第36話:再契約の証
結論から言うと、あまり芳しくなかった。ミレーヌの挑発作戦も一度は成功したものの、コームが加減をしたせいで効果が薄かった。そして意図がバレてしまえば、もう彼がミレーヌを標的にすることはなかった。
四対一の状況でも、対象に決定打を加えぬよう立ち回るのは難しかった。殆ど理性を手放した獣のような動きと怪力に消耗するばかりで、好機は見えてこない。魔力を吸い上げられ続けたミレーヌの姿は、今や老齢の婦人へと変化していた。アレットは老いてなお気品のある姿に見惚れるばかりであったが、コームは戦いの最中ですら、それを嘆いた。
「ああ、そんなお姿に……俺ならすぐに元通りの美しい貴女へ戻してあげられます」
「わたくしから好きに魔力を奪っておいて、あんまりなことを仰いますのね」
前衛のクリスへと飛び掛かったコームの身体を、即座にアレットの怒りの炎が包んだ。
「気にすることない。その姿も綺麗だよ」
「まぁ、アレットは優しいのですね」
「俺は寧ろ今の方が好みだ」
アレットはジャンの言葉を真に受けたまま誤解を積もらせたが、ミレーヌは彼の軽口に声を上げて笑った。
それが癪に触ったのか、クリスを集中的に狙っていたコームは標的をジャンに変えた。ジャンは大剣をまるで棒切れかなにかのように軽々しく振り回し、単調なコームの動きを完全に見切っていた。クリスは強靭な肉体で怪力を防ぐことは出来ても、攻撃が避けられてしまい防戦一方だった。比べてジャンは俊敏さでは劣っていないものの、吸血鬼の怪力に押されてしまい苦戦していた。後衛のアレットも徐々に弱っていくミレーヌのフォローで手一杯になってきている。これ以上長引けば、状況が好転するどころか悪化するかもしれない。
そう考えていた矢先だった。コームが不意にジャンの後ろへ控えていたアレットに標的を変えた。
「――、ッ!?」
驚異的な反応速度でジャンの剣が鋭い爪を弾いたが、体勢が崩され、隙だらけの脇腹にコームの蹴りが入った。真横に吹き飛ばされたジャンは立て直しに時間を要した。本来ならば回復と守りを担う神官が前衛に出ているため、味方の補助が追い付かない。
ここぞとばかりにアレットを狙ってきたコームの猛撃を間に入ったクリスが受けるが、陣形が大きく崩されてしまった。ミレーヌの表情にも、余裕がなくなる。
「アレット、腰の短剣でわたくしの心臓を貫く用意を」
「そ、そんなこと――」
「大丈夫、わたくしは死にませんわ。あのケダモノを怯ませることが目的です」
本当に死なないのだろうか。いくら吸血鬼といえども生命力である魔力を吸われ、弱りきったところを一突きにされたら、絶命してしまうのではないか。そうなったとき、コームの命を道連れにできる確証はない。
アレットは狩猟ナイフを抜くと、それを構えてミレーヌの傍へ控え、接近戦でコームを迎え撃つ準備をした。接近戦の実践経験など殆どない。近づかれた時の対策はいくつかあったが、吸血鬼の速さに反応できなければそれも意味がない。
「無謀なことはおやめなさい!」
「無謀だけど、無策じゃないよ」
そのナイフには、まだクリスの施した対アンデッド用に施された魔法が僅かに残っていた。それに、グレートラウディと対峙した時に手を伸ばしかけた”とっておき”がまだ残っている。もっとも、その魔鉱石は一度きりしか使えない。入手も困難で、文句を言われながら王宮の研究費用で取り寄せた代物だった。
「クリス、私の合図に合わせてコームの攻撃を避け――」
大技での反撃を目論んだ、その時だった。クリスの広い背中に吸血鬼の禍々しい爪が生えた。短いうめき声と共に、倒れた彼の身体は、穴だらけであった。その穴から、一目で致死量と分かる血が流れ出した。
「く、りす……?」
息を呑んでいる暇など、なかった。しかし、アレットは目の前の残酷な光景に数秒ほど制止してしまった。その隙を突かれ、アレットは羽交い絞めにされた。コームは血のべっとりついた鋭い爪をアレットの頬に押し当て、体勢を立て直し剣を構えたジャンに向き直った。
「大人しくしろ。この娘を殺すぞ!」
ジャンは構えた剣を降ろし、コームを睨んだ。
「どうせ俺達を全員殺すつもりだろ。そんな脅しに俺が乗ると思うか?」
「お前のことは殺す。だが、この娘のことはどうだろうな? お前の態度次第では、生かしてもいい」
コームの鋭い爪が、アレットの太腿を撫でた。生暖かい不快な息遣いがアレットの耳を汚す。そればかりか、蛇のような舌がアレットの白く柔らかい首を撫でた。
「美味そうな匂いだ。どうせ血を飲むなら、お前のような若く美しい娘がいい」
「だとさアレット。どうする?」
小馬鹿にしたような態度で肩をすくめるジャンに、アレットは溜息を吐いた。ジャンが余裕を見せているということは、彼はアレットの近接攻撃を喰らったことがあるのだろう。おそらく、今のコームと似たような体勢でアレットを拘束しようとしたのだ。
「どうするもなにも、お断りだよ。生かされたってどんな酷い目に合わされるか分からないもの」
一体何があったのか、記憶を戻す術があるなら、あの夜のことをすべて思い出したい。酒場の中で激闘を交わし、そのあと宿屋で一夜を明かした自分が、ジャン相手にどこまで手の内を晒したのか。誰かに真相を教えて欲しかった。
「お爺さん……いや、今は外見だけは若いんだったね。でも戦闘経験はまるでなさそうだから忠告しておくよ。魔導士に近づくときは、一撃で仕留めた方がいい」
次の瞬間、アレットの足元から生じた一陣の風が刃となってコームの腕を切り落とした。
「……、は?」
あまりに一瞬の出来事だったため、なにが起きたのか理解が追い付かなかったのだろう。コームは毬のように跳ねながら地面へ転がった自分の右腕をぼんやり見つめていた。
他の魔導士がどうかは分からないが、アレットは非力である。それ故、近づかれた時の対策を十分にしておく必要があった。しかしどれだけ対策を練ったところで相手が戦闘に慣れていた場合はあまり意味がない。戦い慣れた者なら、魔導士に近づくときは充分に警戒する。何故なら白兵戦に弱い魔導士が、無策であることのほうがよっぽど珍しいからだ。安易に人質に取るようなことは、まずしない。
「チャンスを棒に振ったなじーさん。スケベ心を出すからだぜ」
「な、な……俺の手、手が……」
アレットは素早く身を引きコームの相手をジャンに任せると、相互ダメージに苦しむミレーヌへ駆け寄った。コームが自己回復のため彼女から魔力を吸い上げているのか、急激に年老いたミレーヌは床に膝をついた。もう立ってもいられないらしい。
なにか助けになるものはないかとアレットは慌てて革の鞄の中を漁った。魔力を溜めて置ける水晶の在庫は、一つしかない。どうしようか考えを巡らせていると、血まみれの大きな手が、アレットの頭上に現れた。
「クリス?! へ、平気なの?」
その手からミレーヌの顔へと滴り落ちる血の量は、半端なものではなかった。しかし、振り返ったアレットはクリスの身体に空いた穴から流れる血が止まっていることに気付いた。止まっているどころか、祭服に付着した血が、渇き始めている。
「私は平気です。彼女のことは私に任せて、ジャン殿の援護を」
クリスの血を浴びて、ミレーヌの魔力量が若干安定したのを確認し、アレットはすぐにジャンの援護へと駆けた。派手に吹き飛ばされたというのに、ジャンの軽やかな脚運びは健在だった。頼れる背中に安堵する。
「お待たせ。コームの様子はどう?」
「おう、それが……」
コームは取り乱した様子で地面へ這いつくばり、ジタバタともんどりうっている。魔力による腕の再生が追い付いておらずとも、殆ど痛みはないはずだった。どうも、様子が変だった。
「腕を失ったまでは、まだ果敢に飛び掛かって来たんだが……急にこうなっちまって」
今なら再び動きを止めることができるかもしれない。アレットはミレーヌを真似て鎖を操り、彼の身体を拘束した。ジャンは暴れるコームの肩口を剣で貫き地面へ固定した。
「ぐっ、がぁあああああッ!」
「ジャン、あまり乱暴にしないで! ミレーヌがっ……」
「こんぐらいの用心は必要だろ。大人しくなってるうちに手を打っとかねーと、これ以上持久戦にもちこまれたら終わりだ」
「でも――」
「ご心配には及びませんわ」
凛とした声に振り返れば、すぐ後ろに若々しく美しい姿のミレーヌがいた。彼女はよろめくクリスの巨体を支えながら、コームへと視線を落とした。
「おそらく、時間切れでしょう」
「時間切れ……?」
「わたくしにも経験があります。彼は恐らく、喉の渇きに苦しんでいるのです」
彼女はまるで虫を見るかのような目で、コームを見下ろしていた。
「大した技量も持たず貴方たち相手にあれだけ暴れれば、栄養が足りなくなるのは必至ですわ。吸血鬼の特性を得るということは、人の血を必要とする身体になるということ……その飢えがどれほどの苦痛をもたらすか、彼には想像すら出来なかったのでしょう」
ミレーヌは言葉を切って続けた。
「さぁ早く、儀式をやりなおしましょう。神官様のおかげで持ち直しておりますが、わたくしに魔力が戻ってもすぐにその男に奪われてしまいます」
アレットとジャンは促されるまま、再び手を繋ぎ、円を作った。ジャンは暴れるコームの身体を掴み、ミレーヌはわざとコームの生えかけの腕を乱暴に掴んだ。痛みに喘ぐコームを無視し、先刻の文言を繰り返す。
すると、眩い光が視界を覆い尽くし、瞬きの間に腕輪がジャンとアレットの腕へ戻った。再び腕輪に縛られてしまったアレットだったが、妙な安心感を覚えてしまった。本来の用途を知ったというのに、何故か嫌悪感はない。おそらく、腕輪から感じる微弱な魔力がジャンのものだと分かったからだろう。
「ぎ、ぎゃぁあぁああああッ!!」
けたたましい悲鳴とともに、コームの身体が見る見るうちに老いていく。腕は中途半端に再生が止まり、ジャンの大剣が肩を貫いている。ミレーヌから供給されていた魔力の恩恵がなくなり、激痛を味わっているのだろう。
「おいクリス、余力はあるか? じーさんが痛みでぽっくり逝っちまわないように治癒してくれ」
「お任せください」
クリスは文言を唱え、自動回復をコームの身体へ施した。それを確認すると、ジャンは老体を固定していた剣を引き抜いた。
「がぁああっッ?!」
「いちいちうるせーじーさんだぜ。こんくらいの痛み我慢しやがれ」
そう言いながら剣を背中の鞘に仕舞った途端、ジャンは血を吐いて膝を折った。
「ジャン?!」
アレットは彼が脇腹を抱えているのをみて、吸血鬼の蹴りをもろに喰らったのを思い出した。慌ててクリスを見るが、彼の魔力も尽きかけている。どうしようかと鞄の道具に手を伸ばしたアレットだったが、不意にミレーヌの細い指がクリスの唇にそっと触れた。
「さぁ、噛んでくださいまし」
「……は?」
その場にいた全員が、ミレーヌへ同じ視線を送った。
「わたくしからはこれで二度目ですわね。お二人を探しに行く前、噛んでおけと言ったのに聞かないのですから。あの程度の輩に苦戦を強いられたのはその所為でしてよ」
二人の視線がクリスに移ったが、彼は気まずそうに視線を逸らした。戦闘中で余裕がなく有耶無耶になっていたが、アレットはそう言えば、と二人に対して疑問に思っていたことを口にした。
「確かさっき、眷属がどう……とか言ってたよね? あれってどういう意味? 二人の間になにがあったの?」
その疑問に答えたのはミレーヌだった。
「順を追って説明致しますわ。先ほども言った通り、吸血鬼も戦闘を行えば魔力と体力を消耗します。貴方達と戦った直後のわたくしには極端に栄養が足りない状態でした。そこで彼の血をいただいたのですが――」
「彼女は私の命までは奪いませんでした。吸血鬼の眷属に関する知識は古い書物で得た程度でしたが……まさか、この身に降りかかるとは思ってもみませんでした」
クリスとミレーヌは互いに妙な間を挟んでから、アレット達に向き直った。
「神官様はわたくしの眷属になってしまったのです。殺さず血を飲むとそのようなことになり得るのです。わたくしとしたことが、それを失念しておりました」
「眷属と言っても、吸血鬼になったわけではありません。彼女がいなければ少々困る身体になってはしましいましたが……多少頑丈になり感覚が鋭くなった程度で日中も歩けますし無茶をすれば死にます」
「そ、そうだったんだ……」
眷属。配下や従者を意味する言葉だが、それよりも特別な響きがある。コームがクリスをやたらと敵視していたのは、その所為だったのだ。
「おいおい、神官様が半アンデット化してどーすんだよ。不死身のバロンに磨きがかかっちまったな?」
「ジャン殿……その恥ずかしい通り名で私を呼ばないでください。それとどうか、このことは内密にお願い致します」
当然、半アンデット化したことなど教会には口が裂けても報告できないだろう。コームを止めたのはいいが、これからどうするかの方がよっぽど難しい課題であった。
「情報の共有に加え、これからのことを話さなきゃなんねーのは俺も分かってる。が、先に治癒を頼めるか……?」
そうであったとクリスは慌ててジャンの脇腹へ手を翳した。しかし、肝心の魔力が空っぽなのか、なかなか魔法が顕現しない。
「貴方は先ほどの戦闘で自己再生に魔力を使い果たしてしまっていますわ。少しでいいからわたくしの血を飲め、と仰ってるのが聞こえていませんの?」
「し、しかし……そのようなことを――」
「抵抗があるのは承知しております。わたくしとて、初めて血を飲んだ時はそうでした。変容して暫くの間は、動物の血や死体の血を啜っておりました。一度飲めば神官様なら三月ほどは渇きに耐えられるはずです」
クリスは複雑な表情でアレットとジャンの二人を見つめた。
「本人もいいって言ってるんだし、遠慮せず飲んじゃいなよ。今のクリスの身体に必要なことなんでしょ?」
「お前さん、意外と繊細さに欠けるよな。そんな化け物染みた真似してるとこ、俺達に視られたくねーだろ。ほら、じーさん連れていったん地下牢に移動すんぞ」
ジャンは青褪めた顔で立ち上がると、ひとしきり暴れてすっかり気を失ったコームの襟を引き摺って広間の扉へ歩き出した。アレットも慌てて後を追い、怪我をしたジャンの代わりに扉を開けた。
「きゃっ、ちょ――そこはダメですっ……! ちゃんと指先から――」
背後から聞こえた声にアレットが振り返ると、ジャンの手によって視界が遮られた。
「興味津々かよ……やめとけ。ラウディの件で覗きは懲りたろ?」
「ひ、人聞き悪いなぁ! 覗きじゃないよ。彼女の悲鳴が聞こえたから――」
正直、ものすごく気になった。しかし、アレットがジャンの手を振り解いた時には、広間への扉は閉ざされていた。アレットは渋々地下牢へ移動し、大人しくクリスとミレーヌを待つことにした。




