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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと傾国の美女
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第32話:二人の怪物

 ある町に、姉と二人暮らしの少年がいた。

 二人に両親はおらず、引き取ってくれた薬師の家で、その手伝いをして暮らしていた。姉はその薬師の仕事を継ぎ、町の人々の病を治した。彼女は町の人々に慕われ、少年も聡明で心優しい姉を誇りに思っていた。しかし、彼女の清廉な魂は、やがて死の神をも魅了してしまった。その少年は生まれつき、冥府の世界を見ることができた。おかげで彼は、姉の病の原因を知ることができた。死神による”死の病”に掛かってしまった姉を助けるため、少年は姉を迎えにきた死神へ必死に懇願した。


「姉さんの代わりに、僕を冥府へとお連れ下さい」


 姉のために己が身を差し出そうとした少年の申し出に、死神は慈悲を掛けた。


 ”――面白い。お前は私が見えるのか? ならば、彼女の命を懸け、私と勝負をしよう。彼女の歳の分だけの猶予をくれてやる。その間に私を見つけ出せればお前の勝ちだ。しかし、もし失敗すれば彼女だけでなく、お前の魂も連れていく”


 そうして、少年は死神と契約を交わし、その心臓を交換した。契約期間は十八年。敬愛する姉を一人残し、少年は秘密を抱えたまま家を出た。以来、彼は死ねない身体となり、死神を探し大陸中を渡り歩いた。

 迂闊に妻を娶ることも子を成すこともできず、なにより、人の道を外れた彼の心はいつも孤独であった。飢えもせず、渇きもせず、生存本能さえ消え失せた。人間らしさを失ったその身体を流れる血は、心臓から供給される死神の魔力によって人間そっくりに作られた偽物であった。並みの人間であれば人の心を失くしていただろう。

 しかし、少年は決して自分を見失うことはなかった。故郷で幸せに暮らす姉を想い、彼女が三十六歳の誕生日を迎える夢を見ては、空っぽな胸に希望を抱き続けたのである。


 彼の魂の本質は、その純粋な愛であった。


 ◇


 ミレーヌは棺の中で目を覚ました。

 妙な夢を見た。ドニと繋がりができたばかりの頃は、たまに彼の夢を覗き見ることはあった。しかし、人の血が必要な身体になってからは、ミレーヌ自身が夢を見ることはなくなっていた。


「……それにしても、変な夢でしたわ」


 ミレーヌは最初、夢に出てきた少年をドニだと思った。だが、彼には姉などいない。ドニの身内は酒浸りの父親だけだったはずだ。彼を眷属にしたばかりの頃、ミレーヌは夢を通してその凄惨な記憶を垣間見た。人ではないナニカになりながらも、確かな愛を胸に抱き、希望を持ち続けた少年とは似ても似つかぬ記憶だ。ドニは夢に出てきた少年のような”非凡”な人間ではなかった。ごく普通の、だからこそ得難い少年だった。

 ふらふらと起き上がった彼女の視界を、不快極まりない顔が遮った。


「おお! 起きたのですね、お嬢様!」


 どうやら悲しみに浸る時間もないらしい。

 ミレーヌの眼前に現れたのは、いかにも野暮ったい田舎者の青年だった。一体、何時間眠っていたのだろうか。追いかけていた背中が眩い光の中へ消えていった。それが彼女の最後の記憶だった。おそらく、玄関ホールの窓から差し込む日の光で気を失ったのだろう。


「その姿……わたくしの特性を得て、一体どうなさるおつもり?」


「どうかコームと呼んでください。貴女は一度も私を……、俺をそう呼んでくれたことがありませんでした」


「まぁ。そのような名前でしたの? 知りませんでしたわ」


「嘘を吐かないでください。俺は六十年この屋敷にいたんです。ずっと、貴女を愛し続けていました」


 ミレーヌは下品な言葉を吐き捨てそうになるのを我慢した。本当は名前を忘れたことなどない。ドニがよく、彼の話をしていたからだ。ミレーヌの今後を憂いていたドニは彼を自分の後任に考えていたようだが、ミレーヌには迷惑でしかなかった。ドニを眷属としたのも不意の事故であり、これ以上他人の人生を奪うことは彼女の本意ではなかったからだ。

 まだ彼が来たばかりの頃、彼の気持ちにも真摯に向き合った結果、ミレーヌは破滅する覚悟で己の事情を全て説明した。


 ”貴女が本当にわたくしのことを想うなら、その人生を棒に振る前にここから立ち去って下さい”


 彼はその時にミレーヌの目の前から消えるべきであった。未練たらしく、しつこく食い下がるべきではなかったのだ。コームの愛はどこまでも身勝手で、的外れであった。長く傍に仕えれば愛が芽生えるかもしれないと、そんな期待を含んだ彼の下心が、ミレーヌは鬱陶しくて仕方がなかった。強情にも邸宅へ残る道を選んだコームに、彼女は冷たかった。


「わたくしを愛しているなら、わたくしの前から消えてください」


「愛しているから、傍にいたいのです。貴女は許して下さったでしょう」


「はぁ……相変わらず話の通じない人ですわね」


 愛する者の傍にいることが、愛とは限らない。夢で見た少年と同じように、ミレーヌにとって愛とは献身の心であった。コームは決して、真の意味でそれを理解していなかった。


「六十年……六十年、貴女の傍で仕えました。眷属にして欲しいという望みにも、お嬢様は首を振るばかりでしたね」


 彼はミレーヌの前で跪き、紅潮した顔で興奮気味にその手を取って、強く握った。


「ですが、やっと貴女と同じに成れた。この腕輪で貴女と繋がった俺には、お嬢様の気持ちが分かるのです!」


「――わたくしの気持ちが、わかる……ですって?」


 ミレーヌは自身の腕に嵌った腕輪を見たあと、皺ひとつなくなったコームの顔に忌々し気な視線を向けた。そして次の瞬間、握られた手を叩き落し、彼の身体を平手打ちで吹き飛ばした。教会に見立てて並べた椅子が、派手な音を立てて崩れた。


「そんな腕輪ごときで、わたくしの何が分かるですって?」


 ”腕輪の主”を害したことで、ミレーヌの身体はその反動に苛まれた。頭が割れそうなほど痛み、身体中の血が沸騰しそうなほどの熱に襲われる。


「ああ、痛くない……痛くないですお嬢様! 俺は本当に強くなったんだ!」


 無邪気な笑い声がミレーヌの頭に響き、頭痛が増した。腕輪を介してミレーヌのエネルギーがコームへ吸収される。彼女は吸血鬼であるが故、男女間の力の差という現実を優に覆すことができた。しかし、今や完全に若返ったコームは腕輪の忌まわしい効果により、吸血鬼の特性を得ていた。つまり、力では絶対に敵わなくなってしまったのだ。


「見てくださいお嬢様! 貴女の力を受け止めることができます! これでやっと対等になれた」


 腕輪に魔力を吸い上げられ、力の入らない身体をふらふらと起こす。ミレーヌは棺から出て、近づいてくるコームから逃げるように後退した。


「貴方とわたくしが、対等? 笑えない冗談ですわね」


 コームが力でミレーヌを従わせるつもりなら、全力で抵抗する覚悟だった。


「わたくしの特性を得るということは、死ぬまで血を求めるということですわ。これから、どう生きるおつもりなのです?」


「これまでとなにも変わりません。貴女とここで暮らします」


「飢えの苦しみに耐えながら、ですか?」


「この身体があれば食料などいくらでも調達できるでしょう」


「自ら人を襲いに行くと?」


「……それがなにか問題ですか?」


 この男をこのままにしてはいけない。例え死ぬことになっても、今ここで彼を止めなければ恐ろしいことになるだろう。ミレーヌは躊躇いなく、鋭い爪先をコームの喉元へ突き立てた。しかし、軽々と身を翻したコームは彼女の両手を掴み上げた。


「くっ……!」


 彼はミレーヌを強引に抱き寄せ、股間の昂りを彼女の美しい脚に擦りつけながら、深く息を吸いこんだ。


「ああ、こんなに近くにお嬢様を感じられる日がこようとは……あの二人には感謝しないと」


 身体中にびっしりと鳥肌を立たせ、ミレーヌはコームの腹を蹴り上げた。怯んだ隙にその腕から逃れようとしたが、掴まれた腕はビクともしなかった。頬を張り飛ばされた衝撃で、ミレーヌの身体は床へ投げ出された。


「お願いですから大人しく俺を受け入れてください。何故拒絶するのですか?」


「人を殺すことに躊躇いの無い化け物を、どうして受け入れられましょう」


「人の血を啜らねば生きられぬ貴女と、どう違うのです?」


 その問いに、ミレーヌは反論できなかった。どんなに自身の体質を拒否しても、結局は抗えなかった。だからこそ、コームの言葉はミレーヌの心を深く傷つけた。彼は懐から赤い布を取り出し、大人しくなったミレーヌの両手を縛った。


「捨てろと言ったのに……貴方は”仕える”という言葉の意味も、その重さも、ご存知ではないようですわね」


「お嬢様こそ、ご存知ないようだ。屋敷の修繕はもちろん、貴女が飢えぬよう定期的に食事を用意していたのは俺です」


 コームの言葉に、ミレーヌは息を呑んだ。定期的に食事を用意していたとは、どういう意味だろうか。


「……貴方にわたくしの食事のことを任せた覚えはありませんわ。思い違いです」


 そもそも、ドニが居れば食料には困らなかった。ドニ以降の来訪者はコームを除いてミレーヌが吸血鬼であることすら知らないはずだった。それもミレーヌ自身が受け入れたわけではなく、来客の扱いはドニとコームの二人に一任していた。彼女は夜しか活動できないので、会話すら交わしていない者もいた。ミレーヌが糧としていたのは、来訪の最中に病や不慮の事故で命を落としてしまった者達だと聞かされていた。


「それこそ思い違いですよ。俺は貴女のために、あの愚かな勘違いをした男どもに正しい役割を与えておりました」


「……、……」


 全身に悪寒が走り、ミレーヌは地を這いながらバタバタと暴れた。しかし、聖なる布で腕を縛られたミレーヌは、完全に身動きが取れなくなっていた。

 

「ドニは……、そんなこと、ドニが許す筈ありませんわ!」


「あの男は人を疑うということを知りませんでしたからね。そんなに年も違わないのに、妙に偉そうだったな……正直、アイツが一番目障りだった。お嬢様の眷属などという光栄を賜っておきながら、食事の世話すら満足にできない臆病者のくせに」


「当然です。彼に食事の世話など頼んだ覚えはありません。彼は貴方と違ってわたくしの言いつけをきちんと守りますもの」


 眷属がなんであるかを分かっていながら、受け入れた来訪者をミレーヌの食料にするため殺していたのなら、完全に正気の沙汰ではない。

 

「なぜあの男なのですか? 何故アイツはよくて俺はダメなんだ? 俺と同じで卑しい身分の男だ。お嬢様とアイツが血を分け合うのを見る度、心臓が張り裂けそうでした!」


「――ああ、それが理由ですのね……」


 コームがわざわざ人を殺していたのは、ミレーヌとドニが互いに血を分け合っているのが気に入らないからだった。彼はそんな理由で迷い人を受け入れ、世話をする振りをして命を奪い続けていた。

 しかし、ミレーヌがなにより許せないのは、そうとは知らず、運び込まれた死体の血を天の助けと呑気に啜っていた己自身であった。いくら眷属と言えども、血を吸えば消耗してしまう。歳と共に体力の衰えたドニから栄養を得るのは忍びなく感じていたのも確かであった。もしかしたら、ドニはコームの所業に気付いていたかもしれない。知った上で、ミレーヌのために見て見ぬふりをしていた可能性もある。

 迷い人の多くは疫病から逃れてきた人や、家の無い者だったと聞かされていた。今となってはそれすらも疑わしい。ミレーヌは彼を信頼しすぎるあまり、来訪者の死について深く考えなかった自分を責めた。

 

「わたくしは、間違いなく怪物です。人を糧とすることを良しとしてしまった時点で、どんなに悔やんだところでもう人には戻れないでしょう」

 

 最初に神官たちが乗り込んできた時、気付くべきだった。彼等は最初から、ドニとコームも裁こうとしていた。その意味を、きちんと考えるべきだったのだ。しかし、後悔してももう遅い。実際に彼等に手を掛け、その血を啜ってしまったのだから、知らなかったでは済まされない。そもそも彼女はその怪物の力で己の復讐を果たした際、とっくに人であることをやめていた。


「どちらも同じ人殺しなら、貴方の言うように、わたくしたちは”同じ”なのかもしれません。しかし――」


 ミレーヌはその行為を許容せず、コームは逆にそれを受け入れている。両者の違いはそこだけだ。化け物には変わりない。ならばやはり、ここで共に朽ちるべきだ。


「やっと分かってくれましたか! ずっと貴女と同じになりたかった。俺がお嬢様の力を得て、やっと本当の意味で一つになれたんです。さぁ、もっと――! もっとそれを実感させてください」


 彼はミレーヌの身体に覆いかぶさると、血濡れた寝巻の裾を捲し上げながら、白く美しい脚をいやらしい手つきで撫でまわした。彼女の脳裏に、元夫の忌まわしい顔が過る。去りし日の恐怖が蘇り、抵抗する気力も失っていたミレーヌは途端に暴れ出した。


「なっ、やめなさい……! こんな行為になんの意味があるのです?! わたくしも貴方も、生きているべきではありません。六十年もわたくしの傍に在り続けたのです。心中ぐらいならして差し上げます。ですから、無意味なことはおやめなさい!」


「俺達はこれからだ! 子を成し、養うこともできるのに、どうして死のうだなんて言うのです?!」


 子を成すと聞いて、ミレーヌはゾッとした。コームと二人で暮らすことを考えただけでも嫌なのに、化け物同士で、化物の子を生み落とすなど想像するだけでも悍ましい。


「わたくしはもう疲れたのです。貴方との子など、死んでも生みたくありません……っ! とっとと殺してくださいませ!」


 拒絶も説得も、すべて無意味であった。使い方も知らないであろうに、コームは暴れる彼女に銀の首輪を嵌めた。ミレーヌは思い切り舌を噛んだ。死ねるかどうかは分からないが、試してみる価値はあると判断したのだ。しかし、激痛と不味い液体が口の中に広がった瞬間、窒息する暇もなく元通りになってしまっただけだった。彼はそれに気付いたのか、ミレーヌを頬を怒りに任せて引っ叩いた。彼女の膝裏を持ち上げ、あられもない姿勢を強いながら、暴言を吐き始める。


「いや、やめて……っ、いやぁあぁあああッ!」

 

 今まで通りだった。ミレーヌにとって、男という生き物はすべからく害を成す存在でしかなく、常に彼女の人生に不幸を呼び込んだ。都合よく助けに現れる騎士や王子様など、彼女の長い人生にはいなかった。どんなときでも苦痛に耐え忍び、自らの力でピンチを乗り越えてきた。しかし、助けなどこないと分かっていても、救いを求めて叫ばずにはいられなかった。


(――お願い、だれか……っ)


 誰か助けて。

 

 下履きが裂ける音に硬く目を閉じ、反射的に歯を食いしばって苦痛に耐える準備をしたその時だった。不意に身体が軽くなり、轟音が響いた。ミレーヌは目を開けて、咄嗟に身体を起こした。

 見れば、教壇の反対側まで吹き飛んだコームの身体が壊れた椅子に埋もれていた。頭上を見上げれば、真っすぐに拳を突き出した男がいた。女神像を背中に、戦闘用の祭服を身に纏った男は、つい先刻ミレーヌが殺したはずの神官だった。

 

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― 新着の感想 ―
アレットの情の深さ、迂闊さにハラハラとイライラの合間をいったりきたりしつつ、ミレーヌへの印象が二転三転する第二章、展開が読めず更新のたびドキドキしています。 クリスの生存を信じたいけど「人生最期」って…
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