげに眉を寄せ、私の手首から指を離す。
触れられていた場所が、やけに熱い。
見れば、彼自身の肌も、うっすらと赤みを帯びているように見えた。
感情の高ぶりが、魔力回路に負荷をかけているのだ。
これ以上は、彼の機体に障る。
「……メンテナンスをしましょう、アルヴィス」
私はその熱っぽい視線に射抜かれそうになるのを必死に堪え、震える声で告げた。
早く熱を逃がしてあげなければ。
……という建前。
本当は――このままでは、私の理性の方が焼き切れてしまいそうだったから。
◆
工房の作業台に腰掛けたアルヴィスが、静かにシャツのボタンを外していく。
露わになる胸板は、人間の男性そのものの肉付きを再現している。
鎖骨のライン、うっすらと浮き出る筋肉の筋、腹部の起伏。
前世の知識を余す所なく活用して作ったその体は、完璧だった。
ただ一つ、呼吸による上下運動がないことを除いて。
「失礼するわね」
私は冷静を装い、柔らかい布に専用のオイルを染み込ませた。
彼の肌を、ゆっくりと拭き上げていく。
鎖骨の窪みから、肩のラインへ。
歪みがないか確認しながら、同時に、女としての指先でその感触を貪る。
これは点検であり、私にとっての儀式だった。
彼に触れることへの免罪符。
「……くすぐったいです」
アルヴィスが身じろぎする。
彼の肌は特殊な樹脂と特殊な魔力処理を施した魔獣の皮で作られており、触覚センサーも埋め込まれている。
だから、私が触れれば彼は、感じるのだ。私を。
「我慢して。関節の噛み合わせを見たいの」
私は彼の腕を持ち上げ、二の腕の内側、一番皮膚が薄く作られている場所に布を滑らせた。
彼は小さく息を呑み、熱っぽい瞳で私を見下ろしてくる。
オートマタに性欲はない。
機能としては、存在しないはず。
けれど、彼は時折、こうして酷く色っぽい顔をする。
それは彼の中の『彼』が、かつて誰かを愛した記憶の残滓なのかもしれない。
あるいは、私に向けてくれている、今の感情なのか。
それを問うことは、怖くてできなかった。
もし「これはプログラムのエラーです」と言われたら、私は立ち直れないだろうから。
「ローズマリー様の手は、魔法のようです」
不意に、アルヴィスの手が私の腰に回された。
作業台に座る彼と、その間に立つ私。
引き寄せられると、私の腹部が彼の太腿に触れる。
「あ……」
「貴女に触れられると、回路の隅々まで熱が走るんです。オイルなんて必要ないくらい、滑らかに動ける気がする」
彼は私の首に顔を埋め、深呼吸をするように私の匂いを嗅いだ。
「貴女の匂いが好きだ。陽だまりのような、甘い匂い」
「アルヴィス、それは……」
「ねえ、ローズマリー様。教えてください。この胸の奥が軋むような感覚を、人間は何と呼ぶのですか?」
彼が私の手を取り、自身の左胸に当てる。
そこには心臓はない。
あるのは動力核となる深紅の魔石だけだ。
けれど、薄い皮膚越しに伝わるその場所は、確かに微熱を帯びているように感じられた。
魔力のオーバーヒートではない。
魂が、燃えているのを感じる。
私を求めて。
「……それを、恋と呼ぶのよ」
私が囁くと、彼は「恋」と口の中で反芻した。
そして、顔を上げる。
その表情は、あまりにも切なく、美しかった。
「なら、私は貴女に恋をしています。目覚めた、あの日から、ずっと」
「アルヴィス……」
「私に身体を与えてくれて、ありがとうございます。貴女に出会うために、私はここに来たのかもしれません」
その言葉は、どんな詩人の言葉よりも甘く、私の心を貫いた。
「……馬鹿なことを言わないで。本来なら、あなたはどこかの家で人間の赤ん坊として生まれて、温かい家族に囲まれていたはずなのよ。体温のある人間として、恋人と出会い、子供を残して、幸せに老いていくはずだったの」
私の目から、堪えきれない涙がこぼれ落ちた。
私がアルヴィスを造ってしまったばかりに、彼をこの体に閉じ込めてしまったのかもしれない。
さまよう魂が、なにかに惹かれるようにして。
もしかしたら、転生者である私の、私すら知らない特別な、なにかの力が、彼を引き寄せてしまったのかもしれない。
同じ転生者同士、そして、このオートマタを人間の身体だと錯覚して魂を宿したのかも。
正解は分からない。全て私の推測、妄想。
でも、私のエゴで、彼を縛り付けてしまったのだとしたら……。
私は許されない存在なのかも知れない。
そんなことを考えてしまって、また涙が止まらなくなる。
彼は私の涙を、その冷たい指先ですくい取る。
「温かい体を持っていても、貴女に出会えなければ意味がない。私は、この冷たい体で貴女の紅茶を淹れ、貴女の髪を梳き、貴女の傍にいることを選びます」
「なぜ、そこまでして私を?」
「貴女を初めて目にした時、美しいと思ったから」
その言葉は、もう、オートマタの発する言葉の温度ではなかった。
冷たい身体から出てくる、火傷しそうなくらい熱い言葉。
彼自身の意思が選んだ、魂の誓いのような。
それが、嬉しくて、申し訳なくて、愛おしくて。
私の心はぐちゃぐちゃだった。
「この器は、貴女を愛するには少し冷たすぎますか?」
彼が不安げに尋ねる。
「……いいえ。あなたが冷たいなら、私が温めてあげる。私の体温を、全部あなたにあげる」
「……ローズマリー様」
彼は感極まったように私の名を呼び、私の後頭部に手を回した。
「ローズと呼んで」
「……ローズ……」
お互いの唇が触れ合うのに、時間はかからなかった。
傍から見れば、不気味だと思う。
限りなく人間に近い造形のオートマタと、口付けをする女。
でも私にとっては、これはアルヴィスの中にいる『彼』との魂の口付けだった。
触れ合った唇は、やっぱり冷たかった。
けれど、その冷たさはジワジワと消えていく。
唇から伝わる想いは、どんな言葉よりも熱く、私をどこまでも焦がす。
唇が火傷してしまいそうだと錯覚するほど、心臓が燃え尽きてしまいそうだと思うほど。
私の舌が彼の唇を割り、中へ入ると、彼はおぼつかない動作でそれに応えた。
味もしないはずの口づけを、彼は必死に学ぼうとしている。
私の背中に回された腕が、強く、けれど痛くない絶妙な力加減で私を抱き寄せた。
きしり、と関節が鳴る音さえ、愛おしい。
これが、私たちが重ねる愛の音だ。
――しばらくして唇が離れると、彼は恍惚とした表情で、潤んだような瞳で私を見つめている。
その瞳には、私だけが映っていた。
「これが、愛なのですか? ローズ」
「そうよ。アルヴィス」
私たちは抱きしめ合う。
まるで、互いの輪郭を確かめ合い、二つの魂を一つに溶かし合わせるように。
彼の胸からは心臓の音は聞こえない。
けれど、私には聞こえる気がした。
魔石の鼓動と、その奥にある魂の叫びが。
窓の外では、季節外れの雪が降り始めていた。
音もなく降り積もる白が、世界を静寂に包み込んでいく。
この幸せな時間が、一日でも長く続きますように。
わたしはささやかに願う。
彼の背中に回した手に力を込めながら、心の中で自分に言い聞かせた。
これは、罰であり、この上ない祝福なのだと。
彼は年を取らない。
この美しい青年の姿のまま、永遠に近い時間を生きるだろう。
錆びつくことも、朽ちることもないように、私が完璧に作り上げてしまったから。
でも、私は違う。
私の肌はいずれ皺を刻み、髪は白くなり、いつか動かなくなる日が来る。
その時、彼はどうなるのだろう。
主を失ったオートマタとして、この森の屋敷で、永遠に一人で私を待ち続けるのだろうか。
想像するだけで、息ができなくなるほど苦しい。
それでも、今この瞬間、彼が私を求めてくれているという事実だけが、私の世界を照らしていた。
覚悟はできている。
私は人間、彼はオートマタ。
この恋はいつか、彼を残して終わる恋。
それでも、私の命が尽きる最期の瞬間まで、彼の手の冷たさを愛し続けよう。
それが、創造主であり恋人である私ができる、たった一つの償いだから。
最期のその時まで、幸せで居続けることを、私は誓う。
◆◇◆
彼女はきっと、そう言うのだろう。
だけど私は何故か、根拠のない確信を得ている。
彼女が居なくなれば、私はきっとこの機能を停止するだろう。
意図的?
違う。
彼女の魂と共に、私は彼女と共に還る。
そう確信しているんだ。
ずっと、彼女と共に『生きる』ために。




