第6話:想い出のロレーヌ
二人は半日かけて森の深部へと足を踏み入れた。遺跡の一部が見えたところで、荷物を降ろし、野営の準備を始めた。日が暮れてしまうと手元が暗闇に覆われ、作業が困難になってしまう。
「手際がいいな」
「仕事を選んでられなかったからね。野営ぐらいは手慣れたものだよ」
アレットは円を描くように小石を並べ、その中に折った枝をくべながら答える。
「そいつは良かった。寝食までガキのお守りで半分以下の分け前じゃ、割に合わねーからな」
「……自分から引き受けたくせに」
簡素な焚火に魔法で火を点け、焚火の両端に枝を差して支柱にする。鞄から取り出した鉄の鍋をその枝に掛け、焚火の火で熱が加わるようにした。切り株を作業台代わり昨日仕入れた食材を並べると、それを見ていたジャンが口を挟んだ。
「ミックの霜降り肉とは……シケてるな」
ミックというのは愛らしい見た目の小型の獣だ。種や木の実などを好んで食べ、繁殖能力に優れるので、家畜としても人気がある。肉は柔らかく、比較的安価で手に入るため、庶民の間では定番の食肉である。
「碌な準備資金もなかったんだから仕方ないよ。言っておくけど霜降りは初日だけで、あとは保存の効く干し肉しかないから。文句があるなら現地調達になるけど?」
それでも十分に贅沢な食事だと言えば、彼はそれ以上なにも言わなかった。雇用された側は準備が最低限でいい代わりに、待遇に文句をつける権利がない。どうしても気に入らなければ、自力で準備を整える。冒険者の中では、それが暗黙のルールになっていた。
アレットは手際よく食材を狩猟ナイフで刻み、油を注いだ鍋の中へ入れていく。木の実と香草を順番に鍋へ流し入れ、木べらでよくかき混ぜる。木の実の水分が油と反発してパチパチと音を立てた。食材に火が通る音と焼けた香草の匂いに、アレットの腹の虫が大きな音を立てた。昨晩から何も口にしていないのだから当然の生理現象だったが、彼女の耳は真っ赤に染まった。
「でけぇ腹の音だな……」
アレットは俯き加減のままジャンの言葉を無視して、鍋に水と香辛料を追加した。恥ずかしくて鍋の中に視線を集中させていると、小麦色の物体がぬっとアレットの視界を遮った。
見れば、小麦粉を固めて焼いた生地に木の実が練り込まれた焼き菓子だった。
「……これは?」
「余った材料でつくる、カナンの家庭料理だ。食ったことないのか?」
「カナンの? なんていう食べ物……?」
「さぁな。ロレーヌって名前のばあさんがよく焼いて寄越してくれたんで、俺はロレーヌって呼んでる。簡単に作れて保存が利くんで作り方を教わったんだ」
ロレーヌという女性は、王都の移民街に住むカナンの避難民だろうか。興味はあったものの、不躾に聞くことも憚られた。
「……くれるの?」
「いらねーなら俺が食べる」
「ありがとう。いただくよ」
「なんだ、ちゃんと礼も言えんじゃねーか」
「……、……」
そろそろ、逐一嫌味を言われるのにも疲れてきた。親切に対する感謝の気持ちまで茶化されては、碌な会話もできない。アレットは大きな溜息を吐いた。
「そうやっていちいち茶化して誤魔化さないと人に親切にできないんだね」
「……は?」
「照れ臭いの? 私が八つの頃、近所に住んでた同い年のオリバーもそうだった」
アレットは言外に、彼の態度を幼稚だと詰った。そしてそれが正しく伝わったのか、ジャンの額に青筋が浮かんだ。
「テメー……やっぱそれ返せ」
「嫌だよ。貰ったんだから、もう私のだもん」
ジャンは焚火を挟んで身を乗り出し、腕を伸ばした。アレットは咄嗟に身を引いて、貰った焼き菓子を懐に抱え込む。
「ガキみてぇなことぬかしやがって! 返せ、この善意泥棒!」
絶対に返すものかと、アレットはこんがりと焼き色のついた生地に齧りついた。思いがけずふわっとした食感に乾燥した木の実の香りが鼻を抜け、甘みが口いっぱいに広がった。
「あー! 思いっきり齧りつきやがって……」
「あ、あまいッ……しかも、ふわふわ。これが、一般家庭の料理?!」
「……、……」
「カナンはよっぽどハイレベルな文化を持った国だったんだね。こんな食べ物があるなら国民は皆幸せだよ……正直、毎日でも食べたいっ」
アレットの反応に毒気を抜かれたのか、ジャンは伸ばしていた腕を引っ込め、大人しく座り直した。呆れたような表情で、長い溜息を吐く。
「まぁ……ガキと女は甘いもんが好きだよな」
落ち着いて鍋の面倒を見始めたジャンに反して、アレットの興奮は冷めやらなかった。その焼き菓子を作ったのはジャンだということも忘れ、アレットは亡き同盟国を褒め称えた。
「カナンと言えば、大陸一と謳われた騎士団とその武勇伝が有名だけど……それ以上に豊かな資源と文化を持った国だったのに残念だよね。いつか行ってみたかったなぁ」
「行ってみたかったって……カナンにか?」
もし隣国が今も栄えていれば、王宮から追い出されたアレットは真っ先にカナンへ移り住んでいただろう。魔鉱石の研究をする上で、カナン以上に立地のいい場所はない。
「うん。魔鉱石に興味を持ち始めてからは特に。カナンといえば国有鉱山も有名だったからね。きっと色んな種類の魔鉱石が手に入ったんだろうなぁ」
その鉱山も、無事に残っているか分からない。山賊や魔物の住処になっているだけならまだマシだが、崩落している可能性もあった。
灼熱の炎が王都を焼き、皇族や騎士団は国民を逃がすため、その殆どが犠牲になった。ドラゴンの群れは王都だけでなく、近隣の領地も次々と襲った。生き残った辺境の貴族たちはラヴィアに逃れ、なんとか王国を立て直そうとしているが、瓦礫と化した王都にドラゴンが巣食っているせいで、それも難しい状態だった。ドラゴンの急襲から五年、未だに復興の目処すら立っていないと聞く。
「宝石が好きだなんて、いかにも金持ちの趣味って感じだな」
「……宝石じゃなくて魔鉱石だよ。まぁ、説明したところでどうせ分からないと思うけど」
魔鉱石には未知の部分も多く、あまり実用されていない。その存在を知らぬ者も珍しくないし、興味をもって調べなければ、耳にすることもないだろう。アレットは上から下までジャラジャラと装飾品を身に着けたジャンの姿を、しげしげと眺めた。派手好きの割には宝石と鉱石の区別もつかないらしい。否、宝石の類が好きというよりは、単に金目のものが好きなだけかもしれない。
なんにせよ、いくらアレットが魔鉱石の価値を語っても彼には理解できないだろう。興が削がれたアレットは、貰った焼き菓子を黙って頬張った。ジャンもそれ以上会話をする気はなかったのか、ミックの肉シチューを木製の器へ移し、黙って食事を始めた。
「交代で眠ろう。私が見張るよ」
夕飯の後片付けを終えると、アレットは鞄に括りつけていた筵を地面に敷いた。
「いや、俺が先だ。あとで起こす」
見張り当番など、どっちが先でも構わない。アレットはジャンの意見を受け入れた。
「ああ、それと……防護魔法をかけてるのは本当だから」
ジャンがアレットに危害を加える可能性は低い。それでも万が一のことを考え、アレットは念のために釘を刺した。
「なるほど。アンタをここへ置き去りにしても、簡単には獣に食われねーってことか」
「そうしたいならどうぞ。但し、雇用費は一切出さないし、ギルドに報告させてもらうから」
「はいはい、心配しなくてもなんもしねーよ……あっ、それともわざわざ言うってことはして欲しいのか?」
ジャンはアレット相手に妙な気を起こす方がおかしいと言い切った。容姿だけで他人の価値を量り、銅貨50枚以下だとすら言ってのけた。それなりに傷付いたアレットの心を置き去りに、当の本人は自分の放った言葉すら忘れてしまっているようだった。
「……実は最初の言葉が本音なんでしょ? でも、本当に怖かったら逃げてもいいんだよ? 別に私は責めないからね」
「――ッ、俺がビビって自分の仕事を放棄して逃げるわけねーだろ! テメー、可愛い気のねー減らず口も大概にしとけよ?!」
他人を揶揄う割には、煽り耐性の低い男だった。アレットは口下手だが、頭の回転は速い。アレット相手の口喧嘩は、彼には分が悪かった。
ジャンが未だに何かを企んでいる可能性も否めない。しかし、アレットは彼にそれほど複雑な真似ができるとも思えなかった。いずれにせよ、この依頼が終われば二度と関わることもない。アレットにとって、ジャンの人間性についてあれこれ考えることは無駄に等しかった。
(まぁ、相性最悪ってことは確かだけどね……)
横になって目を閉じれば、あっという間に睡魔が襲ってきた。そして、ただでさえも寝不足だったアレットは、朝まで爆睡した。




