第39話:嵐はいつも突然に
たっぷり寝過ごしたアレットは、馬上で目を覚ました。
揺れる視界に驚きすぎて落ちそうになった身体を、すぐ後ろにいたジャンが支えた。アレットの最後の記憶は幻想的な灯りに照らされた祭りの広場だった。聞けば、揺すっても声をかけても起きないので、そのまま村を出たそうだ。それにしては、普段着のローブをしっかり身に着けいている。
「ミレーヌ殿を起こして着替えさせてもらったのです」
アレットは恥ずかしくなって口を噤んだ。ジャンから大勢の村人たちが眠るアレットを笑って見送っていたと聞いて、余計に顔が赤くなった。
「いま、どこに向かってるの?」
「宿場街のあった街です。馬を返して、その町の教会に罪人を預けようかと」
そうすれば、クリスの任務は無事に完了だ。見れば、クリスは棺を横にして革のベルトで自身の身体に固定していた。アレットが跨るはずの三頭目の馬の背に、ぐるぐる巻きに縛られた老人が荷物のように載せられている。
「コームを乗せてる馬に移るよ。一度降ろして」
「ダメだ。テメーが起きねーから他の荷物もそっちに積んでんだ。移動させるのも手間だろーが」
どうやら、その馬にわざと前を歩かせているのは見張りの意味もあるらしい。
「もうすぐ着く。それまで我慢しろ」
コームが逃げ出さないか心配していただけであって、別にジャンとの相乗りが嫌だったわけではない。しかし、どう弁明していいか分からず、アレットは結局何も言わなかった。
ジャンの胸板を枕にし、寝直そうとしたアレットはクリスにそれを止められた。
「アレット殿、夜眠れなくなってしまいますぞ」
「うっ……それは分かってるんだけど、ジャンの子供体温が心地よくて、つい」
「背後からちょっかいかけまくったら眠気も飛ぶか?」
「わかった。寝ない。寝ないから絶対やめて」
そうこうしているうちに町へ着いた三人は、すぐに教会へ向かった。そこで抜け殻のようになったコームの身柄を引き渡し、宿屋に荷物を置いて馬を返した。今度は歓楽街ではなく、ちゃんとした宿を取った。ミレーヌの部屋を取るわけにもいかないので、棺はクリスの部屋へ運び込むことになった。
もう日暮れだったのでクリスとアレットはジャンに合わせて酒場へ付き添うことになった。しかし、その間、棺は宿の部屋へ置きっぱなしになってしまう。
「ミレーヌはどうしよう……」
「部屋に鍵かけときゃ問題ないだろ」
「確かに少々心配ですな。私がなるべく早く戻るようにしましょう」
ミレーヌにはまだまだ聞きたいことがある。アレットは夜を待ち、彼女に腕輪のことを訪ねようと思っていた。酒場に向かう道すがら、商店街で茶葉を購入したアレットは、雑貨店でヴィミックの縫いぐるみを見つけた。ヴィミックといえばサリア領のシンボルのようなもので、アレットは何故かミレーヌを連想してしまう。ずっと昔の話だが、この辺り一帯は彼女の国の領土だったのだ。
なかなかに愛らしい造りだったので、なんとなく手に取ってしまい、その縫いぐるみも購入してしまった。
「飯食う前に余計なもの買うなよ……」
「昨日たくさん食べたからね。今日は夕飯にお金使わないって決めてる」
「飯は食える時に食っておいた方がいいぞ?」
そういえば、遺跡の捜査に向かったときはジャンの非常食に救われたのだった。あの時はまだ、得体の知れないジャンのことを疑っていた。
「備えもあるから大丈夫だよ。それより、腕輪の所為で自由行動すら許されないことのほうが問題だよ……なにか方法がないかミレーヌに聞かないと本すらゆっくり読めない」
「俺だって酒はともかく、女をここまで我慢したことはねーぜ。記録更新中だ」
ジャンの軽薄な台詞に呆れるのは常であったが、珍しくクリスまで呆れた様子だった。
「先ずは今夜、ミレーヌ殿に詳しい話を聞いてみましょう。もしかしたらお二人の悩みは解決するかもしれません」
その意味深な言葉に、ジャンとアレットは首を傾げた。結局、酒もあまり進まなかったのか、食事にはあまり時間を要さず一同は宿屋へ戻った。それぞれの部屋へ戻ると、一拍置いてクリスの地割れのような叫び声が響き渡った。
何事かと戸を開けると、クリスが暗闇の中に呆然と立っていた。棺の蓋は開いていたが、その中身は空っぽだった。部屋を見渡すが、そのどこにもミレーヌの姿はない。
「み、ミレーヌ殿が……」
その先は言われずとも分かった。三人が食事から帰ってくると、ミレーヌが居たはずの棺の中は空になっていたのだった。
◇
ミレーヌが目を覚ましたのは薄暗い部屋の中だった。移動中の一同と情報の共有が一切できない彼女は、どういう経緯で自分がそこにいるのかを想像で補わなければならなかった。
「実家の犬小屋にそっくりですわね。倉庫……でしょうか?」
しかし、なぜ倉庫にミレーヌの棺を置いたのだろうか。早速荷物扱いされているのだろうか。責任は取ると言ったが、クリスには自身の扱いにもっと気を付けてもらわなければ、とミレーヌは頬を膨らませた。暫く暗闇で待っていたが、誰も訪れる気配がない。
ミレーヌはそっと部屋の戸を開けた。すると、短い廊下から光が差し込んできた。廊下にはいくつか扉があり、ミレーヌはますます倉庫に置かれたと勘違いした。階段を降りて建物を出ようとすると、カウンターに見張り番がいた。
「おいあんた……どっから入った?」
「どこから、とは? この建物には入口が数か所あるのですか?」
「い、いや。そこについてる扉一つだけだ。客……じゃねーよな?」
「客……?」
「有り得ねぇ。あんたのような人間離れした別嬪さんを通したら流石に覚えてら。宿泊客じゃねーなら、どこから入ったんだ?」
どうやらここは宿泊施設のようだ。となると、非常にまずい。ミレーヌは倉庫番改め店主へ微笑みかけ、思考を巡らせた。店主がミレーヌに見覚えがないのは当然である。彼女はクリスの背負っている棺の中にいたのだから。店主にとってミレーヌは無賃で宿泊している犯罪者である。
「おかしいですわね。宿を間違えたのかしら?」
「なんだいお前さん、もしかしてミザーフ宿場街からの出張かい? 困るぜ。うちはそのための宿じゃねーんだ」
「ミザーフ宿場街?」
「……違うのかい?」
「い、いえ。実はそうなんですの」
まったく訳が分からないが、店主の勘違いに乗っからなければ上手い言い訳も思いつかない。目覚めた時、ここが宿屋だと分かっていれば迂闊に部屋を出たりしなかったのに、と内心嘆いたがもう遅い。
店主はミレーヌをジロジロと見た。
「ホントに娼婦なのかい? それにしては随分上品にみえるが……」
「しょ……、?!」
あまりの言い草に反論しかけて、寸でのところで口を噤む。なるほど、ミザーフ宿場街というのは歓楽街のことらしい。店主はミレーヌをそこから客を取りに来た商売女と勘違いしているようだ。
「も、もとは貴族なんですの。父親が借金を抱えて蒸発してしまいまして……実は今日が初仕事ですわ」
「なるほどな。それは同業者の妬みを買ったな! アンタのような桁外れの美人はすぐに噂になって金持ちに身請けしてもらえるだろうからな」
「そ、そうでしょうか……」
「で、どこの誰から呼ばれてんだい? 店の名前と客の名前ぐらいは聞いてるだろ。教えてやるから言ってみな」
ミレーヌはここがどこであるかすら分からない。統治下にあった地域からはそれほど離れていないだろうが、ここがミレーヌの国であったのは二百年も前の話だ。アレットの話では、都はラヴィアという領土に移っているそうだし、地名も変わっているだろう。
「じ、実はそれも……」
「なに!? それすらも聞いてねーのか。ひでぇ連中だな。アンタの評判をわざと落とそうって気か」
なにやら面倒な流れになって来た。おそらく時間的にみて、アレット達は夕食に出ているのだろう。こうしている間に帰って来ればいいが、いつ頃出て行ったかも分からない。棺の中にいながら彼女たちの動向を確認できる方法を早めに見つけて対策しなければ、今後もこのような事態を繰り返すことになるだろう。
「しかしそいつは困ったな。手当たり次第に宿を当たるわけにもいかねーし、そもそもミザーフ以外の宿は娼婦の出入りを許してねぇ」
「ここにはいない。それが分かっただけでも来た甲斐がありましたわ。貴方の言っていることが本当なら、私のお客様はミザーフにいるということになりますわね」
ミレーヌは店主へ完璧なお辞儀をして、宿を出た。否、そうせざるを得なかった。こうなれば、アレット達を探すしかない。ミレーヌはなるべく目立たぬよう、宿の外に設置された樽を足場に壁を駆け上がり、屋根へと移動した。家々の屋根を飛び回りながら身を隠し、窓から食堂や酒場の中の様子を探った。
そうして人気のない路地裏を巡るうちに、自分と同じように影に身を潜めた若い娘を見つけた。何から身を隠しているのか知らないが、みすぼらしい身なりの割に美しい造形をしていた。アレットの愛らしさには敵わないが、燃えるような朱色の髪がなかなかに麗しい。ミレーヌは老婆心からその少女に声を掛けた。
「もし。そこで何をしていらっしゃいますの?」
少女はハッとした顔でミレーヌへ視線を投げた。一瞬呆けたような顔をして、すぐに警戒心を露わにした。そして、人差し指を唇へ当てた。
「静かに。見つかってしまうわ」
ミレーヌは身をかがめ、少女へ近づいた。
「何から隠れているのか教えてくださいませんこと?」
「奴隷商よ。貴女、この鎖が見えないの?」
少女は呆れたように両腕を掲げて見せた。確かに、彼女の腕には金属でできた枷が嵌っていた。
「まぁ酷い。どうしてそんなことに?」
「貴女に話す義理はないわ。お願いだから黙って。放っておいてよ。せっかく逃げ出せたのに捕まってしまうわ」
「人目を忍ぶなら、屋根の上の方がいいと思いますけれど?」
「手枷がなければ私だってそうしてるわ」
その言葉は決して虚勢を張ってのものではなかった。彼女がミレーヌの目に留まったのは、その身体つきが美しかったからだ。長い手足に引き締まった筋肉、全身から漂う凛とした風格。只者ではないことなど、一目で分かる。
「失礼しますわ」
「え? ちょ、ちょっと……なにして――」
ミレーヌは少女の身体を抱えると、思い切り地面を蹴った。ふわりと夜空に浮かんだ身体は、体重などないかのように軽々と屋根の上に降り立った。抱えられた少女は目を丸くしてミレーヌを見た。
「あ、あなた……何者なの?」
その問いには答えず、ミレーヌは少女の腕の枷についている金属を糸でも切るかのように素手で引きちぎった。少女はそうした彼女の行動にも怯える様子はなく、好奇の目を向けてきた。
「目の前に現れた時から人間離れしてると思ってたけど……もしかして人間じゃないの? 貴女も見世物小屋や奴隷商から逃げてるってことかしら?」
「闇から現れたわたくしを見ても驚かれないご婦人など、そういませんわ。貴女こそ、何者でして? わたくし、それが気になったから枷を外しましたのよ」
少女は片足を後ろに引き、もう一方の足の膝を曲げて腰を低く下ろした。それは貴族階級の完璧な挨拶であった。
「申し遅れました。私は亡き王国の王女、カルラ・アーデルハイト。助けていただき感謝いたします」
「まぁ。まさか王女だったとは……それはとんだご無礼を」
ミレーヌは一先ず、彼女の言葉を冗談として受け流すことにした。カルラの風格も王女と言われれば納得だが、真実を口にしているとも限らない。あまり詮索をすれば、こちらの身も明かさなければならなくなる。
「気にしないで。もうない国だから。貴女も高貴なお人なんでしょ?」
「ええ。もと、ですが……」
「じゃあ私と一緒ね。なにかお返ししたいけど、今は渡せるものがないの。またお会いしましょう。この恩はしっかり返すわ。この町の商人たちはサリアの大都市、魔導アカデミーの貴族たちを標的にしているの。治安が悪くて最悪よ。きっと貴女にとっても良くない場所だわ。すぐに出ることをお勧めする」
ミレーヌはすぐに立ち去ろうとしたカルラを呼び止めた。
「待ってくださいまし。貴女には今返せる恩を返していただかないと……なんのためにわたくしが貴女に声をかけたと思いまして?」
「……なるほどね。貴女もなにか困ってるの?」
「そうなのです。この町で仲間とはぐれてしまいまして……探すのを手伝ってくださいませんこと?」
「そうしてあげたいけど、無理だわ。奴隷商がうろついている以上、目立つようなことはできない」
ミレーヌは思考を巡らせた。実はそれほど困っているわけではなかった。ただ、亡国の王女を名乗る娘が心配だったのだ。ボロの布切れを纏い、武器も持たずにうろついていれば、それはそれで目立つだろう。彼女の特徴的な髪色は、夜の闇には殊更浮いてしまう。彼女がこの町から逃げきれるまで見守ろうと、ミレーヌの腹はとっくに決まっていた。
三人が宿へ戻れば大騒ぎになるだろうが、この際仕方がない。
「ここへ来る前、旅芸人たちのテントがありましたわ。そこで身を隠せるものを拝借してはいかがでしょう?」
「変装するってこと? かえって目立たないかしら」
「その手枷があれば何を着てても同じですわ。ですが芸人用の奇抜な衣装に身を包めば、少しは誤魔化せるでしょう」
「そういえば、貴女の服も寝巻みたいで目立つわね。お互いに着替えは必要か……案内してくれる?」
三人に助力を求めた方が早いが、そのためにも彼女の服の調達は必要不可欠である。カルラの言葉に、ミレーヌは嬉々として頷いた。
◇
アレット達は慌てて宿の階段を駆け下り、店主にミレーヌの行方を尋ねた。
「マスター、白髪の美女を見なかったか?」
ミレーヌの分は宿賃なしで宿泊しているため、連れだと言うことは伏せ、さりげなく聞いた。
「おお、みたぜ。偉い美人だったが、まさかあの娼婦を呼んだのはアンタ等か?」
「しょ、娼婦?! 彼女は娼婦じゃないよ」
「ええ、そうなのかい? しばらく前に客を探すって出て行っちまったが……」
「どこへ行ったか分かるか?」
「い、いや……見当もつかねぇ」
厄介なことになった。アレットは店主に聞こえないよう、小声で二人に言った。
「きっと彼女、起きたら私達がいなかったから探しに出ちゃったのかも。娼婦って言ったのも、咄嗟に宿泊費誤魔化してくれようとしたんだよ」
「彼女が私達の動向を把握できないのは問題ですな。早いところ対策を考えねばなりません」
アレット達がミレーヌを探しに行こうと宿を出た時、店主が追いかけてきた。何事かと驚いたが、店主はクリスに紙切れを手渡した。
「そういや、バロンさんってアンタだよな? 旅芸人の遣いからコイツを預かってたんだ」
アレットとジャンはクリスが受け取った紙切れを両側から覗き込んだ。
”愛しの男爵様へ。魔導アカデミーの大劇場にて待つ。貴方のレニーより”
紙切れには美しい文字で、そう記されていた。




