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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと亡国の姫君
51/52

第50話:アダン商会の愛娘

「貴女の姉って、信用できる人なの?」


 水で濡れた美しい髪を絞りながら、カルラが言った。


「分からない。私が知ってるのは、昔から完璧な人ってことだけ」


 べたつく身体を洗い終え、アレットは頭から湯を被った。久しぶりに会った姉の第一声は「二人とも、先に身体を洗ってらっしゃい」だった。サリア領からトルクア領まで、それほど距離はないが、衛生環境の悪い場所で何日も身体を洗えなかったのだ。アレット達はひどく匂ったのだろう。話はその後だと釘を刺され、反論の余地もなく風呂へ押し込まれた。その際、アシュリーは使用人にカルラの手枷を外すよう命じた。まるで彼女は”逃げない”という確信があるかのようだった。

 

「でもまさか、姉様がいると思わなかった」


 別荘にいるのはドミニクの指示だろうか。それともただの偶然か、否……彼女の独断という可能性だってあり得た。姉は夫の正体を知らないと聞いたが、果たして本当にそうなのだろうか。あのアシュリーであれば、その正体に気付いていてもおかしくはない。

 アレットは一足先に湯へ浸かると、芸術作品のようなカルラの身体を眺めて感嘆の息を漏らした。


「……なによ」


「いや、羨ましいなって。姉様も相変わらずお綺麗だった」

 

 あれこれ考えるより、あとで本人に確認する方が早い。アレットは思考を休め、数カ月ぶりの贅沢な湯浴みを堪能することにした。カルラはそんな彼女の視線を受け、呆れたように息を吐いた。


「あのねぇ……誰に何を言われたのか知らないけど、気にするだけ時間の無駄よ。こんなこと一度しか言ってやらないけど、貴女だって相当な美貌の持ち主だわ。貴女のようなひとが他人を羨むなんて……悪いけど、とても卑しく見えるわよ」


「卑しく見えるんじゃなくて、卑しいんだよ。私には求められた役割を果たせる能力がなかったんだもの。嫁ぎ先の相手にとって、私の子供のような外見は一般的に受け入れられないでしょ」


「だからこそ厳しい教育を受けるんじゃないの。妻に求められるのは外見だけではないわ」


「カルラの意見は正しいよ。もちろん、ちゃんと”妻”として扱われるなら、確かに外見だけじゃないだろうけど……」


 アレットが姉の付き添いで夜会に参加した時、少なくともアレットを人として扱う貴族は居なかった。誰に挨拶をしても、聞こえるのは姉と両親の陰口ばかりであった。姉を馬鹿にした同い年の令嬢と揉めたとき、アレットはその場で父に厳しく粛清された。以来、参加しても壁際で縮こまっているアレットは”壁の花”改め”壁のシミ”と嘲笑されていた。


「生涯を共にすると女神に誓うのだから、それを破るのは禁忌なんじゃないの? ラヴィアでは不倫は厳罰だって聞いたわよ」


 アレット言わんとしていることを理解したのか、カルラは持てる知識でフォローを入れた。


「貴族の婚約は大切な契約だからね。女神に誓った場合は異端として裁ける。でも、下級の貴族や市民の婚姻には女神への誓いを省く例もある。夫婦の身分に差がある場合は特に……」


「じゃあ、意味ないじゃないの! ラヴィアで唯一、素敵な法律だと思ったのに」


「もしかしてジャンに教わったの? 彼も不倫は死刑って思い込んでるようだったけど、場合にもよるよ」


 カルラは身体を洗い終え浴槽に足を浸けると、アレットの隣へ腰を落ち着けた。そして気持ちよさそうに息を漏らすと、寂し気に笑った。


「やっぱ駄目ねアイツ。剣しか取り柄がない。この五年、私が彼のもとで身に付けたのは生き残るための実践的な方法だけ」


「……失礼を承知でもう一度聞くけど、本気でジャンに任せるつもりなの?」


 彼には一国の主など、壊滅的に向いてない。知り合ってまだ日の浅いアレットですら、そう感じるのだ。カルラなら、もっと強く実感しているに違いない。


「前に言ったわよね? 彼を好きだったって……でもね、同じぐらい憎んでもいる」


「え……?」


 カルラは石畳の浴室から立ち上る湯気を見つめたまま、独り言のように語った。


「ジークは私の気持ちに気付いていた。当時、まだ幼気な少女だった私は”彼さえいればいい”と思ってた。実際、王族の責任など放棄して、逃げた先で平穏に暮らす道もあった」


 確かに死んだということにしておけば、面倒な立場など捨ててしまえただろう。しかし、カルラは大切な者達のためなら人生を捧げると言い切った。そうしなかったのはカルラの意志だと思っていた。


「責任を放棄しなかったのは貴女の意志じゃないの?」


「もちろんよ。……と、言えたら格好もついただろうけど、残念ながら違うの。言ったでしょ? 私は”彼さえいればよかった”の。誰よりも慕っていたから」


 それでも彼女は、ジャンを憎んでいるらしい。アレットが”恋敵”なんて呼べるほど、彼等の関係は生温いものじゃない。それだけは確かであった。


「彼は故郷が燃えて泣き叫ぶ私に、顔を上げろと言ったの。それが王女としての”役目”だと。私が責任を放棄することを、彼は絶対に許さなかった。当時の甘ったれた私にはいい薬だったけど……彼との未来を選ぶことを拒絶された気がしたわ。――いいえ、明確に拒絶されたの」


「……、……」 


「彼のことは諦めがついたけど、私にだけ責任を強要して彼だけ自由に生きるだなんて、許せない。貴女には見栄を張ってしまったけど、私が責任を負うと決めた一番のきっかけは彼に対する癇癪よ。まったく高尚なものじゃない」


 彼もその責務を果たすべき立場である。もちろん、カルラが下を向かぬよう努めたのはそれが彼の役目だったからだろう。だが、彼女に王女という立場を捨てさせず、守り支えると決めたのなら、最後までそうするべきだ。婚約できない理由は地下牢で聞いたが、公爵家の嫡男として生涯、女王の傍で仕えることはできるはずだ。


「ジャンは生涯、貴女に仕えるつもりなんじゃないの?」


「……もちろん、私も最初は当然そうだと思っていた。だから、文句もなかったわ。けど違った。私が王になった暁には、面倒な爵位制度や窮屈な法律から見直せと言われたの。きっと国の復旧が実現し、情勢が安定したら、とっとと何処かへ逃げるつもりだわ」


 彼の性格を考えると、「ない」とは言い切れない。しかし、そのカルラの疑念は何処から来ているのだろうか。アレットは好奇心に負けて疑問を投げかけた。


「確かにありそうだけど……そこまでして責務から逃げようとする理由もないんじゃないかな?」


「あるのよ。言ったと思うけど、彼は貴族だけど、貴族が嫌いなの。さる事件のせいで、私達の間には埋められない溝が出来てしまった。私達は互いに憎み合っているのよ」


 その事件とはなんなのだろうか。気になったが、流石に聞くのは憚られる。カルラは溜息と同時に、湯の中で足を組み替えた。水の音が耳に心地よく響き、伝わる波紋がアレットの緊張を幾分か解きほぐした。


「つまり、私が言いたいのは――責任なんてクソくらえ、ということよ。愛する人にその気持ちを伝えられない立場なんかに、本当は塵ほどの価値もありはしない。それが分かっていてもどうしようもないというだけ。貴女が後ろめたく思うような潔さなど、私にはないわ」


 カルラの琥珀色の瞳が、水にぬれて輝いていた。湯に浸した身体が冷たくなるのを感じ、アレットはハッとして顔を上げた。

 

「これが私の本心よ。貴女は”こんなわたし”の身の安全と引き換えにどんな条件をのんだの? アシュリー・アダンと会談する前に、今ここで聞かせてちょうだい」


 湯煙の中で爛々と揺れる双眸は、雪景色を照らす太陽のようだった。おそらくカルラは、アレットの決断に心を痛めているのだろう。


「どんなって……父の道具になるっていう条件だよ。それ自体は生まれた時から決まってたことだから。気に入らないって理由で抗ってたけど、逃げ続けることも不可能だったし、いい機会だった。こうして貴女の無事と引き換えにできただけでも儲けものだよ」


「それは、ラヴィアの貴族と婚姻を結ぶという条件?」


「うん。どこの誰だか知らないけど、相手は私には勿体ないぐらいの家柄らしい。わざわざ私を選ぶなんて、どんな変態趣味の持ち主なんだろうね。まぁ、姉様に聞けば分かるだろうけど」


 アレットはカルラから逃げるように、浴槽を出た。滑らないよう、ぬめつく石床を慎重に歩き、脱衣所の戸に手を掛けた。


「身体を拭く布と着替えを準備してくる。カルラはゆっくり入ってて」


 カルラを浴槽へ置いて先に脱衣所へ出たアレットは、ちょうど服を準備して入って来た姉のアシュリーと居合わせた。そして姉の手にあった布をみて、絶句したのであった。


 ◇


 湖の見える庭園で、三人の淑女は優雅にテーブルを囲っていた。イブニングドレスを着飾った女性だけの空間は、傍目からは華やかに見えたに違いない。きれいな身体のラインが強調されるドレスはカルラによく似合っていたが、彼女は落ち着かなさそうに腰を揺らしていた。

 アシュリーは黒いドレスを脱ぎ、胸元が大きく開いた白いドレスに身を包んでいた。彼女の大きな胸がテーブルに並んだお菓子の日除けになっていた。アレットに用意されたドレスは丈が膝までしかなく、足が半分以上も見える新しいデザインのものだった。


「二人ともよく似合っているわぁ。まぁ、私の見立てなのだから当然ね」


 ゆったりと間延びした口調にカルラは幾分か警戒心を解いた様子だったが、アレットは姉の穏やかな口調が商談相手を油断させるための偽物であることを知っていた。

 二人を見て満足そうに笑ったアシュリーは、思い出したようにカルラに対して非礼を詫びた。


「ああ、ごめんなさい。ご挨拶がまだだったわね。私はドミニク・アダンの娘。長女のアシュリーですわ。ええと――」


 アシュリーは詳しい事情を聞かされていない可能性もある。なにしろ、アレットがドミニクの手紙を受け取って、半日も経っていない。彼女がカルラに対して困惑した様子を示したので、二人は瞬時にその可能性を疑った。しかし、杞憂であった。


「王女殿下。是非カルラ様、とお呼びしたいのですが、構いませんか?」


 カルラの纏う空気が、一気に緊迫したものに変わった。


「カナンは滅亡した国よ。ただのカルラで構わないわ」


「そういうわけには参りません。貴女は大切な取引相手ですもの」


 カルラの細い眉がピクリと跳ねた。


「あら。取引材料じゃなくて、取引相手なのね」


「ふふ、噂通り威勢のいい人ね。先ずはカルラ様、貴女の置かれた状況から説明するべきね。アレット、貴女にも関係する話だから、よくお聞きなさい。ああ、でもあまり気を張らないでね。貴女の好きな木の実のタルトを用意したの。カルラ様がくるかもしれないと聞いたから、茶葉も取り寄せた高級品よ。二人とも食べながら気を楽にしてね」


 ご馳走を振舞い、警戒心を解かせるやり方は、女性相手には効果的だった。焦らすような穏やかな口調、ふくよかな胸元、豊富な知識と話題、そしてふと見せる隙のある表情……アシュリーは男性が相手の商談では、ほぼ無敵だった。

 アレットよりも先にテーブルの菓子に手を付けたのはカルラだった。


「そ、そんな躊躇なく――」


 心配そうにカルラの顔色を伺うアレットの様子に、アシュリーはむっと口を引き結んだ。


「まぁ。大切な妹が同席しているのに、食事になにかを混ぜるような姉だと思っているの? 貴女は本当に薄情者だわ」


「あ、いや……その……」


 無警戒なカルラを心配しただけで、姉が食事に薬物を盛るとは思っていない。だが、少しも疑っていないかと問われれば否定はできなかった。アレットは気まずそうに姉から視線を逸らした。


「アレットが姉様、姉様とあれだけ慕っているんだもの。食事に何かが混ざっている心配なんてしてないわ」


「あら、そうなの? アレットったら……いつまでも姉離れできないのね」


 アシュリーは嬉しそうに笑った。五年前、カナン王国の滅亡で周辺諸国が大混乱に陥った。ラヴィアも例に漏れず、サリア領のアカデミーはその門を閉じ、学生を守った。その時も絶やさず手紙をくれたのはアシュリーだった。母からも何通か連絡が来たが、アダン家の財政を管理している母クロエも多忙であり、定期的な安否確認のみだった。多忙であるにも関わらず、アレットを不安にさせまいと手紙をくれた姉の愛情を疑ったことは一度もない。

 アレットは好物のお菓子に口を付けた。口いっぱいに広がる香ばしい甘さと噛み応えのある触感に、懐かしさと幸せを感じた。


「カルラ様は今のラヴィアについて、どのくらいご存知ですか?」


「カナンの民の受け入れで、国民全体の労働意欲や経済状況が低下し、町の治安が悪化しているのは知っている。まぁ、ラヴィアの自作自演とはいえ、無関係の民には申し訳ないと思っているわ。それだけじゃない。逃げ延びたバルトロメウス派の貴族たちがラヴィアの上級貴族に媚びを売っていることも、調べがついてる」


「そう。なら話は早いわね。じゃあ、ラヴィアの上級貴族の勢力が”貴族派”と”新興派”に分かれていることは知っているかしら? カナンでも血筋を全てとする”暴王派”の貴族と、新しい人材登用を取り入れた”現王派”に分かれていたでしょう。それと同じように、ラヴィアでも上の連中が利権を巡って争ってるのよ」


 カルラは呆れたように鼻を鳴らした。

 

「どこも似たようなものね……」


 国内でも派閥があり、小競り合いをしている状況というのはさほど珍しくはない。重要なのは、アダン家がどちらに属しているかということである。


「簡単に言うと、カナンで言う”暴王派”は”貴族派”の連中ね。カナン王国の滅亡に関与しているとすれば、貴族派が怪しいのではないかと踏んでいるわ。実際、逃げ延びたカナンの貴族を保護しているのは貴族派の連中だから」


 カルラの表情が硬くなった。ドラゴンの襲撃が暴王派の策略なら、カナンの滅亡は内部分裂の結果といえるだろう。しかし、そこには間違いなくラヴィアの貴族も関与している。そこまでは彼女の掴んだ情報と一致するが、カナンの襲撃はラヴィア全体が企てたことではない。アシュリーはそれを伝えたかったのだろう。


「国がドラゴン退治を要請している理由は? 意図的にドラゴンを襲撃させる方法はあれど、企てた連中は後始末のことまで考えてなかったってこと?」


「ラヴィアにとってもドラゴンは脅威だからと、その退治とカナン跡地の奪還を優先的に主張したのは新興派なの。おそらく彼等は貴族派の企みについてなんらかの情報を掴んだ可能性が高いわ。貴族派はすぐに別の領土にカナンの再建を提案したらしいから。それを阻んだのが現王妃の父、カール・オブライエン公爵よ」


「オブライエン公爵ですって?!」


 カルラの眼の色が変わった。オブライエン家と言えば、第一王子を生んだ正室の家だ。ラヴィア王国の国政の大半を握っているといっても過言ではない。


「カルラ様も知っているのね。オブライエン家は曾祖父の代からカナンの独立を支持していたから、もしかして付き合いもあったのかしら? 彼はすぐに古くからの友人であるエイワーズ家の騎士を使って、カルラ様のいう”現王派”の生き残りの捜索を開始したわ。まぁ、ドラゴン退治を提案したのは時間稼ぎだったと思うけど」


 アシュリーの話では、カナン出身の吟遊詩人が『亡国の王女』を広めたのは、彼女の無事を知らせる手段だったという。両派閥の耳に届いてしまうリスクもあるどころか、自分の身を危険に晒す行為だが、それでも事実を知っていたその詩人は勇気を振り絞った。そして運よく、新興派の貴族に保護されたらしい。その甲斐あってか、王女が生きているという情報を掴んだ両派閥の貴族たちは躍起になってカルラを探しているそうだ。

 しかし、王女が生きていることを公にするか、王国跡地に巣食ったドラゴン討伐を急がなければ、カナンはこのままラヴィアの属国として再建されてしまう可能性が高い。


「それで、貴女たちアダン家はどっちの肩を持っているの?」


 そこでカルラは、核心をついた問いを投げた。こうしてカルラの身柄をアダン家が確保している以上、一番重要なのはそこである。


「うちは中立よ。お父様は、より利益のある商談に乗っかるだけ。アレットももう気付いていると思うけど、アダン家は昔からレギオン傭兵団を支持している。傭兵団の運営資金を出しているの」


「……そこまで深いつながりがあったのは知らなかった。一体、どういう利害関係なの?」


 アシュリーはアダン家と傭兵団の繋がりを知っていたのだ。聞かされていなかったのは、アダン家の道具としてのみ存在しているアレットだけなのだろう。自然と、責めるような口調になってしまう。


「そう睨まないで。貴女が戻って来れば、全て話すつもりだったわ」


「やっぱり……あのスキャンダルも仕組まれてたんだね」


「あれを仕組んだのは”新興派”よ。お父様はそれを予想していただけで、無関係よ。大方、その道のプロである傭兵団の協力を得たかったんでしょうけど……あの第二王子と貴女が恋仲は無理があるわよね」


 愉快そうに笑う姉を、アレットは今度こそ睨みつけた。


「笑い事じゃないから! まったく他人事だと思って……恋仲どころか、会話が成り立ったことすら一度もないよ」


 魔鉱石の実験で魔導士隊の演習を行った際、一度だけ言葉を交わしただけである。その時もあからさまにアレットを見下し、ふんぞり返って的外れなことばかりを口にしていた。

 アレと恋仲を噂されただけでも屈辱的なのに、きちんとした証拠もなく解雇を言い渡された時は、寝不足も相まって目の前が真っ暗になった。


「職を失ったアダン家の次女に婚約話を持ち掛けて、うちを傭兵団ごと体よく丸め込もうとしたのでしょう。バージルの話では、すぐに気付いた貴族派が貴女を再雇用して逆に抱き込もうとしていたようだけれど……それはレクト様が阻止したみたいね。父様はどちらの企みも直ぐに気付いたわ。そこで取引を有利に進めるため、傭兵団に人探しを指示した」


 そこから先はカルラに聞いた通り、彼女の隠れ蓑であった村を襲い、その身柄を確保した。

 

「それなら、もっと早く事情を説明して、丁寧に扱うべきだったわね。ただのゴロツキか、もしくは”暴王派”の差し金だと思い込んでたわ」


「その件についてはごめんなさいね。あまり丁重に扱い過ぎても怪しまれるから。でも、貴女に逃げられたと聞いた時には、あのお父様も珍しく焦っていたわ。どんなお転婆な方なのかと、会うのを楽しみにしていたのよ」


 カルラは乱暴にティーカップを煽った。お茶に口を付けたのは、苛立つ気持ちを抑えるためだろう。その行動は正解だった。振る舞われた茶葉が良品だったおかげで、彼女の怒りは四散した。


「カルラ様の身柄をアダン家が確保したという情報は、まだどこにも流していない。こちらが持っている情報が少なすぎて、身動きがとれないの。暴王派の連中と貴族派が怪しいと言っても、具体的に誰がどこまで計画に加担しているか分からない状況よ。足がつかないように国籍のない人達を雇っているみたいだから。オブライエン卿ならある程度情報を掴んでいるでしょうけど、今のアダン家の立場で全面的に新興派を信用し、協力することもできない。だから私たちアダン家は、真っ先にカルラ様を保護する必要があった」


「……なるほど。まだなんの後ろ盾もない私が欲しかったということね。でもそれ、取引じゃなくて脅迫なんじゃないの?」


「まぁ。先にアダン家へ脅迫文を送って来たのは誰? 貴女が無事でなければアダン家の大切な次女が命を絶つというのに」


 カルラは目を丸くし、すぐに察しがついたのかアレットを睨んだ。アレットは咄嗟に顔を逸らし、口を引き結んだ。


「貴女って人は……信じられない! 何故、私のためにそこまでするの!?」


「さっきも言ったでしょ? 私はただの道具なんだよ。それは覆せないし、覆らない。どうせ使われるなら、自分の納得いく形で役に立ちたいと思っただけ」


「婚約としか聞いてない! もしまた私のために命を絶とうとしてみなさい! 絶対に、一生、許さないから!!」


「……、また……?」


 途端にアシュリーの笑顔が、貼り付けたような偽物の笑みに変わった。


「アレット……貴女、既に無茶をしていたの?」


「あ、いや……その……」


 しどろもどろになりながら、視線を明後日の方向へ泳がせるアレットに、アシュリーは盛大な溜息を吐いた。


「ある新興派の貴族から貴女の解雇報告と共に婚約の申し出が届いたの。貴族派からも同様の手紙が家に届いた。確かに婚姻を結べば、すぐに商会が潰されるようなことはない。お父様も一時は迷われていたわ。そんな中、貴女が王女殿下と一緒に居るとバージルから報告がきた時は、家族そろって大騒ぎになったのよ。王宮を追い出されたというのに、帰っても来ないでどこをほっつき歩いているのかと思えば、随分厄介なことに巻き込まれているようだとお母様も嘆いてらしたわ」


 アシュリーは一拍置いて、アレットを真っ直ぐに見据えて言った。


「お父様には黙っていろと言われたけど、アダン家と傭兵団のこと。それから、両派閥から圧力を掛けられ、身動きがとれなくなっている事実を貴女に話した。何故だか分かる?」


 アレットは姉の迫力に気圧され、ゆっくりと首を左右に振った。間延びした穏やかな口調は形を潜め、凛とした声は演説のような重く鋭い響きに変わっていた。

 

「いくら婚姻を結んでも、こちらの立場が弱いのは同じこと。加えて真っ当な縁談ではないから、貴女を口封じのための人質に取られるかもしれないし、どんな酷い目に合わされるか分からない。そんな不利な商談にお父様が正面から乗るわけないわ。貴女の役割は、今回の縁談に乗ったフリをして内情を探ることよ。私がこうして別荘に足を運んだのは、何故か貴女にだけはとことん不器用なお父様の本意を、正しく伝えるためなの」


 アレットはてっきり、強制的に婚姻を結ぶことになると思い込んでいた。そうでないのならば、最初から手紙にそう書けばいい。わざわざ誤解が生じるような書き方をするのは、親不孝の娘に対するドミニクなりの嫌がらせなのだろうか。

 呆然と押し黙ったアレットを一瞥し、アシュリーは再び大きな溜息を吐くと、カルラを見て申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「カルラ様、オブライエン卿は貴女様の無事を心から願っているわ。最終的には貴女の身柄を彼に引き渡すと、必ず約束いたします。ですからどうか、アダン家の後ろ盾になっていただけませんか?」

 

 アシュリーは椅子から立ち上がると、カルラへ深々と頭を下げた。確かにカナンの王女であるカルラが、アダン家に手を出すなと新興派に口利きすれば、それで済む。


「もちろん、それを約束してくださればアダン家も協力は惜しみません。カルラ様にとっても悪い話ではないと思いますので是非ご一考くださいませ」


 カルラは少し考え込んでから、頭を垂れたままのアシュリーに言った。

 

「頭を上げて、アシュリー・アダン。貴女の話から察するに、ラヴィアの貴族は大陸で一、二を争う富豪にどうしても権力を持たせたくないようだわ。でも、今の私にはなにもないのよ? 国を再建できるかどうかもまだ分からないのに、後ろ盾としては不十分だと思うのだけれど……それに、私が約束を破らない保証もないでしょ」


 カルラは注意深く、アシュリーの表情を伺った。婉曲な表現を選んではいるが、要はアダン家の申し出を断ったらどうなるのか、という問いである。アシュリーは少しだけ躊躇うような素振りを見せたが、目を伏せて静かに口を開いた。


「……バージルが掴んだ情報によると、王族の生き残りはカルラ様一人ではないそうですね」


 途端、カルラの眼の色が変わり、場の空気が凍りついた。


「……、……そこでジークを引き合いに出してくるとはね。でも残念、あの男がそう簡単に御せるものなら私だって苦労していないわ」


 アシュリーはワザとらしく上品に小首を傾げた。


「かの猟犬を御せるような伝手は流石のアダン家にもありません。ジークベルト様は貴女が首を縦に振らなかった場合の保険の取引相手です。その場合、取引材料はカナン再建のための資金協力ではなくなるというだけです」


「私を人質に彼と取引するつもりなら、それこそ無駄よ」


「そんな卑劣な脅迫をすれば逆効果なことは、火を見るよりも明らかです。人質になるのは貴女ではありません。ジークベルト様が取引相手になった場合、その材料になるのは――」


 アシュリーはそこで言葉を切り、妹のアレットへ綺麗な笑みを向けた。


「アダン商会の愛娘、次女のアレットですわ」

 


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