第37話:弔いの歌
二人が地下牢へ姿を見せたのは、小一時間ほど経った折であった。それほど待ったわけではないが、弱ったジャンと供に死にかけの老人と血の匂いのする部屋で過ごす時間は長く感じた。
「お待たせしました」
戦闘用の祭服はボロボロだったが、クリスの顔色はすこぶるよかった。ミレーヌともに完全復活といった様子である。しかし、クリスの片頬は赤く腫れあがっていた。
「よぉ、元気そうでなによりだぜ」
腫れたクリスの顔をみて、ジャンは意地の悪い笑みを浮かべた。それでも珍しく大人しい方であった。喋ると折れた骨に響くのだろう。そんな状態で平気な顔をして吸血鬼を迎え撃っていた彼は、まさしく非凡であった。アレットも手持ちの気付け薬は飲ませたが、痛みが少し和らいだ程度で、骨を繋ぐことはできなかった。
クリスはすぐにジャンの治療を始めた。
「まず、状況の整理をさせて欲しい。私の認識が間違っていたら教えて」
アレットは自分が把握しているだけの情報を簡単にまとめた。
「コームの目的は、私達の腕輪を移してミレーヌと吸血鬼の力を共有することだった。これは間違いないよね?」
コームとミレーヌは古い文献によって腕輪の詳細を知っている。加えてコームは何の罪もない人を殺めるほどミレーヌへ執着していた。否、ミレーヌの永遠の若さと美しさに固執していたと言った方が正しいだろう。
「間違いありませんわ。しかし、彼は吸血鬼に関する知識に乏しかったようです。わたくしもあの渇きに慣れるまで時間が掛かりました。意識して節制しなければ、一月……否、二週間と持ちません。あんな風に無茶な体力を使った場合は一日もてばいい方ですわ」
「その乾きって、耐えられて最長何日ぐらいなの?」
「個人差はあると思いますが、人間一人から取れる血で一、二年は持ちますわ。そこから我慢に我慢を重ねても十年ほどで理性が飛んでしまいました。しかし、わたしくしを基準にしても比べる対象がいない限り、正確なことは分かりませんわ」
そのミレーヌの言葉にはクリスが答えた。
「十年も耐えるなどありえません。吸血鬼と見えたのは初めてですが、似たような種を討伐したことがございます。その個体は僅か三年足らずで1500人以上の犠牲者を出しています。その者には自我などございませんでした。身体が変容し体内エネルギーの摂取のみで生きられるならば、人の身よりは空腹に耐えられるでしょう。しかし、せいぜいもって二月から三月が限度です」
「ミレーヌが特別すごいってことだね」
「生きながらえるために無関係な人間を殺めたのは事実。数など関係ございませんわ」
アレットの称賛をぴしゃりと跳ねのけ、ミレーヌは小さな唇を引き結んでしまった。だが、決しておべっかを言ったのではなく、ミレーヌの強靭な精神力の持ち主であることは事実だった。加えて、襲ってきた人間しか殺めていないという事実も発覚している。アレットはそれをクリスに共有した。
「クリス、実際に彼女は神官以外の人間は殺してないよ。デュオンから聞いたの。迷い込んだ人間が死んでいたのは、コームが原因だったって。その証拠もある」
アレットは懐からコームの日記を取り出した。クリスはジャンの治療に集中しているのか、振り返ることなく言った。
「本当の鬼は彼だったようですな。教会に報告の文を出したのち、一番近くの教会へ彼の身柄を移しましょう」
寧ろ、日記に反応したのはミレーヌの方だった。
「みせてください!」
「あっ……、」
アレットの手から日記を奪うと、ミレーヌは雑にページを送って、歪んだ文字を目で追っていった。そして、あるページでピタリと手を止めると、綺麗な顔が憎悪に歪んだ。
ぐしゃり、と日記の端に皺が寄ったのを見て、アレットは慌てた。
「て、丁寧に扱って! それ大事な証拠品だから」
ミレーヌは一度、薄暗い天井を見上げて深呼吸すると、冊子を閉じてアレットに返した。そして、気絶したコームへ近づくと、靴の踵で股間を思い切り踏みつぶした。
「がぁあああぁああっ?!」
痛みで覚醒したのか、地下牢に老人のしゃがれた叫び声が響いた。アレットは慌ててミレーヌを止めた。
「ちょ、落ち着いて! 罪を償わせるためにも、彼は無事に教会に届けなきゃ――」
「ドニの命を奪った罪は、今ここで償っていただきますわ。この男はドニに山ほど恩があるのです。それにも関わらず、食事に毒を盛り続けたなど……死んで当然のクズですわ」
ドニという使用人は家族のような存在だったと聞いている。アレットも日記をすべて読んだわけではない。しかし、デュオンの言うように彼もコームの手によって命を落としたのだろう。ミレーヌはその記述を見てしまったのだ。
「クズなのは確かだけど……殺しちゃダメだよ! 証拠がなくなっちゃう」
「彼の罪を告発する証拠なら、その日記で十分なのではなくて? どのみちわたくしはこの虫以下のクズを殺して緩やかに死を迎えるつもりでした」
「だからやめてって言ってるの! 忘れたの? クリスは貴女がいないとダメな身体になっちゃったんだよ?!」
ミレーヌはゆっくりとクリスへ視線を移した。彼はジャンの治療を終え、その身体を助け起こしていた。
「貴女、眷属について知っていますの?」
「いや、全然知らない。でも、そういうことなんでしょ?」
その情報も、共有してもらわなければならない。どちらの口からでもいいが、詳細を聞かなければここから動くこともできないのだ。ミレーヌは気まずそうに視線を逸らすと、悩まし気な溜息とともに語り始めた。
「経緯は先ほど話した通りですわ。貴女の言う通り、眷属は定期的にわたくしの血を分けねば生きられぬ存在です。ドニの協力を得て色々試しましたが、人に戻す方法はありませんでした」
その言葉に反応したのは、すっかり顔色のよくなったジャンだった。
「要するに腕輪の縛りで離れられねー俺達と似たような状況ってことだよな? どうすんだクリス」
コームの身柄を教会に引き渡すのは確定事項として、本来であればミレーヌの処遇をどうするかを決める場面であった。しかし、クリスがミレーヌの眷属となってしまってたのなら、彼女をこのまま死なせることはできない。ならばもちろん、彼女をコームと共に教会へ引き渡す選択も有り得ない。
「お嬢様が我慢強いのは分かったけどよ。クリスはどんぐらいもつんだ? まぁ、定期的にこの邸宅に戻って来れば済む話ではあるが……」
「残念ながら、それは難しいでしょうな」
クリスは眉間に皺を寄せながら、どこか他人事のように言った。
「恐らく、渇きに堪えられる否かは消耗具合によります。今回のような任務も定期的に来ることを考えると……サリアに拠点を移しても難しいでしょう。それに、頻繁に禁域付近をうろついていれば怪しまれるでしょうな」
だからと言って、ドニという使用人のようにミレーヌと一生この邸宅にいる訳にもいかない。アレットはある提案を口にした。
「ねぇ、クリス。貴方が彼女の眷属になったって聞いた時から考えてたんだけど……ミレーヌを連れて行ったらどうかな?」
アレットの言葉に驚いたのはクリスだけではなかった。寧ろクリスよりもミレーヌの方が先に反応した。
「わたくしはここから出られませんわ。日の光を浴びることができないのです」
「広間に棺があったよね? あれに入れば移動はそこまで問題ないと思うんだけど……神官であるクリスなら棺を抱えてても不自然じゃないし。問題は持ち運びの手間だけど、大丈夫そう?」
「棺を背負っての移動という意味なら、大した手間ではありません。寧ろいい鍛錬になるでしょうな」
ミレーヌを邸宅から連れ出すことが可能なら、それが一番の解決策だと考えていた。万一のことを考えるなら、互いに離れない方がいい。神官であるクリスなら、棺のことを聞かれても適当に誤魔化せるだろう。
「まさか……本気でおっしゃっておりますの?」
「もちろん、強制はしないよ。でもクリスと一緒に行動したほうが貴女にとってもいいと思う」
ミレーヌはアレットに向き直り、真剣な眼差しで彼女を見据えた。
「わたくしのような怪物を、世に放とうと言うのですか?」
「貴女は怪物なんかじゃない。神官たちを殺したのも、身を守るためだったんでしょう?」
アレットの言葉に、彼女は肩を落として溜息を吐いた。
「なにも分かっていらっしゃいませんのね。神官達だけじゃありません。わたくしはこの身が鬼となった時、原因をつくった男達を私怨で殺し回り、その血を啜った鬼なのです。今だって、そこに転がっているクズを殺したくてたまりませんわ」
「それこそ貴女のせいじゃ――」
彼等の自業自得である。ミレーヌは怪物にされた復讐を果たしたに過ぎない。コームに対する気持ちなど、この場にいる全員が同じだろう。アレットは猶もミレーヌを擁護しようと口を開きかけた。
「アレット、人殺しに正当な理由なんぞ探そうとするな」
不意に響いたジャンの鋭い声音に、アレットは開きかけた口を噤んだ。
「どんな言葉を並べたところで、人を殺していい理由なんか無い。結局のところ、犯した罪の良し悪しを決めるのは法でも裁判官でもねぇ。その罪人自身だ」
「な、なに言ってるの? それじゃあ罪を犯した人間が”自分は悪くない”って思ってるなら悪いことしてないことになっちゃうじゃん」
「そうだ。ソイツ自身が悪いと思っていなければ、悪いことにならねー。だが、悪いと思う奴はいる。だから法がある。でもなアレット、本当はこの世に善悪なんてものは存在しねぇんだよ。それぞれの主義主張があるだけだ。その女は自分の我が儘で人を殺したことをちゃんと自覚してんだよ。それをオメーが善悪で測ってどうすんだ」
めちゃくちゃなことを言ってるように聞こえるのに、何故か反論できなかった。アレットがどんなに客観性のある主張をしても、否、すればするほど自分の罪を許せないミレーヌは、頑なになってしまうだろう。ジャンにはそれが分かっていた。
「お嬢様よ。その反省も後悔もアンタだけのもんだ。ここで死ぬまで大人しくしてることがアンタなりの反省だってなら文句はねーよ。だが、それをいくら繰り返したとこで、やっちまった事実は変わらねぇ。それにクリスを眷属にしちまったなら、どうせあと百年くらいは死ねねーんだろ?」
「……」
ミレーヌは複雑な表情でクリスを見つめた。
「幸いアンタはこのじーさんと違って、心まで怪物になっちまってるわけじゃねーんだ。これまでのことより、これからのことを考えて生きてもいいだろ」
「ですが、わたくしは懲りもせず、神官様のこの先の人生を奪ってしまいましたわ……外に出ればまた――」
「こう言ってるが、実際のところどうなんだクリス? お前、お嬢様に人生奪われちまったの?」
ジャンはクリスに答えを促した。
「ええ、奪われました」
クリスは一呼吸置いて、ミレーヌに向かって言葉を続けた。
「しかし、すっかりお忘れのようですな。私は貴女に責任をとってもらうと申し上げたはず……奪った分だけ与えていただかなければ。貴女には私の世直しに付き合ってもらいます。同行を断る権利は最初からありません」
それはミレーヌにとって、一つの答えであった。人から血を奪わねば生きられなくなってしまった怪物が、人を助けてはいけない道理はない。奪ったという自覚があるなら、奪った分だけ与えればいい。背負った罪が軽くなるまで、与えることを繰り返せばいいのだ。
「まぁ。反省しているわたくしを責めるのですね」
「あとで責めると言ったではないですか。まさかそれもお忘れで?」
二人は顔を見合わせて、笑った。ミレーヌは諦めたように言った。
「貴方にそう言われては、わたくしに拒否権はありませんわね」
かつて国民を愛し、民のために尽くした彼女にとって、人のために生きることはそれほど難しいことじゃないだろう。アレットはホッと胸を撫でおろした。クリスとミレーヌの件が一番の問題だったからだ。ミレーヌの同行が決まったのなら、あとは村へ帰り、コームを教会へ引き渡すだけだ。結局、自身の腕へ戻ってきてしまった腕輪のことも、王都への道すがら考えればいい。なにせ、腕輪に詳しいミレーヌがいるのだ。
「そうと決まれば、一度村に戻ろう」
「待ってくださいアレット」
ミレーヌは申し訳なさそうに言った。
「地下室ある遺体をすべて埋葬したいのです。本来はきちんとした儀式にのっとって順番に行っていたのですが……ドニがいなくなり、それもできていませんの。地下にある遺体を中庭へ集め、中庭の遺体達と一緒に燃やしていただけませんか?」
「いいけど……その、襲ってきたりしないよね?」
「まぁ……ふふふ。本当にごめんなさいね。遺体を弄ぶような真似をしていたのも、邸宅から出ようとしないあの村の青年のような者達を脅かすためですわ。神官には女性の方にしか効果がありませんでしたが、一般人にはあれで十分ですので。結局、彼らの死因は病気でもなかったので、遺体に害はまったくありませんわ」
「いや、私達の方こそごめんなさい……そうとは知らずに燃やしたり切ったりしちゃったけど」
「それもすべてわたくしの責任ですわ。遺体は一人ずつ、少しずつ血を抜いて、弔いの歌を捧げ、翌日土に還すのが決まりでした。ドニの足腰が悪くなってからは、墓穴を掘るのも重労働ですので、遺体が溜まってしまって……」
「なるほど。ここへ来たとき俺とクリスが聞いた歌は、お嬢様の弔いの歌だったのか」
ミレーヌは恥ずかしそうに頷いた。しかし、その歌はアレットの耳には聞こえなかった。
「変だなぁ。私にはその歌、聞こえなかったんだけど……」
「それは長い年月をかけて、わたくしの魔力がそのような性質に変容してしまったことが原因でしょう。現にここへ留まるのは男性ばかりでしたから……”男を誘惑し、魅了する”わたくし自身が自然とそういった性質を持ってしまってもおかしくはありません」
そう言って、ミレーヌは地下牢の戸を開けた。
「さぁ。早い方がいいでしょう。わたくしも階段の上まではお手伝い致しますわ。そこから中庭まではお願いします。遺体の処理をしてくださっている間に、棺の手入れや出発の準備をさせてください」
再び気を失ったコームを念のため牢に繋ぎ、三人は作業を開始した。アレットは中庭の遺体を一箇所にかき集め、ジャンとクリスは地下牢から遺体を中庭へ運び込んだ。最後にまだ新しい遺体が運び込まれた。その遺体はおそらく、ドニだった。九十を超える老人とは思えないほど、肌艶がよく、骨も曲がっていなかった。本当に死んでいるのかと疑ったが、その身体は冷たく、息はなかった。
三人が揃ったところで、アレットは積んだ遺体の山に炎を放った。水分が抜けた死体は良く燃えた。パチパチと火の粉が跳ね、吹き抜けの天井へ煙が昇って行く。ふと、風に乗って美しい歌声が聞こえてきた。
”尊き命は黄昏に
故郷へ還る道を行く。
黄金の華が咲く道を
懐かしき日々を共に連れ
遠い遠い道を行く――”
今度は、アレットの耳にも届いた。胸が詰まるような悲しい歌声だったが、暖かな旋律に不思議と心が安らいだ。アレット達は燃え上がる炎を見つめながら、やがて火の勢いが収まるまで、その歌に聞き入っていた。




