第33話:不死身のバロン
「――貴方、なぜ生きていますの……?」
くっきりと縁どられた美しい瞳を丸くして、ミレーヌは鋼のように鍛え上げられた巨体を穴が開くほど見つめた。確かに絶命していたはずだ。何度も確かめた訳ではないが、ミレーヌは彼の血を飲み干し、安置室へ移動させたのを覚えている。すぐには忘れることができないほど、甘美な舌触りだった。暫くは傷のある顔と共に思い出すのだろうと感じていたが、まさか再びその顔を見ることになるとは思わなかった。
「この場に貴女しかいないということは、アレット殿とジャン殿はここを去られたのですな?」
「え、ええ……夜明けと共にここを去りましたが――」
「ならばお答えしましょう。私の心臓は人のソレではありません。故に、血を抜かれても死なぬのです」
「な、なんですって……?!」
ミレーヌは彼の身体をまじまじと見た。髪や目の色が変容し、容姿も人間離れしているミレーヌとは違い、人となんら変わりないように見える。彼はミレーヌを助け起こすと、椅子と一体化しているコームへ視線を投げた。
「して、あの者は何者ですか? ご婦人に対する狼藉、思わず殴ってしまいましたが……」
良かったのだろうか、と顎を撫でながら首を傾げるその姿は、まったく緊張感がなかった。
「アレはわたくしと同じ怪物です。正しい対処法ですわ」
そう言いながら、ミレーヌはクリスをキッと睨みつけた。
「しかし、散々わたくしを女怪だ化け物だと罵りながら、貴方も似たようなものではありませんか」
「もっともです。私も貴女と同じ、人の道を外れた身……ですがどうかご勘弁を。己と似たような存在に対しては、つい見る目が厳しくなってしまうものです」
壊れた椅子に埋もれていたコームの腕が、ピクリと動いた。視覚も聴覚も優れたミレーヌには、その僅かな動きが見えた。どうやら悠長に会話をしている時間もなさそうだ。
すぐに身構えようとしたミレーヌは、両手が塞がっていることをすっかり忘れ、バランスを崩した。
「きゃっ――、」
「おっと……!」
太く、がっしりとした腕に支えられ、ミレーヌの身体が再び地面へ投げ出されることはなかった。
「可哀想に、一体誰がこんなものを……」
クリスは彼女の腕に巻かれた布と首輪を外し、白々しい言葉を口にしながら懐へ仕舞い込んだ。どうやら彼なりの冗談のようだ。憎たらしいが、つまらなくはない。
「まぁ。どの口がおっしゃっていて?」
今までどれだけの人間を手に掛けたのか。中庭での尋問の際、クリスはミレーヌに再びそう問いかけた。そして、彼女は懲りずに”覚えていない”と返した。首の焼ける苦しみに悶える彼女の姿を、彼はその慈悲深い瞳に映し、耐えるように顔を顰めていた。苦痛を与えられているのはミレーヌの筈なのに、何故か共に罰を受けているような、不思議な感覚を味わった。
実に奇妙な一時であったためか、ミレーヌのクリスに対する怨みは、口にしていたほど強くはなかった。そもそも彼が聞きたかったのは腕輪のことだけだったようで、ミレーヌが応えようとしなければ無理に聞き出そうとはしてこなかった。今までに押し入ってきた神官たちに比べれば、クリスの態度はまだ紳士的だった。しかし、ミレーヌの生活を脅かす存在を生きては返せない。自身に言い聞かせるように、彼の命を奪うことを正当化せずにはいられなかった。
「貴様……、お嬢様から離れろ!」
ミレーヌがクリスに寄りかかるよう背を預けていると、椅子の山から這い出てきたコームが大きな声で叫んだ。
「あの若者が行方不明のデュオンという青年か……?」
クリスは未だ、目の前にいるのが地下室で見た老人だということに気付いていない様子だった。
「違いますわ。その若者なら、あの二人と共に去りました」
どういうわけか、クリスには腕輪がみえているらしい。ミレーヌは腕輪の嵌った腕を彼の前に掲げて、細い指でとんとんと叩いた。やっと合点がいったのか、クリスは目を丸くして、よろめき立ち上がる青年の腕へ視線を向けた。
「な、なるほど。彼はあの老人か。……では、先刻よりも状況が悪化しているとみていいですかな?」
「見た目の割にお利口ですこと。ですが、詳細を説明している時間はありませんわ。アレを無力化しなければ、大変なことになります」
「承知いたしました。あの御老人が腕輪の力で貴方の特性を得ているのであれば、私にお任せを」
クリスはミレーヌを守るように一歩、前へ出た。その様子がコームの癪に触ったのか、彼は額に青筋を浮かべながらクリスを睨んだ。
「お嬢様、この男が何故生きているのです? まさか温情をかけなさったのですか?」
「わたくしに聞かれても困りますわ。情けをかけたつもりはありませんが、彼は色々と規格外だったみたいなので」
「殺すつもりで噛んだのかと聞いているのです!!」
ミレーヌはコームの言葉にハッとした。長年家族として連れ添ったドニ眷属となったのは、ミレーヌが彼を噛んだからであった。死ぬような傷ではなかったが、そのために変容してしまったのだ。
彼女は自身が噛みついた、クリスの首筋に視線を向けた。ほんのりと朱い噛み傷が厳粛な詰襟から覗いていた。眷属になれば傷は治るが、ミレーヌが最初に噛んだ傷跡だけはドニの身体に残り続けていた。
「神官様……どうやらわたくしが思っていたより、大変な事態になってしまいました。ですが、説明をしている時間はないので手短に申し上げますわ」
彼の心臓は人のソレではないと言っていた。ならばやはり、あの夢の少年は――。
「わたくしを噛んでくださいませ」
「……、……は?」
クリスは理解が追い付いていない様子だったが、コームは状況を正しく読み取ったのか、怒り狂った。
「なりませんッ!!」
物凄い勢いで突進してきたコームに、クリスが応戦した。人間離れした吸血鬼の身体能力に身構えたクリスであったが、コームの攻撃にはミレーヌほどの俊敏さがなかった。加えて、一撃の重さも大したことはなく、腕一つで抑えきれるものであった。
戦闘員として研鑽を積んだクリスと一般人のコームとでは圧倒的な戦闘経験の差がある。勝機が見い出せるとすればそこだと考えていた。しかし、三手目にはコームを再び広間の奥へと吹き飛ばしたクリスは拍子抜けした。
「腕輪では、本人ほどの力が発揮できるわけではないのか?」
「まさか現時点でここまでの差があるとは……」
まだ半信半疑ではあったが、ミレーヌは己の眷属となったクリスの力に感嘆の息を漏らした。そして、再びできた暇を使ってすぐに情報を共有した。
「腕輪の力は相手の魔力や特性を得て、尚且つ相手を縛るものですわ。彼はわたくしと同じ、吸血鬼になりました。更に男性であるため、その分わたくしよりも力は増しているはずですわ」
「しかし……貴女と対峙した時の方が、よっぽど緊張感がありましたぞ?」
「いえ、彼が弱いのではなく神官様の肉体が同じように強化されているのです」
クリスは首を傾げてミレーヌへ向き直った。
「……どういうことです?」
「非常に申し上げにくいのですが……貴方もわたくしと同じ力を得た可能性がございます」
「……、……」
ミレーヌは視線を床へ落とし、続けた。とてもじゃないが、沈黙したクリスの顔を見ることができなかった。
「吸血鬼を知っている神官様なら、眷属の存在もご存知でしょう? わたくしは貴方を殺すつもりで噛み、間違いなく致死量の血をいただきましたわ。ですが、神官様は死ねない肉体をもっていらっしゃいました……原因はおそらくそれでしょう」
彼女はクリスの詰襟に手を伸ばし、そっと首筋に触れた。それでも視線は合わせられず、ミレーヌの眼は彼の逞しい胸板を見つめていた。
「残念ながら、一度眷属となれば戻す方法はございません。徐々に全身を蝕むような渇きが襲ってきますわ。眷属は、決して主なしではいられません」
クリスの首筋にしっかり残った噛み痕を目の当たりにして、ミレーヌは確信した。
「貴方は特異な身体をお持ちですので、いくら渇いても死ぬことはないかもしれません。ですが、渇きに苛まれながらでは人との会話はおろか、歩くことすらままならないでしょう」
襟元から手を離すと、ミレーヌは小さな唇を引き結び、懺悔するように目を伏せた。ミレーヌが夢に見た少年には、使命があったのだ。己の命を投げ売ってでも守らねばならぬものがあった。吸血鬼の眷属としての特性は、きっと彼の目的を妨げてしまうだろう。
「なるほど。だから身体能力が強化されたはずの御老人と戦えているのですな」
「……はい」
「今この状況においては有難いことです。貴女を責めるのは後にいたしましょう」
クリスは意地悪く笑った。目と眉の距離が近く、その皮膚の上を縦に走る大きな傷のせいで、いかにも極悪そうに見える。しかし、徐々に彼の冗談のテンポが掴めてきたミレーヌは顔を上げて微笑んだ。
「まぁ。わたくしは責められてしまうのですか?」
「ええ。心臓以外はまだ辛うじて人の身であったのに、まさかそれすらも危うくなるとは……この身もいよいよ人外じみて参りました。責任は取ってもらいますとも」
そういって明朗快活に笑ってみせる姿は、まさしく非凡であった。
「どうしてッ……どうしてそうなるんだぁあ! 俺があれほど望んでもくださらなかったものをっ……よりにもよって、よりにもよってそんな……どこも誰とも分からぬ男にッッ!」
体勢を立て直したコームは、奇声を上げながら再びクリスに飛び掛かった。その猛攻を受け、クリスの巨体はぐらりと崩れた。否、崩れたように見えた。分かりやすいフェイントに引っ掛かったコームは、拳を大きく振りかぶった。隙だらけの足元に、リーチの長いクリスの足払いが完璧に入った。地面に伏したコームを素早く押さえつけると、聖なる布で手足を縛った。
「ぐっ……クソ、! お嬢様、その神官は我々の敵です!! 俺に加勢をッ」
ミレーヌの眷属となったクリスの力は、圧倒的であった。
ドニはコームより大柄であったが、戦闘経験のない普通の一般人であった。もともとの身体能力や経験の差があるのか、或いはコームの身体が吸血鬼の特性に完全に馴染んでいないのか。明確な理由は不明だったが、とにかく勝負にすらならなかった。
「これでは心もとない。なにか拘束できるものを持ってきていただけませんか?」
暴れるコームを床に抑え付けながら、クリスが言った。時間が経てば経つほど、状況は悪化するだろう。ミレーヌはすぐに地下牢から鎖を持ってくると、コームの身体へ巻き付け教壇に固定した。更に、その煩い口に猿轡を噛ませた。これで暫く時間を稼げるだろう。
コームの腕を縛っている布の影響か、奪われ続けていたミレーヌの魔力が徐々に安定してきた。
「さぁ、わたくしに構わずトドメを刺してください。と、言いたいところでしたが……先ほども言ったように、そうもいかなくなりました」
「そも、なぜ貴女はご老人と争い合っているのですか?」
「そう……、そこからでしたわね」
クリスは状況もよく分からぬ中、ただ襲われていたミレーヌを助けたのである。
「この男は人を殺すことになんの躊躇いもない人間ですの。そんな男がわたくしの持つ力を悪用したらどうなると思いまして?」
「……それが争っていた理由ですか?」
「信じていただかなくとも結構ですわ。重要なのはこの男をこのままにしては、今まで以上に犠牲者が増えるという事実です。わたくしはドニがいなくなった時点で、邸宅ごと封印されようが、殺されようが構いませんでしたわ。ただ、あの子がいるから死ねなかった」
全てはミレーヌのためにその一生を犠牲にすることとなった、可哀想なドニのためである。ドニの亡骸を片付けた後は、適当なタイミングでコームを追い出すだけであった。しかし、頭の痛いことに、もう一人増えてしまった。
どう追い払おうかと思っていたところに、クリス達がやってきたのである。
「ただ腕輪を移されただけなら、わたくしかこの男を殺せば済んだ話だったのです。ですが――」
「今度はこの特異な身体の所為で、私が貴女の眷属になってしまったと?」
「そういうことですわ。わたくしは貴方を置き去りに死んで差し上げてもよろしいのですけれど……」
ミレーヌは悩まし気に溜息を吐いた。
「最善なのは腕輪を別の男女へ移し返し、この男をただの人へと戻すことですわね。どちらにせよ、このままではわたくしの魔力がこの男に完全に馴染み、より厄介な化け物になってしまいます」
「では、一時的に彼の腕輪を私に移してみてはどうでしょう? 一先ず、貴女と私で預かるのです」
「それも考えましたわ。でも――、いえ。先ずは試してみましょう」
クリスはミレーヌの指示通り、暴れるコームの腕を掴み、互いに傷つけた掌を合わせて手を繋ぎ合った。彼女の台詞に続けて、クリスは文言を口にした。
「”――この者の所有権を譲り受ける”」
しかし、何も起こらなかった。
「やはり、ダメでしたか……」
ミレーヌはこの結果をある程度予想していた。
「なにか条件があるのですか?」
クリスは繋いだ手を離すと、己の掌を見た。すると、もう傷口が塞がりかけていた。コームの恨みがましい視線を受け流しながら、複雑な気持ちになった。
「条件というよりは、制約があるのですわ。強い思念をもっていなければ、相手を縛ることはできません。この腕輪の制約はせめてどちらか一方が、相手へ好意を向けていることを前提としています。ですから、わたくし達では成立しないのです」
先刻、クリスは死ぬ前にミレーヌから少しだけ腕輪にまつわる話を聞いていた。
「確か、怒りや怨みなどといった負の感情では力を発揮しないと仰っておりましたな」
「ええ。ですが悍ましいことに、執着や愛憎では制約が成立するのです。つまり、そういった感情は相手への好意とみなされるのです」
「必ずしも純粋な好意でなくとも構わないということか……ふむ?」
クリスは指の腹で顎を撫でながら、はてと首を傾げた。もし腕輪にそのような制約があるなら、アレットとジャンの間にはそれが成立していたということだ。二人から腕輪が外れなくなった詳細な経緯を聞いたクリスだったが、その時の彼等は知り合って間もなかったはずだ。では一体なぜ、腕輪の制約が成立したのだろうか。
しかし、それを追求するのは些か無粋だろうか。
「あの二人を呼び戻してきましょう。眷属というだけならば、私は外に出られるのでしょう?」
「あら。やはりお詳しいのですね」
それほど詳しくは知らなかったが、今は日中も動けることが分れば十分であった。
「連れ戻せるのならば、急いでくださいませ。わたくしはここでこの男を見張っていますわ。魔力が完全に馴染んでしまえば鎖など無意味ですので」
クリスは直ぐに身を翻し、地下広間の扉へ手を掛けた。ミレーヌは慌ててその背中を呼び止める。
「待ってください。一つ、言い忘れておりました」
「……?」
「助けていただき、ありがとうございました。――少し、感動してしまいましたわ」
最早完全に人としての生を失ってしまったクリスにとって、彼女の心からの笑顔は、そう悪くない見返りだった。




