第4話「この世とあの世の間で」
夜が、いつまで経っても明けなかった。
あれから何時間が過ぎたのか。旅館の掛け時計は十時を指したままピクリとも動かない。
窓の外の月も、先ほどからずっと同じ位置に張りついていた。
「なあ……明日の試合、どうなるんだろうな」
控えのキャッチャーが、ぽつりと呟いた。
それは誰もが考えていたことだった。
「当たり前だろ、俺たち、死んだんだぞ?」
誰かが苛立つように吐き捨てた。
その声も、どこか震えていた。
「でも、俺……親父に言っちまったんだよ。絶対甲子園で勝つって。見に来るって言ってたのにな……」
そう言って顔を覆うサードのやつの肩が、小さく上下に揺れた。
皆、何かを言いたげだった。
けれど、何を言ってもきっともう届かない。
その沈黙が、この旅館の部屋をますます重くしていた。
そのとき——。
ふと、襖が音もなく開いた。
そこに立っていたのは、いつの間にか見慣れない男だった。
着物を着ていて、顔は笑っているのに、目だけが異様に冷たい。
「やあ、ようやく気づいたね。ここがどこか」
その声に皆が振り返った。
「……あんた、誰だよ」
キャプテンが低い声で問う。
「まあ、案内人みたいなものさ。人が死んで、まだ次へ行けずにいる間——つまりこの“狭間”をうろつくのが仕事でね」
男はにこにこと笑いながら畳に上がり込んできた。
場違いに白い足袋が、畳に柔らかく沈む。
「信じがたいかもしれないけど、きみたちはもう“向こう側”へ渡るだけの存在だ。なのに、まだこうして一緒にいるのは、未練があるからだろう?」
「未練……」
思わず、皆の目が合った。
誰も口には出さないが、それははっきりしていた。
——甲子園で勝ちたい。
——もっと野球がしたい。
——まだ親に恩返しもしてない。
——こんなところで終わるなんて、嫌だ。
「……未練があると、どうなるんですか」
一番端にいたマネージャーの女の子が、震える声で聞いた。
「さあ? 長くここにいれば、いずれ自分が何者だったかも忘れてしまうだろうね。
そうして気づけば——ただの空っぽの影だ」
男はにこりと笑ったまま、静かに立ち上がった。
「行きたいなら、早く行くことだ。未練は厄介なものだよ。生きていた頃の心のままここに残っても、結局は何も手に入らない」
その言葉を最後に、男は音もなく襖を閉めて消えた。
畳の上には、また選手たちだけが取り残された。
誰も口を開かなかった。
ただ全員が、胸の奥で、自分が何を手放したくないのかを考えていた。