第48話:エルヴィン
見直し雑です。誤字脱字、あったらすみません。場合によっては修正入るかもです
荷馬車に揺られながら、アレットは目を覚ました。
「よかった、目が覚めたのね」
優しい声の主に視線を移せば、そこには偉大な姉の姿があった。
「お、お姉さま……?」
凄まじい既視感に、夢うつつのアレットは声の主をそう呼んだ。
「あら、私はいつから貴女のお姉さまになったっけ……?」
途端に揶揄うような意地の悪い声が降ってきて、アレットは勢いよく身体を起こした。声の主は五つ上の姉ではなく、二つ年下の亡国の姫君であった。恥ずかしさに不自由な両手で顔を覆いながら、痛む頭を整理する。
「あー……気を失ったんだっけ? えっと、――ここは?」
周囲を見回すと、薄暗い牢の中ではなくなっていた。アレットの横には積荷があり、正方形の床と天井は休みなく上下に揺れている。夢と同じ荷馬車の中ではあるが、ここは間違いなく現実のようだ。作戦が成功し、仲間たちと逃げている最中であったなら良かった。しかし、未だに不自由な両手が残酷な現実を物語っていた。
「私達、どうなったの……? なんで荷馬車に?」
「あそこに座っている男に聞いた方が早いわよ」
カルラは手枷が嵌ったままの手で、アレットの背後を指さした。彼女は恐る恐る、振り返った。とっくに日が昇っているのか、荷馬車の中は明るかった。しかし、そんな明るさとは不釣り合いな黒が視界の端にぬっと現れ、アレットは短く悲鳴を上げた。
「ご挨拶だな」
「な、なんで――」
なぜ傭兵団の団長が、捕虜であるアレット達と同じ積荷に揺られているのか。彼の手足が自由なところを見るに、第三勢力の介入があったわけではなさそうだ。
「コイツの目的は武具を餌に私やカナン人の仲間を誘い出すことよ。既に逃走経路を確保していたみたい。ジャン達が地下を離れてすぐに、私達は連れ出されたの」
「よっぽど大事なものらしいからな。取り戻しにきたとしても、二人だけで来るわけがない」
「ジークが怖くて逃げただけのくせに、偉そうに……」
感情の読めない黒い瞳が、ゆらりと揺れた。
「俺はカナンの猟犬と正面から打ち合うほど馬鹿じゃない」
屋敷にいた他の仲間が見当たらない。二人の言動と状況から察するに、アレット達を連れて屋敷を出るのがやっとだったのだろう。アダン家に身代金を要求するつもりなら、トルクア領に向かっているはずだ。
幸い、こちらは二人だ。相手が一人なら、隙をみてなんとかこの状況を打開できるかもしれない。アレットは注意深く積荷の配置や荷馬車の広さを観察した。
「馬鹿なことは考えるな。やるだけ無駄だ」
アレットの視線でその思惑に勘付いたのか、バージルは二人へ向けて警告した。
「確かに俺はそこまで強くはない。お前たちが連れて来たあの化け物どもの足元にも及ばないだろう。だが、魔法の使えない魔導士と武器を持たない女に遅れを取るほど甘くはない」
「時間稼ぎに気付かず、武具を取られたのは誰だっけ?」
「お前たちは時間稼ぎがしたかったのか? 最初から武具は囮で、俺は目的を果たしている」
「今はあなた一人と荷馬車の騎手しか居ないように見えるけど……本当にちゃんと目的を果たしてると言えるの?」
バージルはアレットの言葉になんの反応も示さなかった。わざと挑発めいた言葉を投げかければ、情報を聞き出せるかと期待したが、そこまで甘くはなかった。
「囮は武具だけじゃなかったんでしょ。卑怯者の考えそうなことだわ」
アレットに続くように、今度はカルラが喋り出した。彼女はバージルが屋敷に仲間を置いて逃げたことを非難した。
「ビビって自分だけ逃げたと正直に言ったらどうなの? その程度の男が私に遅れを取らないというなら、ぜひ証明して欲しいものだわ」
相手がただの男であれば、コケにされたまま黙ってはいなかっただろう。それこそ、彼女の手枷を解いて決闘を申し込んでいたかもしれない。だが、バージルは眉を寄せて僅かに不快感を示しただけだった。
「俺はその手の挑発には乗らん。無駄口を叩くな」
「挑発なんかじゃないわ。全て事実よ。貴方はジーク達が怖くて一人だけ尻尾を巻いて逃げたのよ。どうしようもない臆病者だから、無抵抗の女に対して手枷が必要な――がっ、は……ッ!?!」
男はカルラが台詞を言い終わる前に立ち上がり、数歩ほどで距離を詰めると、躊躇なく彼女の腹を蹴り上げた。
「カルラッ――!!」
背を丸めながら床に転がったカルラは、呻きながらすぐに上体を起こした。なんとか起き上がったものの、今度はバージルの黒いグローブがカルラの細い首を覆い隠した。手枷が嵌められたままのカルラの両手は反射的にバージルの手首を掴み抵抗するも、上手く力が入らないのか、苦痛に顔を歪めた。バージルは彼女の首をギリギリと締め上げながら、その身体を片腕で軽々と持ち上げた。
「黙れ。ドミニクの娘と違い、貴様は生きていれば無事でなくとも構わん」
「がぁ……、ぐッ――!」
助けようと駆け出したアレットは、馬車の揺れと手枷のせいでバランスを崩し、受け身も取れないまま床に全身を打ち付けた。それでも慌てて床を這い、不自由な両手で縋るようにバージルの黒い外套を引っ張った。
「お願い、乱暴はやめて……!」
「お前の頼みを聞く義理はない」
無慈悲で無感情な声が降って来た。それでも、腕の力が少し緩んだのか、カルラは果敢に彼を挑発した。
「はっ、……随分と余裕がなくなったじゃない……女にコケにされたのがっ……そんなに気に障ったの、かしら?」
「カルラ、もういいからやめて……!」
バージルは再び指先に力を込めた。彼の右手がゆっくりと腰の短剣に掛けられる。
「勘違いするな。気に障ったのはお前が女だからじゃない。やすい挑発に乗ったわけでもない。俺は元々、誇りと体裁だけで生きている貴様のような連中が殺したいほど憎いんだよ」
カルラの美しい顔が必死に酸素を求めて、赤く腫れ上がり、醜く歪んでいく。
「貴様はどの道、消される。ここで殺しちまっても特に問題はない。命乞いでもしてみせれば、延命してやるが?」
「だ、……れがっ、……する、かッ……!」
「貴様らはそういう生き物だ。死を前にしても、くだらんプライドが捨て切れん。俺は貴様らとは違う」
「お願いっ! 彼女を離して……、言う通りにするからっ」
アレットには貴族の矜持など殆どない。たかが成り上がりの男爵の末娘である。そう自覚していた。己の立場は少しだけ参加した社交界でも嫌というほど味わった。だが、生殺与奪を握られている状況で貴族の権威など、なんの価値もありはしない。彼女はなりふり構わず、バージルの脚にしがみつき、必死に追い縋った。
その様子がよほど憐れだったのか、彼はアレットを一瞥すると、カルラの拘束を解いた。
「――がっは、! っ……はぁっ、はーっ……!」
「――、カルラ!!」
「……少しはその健気な女を見習え。もう一度言う。無駄口を叩くな」
咳き込みながら、ぜぇぜぇと酸素を取り込むカルラの下へ、アレットはにじり寄った。積荷にもたれて喘ぎながら、カルラは無言のまま猶も果敢にバージルを睨みつけた。ジャンに聞いた通り、彼女は一国の姫であり勇猛な戦士なのだろう。
しかし今は、その戦士としての誇りが状況を悪化させている。
「やはり、変な気を起こさぬよう気力を削いでおくか……」
バージルの無感動な黒い瞳が、冷たくカルラを見下ろした。次いで、静かに腰の短剣を抜いたのが見え、アレットは慌てて彼女を庇うように前へ出た。
「彼女を傷つけたら、舌を噛むわ……」
「……できもしないことを言うもんじゃない」
「嘘じゃない。本当に噛むよ」
彼は嘲るように鼻で笑うと、アレットを軽くあしらいカルラに向かって短剣を振り下ろした。
持ち前の反射神経で鋭い剣先がその瞳を貫くのを避けたものの、刃は頬を掠め、血が吹き出た。どうやら男は本気のようだ。拘束されたままバージルの剣を避け続けることは不可能だろう。このままでは本当に、無事では済まない。彼女は外交のため、国のためなら人生を捨てると言い切った。もしもカルラの美しい顔に癒えない傷が残れば、その覚悟が、努力が、全て無駄になってしまう。
アレットは迷いが生じてしまう前に、行動へ移した。
「んっ……ッー!! んぶ……ッ!?!」
想像を絶する激痛が、アレットの口腔を襲った。あまりの痛みに悶絶し、床に額を押し付けながら悲鳴を上げた。錆びた鉄のような味の液体が口一杯に溢れ返り、激痛と不快感に自然と開いた口から、大量の唾液と真っ赤な液体がバタバタと床に零れ落ちた。
彼女の悲鳴で振り返ったバージルは、床に広がる血を見た途端、血相を変えて慌て始めた。
「お前――、まさか本当に……?!?」
短剣を鞘に収め、痛みに悶絶するアレットの下へ駆け寄った。バージルは彼女の身体を起こすと、その頬を両手で覆い、小さな口に第一指をねじ込んですぐに怪我の具合を確認した。
「ああ、この馬鹿っ……、なんてことをッ――」
そして彼は、聞き覚えのある詠唱を始めた。傭兵団の中には魔法を扱える者も居ると聞いたことがある。神官ほどの力はなくとも、簡単な治癒魔法なら扱えてもおかしくはなかった。
痛みで滲む視界の中、アレットは切羽詰まった男の顔に妙な既視感を覚えた。互いに見知ってはいたが、殆ど関わりはなかったはずである。だが、その鳶色の瞳を間近で見た途端、見知った顔と重なったのである。
(あ、れ……――?)
それは確かに懐かしい顔だった。しかし、バージルの傷だらけの顔や冷たい瞳は、アレットの記憶の中の人物とはかけ離れていた。きっと生命の危機にパニックを起こしかけている脳が、錯覚を起こしているのだろう。
なにかを言いたくても、喋ることができない。治癒の副作用による眠気で意識を失う頃には、アレットは再び懐かしい夢の中へと誘われていた。
◇
「少しは自分の置かれている立場が理解できたか?」
血の染み込んだ猿轡を噛まされ、死んだように眠る少女の顔を眺めていると、男が数刻ぶりに言葉を発した。
「……ええ。彼女のおかげで」
泣き腫らした両目を乱暴に擦ると、カルラはアレットに手を伸ばし、血と汗で頬に張り付いた黒髪を指で梳いた。
「特に仲が良いようには見えなかったが……誤算だった」
「……、……私もよ」
アレットはカルラを守るため、自らの舌を噛んだ。その行動に一番驚いたのは、カルラだった。彼女が己の身を犠牲にすると分かっていれば、もう少し慎重に行動していただろう。
「仲が良いどころか、昨日が初対面よ。まだ友人と呼び合える関係でもない」
「貴様が舌を噛み切れと命じたわけではないんだな?」
カルラは静かに首を振った。
「まさか。彼女はラヴィアの貴族よ? 私の命令に従うわけない」
積荷に凭れ、艶のあるアレットの髪を撫でながら、カルラは牢で見た従兄の姿を思い出していた。諦めがついているなどと見栄を張ったが、未練がまったくないというのは嘘であった。ジークの母はカルラが生まれる前に死んだ。父が後妻を迎え入れてからは、彼にとって公爵家は窮屈なものになった。父親は国務で多忙なうえ、義母には目の敵にされ、二人の間に子が出来てからは更にジークの孤立は加速した。
実家に居場所のないジークは城の庭でよく兄と剣の稽古をしていたものだ。稽古といっても、殆ど遊びのようなものである。カルラもそんな兄たちに混ざり、よく共に過ごした。彼は年頃になると、父親への当てつけのように女遊びを始めた。そんなジークを見ていられず、カルラは兄と結託し、義母の不貞を暴き出した。
ちょっとした正義感から、良かれと思ってやったことだった。調査の結果、彼の弟には、父親であるはずのロータル公爵の血が流れていなかった。公爵を謀った罪で、彼の義母は投獄され、その命を絶つまで牢で過ごした。罪人の子である弟は公爵家を追放される予定であったが、ジークは彼を庇い、自身の騎士団へ入団させて寄宿舎の一画で面倒を見た。しかし、体格に恵まれなかった彼は戦いに向いていなかった。騎士団の中でも立場がなかったどころか、醜聞のせいで随分酷い扱いを受けたらしい。だが少なくとも、寒さの厳しい領地の外へ放り出され、そのまま野垂れ死ぬことがなかっただけでも十分に好待遇であった。ジークの義母を嫌っていたカルラとはあまり関りも無かったが、内気で本を読むのが好きな少年だったことを覚えている。
彼が北方民族から領地を守る防衛戦で命を落としたと聞いた時、カルラも皆と同じく”ああ、やっぱり……”と思っただけであった。冬の厳しいカナンの民は、屈強でなければ生き残れない。カナンが騎士の国と謳われる所以である。
立場が反転し、肩身のせまくなってしまった弟に彼が同情していのかは分からない。ただ、ジークだけが自分と一切血の繋がっていない弟を愛していた。弟が死んでから、彼は明らかに変わった。以前にも増して貴族とは思えないほど粗野な行動や軽薄な物言いをするようになり、人と明確な距離を置くようになった。カルラは最初、そういった彼の態度に酷く戸惑った。
『アイツはきっと、俺達王族や貴族って連中にうんざりしているんだろうな』
『……どうして? ジークも私達と同じでしょ』
『同じじゃないさ。アイツは優しい奴だからね』
彼が優しい人間であることは、カルラだって知っていた。ジークはカナンの男達の中でも誰より強く、優しく、そして洗練されていた。当時、十二歳だった彼女は兄の言葉を理解できなかったが、今ならば分かる。
カルラを含めた貴族たちは、彼の弟を誰一人ジークベルトの弟として扱わなかった。公爵を謀った罪人の子として扱い、庶民よりも冷遇した。あとから聞いた話だが、どうも流行り病に侵されていたらしい。決して治らぬ病気ではなかったが、薬の配給を後回しにされ続け、手遅れになるまで悪化していたという。それでも戦場へ赴いたのは本人の強い希望があったからだ。
”大体、そういうカルラこそ――……”
(私はね、アレット……”脈なし”どころの話じゃないわ。彼には憎まれているの)
ジークにとってカルラは、彼の嫌う大勢の貴族たちと同列の存在でしかない。
王都が炎に包まれたあの日、国王派の領主たちは会議のため城を訪れていた。兄に手を引かれながら、崩れる城からなんとか市場へ逃れたカルラは、遅れて遠征から帰還した騎士たちが果敢にドラゴンへ立ち向かう姿を見た。その中でもジークは特に無茶な立ち回りを買って出て、民を先導しながら戦っていた。その様子を見て、民は助かっても、彼は助からないだろうと確信してしまった。今にして思えば、彼は貴族らしく己の役割を果たそうとしていただけだ。騎士たちに任せて兄と供に逃げることが、カルラにとって最善の選択であった。
しかし、その時カルラは私情で動いてしまった。彼の弟のことは冷遇されていると知りながら見てみぬふりをした癖に、いざ想い人の命が危険に晒されると、彼女は特権を行使したのだ。
『ジーク!』
『姫様! ご無事でしたか……』
命が危うい状況になっても、体裁を保ったまま他人行儀な話し方をするジークに、身勝手な怒りが湧いた。もう最後かもしれないのに、彼が自身の名を呼ぶことは二度とない。その事実が脳裏を過った瞬間、カルラは民を先導していたジークの編隊に自身と兄の警護を命じていた。そうして無敵と謳われた彼の編隊は、王女を逃がす部隊と、王子と共に城へ戻る部隊に分断されてしまった。
それが散々な結果になったことは言うまでもない。城は兄を連れた部隊を吸い込んだままペシャンコに潰れ、ジークを含めた逃亡隊は一人、また一人と王女を逃がすための犠牲となった。やがてジークの外套が仲間たちの遺品でいっぱいになった頃、ようやく王都を抜け、二人は辺境の領地へと続く街道を歩いていた。
『ああ、私の……私のせいだっ、ごめん……ごめんなさいジーク。兄上も……兄上だって私がッ――』
『――やめろ。お前だけでも生き延びたんだ。王の娘なら、顔を上げろ。生き残ったなら、これからどうするか考えるのが王族であるお前の使命だ』
彼は決してカルラに優しくなかった。当時十二歳だったことを考えると、少々厳しすぎる気もするが、あの時のカルラにはジークの言葉がいい薬だった。それから五年、彼女は生き延びる術をジークから学び、成長した。彼と過ごしながら、実践的な知識を得た。そして心身の成長とともに、自身の未熟さを痛感し、ジークへの後ろめたさが積もっていった。浮ついた感情を抱く隙さえなかった。そのうち、素直にその気持ちを伝えることも出来なくなってしまった。
カルラが己の責任を手放してまでジークに王位を継がせたいのは、せめて彼をカナンという地に縛り付けておきたいからかもしれない。幼い頃、三人で過ごした幸せな日々だけは彼にとっても本物であると思いたかった。そんな思い出のある土地で、せめて自分のことを忘れずにいて欲しかった。
「……エルヴィン、……」
そう。ジークの弟は、確かそんな名前だった。
小さな体躯も、よく回る生意気な口も、目の前で眠る少女にどこか似ていた。あどけない寝顔を見ていると、益々年上であるという事実が嘘のように思えてくる。もしエルヴィンが生きていれば、丁度アレットぐらいの歳だっただろう。
「そろそろトルクアに入る。近くの拠点へ寄るから、その女を起こせ」
黒い影が、ぼそりと言葉を発した。アレットはあの時の騎士たちのように、カルラのために己の身を犠牲にした。忠誠ではなく、バージルには効果的だと判断しての行動だろうが、カルラにとってはたまったものじゃなかった。なにせ強姦されたと誤解した程度であの怒りようだ。自分の所為で彼女が傷ついたことを知れば、ジークはどんな顔をするだろうか。
(これ以上憎まれることも嫌われることもないでしょうけど……今度こそ縁を切られるかもしれないわね)
カルラはアレットの上体を不自由な手でゆっくりと起こし、痛みに触らぬよう優しく肩を揺すった。強く触れれば折れてしまいそうな、華奢な身体つきだ。ゆっくりと開いた瞼から、青みがかった翠色の瞳が現れ、カルラは思わず目を奪われた。光が差し込んだ途端に輝きだした瞳は、まるで宝石のようだったからだ。
「むぅぐっ?! ……むぐぐッ!」
間抜けな呻き声が、荷車に響いた。そういえば猿轡を外すのをすっかり忘れていた。しかし、カルラの顔を見た途端、彼女がすぐにホッとしたように眉尻を下げたのを見て、言葉がなくとも何が言いたいのか分かってしまった。
「もうすぐ拠点につく。用を足すなら、拠点で済ませておけ」
バージルは荷車を降りて馬に跨ると、騎手となにやら話し始めた。カルラはアレットの猿轡を取ると、傷の具合を確かめた。
「あの男、腕がいいわね。完全に塞がってるわ……喋れる?」
「うん。……大丈夫そう。痛みもない。嫌な感触だけは鮮明に覚えてるけど」
「貴女、なんであんなこと――」
カルラはそう問いかけて、口を閉じた。荷馬車の揺れが止まったからだ。アレットも布で覆われた荷車の外が気になるようで、視線を後方へ移した。しばらくして、この場に酷く不釣り合いな幼い少女が顔を覗かせた。
その少女はアレットに紙とペン、そして婦人服を差し出して言った。
「父君に一筆、貴方が無事だと知らせてください。服はサイズが合わなければ新しいのを持ってきます」
アレットはいよいよ交渉材料として使われるのだ。彼女は自分に人質としての価値などないと豪語していた。それなりに複雑なのだろうと理解していたカルラは、同情を寄せるように彼女を伺った。
しかし、予想に反して彼女は至って落ち着いた様子でペンを走らせ、一分もかからぬうちに手紙を書き終えると、少女に紙とペンを返したのであった。




