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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと傾国の美女
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第29話:地下牢にて

「あ、あのじーさんっ……やりやがった……ッ!」


 苦しそうなジャンの声に、アレットの視線は自然と吸血鬼の傍に控えるコームへ移った。どこから取り出したのか、彼はナイフを片手に血を流していた。おそらく、瀕死の状態だった彼女を復活させたのは、彼なのだろう。


「おお、なんと美しい……! やはりお嬢様はこの姿でなければ」


「ありがとうございます。初めて貴方に感謝いたしましたわ」


 そう言いながら、吸血鬼はコームへ一瞥もくれず、張り付けにしたクリスだけを見つめていた。


「形勢逆転ですわね。ああ、本当に……貴方をどうやって殺そうか。色々と想像するだけで達してしまいそうですわ」


 ゾッとするような、美しい笑みを浮かべた彼女は噴水の鉄柵をへし折ってその手に握ると、ゆっくりとクリスへ近づいた。


「なんだよクリス、随分と激しめにやってたみたいだな。こりゃサービスは期待できそうにねーぜ?」


「ふむ、もてる技はすべて出し切ったつもりですが……どうやらお気に召さなかったようですな」


「二人とも、今ピンチだって分かってる?!」


 アレットは必死に身を捩るが、標本にされた虫のように身体が動かない。吸血鬼は嬲るようにゆっくりと距離を詰めてくる。鉄柵の尖った部分が、キラリと光った。その瞬間、クリスの心臓を目掛けて鉄柵が投擲された。バチンと衝撃音が響き、鉄柵が床へ転がり落ちる。念のために掛けておいた、アレットの防護魔法だった。


「まぁ、優秀な魔導士さんのおかげで命拾いいたしましたわね」


「クリス――ッ、!」


 命を狙われている当の本人よりも、アレットの方が焦っていた。


「貴殿こそ、そこの老人に命を救われましたな。――彼は貴方の食料ですか?」


「そのようなものですわ。だったらどうして? わたくしを許さないとでも――、っ?!」


 彼女の首に嵌っていた銀の輪が、彼女の細い首を焼いた。皮膚の焼ける嫌な音と臭いが、アレットの五感を刺激した。


「ぐっ、あぁあああぁあッ!」


 吸血鬼が苦しみ悶え出したのと同時に、アレット達は張り付けの状態から解放された。体勢を立て直そうとするもコームが吸血鬼の首輪を外す方が早かった。

 クリスの機転も虚しく、アレット達の状況はあまり変わらなかった。吸血鬼はアレットへ狙いを定めると、一気に距離を詰めてきた。接近されると打つ手がない魔導士はあっさりと吸血鬼に掴まってしまった。


「アレット!」


 吸血鬼はまた鉄柵を簡単にへし折ると、その先端をアレットの頬に当てがった。


「わたくしに従わないと、この娘の命はありませんわ」


「なんと卑劣な……」


「二人とも、私に構わないで!」


 そうは言ったものの、仲間を人質に取られては流石の彼等も、手も足も出なかった。吸血鬼は顎でコームに指示を送った。


「そこの二人を縛って、地下の部屋へ連れて行きなさい。大人しくしなければ、この娘の身体を少しずつ切り刻みます」


 コームは自身の衣服の布を割いてロープ代わりにし、二人の手を縛った。コームを先頭に中庭を出ると、クリスとジャンを挟むようにして吸血鬼が背後へ回り、書庫の隠し扉まで歩かされた。クリスは地下への階段を見て面食らっていたが、アレット達は二度目だったので目新しくもなかった。

 遺体が並べられていた部屋とは別の部屋の扉が開かれた。僅かな蝋燭の灯りが石の壁を照らしている。その部屋は遺体が保管されていた部屋よりも酷い匂いだった。よく見ると、壁に鎖で出来た拘束具が括りつけてある。その壁だけ、乾いた血がべっとりとこびり付いていた。


「その二人を鎖で繋いでください。この子は手足を縛るだけでいいですわ」


「この布と首輪はどういたしましょう?」


「そんな趣味の悪い物を拾ってきたのですか? さっさと捨ててしまいなさい」


 コームは深く頭を下げ、ジャンとクリスを鎖で壁へと繋ぎ始めた。いよいよ慌てたアレットは、イチかバチかの説得に出た。


「お願い、やめて。私とジャンはさっきそのお爺さんから話を聞いたの。貴女が自分から人を殺したことはないって……私達の目的は神官二人とデュオンという村の青年を助け出すことなの。その目的さえ果たせれば、貴女達の生活を邪魔しないから――」


「あら、邪魔ならとっくにしていますわ。……命乞いにしては可愛気のないこと。尤も、わたくしの非常食の言葉を素直に信じたところは可愛らしいですが」


 非常食というのは、コームのことだろうか。


「アレット殿、その言葉は嘘です。先ほど銀の首輪が反応しておりました。ご老人は吸血鬼の食料ではないようです」


「――喋れないようにその男に布を噛ませなさない」


 老人は吸血鬼の命令に従い、鎖で壁に繋いだクリスの口に服の切れ端を噛ませ、頭の後ろで結った。


「死ぬまでに少しだけ猶予を差し上げますわ。どうぞ存分に自身の短い人生を振り返ってくださいませ」


 そう言い残すと、吸血鬼は部屋を後にした。それに続くように、コームも部屋を出て行った。手足を壁に繋がれた二人と違い、アレットだけは移動ができる。彼女は芋虫のように地面を這い、拘束された二人の傍へ移動した。


「ごめん二人とも……私の所為で」


「気にすんな。それより気付いてるか?」


 ジャンの問いに、クリスが頷いた。アレットは何の話かと首を傾げる。二人はアレットのように移動はできないが、鎖の届く範囲でなら身動きが取れる。クリスとジャンはしゃがみ込んで互いに左右の手を伸ばした。


「アレット、俺達の間に脚を置け」


 そう言われて、アレットはすぐに二人の意図を理解した。ジャンの右手とクリスの左手は互いに手が繋げるほど近い。彼女が二人の間に脚を置くと、クリスとジャンは息を合わせてその結び目を解いた。


「よし、次は手だ」


 アレットは自由になった足で立ち上がり、後ろ手に縛られた手を二人へ向けた。彼等はアレットと同じように立ち上がり、両手を拘束する紐の結び目を解こうとした。


「身長差がありすぎて難しいな……中腰でやるぞ」


 少しだけ申し訳ない気分になりながら、アレットは二人が体勢を変えるのを待った。しかし、廊下から聞こえた足音に、二人は作業の手を止めた。


「誰か部屋に来る。……元の位置に戻れ!」


 アレットは急いで紐を蹴りながら、元の位置に戻って、冷たい地面に尻を付けて座った。その後すぐに部屋のドアが開き、アレットは冷や汗をかいた。入って来たのはコームだった。


「お爺さん!」


「おや、足の紐が取れてますのぉ」


「あ、暴れたら取れたんだよ。それより、この拘束を解いて! 私達はデュオンを連れてすぐにここから出るから」


「残念ながら、それはできません」


「どうして?」


 コームはアレットの傍にしゃがみ込んで、解けた紐を手に取った。そして、アレットの足を手に取ると感嘆の息を漏らした。


「綺麗な脚じゃのぉ……」


 身に付けている黒い厚手のタイツ越しに、老人の手がするするとアレットの脹脛から膝裏を撫でた。途端、ぞわりと全身が総毛立った。


「お、お爺さん?! ちょっと、なにしてるの?」


 老人の手は膝裏から滑るように上へと移動し、細くて張りのあるアレットの太腿を撫でまわした。


「い、いやぁあああッ! な、なに?! なにしてるのこの人ぉおおッ」


 上着にしているローブの中は動きやすさを重視したタイトミニのワンピースである。コームの手が太腿から上へと延び、ワンピースを捲り上げた。タイツ越しに下着が丸見えになってしまい、その手が脚の付け根を撫でた瞬間、アレットは迷いなく老人の顔へ膝蹴りを入れた。

 脳震盪を起こしたのか、コームはその場へ倒れ込み、動かなくなった。アレットは涙目になりながら後退した。肩で息をしつつ、壁に繋がれた二人の方を見れば、彼らの視線は布が捲れ上がったアレットの太腿に注がれていた。


「ばかッ、見ちゃダメ!」


 咄嗟に視線を逸らしたのはクリスだけで、奥側にいるジャンは必死に細部を確認しようと目を細めていた。アレットは薄暗い部屋に感謝した。


「……少なくとも七十は過ぎてるのに元気なじーさんだぜ」


「呑気に言ってる場合か! すぐそっちに行くから早く手も解いて」


 アレットは捲れたスカートの中を見られないよう、二人に背を向けてカニのように横歩きしながら彼等の間に立った。


「ひやぁあんっ?!」


 突然ローブ越しに尻たぶを揉み上げられ、アレットは奇声を上げた。驚いて振り返ると、クリスが目を丸くしてジャンを見つめていた。ジャンは顔を下へ向けながら苦しそうに手をわきわきと動かした。


「くそっ……娼館でお預けを喰らったせいで、つい……っ!」


 アレットはジャンの身体にピタリと背を預けると、思いっきりジャンプして、頭突きをかました。


「ごはぁあっ!?!」


「なにが、”つい”よ! ふざけてる場合じゃないって何度も言ってるでしょ! 馬鹿なの? 死にたいの!?」


 痛みで悶絶するジャンに構わず、定位置に戻り「早くして」と促す。ややあって、やっと腕の拘束が取れたアレットは、捲れた布を直して二人に向き直った。照れ隠しに咳払いをすると、彼女はクリスの猿轡を外した。


「ありがとうございます。これで状況の整理と情報交換ができますな」


「それより先に、手枷の鍵を外そう。多分、お爺さ……あの人が持ってるでしょ。馬鹿で助かったよ」


 もう”お爺さん”などと呼べない。アレットは気絶したコームの懐を漁った。しかし、鍵は見当たらなかった。鍵どころか何も所持していない。老人はここへ何をしに来たのだろうか。


「この人、ほんと何しにきたんだろう……」


「いや、間違いなくお前が目的だっただろ」


「そもそも、このご老人は誰なのですか?」


 コームの話を聞いていないクリスには、そこから説明が必要だった。アレットはコームのこと、彼から聞いた話を手短にクリスへ共有した。


「そうですか。では、先行した神官は既に……」


「うん。生きてはいないと思う。でも、デュオンの方は無事だった」


 この際、デュオンだけでもいい。なんとかして二人の拘束を解き、彼を連れて邸宅を脱出できれば、アレットはそれで構わなかった。


「手枷の鍵はミレーヌが持ってるのかな?」


「もしそうであれば、今がチャンスでしょうな」


 クリスの言葉に、アレットは首を傾げた。


「あの場で全員を相手にしようと思えばできたはずです。わざわざアレット殿を人質にとり、我々をここへ閉じ込めたのは夜明けが近いからでしょう」


 曰く、吸血鬼になってしまうと日中は外を歩けなくなるそうだ。少しの日の光でさえ火傷を負う身体になるという。しかし、全身の細胞がものすごい勢いで再生し続けるので、その程度では死なないらしい。あくまで、弱体化するだけのようだ。


「おそらくこの地下で、動かず眠ったようにじっとしている可能性が高い。この邸宅には窓が多いですからな」


「なるほど。じゃあ本当に、動くなら今だね」


 アレットは広間の教会に置いてあった、棺を思い出していた。彼女はよくあの棺で休むと、コームが言っていた。


「おいおい、忘れてねーか? 腕輪がある限り、オメーは俺と離れられねーんだぜ」


「あ、そっか……」


 アレットの手足が自由でも、ジャンが近くにいなければ動けない。ミレーヌは腕輪について何か知っているようだった。もしかすると、アレットに対してだけ脇が甘かったのは、彼女一人では動けないことが分かっていたからだろうか。


「ふむ。そのことなのですが……少しだけあの吸血鬼から情報を聞き出せました。なんでも、その腕輪は彼女が生きた時代に造られたものだそうです」


「「えっ?!」」


 ジャンとアレットは、二人同時に声を上げた。


「私が教会で見た通り、祭事に使われていたそうですが……その実態は魔力で編まれた魔道具に近しいものであると。所有者にしか見えないのも、そのせいでしょうな」


「魔道具……」


 ではやはり、レクトが探していたのはこの腕輪だったのか。それにしても、こんな趣味の悪い道具を手に入れて何に使うつもりだったのか。否、権力争いにはいくらでも使えそうだ。一夫一妻は王族には適用されない。それを覆すことのできる道具だ。


「しかし、なかなか強情でしてな……確実に分かったのは片方が死ねば、もう片方も絶命するという事実だけでした」


「……え?」


 現状、デメリットでしかない情報だった。手練れのジャンを制するのが難しければ、白兵戦に弱いアレットを集中的に狙えばいい。ミレーヌには最初からそれが分かっていたということだ。


「他人に移せば消えるそうですが、移し方までは聞き出せませんでした」


「……他人に移す?」


「ええ、血の誓いを望む男女に移すことが出来るそうです」


「片時も離れらねーんだぜ? こんな腕輪を欲しがる奴らがいてたまるかよ」


 ジャンの主張は最もだった。

 アレットはここにきて腕輪が作られた目的を改めて考え始めた。愛を誓う男女に課す試練を目的とした祭具だと思っていたが、ジャンとアレットは愛を誓い合った仲ではない。ならば、正しい手順さえ踏めば、別に好き合っていない者同士にも腕輪は適合するのだ。


「考えてみればこの腕輪……一方的に相手を縛るのにも使えるよね?」


 その言葉に、ジャンはあからさまに顔を顰めた。


「アレット殿も、その結論に至ったのですね……実は私もそのための物ではないかと思っておりました」


 ミレーヌがこの腕輪に明らかな嫌悪を向けていたのも、正しい用途を知っていたからではないだろうか。例え望む者がいたとしても、こんな危険な腕輪を渡していいのだろうか。

 似たような表情で苦悶する三人の耳に、老人のしゃがれた声が響いた。


「そ、その話……どうか私にも詳しく教えて下され!」


 その場にいた皆の視線が、よろよろと起き上がる老人へ注がれた。


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