表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話「気づいてしまったこと」

目を開けると、薄暗い天井があった。


 ——あれ、いつの間に部屋に戻ったんだろう。


 頭がずきずきと痛む。喉の奥は乾いて冷たく、息を吸うたびに小さく咳が出た。

 額にはじっとりと汗がにじんでいる。ひどく疲れているのに、眠気だけはどこかへ行ってしまっていた。


 ゆっくりと身体を起こすと、畳の上には何人かが雑魚寝していた。

 狭い部屋の中、静かな寝息がいくつも重なって聞こえる。


 隣にはキャプテンが、ぐったりと大の字になっていた。

 少し口を開けて眠っている顔が、ひどく青白く見えた。


 窓の外はまだ夜だった。月がやけに白く、静かに浮かんでいる。

 さっきまで賑やかだったはずの町も、この時間は虫の声だけが響いていた。


 「……夢だったのかな」


 自分の声が、やけに遠く聞こえた。


 そうだ、バスで球場へ下見に行ったはずだ。

 夜道を走るバスの中で、少し眠ってしまって……そのあと、何か、何かが……。


 思い出そうとすると、頭の奥が鈍く痛んだ。

 ぼんやりして、呼吸が浅くなる。喉の奥が、氷でも押し当てられたみたいに冷たくなる。


 そのとき、不意に部屋の隅のテレビからアナウンサーの声が流れた。


 「……今夜七時過ぎ、○○県○○町の県道で、高校野球部員らを乗せたバスが崖下に転落しました。乗っていた二十六人全員が……」


 思わず振り返る。

 小さなブラウン管テレビの画面には、見覚えのある真っ赤なバスが、木々に潰されるように横たわっていた。


 青いシートに覆われた、何か。

 その周りを忙しそうに歩き回る救急隊員と、まぶしいライト。

 警察官らしき影が、ロープを持って崖下に降りていく。


 「おぃ……うそ…、だろ」


 隣のキャプテンがいつの間にか起きていて、真っ青な顔で画面を見つめていた。

 その目は、何かを見つめているようで、何も見ていないようでもあった。


 「おい……どういうことだよ……なぁ」


 控えの外野が弱々しく声を出したが、誰も返事をしなかった。

 ただ一人、また一人と起き上がり、同じようにテレビを呆然と見つめた。


 「死亡が確認されたのは、運転手を含む二十六人。いずれも地元広海高校の野球部員で、甲子園に出場予定でした……」


 口の中が急にカラカラになる。

 唾を飲み込もうとしても、喉がうまく動かない。


 「そんな……だって……」


 控えのピッチャーが、小さく肩を震わせていた。

 泣いているのかと思ったが、声は出していなかった。

 その顔には涙もなく、ただ何か恐ろしいものを見てしまった子どものように、瞳だけが虚空に怯えていた。


 ふと周りを見渡すと、皆が自分の手を見つめていた。

 自分も思わずそうした。両手をゆっくり目の高さまで持ち上げる。


 ——ちゃんと、ある。


 爪も指も、泥の染みた古い絆創膏も。

 でも、なんだろう。

 さっきまで感じていた自分の体重が、どこか少し軽くなったみたいだ。


 そっと畳に手をついて押してみる。

 畳の感触は確かにあるのに、どこか薄皮を一枚隔てたような感覚だった。


 「……俺たち、死んだのか」


 誰かがそうつぶやいた。

 でも、その声に誰も返事をしなかった。


 キャプテンが、そっと拳を作って、口元に当てた。

 泣いているのかと思ったが、そうではなく、ただ必死に何かを耐えるように唇を噛んでいた。


 小さなテレビは、まだ崖下の映像を延々と流していた。

 倒木に引っかかるバスの残骸。

 ライトに照らされて浮かび上がる血の跡。

 レポーターの早口の声が、奇妙に遠く、こもって聞こえた。


 そのとき、誰かの短いすすり泣きが静かな部屋に落ちた。

 それが合図のように、全員が視線をそっと下げた。


 触れているはずの自分の手が、いつの間にか頼りなく揺らいで見えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ