第一話
エレガントな造りの公爵家の広々とした子ども部屋は、午後の柔らかな日差しに満ちていた。壁には豪華なタペストリーが飾られ、床にはペルシャ絨毯が敷き詰められている。
窓からは手入れの行き届いた庭園が見渡せる、まさに公爵家の子どもたちにふさわしい空間だった。
公爵令嬢ビアンカ(8才)は、象牙細工のドールハウスの隣で複雑な構造の木製積み木を積み上げる作業に没頭していた。
その集中力は大人顔負けで、繊細な指先が緻密な建築物を高々と築き上げていく。
そんな姉の横で末の弟のニール(4才)は、今日もまた床でゴロゴロと転がっていた。
「ふわふわでちゅねぇ……」
公爵家の教育係が聞いたら卒倒しそうな幼い口調で、彼は絨毯の毛並みを頬で感じながら満足そうにしている。
ビアンカはふと手を止め、そんなニールを微笑ましげに眺めた。
「ニール、そんなところで転がっていないで、お姉様と遊ばない? お昼寝の時間にはまだ早いわよ?」
ビアンカが声をかけるが、ニールは「んー」と唸るだけで転がるのをやめない。
彼はこの、何をするでもなく姉のそばにいる時間が一番のお気に入りなのだ。
ビアンカはため息をつきつつも再び積み木遊びに戻った。
彼女が五層目、つまり城の最上階の尖塔を慎重に乗せようとしたその時だった。
ゴロゴロと床を転がっていたニールが無意識のうちに足を投げ出し、積み木の土台の端にチョンと触れてしまったのだ。
「あっ!」
ビアンカの短い悲鳴も空しく、彼女が時間と集中力をかけて築いた壮麗な城は一瞬にしてバランスを崩した。
ガラガラガラッと、木片が床に散乱し大きな音を立てる。
ビアンカは思わず目をつむったが、隣からそれ以上に大きな泣き声が上がった。
「ふわぁーん! お、おねーたまの、おしろがぁぁぁ!」
積み木を崩したのはニール自身であったが、彼はその光景に衝撃を受け口を開けて泣き出したのだ。まるで世界が滅亡したかのような、公爵家の御曹司にあるまじき大号泣だった。
「 びええん!おねーたまぁ、ごめんなちゃい!」
大粒の涙を瞳いっぱいに溜め鼻水をすすり上げながら、ニールは上目遣いでビアンカを見つめる。目に涙を浮かべ、心配そうに首をかしげる。
その姿は八歳のビアンカから見ても筆舌に尽くしがたい可愛らしさだった。
ビアンカは散乱した積み木には目もくれず、そっとニールに近づいた。
そしてニールのやわらかな頬にそっと触れる。
なぜならニールが世界一可愛いから。
ビアンカはその小さなほっぺを優しく、慈愛に満ちた手つきでぷにる。
「ぷに、ぷにぷにぷに、ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに」
左右の頬を手のひらと親指で挟み込みもちもちと揉む。
ニールの顔は魚のような形にひしゃげたが、その感触は至高だった。
ニールはふにふにされた頬の感触と、大好きな姉の温もりに包まれてすぐに泣き止み笑う。
「あうー、ぷに、くすぐったいでちゅ!」
なぜなら大好きな姉にぷにられ自分は許された。
ゆえに自分は特別な存在なのだと感じて嬉しいから。
その翌日、子ども部屋は一転して緊迫した空気に包まれていた。
長男で公爵家の後継ぎのナイト(12才)がニールを壁際に追い詰めていた。
ナイトは利発で真面目だが、その内面には幼い嫉妬心が渦巻いている。
「なぜお前ばかり……、 母上はいつもお前ばかりを可愛がる! なぜだぁ!」
ナイトはニールが生まれてから母である公爵夫人の愛情がニールに集中していると感じ、彼に度々意地悪な言葉を浴びせるのだ。
「うう、お前は泣き虫で何の役にも立たないくせに!」
ニールは兄の厳しい言葉に、みるみるうちに目を潤ませ体が震えだす。
「うぅ、ひゃぅ……」
その瞬間、部屋の空気がヒュン!と一気に冷え込んだ。
発生源はビアンカだ。
彼女は怒りに瞳をギラつかせながら、兄であるナイトの背後に誰も視認できない凄まじい速度で回り込んだ。
「お兄様ぁ?」
ビアンカはまるで何事もなかったかのように母のように優しく、ナイトの左のほっぺをそっと手でなぞる。
「ひっ!」
ナイトは背後から忍び寄る妹の気配にまるで悪霊に憑りつかれたかのように怯え声を上げた。
そして、ビアンカは悪魔的な満面の笑顔と共にナイトのほっぺをぷにるのだ。
「ぷに。ぷーにぷに、ぷにぷに」
言葉とは裏腹に、ビアンカのその手つきはニールに対するものよりはるかにスピーディで容赦がない。
なぜなら、ナイトは思春期に入りかけた今、姉に人前で、しかも弟に苛立ちをぶつけている瞬間にぷにられるのが死ぬほど嫌なのだ。
公爵家の子ども部屋の使用人たちが見ている前で、妹に頬を弄ばれる屈辱は何よりも耐えがたい。
「や、やめろ、ビアンカ!ぐっ、力つよっ、この、離せ!」
ナイトは屈辱と羞恥心で顔を真っ赤に染め、ビアンカの手をなんとか振り払い、耳まで赤くしながら一目散に部屋から逃げていった。
「うわあぁー!もうやめろよぉ!ビアンカ、お前、絶交だ!一生口をきいてやらないからなー!」
ビアンカは顔を隠しながら逃げ去っていく兄の姿を、満足気な表情で見送った。
彼女にとってこれはただの制裁ではない。
正義の執行なのだ。
兄が去り、ビアンカは再び弟の元へと戻る。
ニールはまだ小さな体を震わせながら泣きじゃくっていた。
「さあ、ニール。もう大丈夫よ。お姉様が守ってあげる」
ビアンカはニールを抱き上げ、部屋の隅にある彼の専用の小さなベッドへと運ぶ。
そしてビアンカは、時間を惜しむことなく優しく、ねっとりと、彼の涙腺の奥底まで染み渡るように思う存分ぷにるのだ。
「ぷにぷーに。ぷにぷにぷににぷにぷに、ぷっにぷっに」
両手を使ってニールの顔を、もちもち、うにょうにょ、と変化させる。
ビアンカの愛情が熱となって手のひらからニールの頬に注ぎ込まれるようだった。
ニールはその愛情たっぷりのぷにりによって、兄からの恐怖を忘れ、ただただ姉の愛情に身を委ね泣き止んだ。
そして愛されている喜びに満たされた笑顔を浮かべた。
公爵家の子ども部屋は、今日もビアンカの「ぷにり」によって、完璧な秩序と平和が保たれていた。
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