ボトル半分のワイン
火を落としたオーブンとかまどは、名残の熱を留めながらも、秋の空気に少しずつ冷めていく。
コフィアの厨房で片付けを終えたイェルドは、マグに注いだワインを片手に、デルフィーナから渡されたレシピへ改めて目を通していた。
「やあ、君だけかい?」
店内の最終確認を終えたリベリオが、外階段からの扉を開けて顔を出す。
タツィオとフィルミーノは、今しがた帰ったところだ。
「ああ。……飲むか?」
イェルドは手元を覗き込んできたリベリオにワインのボトルを示す。
白ワインケーキに使った残りである。
一度封を切ると酸化してしまうため、ワインはその日に使い切るようにしている。余った場合には持ち越さず、翌日は新しいボトルを開けるように、とデルフィーナから指示されていた。
ワインケーキの人気は高く、特に紳士が好んでいるようだ。
どこかの紳士サロンで話題になったらしく、持ち帰りの売り切れが続いていた。そのため増産することとなり、今日は多めに焼いた結果、半端にワインが残ってしまった。
ボトル半分あるかどうかという量なので、一人でも飲みきれるが、興味がある素振りを見せられては、声をかけないわけにはいかない。
だがイェルドの反応に対して、リベリオは苦笑した。
「ああ、失礼。見たかったのはワインではなくレシピの方だ」
覗き込んだのはマグではなかったらしい。
「でもせっかくだから、相伴にあずかろうかな。つまみはないのかい?」
自らマグを取り出してきて、となりへ椅子を並べたリベリオは、テーブル代わりにしていた作業台の上を見る。
「キッシュに入れたベーコンの切れ端だが」
イェルドは、角切りにされたベーコンの乗った皿をリベリオの方へ押し出す。
そもそも、こうして“余り”が出ること自体がイェルドには馴染みが薄かった。今までの料理店では、材料は端まで全部使う。多少バランスが悪くなっても余さず使い切る。そういった店や料理が多かった。
レシピを見ながら、改めて思う。
デルフィーナの書くレシピは、詳細に過ぎる、と。
だが嫌ではない。
ここまで細かく決まっているからこそ、常に同じ味にできて、味の改良も容易いのだ。
これまでイェルドが見てきた料理のレシピは、もっとずっと単純なものばかりだった。
材料と、調理の順番、ポイントとなるところに少し言及があるだけ。
見たことも食べたこともない人間には再現できない。
弟子やそれに準ずる従業員が同じく作れるものとして登録されているものがほとんどで、アレンジは自由にできる。
各店、各屋敷での味となる、そんなレシピばかりだった。
デルフィーナのレシピを初めて見た商業協同組合の連中は、たまげたことだろう。
そして引き出したレシピを目にした料理人も。
なにせ、見たことも食べたこともない人間でも、再現可能なほどの詳細さなのだ。
材料はグラム単位で書かれている。それだけでなく、手順が細かく決められ、次の作業へ移るのに適した状態まで記されている。ときには絵さえ添えられていた。
実際にデルフィーナの説明を受けながら菓子を作ったイェルドは、その工程を知ってから再度レシピを読んで、衝撃を受けたものだ。
デルフィーナとの顔合わせの方が驚愕度合いが強く、レシピも、そんなものかとあの時は受け入れてしまったが。
よくよく考えれば、これひとつとっても、とんでもないと思う。
「このレシピを見ていると、料理をしたことのない私でも、作れそうだと思うよ」
イェルドと同じ事を考えていたらしく、リベリオがレシピの文字を指先で辿りながら、微かに笑った。
「……ああ」
見習いでしかなかったフィルミーノは、他所から回ってくるレシピを見る機会があまりなかったのか、デルフィーナのやり方に違和感を覚えている様子はない。
だが新しい料理に出会うために生きていると豪語するリベリオは、その元となるレシピにも目を通してきたのだろう。イェルドと似たような感想を抱いていた。
「画期的な料理にも衝撃を受けたけれど、このレシピからして、オーナーは色々と異質だね」
「…………」
「恩恵を預かっている身では、それを含めてありがたい話ではあるけれど」
コフィアで扱うものは、全てが新しい。
提供する飲食物だけでなく、食器類、調理器具、店内展示用品のほとんども、これまでになかったものばかり。
この地下の厨房も、実のところ、世間に対して明かせない秘密で満ちていた。
エスポスティ家の人々は、二つの商会を使ってそれを徐々に世間へと広める算段をつけているようだが、秘密を守る片棒を担いでいる身としては、早めに広めてほしいと思う。
なにせデルフィーナは、次から次に思いついている様子なのだから。
「コフィアを辞める気はさらさらないけれど、この先、ちょっぴり気苦労はありそうだよね」
同意を求めるようにウインクをしたリベリオに、イェルドは肩をすくめる。
「気苦労よりも、身の危険ではないのか?」
「あはは、そうかも」
楽観的に笑うリベリオも、子爵令息として、貴族が通う学院を卒業している。一通り武器の扱いは習い、本職にはなれずとも剣術は修めている。
だからこのように笑っていられるのかもしれないが。
デルフィーナが何故、元傭兵だという点にあれほど食いついたのか。今ならよく分かる。
コフィアに勤める以上、身体が鈍ることのないように、修練もさぼらずおこなったほうがよさそうだ。
「ま、この先も色んな料理は楽しめそうだ。よろしく頼むよ、料理長」
ワインの入ったマグを掲げてくるリベリオに、一つ嘆息したイェルドは自分のマグをぶつけた。
開店から間もないのに順調に業績を伸ばしているコフィアだ。
ずっと就職先に困っていたイェルドも、ここ以上の職場はないと思っている。
デルフィーナの“知識”があれば、先々もきっと困ることはない。
共にコフィア運営の中心を担う給仕長とは、長い付き合いになるだろう。
ボトル半分の白ワインを分け合いながら、二人は無言で連帯感を深めていた。
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