第34話:再会
「俺はぜってぇ戻らねーぞ」
デュオンを村まで送り届け、朝日が完全に上った頃、アレットは村を出て邸宅へ戻ろうと歩き出した。ジャンが慌ててそれを止め、出会ってもう何度目か分からぬ口論が勃発していた。起きるにはまだ早い。シンと静まり返った村の入口で、二人は声を荒げた。
「ならジャンは村にいて。私は一人で行くから」
「分からねーな。何故わざわざそんな危険を冒す必要がある? あんな場所にもう用なんざねぇだろ」
「それはさっきから言ってるじゃん! 気になることがあるから戻るって――」
「冷静になれ。そんな理由で死ぬつもりか?」
「死ぬつもりなんてない。だからわざわざ日が昇るまで待ったんだよ!」
ジャンは額の汗を掌で拭って、溜息を吐いた。
「命知らずは嫌いじゃねーが……目的はなんだ? 何のために戻る?」
そう聞かれて、アレットは口を噤んだ。彼女が邸宅へ戻ると言い出したのは、ちょっとした違和感を確かめるためだ。
だが、その殆ど直観めいた確証の無い憶測を口にしていいか躊躇われる。王宮の研究所にいた同僚たちは、アレットが憶測で物を言うことを嫌った。女は理論的な考え方ができないとよく馬鹿にされたものだ。
「それが言えねーなら、行かせることはできねーな。オメーには俺のドラゴン退治を手伝ってもらうんだ。こんな場所で死なれちゃ困る」
「それに関してはまだ手伝うとも言ってないでしょ?! というか、そっちの方が危ないじゃん!」
「でっけー見返りがあるだろうが。それに比べて今お前がやろうとしてることはどうだ?」
「……」
ぐうの音も出ない正論だった。それ故に、アレットは意地になってしまった。
「ただの好奇心なら、やめとけ。命がいくつあっても足りねーぞ」
「た、ただの好奇心なんかじゃないよ……不自然だと思うことがあったから確認したいだけ」
気になっているのは、やはりコームのことだった。アレット達は言われるがままに腕輪を移した。しかし、本当にあれでよかったのだろうか。少なくともアレットの眼には、最後に視た二人の間に信頼関係があるようには見えなかった。
血に濡れたミレーヌの姿があまりにも衝撃的だったため、うまく頭が回らなかったが、考えてみれば不自然だった。知りたいのは、起きたミレーヌが急いでクリスを襲い、コームを引き摺ってまでアレット達の前に姿を現した理由である。
「……まさかとは思うが、あの女に同情してるんじゃねーだろうな?」
アレットはいきなり核心を突かれ、心臓が大きく跳ねた。デュオンから聞いた話が真実なら、行方不明になった者の殆どはコームが殺していた。それもミレーヌへの執着心で家族のように連れ添った使用人まで手に掛けたという話である。当然、ミレーヌはその事実を知らないのだろう。
最後にみたミレーヌの慌てぶりと、コームへの態度に不信感が積もる一方だった。
「アイツはクリスを殺したんだぜ? それに、もしクリスの体内エネルギー(魔力)を吸収したんだとしたら、一時的にでも相当強力になってる筈だ」
「わ、分かってるよ……リスクは承知の上。それに、別に同情してるわけじゃない。ただ――」
クリスを失ったショックのあまり、てっきり彼女に関する情報の方が嘘だと思い込んでしまった。あの状況ではコームに嵌められたか、彼の説得が失敗したと判断するのが妥当だろう。
しかし、冷静に考えれば矛盾していた。デュオンの話が真実だとするなら、ミレーヌに対するコームの執着は本物だ。彼がミレーヌに関する情報で嘘をついたとは考え難い。何故なら実際、デュオンもコームも殺されずに生きているからだ。コームに至っては八十年も邸宅に住んでいると言っていた。
だからこそ、最後のミレーヌの行動が気になるのだ。たとえコームと腕輪で繋がったことが不本意であっても、目が覚めた時点で事情を聞かされたなら、あそこまで取り乱すだろうか。彼女は日の光が弱点であるにも関わらず、中庭を通って玄関ホールまでアレット達を追いかけてきたのだ。
「コームは何人も人を殺してる。それに、おそらく腕輪に関しても……嘘を吐いてた可能性がある」
「それがなんだ? 腕輪はもう俺達には関係ねーんだ。……人殺しに関しちゃ確かに問題ではあるが、もうよぼよぼのじーさんだぜ? 放って置いてもすぐにくたばるだろ」
アレットが後ろ髪を引かれているのは、そこだった。確かに冷静ではなかったし、見間違いだと言われればそうなのかもしれない。しかし、廊下に響いた彼の声と最後に視た姿は、今までアレットが見ていた皺だらけの老人のものとは違っていたような気がするのだ。
「ねぇ、もし……もしだよ? 私の見間違いじゃなくて彼が本当に若返っていたとしたら? ミレーヌに執着している彼は、彼女を生かそうとするかもしれない。そうなってしまったら、これからも犠牲者が増え続けるかも」
もちろん、すべて憶測だった。
口に出してから、しまったと思ったアレットだったが、ジャンは視線を泳がせ思案した。
「……分かった。どうしてもっていうなら俺も行く」
「ほ、本当?! ついて来てくれるの?」
一人でも確かめに行くつもりだったが、恐怖や不安がなかったわけじゃない。まったくの無駄足を踏む可能性もあり、今度こそ邸宅から生きて出られないかもしれないからだ。
しかし、ジャンの言葉でアレットの心細さは吹き飛んだ。
「その代わり、俺のドラゴン討伐にも協力すると、今ここで約束しろ」
「……、……」
そればかりは二つ返事で頷くわけにはいかなかった。
「お前の無謀と俺の無茶、どっちもそう変わらねーだろ? 俺達はこれから、得体の知れないバケモンの巣に戻るんだ」
彼の言いたいことは分かる。確かに、相手がドラゴンか吸血鬼かだけの違いである。ジャンがアレットに協力するなら、アレットもジャンに協力するべきだ。
それに、ドラゴン討伐には確実に報酬も出る。もし本当に討伐を成功させたとなれば、その見返りは大きい。そうなればアレットの父ドミニクさえも、彼女の自由を認めるだろう。
「……わ、わかった。約束するよ」
「よし。そうと決まればさっさと行くぞ」
アレットはすぐに邸宅へ向かって歩き出したジャンの背中を呼び止めた。
「待って。……どうして気が変わったの? さっきは絶対戻らないって言ってたのに」
「あのじーさんは俺から見ても終始様子が変だったからな。それに、本当にお前の言うような事態になったらやべーのも確かだ」
「でも、ただの憶測だし……間違ってるかも――」
「確証がねーことなんざ最初から分かってる。だが、その憶測には信じる価値がある。だから乗っかるってだけだ」
ジャンの言葉には力があった。彼にとっては何気ない一言だったのかもしれない。しかし、その言葉はアレットにとって己を奮い立たせる自信となった。
自分の存在を肯定し、その力を信じてくれる仲間が傍にいるというのは、こんなにも心強いものなのか。ジャンのような人間は今までアレットの周りにはいなかった。宮廷にいた仕事仲間は常に蹴落とし合い、足を引っ張り合っていた。
王宮を解雇され、冒険者にならなければ、きっとジャンとは出会うことさえなかった。このままずっと彼と一緒に仕事ができたら、退屈とは無縁だろう。そこには常に新しい発見があり、進歩がある。腕輪がなくなったとしても、ジャンとの関係を切りたくなかった。アレットはたった今、それを明確に自覚した。
「それに、女の勘はよく当たるもんだ」
アレットは突然襲って来た胸が締め付けられるような苦しみに、涙が出そうになるのをぐっと堪えた。
◇
邸宅へ辿り着き、アレットが最初に向かったのは使用人の部屋だった。唐突に棚やベッドをひっくり返し始めたアレットを見て、ジャンは何事かと目を丸くした。
「……なにしてんだ?」
「デュオンの言ってた日記を探してるんだよ。嘘を吐いてるとは思えないけど、確証が欲しくて。それに、日記があれば教会にコームの罪を告発できるでしょ」
「なるほどな。そういうことなら俺も手伝うぜ」
二人は暫く部屋を探し回った。そしてアレットが、簡易本棚の奥に不自然な窪みを見つけた。本棚の本を全てどかして窪んだ箇所の板を外すと、空洞の中に木箱が置かれていた。それを引っ張り出し、箱を開けると、冊子が出てきた。
アレットはその中身を確認し、コームの日記であるという確信を得た。
「見つけた、これだ……!」
「でかした! じゃあ、あとはジジイ本人を探すだけだな」
二人が部屋を出ようとしたその時だった。廊下の方からバタバタと慌てたような足音が聞こえてきた。ジャンとアレットは慌てて部屋の奥にある洋服箪笥の中へ隠れ、息を潜めた。
ジャンはその既視感に小さく嘆いた。
「くそ、またかよ……」
「もしミレーヌなら隠れても意味ないけど、コームなら様子を伺えるでしょ」
足音は迷いなく二人のいる部屋の前で止まり、蹴破る勢いでドアが開かれた。そして、よく通る声が箪笥の中まで響いた。
「アレット殿、ジャン殿……お二人なのですか?!」
その声に、アレットは箪笥を飛び出した。
「クリス……、クリスなの?」
「おい、バカ! 待て!!」
部屋の入口にいる男の下へ駆け寄ろうとした彼女の腕を、ジャンが咄嗟に掴んで止めた。彼はクリスと視線を合わせ、背中の剣を抜いた。
「お前、本当にクリス本人か……?」
アレットはハッとしたようにジャンへ視線を移し、そのあと、まじまじと目の前に立つクリスを見た。魅了による幻覚の可能性を失念していた。邸宅の主に肩入れしているアレットは、玄関ホールに足を踏み入れた途端に魅了された。
神官であるクリスはアンデットの精神攻撃に耐性をもっているが、ジャンが魅了に掛からなかったのはあの腕輪のおかげだとミレーヌが言っていた。アレットの魅了が解けたのもそのおかげだったが、二人の腕にはもう腕輪はない。
「なるほど。……当然の反応でしょうな」
「俺も素直に再会を喜びてぇが……一先ず、俺達と一緒にここを出てもらう。話はそれからだ」
魅了に掛かり幻覚をみているなら、邸宅を出ようが意味がない。アレットは必死に対策を考えた。精神攻撃の厄介なところは、対象の記憶を読み取ることにある。
「残念ながらそうもいかぬのです。お二人にはなるべく速やかに地下の広間へ同行願いたい。そうしていただければ、説明は不要になります」
「……なんでお前が俺達を地下に連れてこうとするんだ?」
安全策を取り、日が昇るまで待ったのだ。迂闊に地下へ降りては不利な状況になる危険性が高い。そんな場所へ自分達を連れて行こうとするクリスに、更に不信感が積もる。
「事は一刻を争うからです。しかし、残念ながらお二人に私が本物であることを証明できる手段はありません。信じていただけないと言うのであれば致し方ございません」
クリスは拳を前へ突き出し、戦闘態勢をとった。
「分かりやすくていいじゃねーか。さすがクリスの幻覚だぜ」
「ちょっと待ってよ! まだ幻覚って決まったわけじゃないでしょ?! 確認する方法を探さなきゃ――」
一度幻覚に囚われてしまえば、どんな魔法でも万能薬でも効果がない。魅了を解くには神官の技が必要である。しかし、精神干渉にも穴はある。もしもクリスが幻覚なら、本人しか知らない記憶や考えは持っていない。あくまで、アレットやジャンの記憶を通したクリスとして存在しているはずだ。
寧ろこうして仲間同士で対立し合っている状況こそ、精神干渉の術中に嵌っているといえる。
「アレット殿……申し訳ございませんが、こちらには時間がありません」
「万が一ってこともある。剣は使わないでおいてやるよ」
ジャンは抜いた剣を鞘に納め、胸の留め具を外すとアレットへ預けた。
「ちょ、ちょっと待ってってば! 本当に戦うつも――」
言い終わらぬうちに、二人は殴り合いの激闘を開始した。アレットは咄嗟に身を引いて、茫然とその様子を眺めることしかできない。やはり素手で戦い慣れているクリスの方が優勢なのか、ジャンが圧されている。
互いに隙ができることを警戒しているのか、大ぶりの攻撃を避けているように見える。戦いは長引きそうだ。アレットは懐から魔除けの水晶を取り出した。その挙動を見て、警戒したクリスは咄嗟に身を引き二人と距離を取った。
「これがなんだか分かるみたいだね……」
「ええ。確か魔力を貯蔵できる魔鉱石、でしたか……」
その言葉を聞いた途端、アレットは石を握る手を緩めた。荷車での彼とのやり取りを思い出す。厳密に言えば、この水晶は魔鉱石ではない。クリスがアレットの記憶を元にした幻覚なら、そんな初歩的な間違い方をするだろうか。
「……商人が付けた名前を憶えてる?」
「魔除けの水晶でしたな。しかし、魔除けの効果はないと貴女から聞きました」
「じゃあ、正式名称は?」
「正式名称……? はて、なんでしたでしょうか……」
アレットは彼に水晶の正式名称を告げたはずだった。おそらく、忘れてしまったのだろう。その忘れてしまったという事実が、彼が本物であることを証明していた。
「……本物の、クリス……なんだね?」
確信を得たようなアレットの反応に、ジャンは攻撃の手を止めた。そして、固唾を飲みながら二人のやりとりを静観していた。
「じゃあ、私がこの水晶に付けた名前を憶えてる?」
アレットは念のため、質問を重ねた。クリスは目を細めて視線を泳がせると、自信のない様子で応えた。
「魔力……魔力温存石! いや、待て違う。ええっと……予備魔力石?」
彼には不評だったが、アレットは我ながら分かりやすく合理的なネーミングだと思っていた。それなのに、ここまで出て来ないとなると、自身のセンスのなさを認めざるを得なかった。
しかし、これで分かった。もし彼が偽物なら、この問いにもしっかり応えていたはずだ。
「クリス……ッ!」
「おっ、と……?!」
アレットは思わず駆け出して、彼の胸へ飛び込んだ。
「生きてたんだね……っ! よかった、本当に良かったッ!」
クリスはアレットに軽く抱擁を返すと、そっと肩へ手を置いて身を引いた。
「事情は後で必ず説明いたします」
そう言いながら、彼は数秒前まで拳を交えていたジャンへと向き直った。そして、鼻柱を摘まみながら目を赤くしているジャンに、冗談っぽく両手を広げてみせた。
「さて、次は貴方の番ですな」
まさか男同士でそんなこと。と、アレットはジャンがそれを拒否すると踏んでいた。しかし、彼は予想に反して泣き笑いの表情を浮かべながら、クリスと熱い抱擁を交わした。
「……で、地下室にどんな用があるんだ?」
それでも湿っぽい空気は苦手らしい。多くを語ることなく、再会の挨拶をすませたジャンは本題を切り出した。急いでいるのは本当らしい。クリスは深刻な表情で身を翻すと、二人に背を向けながら言った。
「向かいながら説明いたしましょう。急ぎますぞ」




