第35話:均衡する力
「それじゃあコームは吸血鬼になったってこと?!」
書庫に足を踏み入れた時、アレットは一度足を止めた。中庭を通って東棟に来るまで、腕輪のことをクリスから聞いた彼女は事の重大さに打ちひしがれた。まだ腕輪本来の用途を知ったのみだが、状況説明はそれだけで殆ど済んだも同然だった。
「そうか……あの時のコームの目的は、腕輪の力でミレーヌと同じ特性を得ることだったんだ」
二人の腕輪を移した時の彼の反応は、よく覚えている。恐ろしささえ感じるほど、尋常ではない様子だった。
「ならこの下には吸血鬼が二匹もいんのか? 笑えねー冗談だ」
ミレーヌだけでも相当な戦闘力を有していたのに、それがもう一人増えた。その単純に恐ろしい事実が、ジャンの歩みをも止めていた。
「でも、彼女が私達を追ってきたのには、やっぱり理由があったんだ」
嫌な予感は的中した。クリスが生きていたことは予想外の幸運だったが、それも含めて邸宅へ戻ってきて良かった。
「クリスも殺してなかったし、ミレーヌにも事情があるはず」
アレットの言葉に、クリスは一瞬だけ視線を泳がせた。しかし、二人にはその些細な挙動に気付くほどの余裕はなかった。
「オメーのあの女に対するその妙な信頼はなんなんだよ……男の俺等を差し置いてすっかり魅了されちまいやがって」
ジャンは呆れた様子だったが、クリスはアレットの言葉に頷いた。
「彼女は地下でご老人を見張っております。彼を殺して自分が死んでも良いと仰ってましたが……吸血鬼を完全に葬るのは手間です。人に戻せるなら、戻した方がよいと判断し、お二人を村まで呼びに行こうとしていたところでした」
「またあの腕輪に悩まされんのか俺達は……」
「外せることが分かったんだから、一時的な負荷だと思えばいいよ。吸血鬼になったコームが人を襲うよりはマシでしょ」
正直、ミレーヌが敵じゃないだけでも有難い。クリスが生きていたのはいいが、最悪の場合、あの驚異的な怪力を持つ吸血鬼を二体も相手にしなければならないと考えていたからだ。
止まっていた二人の脚は、地下へと動き出した。日の光が入らない地下は、相変わらず真っ暗だった。アレットが魔法で光を出し、クリスが先導した。そして暗い廊下の突き当りに現れた、広間への重い扉を開けた。
教会を模した広間は、至る所に設置された燭台のおかげで十分な明るさがあった。
最初にアレットの眼に入ったのは、鎖でぐるぐる巻きにされ教壇へ固定された若者の姿だった。あまりに若返っていたため、それが記憶にあるコームの姿とすぐに結びつかない。しかし、すぐ傍にいたミレーヌが暴れる彼を抑え付けていたので、見ただけでも状況は正しく理解できた。
「二人を連れて参りました」
「感謝いたしますわ。二人とも、状況は理解できていまして?」
鬼気迫る様子のミレーヌに、二人は反射的に頷いた。コームはアレットを見ると、一層暴れ出した。教壇がミシミシと音を立て、いまにも砕けそうだった。
「わたくしの特性を彼の腕輪が完全に吸収するまで、もうあと数分もありません。腕輪を貴方達へ移しますわ。わたくしの言う手順通りにしてください」
ジャンとアレットはミレーヌの言う通り、右手と左手それぞれの掌に狩猟ナイフで傷をつけた。その手を繋ぎ合うと、アレットはミレーヌの手を取り、ジャンは教壇へ繋がれたコームの腕を掴んだ。教壇を交えて円になるようにミレーヌもコームの腕を掴む。
「ジャン……といいましたか? わたくしの言葉を心の中で繰り返してください。”血の契りを交わす者の所有権を与えよ”。声に出しても構いませんわ」
ジャンは言われるがまま、その言葉を唱えた。コームは奇声を上げながら本格的に暴れ始めた。儀式の意味など考えている余裕はい。
「アレット、貴女はそのままじっとしていてくださいませ」
そうして彼女は、”血の契りを交わす者にその身を捧げよ”と唱えた。それで本当に腕輪が移せるとしたら、全員の合意は必要じゃないのだろう。少なくともどちらか片方に腕輪を移す意志があればいいようだ。アレットはそれがどういうことかを考え、ゾッとした。クリスから聞いてはいたが、一方的に相手を縛るためにあるものだとは思っていなかった。ジャンに限っては命の危機に陥ったこともあるが、お互い腕輪のおかげで助かったこともある。
腕輪が光を放った瞬間だった。
木製の教壇が物凄い音を立てて崩壊し、鎖がジャラジャラと地面へ落ちる音が聞こえた。眩い光に目が眩んだ一瞬、円を描いていた三人の身体を衝撃波が襲い、後方へ吹き飛んだ。ジャンはアレットと繋いでいた手を離さず、咄嗟に彼女の身体を庇った。そして彼の背中は広間の石壁へ容赦なく打ち付けられた。
「ジャン?!」
アレットはすぐに起き上がって体勢を立て直し、傍らで呻くジャンの肩を揺すった。
「大丈夫だ。怪我は?」
「ありがとう。貴方のおかげで私は無事よ」
互いの身体を助け起こすと、二人は教壇へ視線を向けた。大きな棺の近くで、クリスの手を取るミレーヌの姿が見える。どうやら彼女のことはクリスがフォローしたようだ。無事な姿を見て、一先ず安堵したアレットは、次に自分達の腕に視線を移した。
「腕輪がない……失敗したのかな?」
「ああ。俺達の到着はちっとばかし遅かったようだな」
コームの髪は再び真っ白に染まり、その眼は真っ赤だった。身体中の血管が浮き上がり、鋭い牙剥き出しにしたその姿は、もう人ではなかった。間に合わなかったのだ。彼は吸血鬼としてのミレーヌの特性を完全にその身に宿してしまったのだ。
魔力の流れを感じ取ることができる魔導士のアレットは、ミレーヌのエネルギーが急激に減っていっているのに気付いた。対して、コームの魔力は風船のように膨れ上がっている。エネルギーを貯めておくための器には容量が存在する。彼へと流れ込んでいる魔力は、コーム自身の許容量を明らかに越えていた。そのため、筋肉が不自然に膨れ上がり、獣のように両手を地面へ突き立た姿勢で、苦しそうに息を荒げている。
「醜い姿ですわね。そんな姿になることを本当に望んでいましたの? 随分と物好きですこと」
ミレーヌは魔力を吸われ続け、もう立っていることもままならない様子だった。クリスの大きな胸板を枕のようにして、その身体に凭れかかっている。
「黙れッ! お前は俺のものだ……俺のものなのにッッ」
生え変わった爪の先をミレーヌへ向け、獣のような姿勢のまま突進する。俊敏さも人のそれではなく、クリスも反応するのがやっとという様子だった。彼女を抱えながらコームの一撃を往なしたが、体勢が大きく崩れてしまった。それとまったく同時にジャンが走り出した。
声を上げながらコームへ切りかかり、クリス達への追撃を防いだ。野生のグレートラウディですら、ジャンの剣筋を見極められなかった。しかし、コームは軽々と彼の攻撃を回避し、後退した。
その隙にアレットはクリスの背後へ回ると、魔法でミレーヌの身体を浮かせ、自身の傍へ匿った。
「しばらく二人に任せよう」
魔力を吸われ、少しだけ顔に皺が刻まれていたが、ミレーヌの美しさは損なわれていなかった。吸血鬼の力を手に入れた途端、怪物のような見た目になってしまったコームとは、そもそも格が違うのだろう。
アレットは簡単に魔力の防壁を張ると、彼女の両手に”魔除けの水晶”を握らせた。
「気休め程度だけど、少しは回復するかも」
「気休めだなんて……心地良い魔力ですわ。貴女らしい、とても澄んだ流れを感じます」
肌に張りが戻り、艶やかな見た目に変化していく。彼女はすぐに立ち上がると、詠唱を始めた。地面に落ちていた鎖が蛇のようにうねり、ジャンとクリスを援護した。
「王妃様は魔法の才能があったんだね……中庭で戦った時は身体強化の魔法を使ったの?」
「身体強化は吸血鬼の身体と相性がいいんですの。魔力さえあれば今のコームのように、意識しなくても扱えますわ」
ミレーヌはアレットを振り返ると、悪戯な流し目で付け足した。
「ですが、わたくしに魔法の才があったのは確かですわ。残念ながら、”王妃”には役にも立ちませんでしたけれど」
彼女はその生まれと役割に責任を持って生き抜いた。アレットが強く憧れを抱いたのは、そんなミレーヌの生き様だった。それはアレットが選ばなかった、否……選べなかった道だ。商家は姉とその夫が継ぐ。本来ならアレットは更に家の地盤を強固にするため、豊かな地を領土にもつ貴族と結婚しなければならなかった。父ドミニクの望みを全うするなら最低でも、相手は伯爵家だ。
金で爵位を買い取った成金貴族の娘が伯爵家に嫁ぐなど容易ではない。嫁げたとしても、商談のため常に夫へ媚びなければならない立場である。酷い扱いを受ける可能性は決して低くなかった。それは王妃という立場であっても、きっと殆ど変わらなかっただろう。アレットはその戦いから逃げてここにいるが、ミレーヌは逃げずに戦った女性であった。
「私は……貴女の強さが羨ましい」
「まぁ。どうしてそう思うのか、詳しくお伺いしたいですわ。本当は今すぐ貴女をお茶に誘って差し上げたいのですけれど……」
彼女は暴れるコームに厳しい視線を向けた。こんな場所で膝をついている場合じゃない。アレットは手の中に魔鉱石を握ると、魔力を注いだ。
「これが片付いたら、好きなお茶を教えて。今度は私が用意するから」
アレットも負けじと後方支援を開始した。もう一度、コームを縛りつけ、腕輪を移す必要がある。しかし、アレットの炎が不意を突いてコームの身体を包んだ途端、隣にいたミレーヌが膝を折って崩れ落ちた。
「ミレーヌ?!」
「ジャン殿、アレット殿……言い忘れておりましたが、ご老人へのダメージは彼女に共有されています。支配権を持った側に強く影響を受けるようです」
「早く言え! 思いきり切りかかっちまったじゃねーか!」
「わたくしに構うことはございません……どうしても彼が止めらない時は、遠慮なくわたくしを殺してくださいませ」
よろめきながらも立ち上がろうとするミレーヌの身体を、アレットが支えた。
「それはダメ。腕輪が一方的に作用してるなら、コームは死なない危険性があるもの」
「つーか、アンタも簡単には死なねーんだろ? 試行錯誤してるうちに俺達がやられちまうって」
三人はミレーヌをその背に庇うように、コームへ向き直った。
「死なない程度にボコせばいいんだろ」
「動きを止められればいいんだけど……クリス、なにかいい案はない?」
「アンデッドに有効な魔法ならあります。怯ませる程度でしょうが、三人なら試す価値はありそうですな」
アレットとミレーヌの境遇は似ていた。互いに選んだ人生を歩めるだけの才能を持っていたこと。形は違えど、自身を呑み込もうとする運命に抗うため、孤独な戦いに身を投じたこと。それ故、背を預けられる仲間と呼べる存在がいなかったことだ。
ミレーヌは三人の背を見つめ、そして身が焼けるほど、その背に恋い焦がれてしまった。
「まぁ。意地悪な神官様ですこと。わたくしを数にいれてくださらないんですの?」
「入れたら入れたで酷い男と詰るでしょう」
「あら……段々わたくしのことが分かって参りましたわね」
ジャンとアレットは、彼等のやり取りを呆けた顔で見つめた。今のミレーヌは味方だ。しかし、傍から見ても二人はかなり親密な関係にみえた。自分達が邸宅を離れていた間に、一体何があったのかと顔を見合わせる。
「おいおい、あんまイチャつくとじーさんの妬みを買うぜ?」
しかし、ジャンの忠告は遅かったようだった。コームはクリス目掛けて突進した。素早いだけで動きは単調である。クリスは魔法で周囲に光を放った。アレットの魔防壁に守られているので、ミレーヌにその効果はない。ただし、コームの受けたダメージ分は消耗するようで、少しだけよろめいた。アレットは彼女の身体を支えて魔法の補助に徹した。ジャンが怯んだコームへ切りかかり、後退したところをミレーヌの鎖が拘束した。
動きを封じるのは簡単だったが、ミレーヌの魔法は容易く無効化されてしまった。
「俺の力は貴女の魔力だ! お嬢様が俺を害することはできません!」
鎖を引きちぎったコームは勝ち誇ったように笑った。
「ああ、もう少しだったのに……!」
アレットは悔し気に嘆いたが、自身の技が通用しなかった当のミレーヌはどこ吹く風で飄々としていた。
「まぁ。残念ですわ。眷属なら傷つけることもできますのに……」
「所詮その男とでは繋がりが違うんだ! 眷属など寿命で死ねばそれで終わり、俺と貴女は運命共同体だ!」
ミレーヌはクリスの肩へもたれ掛かり、彼の手を自身の細い腰へ誘導した。
「ですが、彼ならわたくしを傷付けることも可能ですわ。あの容赦のなさ……変な癖になってしまいそうでした」
彼女はほうっと溜息を吐くと、白く滑らかな頬を紅潮させた。先ほどから妙だと思っていた二人は、ようやく合点がいった。ミレーヌは自分が標的になるため、わざとコームを挑発しているのだ。
「まったく、人聞きの悪いことを……手心を加えたつもりですが、どうやら刺激が足りなかったご様子ですな」
「きゃ……っ!?」
クリスは悪い顔でミレーヌの腰を引き、抱き寄せた。それにしても、この神官……ノリノリである。
「わざと……だよね?」
「見るなアレット、教育に悪すぎる」
過保護な父親のような台詞を吐くジャンを無視して、アレットはコームを見た。怒りで赤く染まった額の血管がピクピクと動き、今にも千切れそうだった。
挑発が効きすぎているような気がする。
「貴女を害する権利も俺にある! 俺だけに許された権利だ!! 分からないというのなら邪魔な連中諸共、じっくり教えて差し上げます!」
思惑通り挑発に乗ったコームは、ミレーヌすら標的にしたようだった。
頭に血が上りすぎて、ミレーヌに攻撃をすれば自身にもダメージが返ってくることをすっかり忘れているようだ。しかし、彼女がそれを狙っていたとしても、傷付けさせるわけには行かない。
アレット達は改めて怪物を迎え撃つ心の準備をした。




