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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと亡国の姫君
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第51話:一途な婚約者

 アレットは勝手知ったる別荘の自室で、膝を抱えていた。


「お父様もお姉様も、どういうつもりなのかしら……」


 「少し考えさせてくれ」というカルラの申し出で、茶会はお開きとなった。彼女は一番豪華な客室に案内され、アレットとの接触は禁止されてしまった。アシュリーは妹とカルラが結託することをお見通しなのだろう。

 アレットが頭を悩ませているのは、カルラのことだけではない。いくら傭兵団が諜報活動に長けていると言えど、まさか”誓いの腕輪”のことまで調査済みとは思わなかった。この不可視の腕輪のことまで知られているなら、ジャンが相手でも無力化できるだろう。太陽神の加護があれど、アレットが死ねば道連れになるのだから。しかし、いつ情報が漏れたのだろう。ジャンもそうだが、クリスも相当な手練れである。加えてミレーヌは人より優れた五感を持っている。つけられていたのならすぐに気付くはずだ。


『アレット、少しいいかしら?』


 自室の扉の向こうから、姉の声がした。次いでノックの音が響き渡り、アレットは「どうぞ」と短く返事をした。扉から現れたのは姉のアシュリーだけではなかった。その後ろには夫のセドリックがいた。彼の顔には刺青はおろか、傷一つなかった。


「やぁ、アレット。随分久しぶりだね。元気だったかい?」


「……、……うん。セドリックも元気そうで安心したよ」


 彼の優しい笑みを、初めてとても胡散臭く感じた。


「彼、お父様から貴女がここに居ると聞いて現場から飛んできたらしいの。婚約の挨拶に行くだけだと説明しているのに、心配性よね」


 即結婚、という話じゃなかっただけでもアレットにとっては救いだった。しかし、いざ婚約を結んでしまえばアダン家の方から破棄するのは難しいだろう。”セドリック”なら義妹を憐れみ、飛んで来るに違いなかった。


「でも、迎えがきたら簡単には帰ってこれなくなるかもしれない。向こうにとっては人質も同然だ。可愛い義妹を心配するのは当然だよ」


 どうやら彼もアダン家の企みを知っているらしい。アレットはアシュリーとその夫を交互にみた。姉は傭兵団のバージルと自分の夫が同一人物であることを、本当に知らないのだろうか。

 当然、父ドミニクはセドリックの正体を知っているのだろう。寧ろ、知っていてアシュリーと結婚させたのだ。傭兵団と繋がりをつくるためだとしても、わざわざ”セドリック”という偽物を仕立て、彼女を騙す必要まであったのだろうか。


「相変わらず心配性なんだね……」


 アレットは姉の恋愛結婚が羨ましかった。しかし、アシュリーも自身と同様に父の駒でしかないことを知ってしまった。彼女が好きになった誠実で気の優しい建築家は実在しない。その正体は、貴族から金を巻き上げることを生きがいにしているならず者である。

 二人の結婚が決まったのは、姉が十五の時だった。適齢期になってから六年も経つというのに、未だに子供はいない。それはバージルにとってこの結婚が、傭兵団の運営資金のためだけのものであるという証拠だった。二つの顔を使い分けるため、子供がいては色々と面倒なのだろう。

 アレットは優しい義兄の胸に飛び込んだ。親愛の抱擁に見えるよう、体重を預けて背中にしっかり腕を回す。彼は少し驚きつつ、不自然にならぬようアレットの身体を抱き締め返した。


「ここで会えてよかったよ」


 表向きの親愛の言葉に続けて、アレットは彼にしか聞こえない声で小さく呟いた。


(――お姉様を悲しませたら、私の生涯をかけて貴方達を潰す)

 

「僕もだ。上手くやるんだよ」

 

 アレットの背に回した彼の腕が、少しだけ強張った。彼女の言葉はしっかりとセドリックの耳に届いたようだった。アレットは義兄から離れ、夫と妹のやり取りを微笑ましく眺めていたアシュリーへ視線を向けた。


「で、迎えっていつ来るの?」


「明後日の早朝に使いを寄越すと聞いているわ。その前に準備を済ませておいて」


 アレットは大人しく頷いた。


「おそらく相手は、多少強引にでも貴女との結婚の段取りを進めてくるでしょう。何を言われても”お父様次第です”とだけ答えるのよ。まぁ、貴女なら上辺だけの愛の言葉に惑わされたりはしないでしょうけど……」


 交渉を有利に進めるために、なるべく焦らせということだろう。あの父のことだ。上手くいけば、そのまま婚約させることも視野に入れているに違いない。


「それならまだ良心的だが……下手したら脅されたり、そのまま人質にされる可能性だってなくはないだろ。本当に大丈夫なのか?」


 セドリックが心配そうに声を荒げた。どこからどうみても義妹を心配する完璧な義兄だ。

 

「そんなことをすれば、アダン家の協力が得られなくなるだけよ。そういった事態への対処法は考えてあるわ」


「”対処法”ね……」


 アレットは呆れたように鼻を鳴らした。いざとなれば切り捨てられる程度のものだと思わせればいいだけだ。腹いせに殺されないとも限らないが、アレットだってみすみす死んでやるつもりはない。彼女には魔法の心得があり、いざとなれば反撃できる。それを見越しているのか、あるいは最悪殺されても構わないと考えているのだろう。

 実際、もしそんな事態になれば、アレットは父との約束など破ってでも生き延びることを優先させようと心に決めていた。


「長期滞在の準備が必要なのは分かったけど……ここには私物をそんなに置いてなかったよね?」


「ああ、それなら心配ないわ! 貴女のドレスは全て私が新調させたの。余分に持ってきたから、好きなのを選んで持って行きなさい」


 アシュリーは昔から、アレットを着せ替え人形のように着飾らせるのが好きだった。アレットも嫌いではなかったが、細く小さな身体に似合う服となると、どうしても限られて来る。結果、子供っぽい服ばかりが増えてしまった。

 姉のチョイスというだけでも不安になったアレットは、二人を部屋から追い出すと、すぐに荷造りに取り掛かった。

 

 ◇


 結局、迎えが来る日までカルラとは顔を合わせることもできなかった。アレットはブリムの長い帽子をかぶり、清楚な白いドレスに身を包んでいた。門前で迎えを待つ彼女の傍らには、ドミニクが用意したという使用人がいた。

 大きな丸眼鏡とソバカスの浮いた浅黒い肌、縮れた赤毛を一束に編み込んだ、いかにも野暮ったい娘だった。アレットが見劣りしないようにという配慮なのだろうが、あからさま過ぎて腹が立つ。付き人に選んだ娘にも、アレットに対しても失礼極まりない。


「荷物はそれほど多くないけど、きつかったら言って。魔鉱石で浮かせられるから」


「不要なご配慮です、アレットお嬢様。わたくしのことは道具として扱い下さい」


 低く平坦な声だった。彼女は猫背気味の身体を少しだけ揺らすと荷物を持っていない方の手を使って、顔を隠すように前髪を梳いた。今朝紹介されたときから、たまにやる仕草だ。おそらく、癖なのだろう。容姿にコンプレックスのあるアレットは、彼女の気持ちが少しわかってしまう。


「わかった。助けが必要な時は頼むから、貴女も遠慮しないでね。ええと、メリル……だったかな?」


 少女はコクリと頷いた。あまり口数が多いタイプではないらしい。メリルの主はアレットではなくドミニクなのだろう。身の回りの世話をする使用人がいないのも不自然だが、監視されているようで気が滅入る。

 気まずい沈黙に辟易していると、馬車の音が聞こえて来た。随分仰々しい音だと思えば、エイワーズ家の紋章を掲げた騎士たちが、馬車を先導しているのが見えた。そういえば、相手の情報をまったく聞かされていない。騎士団に護衛を頼めるということは、かなり爵位の高い貴族だろう。

 アレットは居住まいを正し、無意識に唾を呑み込んだ。馬車が門前で止まり、中から使いの者が降りて来た。そして、続いて馬車から出て来た人物に、アレットは目を丸くした。


「え、レ、レクト……?!」


 彼は相変わらず大きな隈をこさえていた。鋭い碧眼がアレットを冷たく見下ろした。見慣れない正装に身を包んでいるせいか、綺麗に撫でつけられた金色の髪が記憶にある姿より、更に嫌味ったらしかった。


「ひどい間抜け面だなアレット・アダン」


「待って。なんで貴方がここにいるの?」


「ご挨拶だな。婚約者の私がこうして直々に迎えに来たというのに……まさか何も聞かされていないのか?」


「こ、婚約者っ?! じゃ、じゃあ、レクトが――」


 レクトは呆然と口を開けたアレットの間抜けな顔を一瞥し、忌々し気に吐き捨てた。


「――いかにも。そういう取り決めらしい」


 頭二つ分ほど上にある、神経質そうな顔を見上げると、アレットは頭を抱えて天へ向かって吠えた。


「チェンジ! チェンジでお願いしますッ! この際もうレクト以外だったら誰でもいいから!」


「なっ――、相変わらず失礼な女だな! 私とて、父上とオブライエン公爵の取り決めでなければ誰が貴様のような低俗な女なんぞと……ッ」


「あー、はいはい。低俗、低俗。アカデミー時代からそれしか悪口のレパートリーないもんね。そりゃそうだよね。その低俗よりも低ランクの成績だったもんね」


 レクトのいかにも神経質そうな眉毛がピクリと動き、額の血管がはち切れんばかりに浮きあがった。


「馬鹿は物覚えも悪いらしい。私が貴様に負けたのは魔導鉱石学と錬金術だけだ。魔導理論と交霊学は互角だったし、魔道具なら私の方が――」


「えー、まさか全部覚えてるの? みみっちいなぁ。よっぽど悔しかったんだ」


「……あまり調子に乗るなよアダン。もう貴様はアカデミーの制度に守られていた学生ではないし、同じ宮廷魔導士という立場でもない。この私と対等だなどと思うな。次に無礼な口を利けば処罰の対象になり得るということを忘れるな」


 なんとか怒りを抑え込んだのか、レクトは大きく息を吐いて白い手袋越しに自身の目頭を抓んだ。


「私とて大変不本意ではあるが、この婚約には大きな意味がある。貴様もそれぐらいは聞かされているだろう」


「……分かってるよ」


 魔導アカデミー時代から知る仲であるため、つい気が緩んでしまうが、本来ならアレットは彼と気安く口を利くことも不可能な身分である。二人の家柄には、それほどの差があった。


「覚えておけ。エイマーズ家の敷地に入った時点で、今のような振舞いは許されなくなる。クソ生意気な貴様が私に口答えの一つもできなくなると思うと、今から楽しみで仕方ないが」


「相変わらず器が小さいねレクト」


「……、……よし。いい機会だ。エイマーズ家の敷居を跨がせる前に、身分どころか実力も私に劣るということを実感させてやろう」


 見た目の割には存外、熱くなりやすい男である。アレットの挑発に容易く乗せられたレクトに対し、使いの者が諫めるように大きな咳払いをした。


「レクト様、別邸まで五日はかかります。旦那様の予定もございますので――」


「……分かってる」


 レクトは身を翻すと、馬車ではなく愛馬に跨った。初老の使用人は汚いものでも見るような目でアレットを一瞥し、御者席へついた。ドレスを着たアレットをエスコートする人物はいないということだ。

 ふわりとエプロン付きのワンピースを揺らしながら、メリルがアレットの前へ躍り出た。彼女はアレットへ手を差し伸べて、軽く礼をした。


「あ、ありがとう」


「いえ。お足元にご注意くださいませ」


 動きにくいドレスの裾を持ち上げ、アレットはメリルの助けを借りて馬車へと乗り込んだ。メリルが向かいに腰を下ろしたタイミングで、馬車が動き出した。

 乗り心地の悪い馬車に揺られながら、ようやく落ち着いた時間が出来たアレットは、はぐれてしまった三人のことを考えた。彼等がアダン家を訪ねてくれれば、カルラとは合流できるだろう。ジャン以外にも逃亡中の王女に仲間が居たことは、バージル経由で知っているはずだ。アダン家にとって、彼等は十分に利用価値がある。悪いようにはしないだろう。

 アレットのことも無事だと分かればそれで十分なはずだ。ドラゴン退治に協力するという約束は守れなかったが、神官のクリスと超人的な強さのミレーヌがいれば、アレット一人いなくても然程問題はない。

 

 魔導士アレットの冒険はここで終わりだ。


 彼女は帽子を外すと、余った横髪を指で撫でた。いじけたときに髪を触るのはアレットの癖だったが、いつもの雑に括ったお下げはきちんと編み込まれ、纏められていた。

 姉の誂えた純白のドレスは、アレットによく似合っていた。しかし、婚約者にそれを褒められることはなかった。相手があのレクトだとは思っていなかったが、彼以外であってもきっと似たようなものだっただろう。寧ろ、顔なじみなだけまだマシだったかもしれない。


(――そういえばこれ……)


 アレットは自分にしか見えない、腕輪を眺めた。もし誓いを破ったら、どうなるのだろうか。おそらく、どうにもならないだろう。腕輪の実体は不実を防止するための祭具ではなく、相手を支配する魔道具だったのだから。唯一の懸念は、ジャンを縛り続けてしまうことだ。もし外す方法があるのなら、婚約の前に外した方がいいだろう。婚約を交わすとき神官に腕輪を見られてしまったら、それこそ大騒ぎになる。

 レクトは魔道具の開発や研究の専門家だ。今更だが、彼に相談するのが一番手っ取り早いかもしれない。休憩所に立ち寄ったら、すぐにでも腕輪のことを話そう。アレットはそう決心すると、静かに眼を閉じた。


「少し、眠るわね。なにかあれば起こして」


「承知いたしました」


 逃亡の旅は意外とあっけなく終わってしまった。だが、カナンの再建が叶うなら、これでよかったと思う。カルラとジークベルト、どちらが王になっても、きっといい意味でまったく新しい国になるはずだ。

 どれほど屈辱的な扱いを受け、死んだ方がマシだと思えるような地獄の日々を過ごそうと、その事実はアレットにとって、生きる希望になる。彼等の手で再建したカナンを訪れるまで、絶対に死ねないからだ。

 そんな決意を固めつつ、アレットはやがて心地のいい夢の世界へと旅立っていった。


 ◇


 馬車を先導しながら、レクトはちらりと車体に視線を向けた。


「そんなに気になるのなら、ご一緒されたら良かったのでは?」


 これでもう何度目かと呆れる部下の指摘に、レクトは少したじろいで、長い溜息を吐いた。


「馬鹿を言うな。あんな狭い場所で彼女と向き合ったまま過ごすなど……」


 ――間違いなく、頭が馬鹿になってしまう。そう続けるはずの言葉を、レクトはすぐに呑み込んだ。口の硬い近衛隊にならば聞かれても構わないが、御者は彼の母親が寄越した遣いだった。


「ご令嬢に素直な気持ちを伝えられては?」


 並行している近衛兵たちが、なおも小声で主君へ進言する。


「素直な気持ち、とは……?」


「ですから、”大ファン”ですと」

 

 実はレクトの近辺警護を任されている兵士ならば、誰もが知る事実であった。レクトは何度目か分からない溜息を吐いた。合理性の塊である彼は、実際に口で言うほど体面的な規律や言葉遣いに煩くなかった。弟と違い、屈強な戦士でない彼が騎士団を纏められているのは、意外にもその親しみ易さからであった。


「……別にファンじゃない」

 

「仕事の隙を見ては自室を抜け出し、彼女の研究室の周りをうろついていたのに? その度に重い鎧をつけたまま王宮の長い廊下を移動させられる我々の身になっていただけていれば、レクト様の否定も受け入れられたでしょうな」


 ぐうの音も出なかった。


「侯爵家の嫡男として今の私に求められているのは彼女を愛することじゃない。権力を盤石にしたいアダン家のことを考えれば、今までだって手に入れようと思えば容易かった。だが、そんなことをすれば彼女がどんな目に合うか……それが分からないほど愚かじゃない。鳥は自由に空を飛ぶからこそ美しいのだ」


「では、事が済めば婚約は破棄するのですか?」


 一番年若く怖いもの知らずである兵士が、レクトに問いかけた。


「……、…………、…………そのつもりだ」


「だいぶ間がありましたね……」


「うるさい」


 件の話が持ち上がった時、アレットを嫁に迎えるのはエイワーズ家の次男の役目であった。どうせ破談にするなら、大きな餌で釣った方が効果的だとレクトが名乗り出たのは、どう転んでも深い傷を負うであろう彼女のためだった。

 なにせ、魔導アカデミー時代から自他共に認める犬猿の仲である。家同士で決められた結婚が上手くいかなくても、周囲が納得するだけの理由が最初から用意されている。


「心配しなくとも、ちゃんと破棄する」


「せっかく巡って来たチャンスを逃すのですか?」


「君は私の話を聞いていたか? 賢く聡明で、大陸中のどんな花より可憐な彼女のことだ。此度の婚約がもつ意味や、その身に降りかかるであろう醜聞もよく理解しているだろう。私の恋慕を伝えてまったく対等ではない婚約を成立させることに、なんの意味もありはしない」


 それで彼女の置かれた状況が良くなるわけでもない。それどころか、かえって余計な猜疑心を抱くだけかもしれない。彼女にとって”いけ好かないレクト”のままでいることの方が、よっぽど意味があるだろう。

 レクトは新興派の命令に逆らい、彼女を王宮に戻そうと画策した。王宮の中には教会の管轄である”女神の園”と呼ばれる神官達の宮殿がある。レクトの権限で彼女をそこへ送り戻せば、出世とは無縁になってしまうが、王宮に仕えながら研究を進めることができたからだ。もっとも、自律心の塊のようなアレットはレクトが心配せずとも冒険者として上手くやっていたようだったが。


「懸念は分かりますが、ご令嬢も覚悟の上でしょう。貴方様が御守りすればいい」


「それができれば、とっくにそうしている。情けない話だが、彼女に降りかかる全ての火の粉を払うことは、私にはできない」


 彼女を不幸にするのが自分やその身内であるという事実が、レクトは何より受け入れ難く、許せなかった。だからアレットを好きになった途端、彼の恋は終わったのである。


「貴方ほどの人間でも、手に入らないものがあるのですね」


「当然だろう。君達は私をなんだと思っているんだ? どうやら平民も我々貴族と同じ差別主義者のようだな。権位など対していいものじゃない。私がそう思っていなければ、君等は今ごろ不敬罪に問われていただろうな」


「そうでしょうね。だから俺達は皆、アンタが好きだ」

 

 レクトはいかにも神経質そうな細い眉を片方だけ器用に上げて、近衛兵一粗野で向こう見ずな青年の顔をまじまじと見返した。


「それは媚びているのか? 私に媚びても給金は上がらないぞ」


「……なるほど。レクト様の気持ちが少しだけ分かりました」

 

 兵士たちの素直な気持ちが、真っ直ぐ主君に届くことはこの先もない。貴族社会で身分の差がどれだけ深い溝を生むか。レクトはそれをこの場の誰よりも理解していた。


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