寒い日にはグリブイを
冬の戻りのような、寒い日だった。
デルフィーナは、外套の上へさらにブランケットを羽織った姿で、スプリングの効いた馬車内で揺られていた。
アロイス、エレナ、ジルドを伴って、コフィアに向かっている最中だ。
春の気配はあるものの、朝晩はまだかなり冷えるため、日中の暖かい時間に外出するようスケジュールが組まれている。
数日前に王都では珍しく雪が降り、少し積もった。使用人の子ども達ははしゃいで雪遊びに興じていたが、子どもらしい子どもではないデルフィーナがそこに混じることはなかった。
こっそり雪兎は作ったが、その程度だ。
冬の間は外へ出ると風邪をひくと、とにかくエレナが気を遣っている。心配をかけるのも申し訳ないので、彼女が考えてくれるスケジュールに素直に従っていた。
「こんな寒い日は、グリブイが食べたいわ」
コフィアに着くのは、ちょうどお昼の時間帯だ。
空腹を覚えたデルフィーナは、ぽそりと呟いた。
その言葉を逃さずアロイスが拾う。
「グリブイ、とはなんだい?」
食べたい、と言ったからには料理だろうと、にっこり微笑む。
寒いのは誰しも同じだ。温かい食べ物で、新しいものがあるのなら、当然気になる。
「ええと、壺焼きですね」
「壺焼き?」
「はい。陶器の器にキノコのシチューを入れてパイ生地で蓋をして、丸ごとオーブンで焼くのです」
ポットパイに似ているが、グリブイ、あるいはグリヴィは、ロシア料理だ。
グリブイとはキノコを意味する。キノコシチューの代わりにボルシチを入れれば、ガルショークとなる。
蒸し焼きにされたシチューは熱々で、パイを崩しつつ食べる。
パイの蓋が熱を逃がさない上、器自体も熱いので冷めにくく、寒いところでも食べ終わるまで温かさを保つ料理なのだ。
ポットパイはミートパイがベースとなっているらしく、中身もパイもアレンジが豊富だった記憶がある。そちらはそちらで美味しいのだが、今日の気分はグリブイだった。
「オーブンならコフィアにあるねぇ」
「壺とキノコを買っていけば作れそうですね」
アロイスの言葉に、エレナも頷く。
タイミングがいいと、あるいは悪いと、コフィアのまかない作りをエレナは手伝っていた。イェルドの手が離せない状況の場合、エレナとフィルミーノの二人で作るのだ。
勝手知ったる厨房で、デルフィーナの希望する料理を作るのは、コフィアの料理人に限らない。
侍女の役目ではないと思うものの、エレナも料理は嫌いではないようなので、毎回甘えている。
デルフィーナの出すレシピはどれも美味しいとあって、さらに自分が作れば口にすることができるため、エレナは概ね嬉々として作っていた。
頷き合った二人は、御者に行き先変更を告げる。
キノコはコフィア近くのグロサリーで買えるとしても、壺は適したサイズがない可能性が高い。
初めて砂糖作りをした時に入った調理器具の専門店へと馬車をつけ、手早く壺を人数分購入した二人は、さっさと馬車を移動させ、生鮮食品を売っている露天でキノコも数種類購入する。
その素早さは、デルフィーナが呆れるほどだ。
本来、店の前へ馬車を乗り付けたままにするのは迷惑なのだが、ごくごく短時間だとよくあることのため問題ない。
食欲に動かされているアロイスとエレナを見守りつつ、ジルドはデルフィーナと御者と一緒に馬車で待っていた。従者を入れ替えた状態は、数分間で終わった。
「他に必要な材料はあるかい?」
コフィアへ向かう前に確認、とゆっくり馬車を走らせながらアロイスが問う。
「そうですね、タマネギと、鶏肉が少しあると嬉しいです」
タマネギ、鶏肉ともに、東洋医学でいうところの温性食材だ。身体を温める食べ物なので、冬向きの食材である。
デルフィーナが過去世で作っていたグリブイは、自分の口に合うようアレンジしていたものだから、本格的なロシア料理からするとちょっとズレていると思う。
だが、寒い時には温かい料理、かつ身体を温める温性のものを食べたかった。
ニンニクを入れてもいいのだが、コフィアのまかないとして作るなら、接客担当のスタッフに食べさせるわけにはいかないため、今回は抜いておく。
終業後ならよかったのだが。
「どちらもコフィアの近くで買えそうだねぇ」
小さな商店街を思い浮かべて、アロイスは頷いた。
コンコン、と馬車を叩いて合図を出すと、ゆっくりだった走りが早くなり、コフィアへと向かう。
「パイ生地は寝かせてあるものを借りようねぇ」
「そうですね、使った分は補填しないとですが」
メニューにアップルパイがあるため、パイ生地自体はしっかり作り置きがある。
半日か一日寝かせるため、使っては作り寝かせ、使っては作り寝かせ、とローテーションしていた。
「キノコのシチューか。季節的にちょっと心配だったけど、あってよかったねぇ」
キノコの旬は秋、あるいは夏だ。
だが冬に取れる種類もいくつかある。
秋が旬のものは、干して乾燥した状態でも売っていたが。
「そうですね」
寒茸、雪の下、と呼ばれるような種類が、バルビエリにもあるのだろう。
過去世では、栽培していたので通年食べられた。だが現世では、温室でキノコを育てることはまずない。
そんな違いをうっかりと忘れていたが、気持ちはすっかり「グリブイ食べたい」になっている。
フレッシュな冬ものが売っていた今日は、ラッキーだったといえよう。
馬車は速度を上げた分、かなり揺れている。
だがスプリングの効いた座面は、そんな揺れでもデルフィーナにストレスを与えない。
体重が軽い分、馬車内でぴょこぴょこと身体が跳ねるが、それもまたトランポリンのようで楽しい。
ご機嫌な笑顔になっているデルフィーナを微笑ましく見ながら、アロイスは抱えた籠を持ち直す。その中には、壺とキノコが詰まっている。
「今日のお昼ご飯も楽しみだねぇ」
「はい!」
元気よく返事したデルフィーナはまだ知らない。
熱々のシチューで舌を火傷するスタッフが続出するも、おかわり! と全員が熱望することを。
コフィアで作ったはずのグリブイが、エスポスティ家でも作られるようになり、冬の定番として定着することを。
数年後の冬には、“王都バルディ冬の名物料理”の一つにまでなることを。
今はただ単純に、寒い日にはグリブイが美味しいよね! と思うだけだった。
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