第41話:愛弟子の帰還
舞台は大成功だった。
亡国の姫は共に逃げた騎士と他国へ逃れ、その先で引き裂かれるも運命が二人を引き寄せ再会を果たし、大団円を迎えた。しかし、三人はちっとも舞台を愉しめなかった。クリスはミレーヌの出番で溜息を吐いては頭を抱えていたし、ジャンは女騎士が舞台に立つと目に見えてソワソワし始めた。そんな二人に挟まれたアレットが劇の内容に集中できるはずもなかった。
幕が閉じ、大歓声の中、三人はそそくさと劇場を出て会話も交わさず控室へと向かって歩いた。しかし、当然ながら見張り番が立っていて近付けない。演者の関係者だから通してくれと訴えても無駄だった。
「向こうから会いに来てくれるの待つしかないかも……」
「あの歓声だ。控室から出てきたところを観客に取り囲まれるぞ。うかうかしてると、連れ戻すタイミングがなくなっちまうぜ」
鳴り止まない歓声が扉越しに聞こえてくる。劇団はなんとしても彼女を引き留めるだろう。こうなることが分かっていて、彼女は何故こんな奇行に走ったのだろうか。
「突破しましょう。それしかありません」
クリスが二人の前へ出て、見張り番に向かって行った。ジャンは慌てて止めようとしたが、遅かった。クリスは十字架を掲げてボソボソと戒律を唱え、魔法で見張りを眠らせた。
「お二人とも。誰かに視られてしまう前に、早く行きましょう」
状況が状況なので仕方ないとはいえ、クリスの行動にはジャンも驚いた様子であった。二人は急いでクリスに続いたが、廊下の先にあった扉がガチャリと音を立てた。アレット一人ならまだしも、大きな男が二人隠れられる場所などない。クリスは廊下へ出てきた人物を眠らせる準備を始めた。
しかし、扉から顔を出したのは三人が探していた人物であった。その人は花が咲いたようにパッと表情を明るくした。
「まぁ、来てくださったのですね! わたくしの歌はいかがでしたか?」
言いたいことは色々あったが、アレットはその笑顔に毒気を抜かれてしまった。それに、男二人と違ってミレーヌの姿を見るのは二日半ぶりだった。
「すごく良かったよ」
「アレットならそう言ってくださると思っていましたわ」
ミレーヌは派手な衣装に身を包んだまま、嬉しそうにアレットの両手を握った。
「して、一体なにがあったのです?」
クリスは硬い表情を浮かべたまま、ミレーヌへ問いかけた。
「それを説明している時間はございませんわ。明日の夜、十二番街のオドラン子爵の屋敷で競売があります。そこですべてを説明いたしますわ。なんとかして参加権を得てくださいませ」
「お前さんはどうすんだ?」
「わたくしは劇団を利用して屋敷へ乗り込みます」
アレットは続けて疑問を投げかけた。
「その競売になにがあるの? もしかして、何かに巻き込まれてるとか?」
「……どうしても助けて差し上げたい人ができてしまいましたの」
彼女はそこで初めて申し訳なさそうに眼を伏せた。
「そういうことなら、協力しないわけにはいきません。お二人はそれでいいですかな?」
意外にも、この状況に一番頭を抱えていたクリスが彼女の申し出をいち早く受け入れた。ジャンもアレットも異論はなかった。
「それでは皆さん、オドラン子爵の屋敷でお会いしましょう。わたくしはもう行かなければ――」
「棺がなくても大丈夫なの?」
「ええ。頼もしい味方がついておりますので」
そう言うと、彼女はそそくさと扉の向こうへ消えてしまった。三人もすぐにその場を立ち去り、宿へと戻った。
「で、どうやって競売会場に入る?」
宿へ戻る道すがら、アレットは具体的な話を切り出した。
「主催者に招待された貴族じゃないと、普通は無理だよね? 直接主催者に掛け合って、価値のある品物を提供するか忍び込むかしかないと思うんだけど――」
「上級冒険者の資格があれば、参加できるぜ」
ジャンはアレットの言葉を遮った。
「えっ……そ、そうなの?」
聞けば、常に危険と隣り合わせの上級冒険者は売り手にとって羽振りのいい客らしい。確かに上級冒険者なら一般市民よりも収入がある。支払い能力があるとみなされているのだろう。残念なことに、アレットはまだ中級冒険者である。
次いで、クリスが言いづらそうに口を開いた。
「実は、私も許可を得ることなく出入りできます」
神官は契約や誓約を交わす場に欠かせない。抜け目ない者は信頼できる神官を連れて参加することもある。
「この場で参加権がないのはお前だけだ」
「……、え」
アレットは一瞬、思考停止してしまった。自分だけ競売会場に入れないとなると、留守番一択だ。しかし、腕輪の所為でそうもいかない。アレットが参加できなければ、ジャンも競売所に入れないのである。
少し前までは、こうして自分の存在が足手纏いになるなんて想像すらしていなかった。
「明日の日暮れまでに、アレット殿が参加できる方法を探しましょう」
アレットはクリスのフォローに曖昧な返答をした。まったく当てがないわけじゃなかった。方法は二つある。一つは魔導アカデミーの恩師を訪ね、子爵へ繋いでもらうこと。もう一つは、アレットの家の名を使うこと。どちらも気は進まないが、できれば後者の手段は取りたくなかった。競売所には父ドミニクの顔見知りがいるかもしれない。考えてみれば、貴族たちにアレットの姿を見られるのもまずかった。
「一旦私の腕輪をクリスに移して私だけ留守番……てわけにはいかないよね?」
「なるほど。そいつはいい案だ! 本来、相手の能力を奪う道具だもんな。別に男同士でも構わねーはずだ」
さっそくやろうぜとジャンが息巻いたが、クリスは渋い顔をした。
「残念ながらそれはできないのです。確かに、条件によっては男女でなくともよいかもしれませんが……私とジャン殿では無理でしょう」
「どうして?」
理由を口にしてもいいものかと、クリスが言い淀む。だが、下手な誤魔化しは当人たちのためにもならない。彼は極力言葉を選びつつ、ミレーヌから聞いたことを二人に伝えた。
「その腕輪は少なくとも一方が相手を好意的に見ていなければ顕現しないそうです。地下でご老人から私へ腕輪を移そうとした際、その事実を確認いたしました」
大いに戸惑ったのはアレットだった。動揺しすぎて、言葉も出て来なかった。ジャンはそんなアレットに対し、揶揄うような視線を向けて軽口を叩いた。
「なんだよお前、俺のこと好きだったのか?」
アレットの顔は火を吹きそうなほど真っ赤に染まった。まさか心の隅に秘めていたものが、こんな形で引きずり出され、よりにもよって本人に露見するとは思わなかった。彼女は咄嗟に俯いてジャンから視線を逸らした。
この時点で腕輪が二人の腕に嵌った経緯を冷静に思い出すことができていたなら、違和感に気付けていたかもしれない。しかし、アレットの心にそんな余裕はなかった。とにかくこの場をどう誤魔化すかで必死だった。何故なら彼女は、単なる同僚や旅の仲間だと思っていた者から女として見られていた事実を知った時の気まずさに、覚えがあるからだ。
「……、マジかよ」
そんなジャンの呟きがアレットの耳に届いた瞬間、彼女の心はバキバキと物凄い音を立てて砕けた。今すぐこの場から消え去りたい。友人や恋人と呼べる存在が近くに居なかったアレットは、こういう場合の正しい立ち回り方をしらなかった。
両手で顔を覆い隠し、真っ赤な耳だけを晒しながら、アレットはほぼ泣き声に近い声を上げた。
「ちがう、ちがうから! 好きっていうのは全然そういう意味じゃなくて……っ」
「わ、わかった! わかったから落ち着け。俺もお前のことは人として好きだ。そういう意味だろ? そうだよなクリス!?」
「え、ええ! そうですとも! 因みに私もお二人が好きです!!」
暗い夜道で二人の大男が泣き出しそうな少女を囲み、好きだ好きだと声を荒げる様はかなり異様な光景だった。アレットは二人のフォローに感謝したが、居た堪れなさは少しも解消されなかった。何故なら、”好意”などという広義的な言葉を選んだクリスの気遣いに気付いていたからだ。
劇場から出て来た人々に奇異の目を向けられ、クリスはアレットの手をそっと掴んで引いた。
「とにかく、早く宿へ戻りますぞ。今日はもう遅いので、参加権のことはまた明日にでも話し合うことにいたしましょう」
しかし、宿へ戻って横になっても、アレットはちっとも眠れなかった。
◇
クリスは魔導アカデミーの門の前に佇む立て札を暫く睨みつけ、やがて肩を落として息を吐いた。札に書かれた”神官立ち入り禁止”という文字に納得がいかに様子だった。
「これは酷い。神職差別です」
「根本は同じでも、神官の使う魔法は魔導とは種類が違うからね。魔法を神の御業とする神官とは相容れないって考えの人が多いみたい」
「ですが、少し前までこんなルールはなかった筈です」
「確かにここまで酷くはなかったけど……私が卒業した年に代替わりした学院長がかなりの神官嫌いで有名だったから、多分その所為だね」
一夜が明け、三人は魔導アカデミーを訪れていた。寝たら忘れるタイプのジャンとは違い、アレットは昨晩のことを引き摺っていた。目の下に隈を作りながらも自然に振る舞おうとする彼女は、それでもジャンの顔をまともに見ることができなかった。
「では、私はここで待機しておりますので。お二人で行ってきてください」
「へ?!」
クリスが構内へ入れないのであれば、ジャンと二人で行くしかない。当然の流れであったがアレットは大袈裟に反応してしまった。昨日の今日で彼と二人きりになりたくなかった。しかし、そんな我が儘は言っていられない。自分の参加権がないせいで仲間に要らぬ手間をかけている状況である。
アレットは覚悟を決めて勝手知ったる学び舎の門を潜った。すぐ横に控えていたジャンは、門を潜った途端に現れた豪奢なエントランスを見て、感嘆の声を漏らした。
「ものすげぇ規模の建物だな。壁や天井の装飾まであるとは」
「元々あった王城を改装して造ったらしいから……」
起きて二言ほど会話を交わせば元通りになると期待したが、アレットの鼓動は高鳴るばかりであった。
(よく考えたら遺跡でラウディを倒した辺りから、彼のこと嫌いじゃなかったかも……神業みたいな剣技を見て素直に尊敬したし、方向音痴だって知ってちょっと好感が持てたのも本当だし……もしかしたら自覚がなかっただけで、あの頃から――)
恋愛感情とは自覚すれば一気に火が点いてしまうものである。久々に学び舎へ訪れたというのに、腕輪とジャンのことばかりが彼女の頭から離れなかった。それでも長年過ごした場所である。アレットの脚は自然と恩師のいる時計塔の研究室へ向かっていた。
塔へ渡る廊下の入口に見張り役の学生が座って魔導書を読んでいた。アレットが声を掛けると、彼は視線を本に落としたまま、平坦な声で言った。
「この先は関係者以外立ち入り禁止です。エントランスの受付で校内マップを受け取ったなら、きちんと見直してください」
「なんだこの失礼なガキは……」
少年の態度に腹が立ったのか、ジャンはワザと聞こえるように文句を口にした。しかし、見張りの少年は魔導書に視線を落としたまま同じような台詞を繰り返した。
「この先は関係者以外立ち入り禁止です。ラウディ以下の低能でなければ、マップを見直してください」
「だれがラウディ以下だ!」
「ブラッドバーン教授に用があって来たの。通してくれないかな」
「……事前に連絡があった方でしょうか?」
少年は面倒くさそうに椅子の下から来訪者リストを取り出した。しかし、会う約束などしていない。そのリストにアレットの名が載っているはずがなかった。
「いや、訪ねる予定はなかったんだけど――」
「ならお引き取りください。先生はお忙しいので、貴方達のような輩に割く時間はありません」
「そこをなんとか……会えなくてもいいから、伝言だけでも頼まれてくれないかな?」
「そういったご要望は受け付けておりません」
取り付く島もなかった。ジャンは肩を竦めて少年に背を向けた。
「おいアレット、埒が明かねーぜ。無視して通るか別の道を――」
「アレット……?」
少年は初めて視線を二人へ向けた。
「アレットってまさか……あの? アレット・アダン?!」
「は、はい……そうですけど……?」
少年はすぐにリストと魔導書を脇に置き、魔法で廊下の鍵を開けた。そしてアレットをジッと見つめると、深々と頭を下げた。
「失礼しました。どうぞお通りください」
ジャンはアレットと少年を交互に見て、目を丸くした。彼女は少年に礼を言って、ジャンと時計塔への廊下を進んだ。
「顔が利くなら最初から名乗ったらよかったじゃねーか」
「まさか。全然、知らない子だよ。先生とは親しくさせてもらってたけど、私はただの卒業生だしなんの権限もないよ」
すんなり通して貰えたことに、なによりアレット自身が一番驚いていた。恩師にはいつでも訪ねて来いと言われていたので、強引に会うことさえできればなんとかなると思っていたが、それでも会うまでの手段についてはほぼ無策であった。
手すりの無い螺旋階段を上り、突き当りの扉の前で足を止める。アレットはいざとなって初めて緊張してきた。王宮魔導士になってから一度も訪ねてない。ほぼ二年ぶりであった。部屋の主はアレットが解雇になったことを知っている可能性が高かい。何故なら彼女を王宮に推薦してくれたのは彼だったからだ。アレットは震える手を握って、学生時代何度も訪れた研究室のドアを叩いた。
「おかしいな。ビリーには誰も通すなと言いつけていた筈だが……どなたかな?」
「せ、先生? お久しぶりです。ア――」
アレットが名を名乗る前に、勢いよく扉が開かれた。出て来た初老の男は長身の瘦せ型で、如何にも貴族の身形をしていた。白髪の混じった灰色の髪を綺麗に撫でつけ、銀縁の片眼鏡をかけている。
その人こそ、学生だったアレットを実父よりも気に掛けてくれたクライブ・ブラッドバーンであった。
「アレット……! よく訪ねて来てくれた」
有無を言わせぬ熱烈な抱擁を受け、アレットは短い悲鳴を上げた。古い本と薬品の懐かしい匂いがして、少しだけ涙腺が緩む。
「ご無沙汰してます、クライブ先生」
「ご無沙汰どころじゃないよ、君。二年も顔を見せないで、どれだけ心配したことか!」
「す、すみません。ちょっと事情があって……」
「言わなくていい。聞いてるよ。仕事をクビになったそうだね。で、男連れでここを訪ねて来たってことは結婚の報告かい?」
長らく顔を見せなかったアレットへの、クライブなりの皮肉であった。しかし、今のアレットにその手の冗談は効き過ぎた。
「ち、違います! ええっと……彼は職を失った私の恩人というか」
「分かってるさ、少し揶揄っただけだよ。さぁ、君もお入り」
クライブは穏やかに微笑むと、アレットの背後に控えていたジャンにもそう声を掛けた。本棚と書類で溢れた研究室へ足を踏み入れると、ジャンは落ち着かないのか、首の後ろを掻きながら視線だけで部屋を見渡した。
「ごめんなさい。せっかく推薦していただいたのに……」
「いいさ。やはり金と権力で頭がいっぱいの連中の中に君を送り込むべきじゃなかった。職に困っているなら鉱石科の席はいつでも空いてるよ」
「い、いえ。お話は有難いのですが、先生を訪ねたのは仕事のことじゃなくて――」
アレットは早速、本題を切り出した。
「今夜、オドラン子爵の屋敷で開かれる競売に参加したいんです。子爵へ取り計らって頂けないでしょうか?」
「別にいいが……そんなことで訪ねて来たのかね? 珍しい魔石でも売っているのかい?」
「あ、いえ。売り買いが目的ではなくて、友人との約束があって……」
「そうかそうか。では子爵に愛弟子の入場許可を頼んでおこう」
相変わらず話の早い恩師であった。アレットが拍子抜けしていると、片眼鏡の奥がキラリと光った。
「その代わり、今から私の代わりに教壇へ立って貰おうか」
「え?!」
「なんだい。それぐらい簡単にできるだろう? 色々聞きたい親心を、お節介だと我慢してやっているんだ。それに、学生たちも気になって仕方がないみたいだからね」
クライブは研究室の扉へ向かって声を上げた。
「君達。聞き耳を立てていないで、入っておいで」
ジャンとアレットが振り返れば、遠慮がちに開かれたドアから複数の学生が顔を出した。そこには先ほど見張りをしていた少年の姿もあった。
「みんな君に興味深々みたいだからね」
「……私のことを話したんですか?」
「人聞きが悪いね。私はなにも話しちゃいないよ。皆、君の研究書を読んでファンになった子達さ。君達、今日は私の代わりにアレットが講義をするが、異論はないかね?」
クライブがそう問えば、皆が一斉に首を振って頷いた。
「研究書って……あれを読ませたんですか?! あ、あんな中途半端な書きかけのものをっ……」
「忘れたのかい? 卒業生の研究書はすべてアカデミーの書庫に保管される規則だろう。優秀な学生が書いたものだと教えただけで、評価したのはその子達さ」
外にはクリスを待たせている。あまり時間を掛けたくなかったが、アレットは学生たちの好奇と期待の視線に負けてしまった。
「ええと、ジャン……悪いんだけど……」
「分かってる。寧ろそんぐらいで済んで良かったじゃねーか」
アレットは学生に囲まれ講堂へと足を向けた。その後ろに続こうとしたジャンを、クライブが呼び止めた。
「君はここへ残りなさい。アレットの代わりに話を聞かせてくれ」
ジャンは黙って立ち止まり、クライブの言葉に従ったが、アレットは慌てた。腕輪の所為で、二人は離れることができないからだ。
「先生、上手く説明できないのですが……ジャンは――」
「腕輪のことなら大丈夫さ。とても……とても忌々しいことに支配力が均衡しているからね。離れただけではどうにもならんよ」
クライブのその言葉に、二人は息を呑んで顔を見合わせた。




