第2話:燃えろいい女
かくして冒険者になった”もと宮廷魔導士アレット”は、ほんの半月ほどで中級ランクの冒険者証を発行した。優秀な魔導士を多く輩出している魔導アカデミー首席の実力は、伊達じゃなかった。実戦経験のないアレットは、いまひとつ自身の力量を理解していなかったが、少なくとも王都の冒険者の中で彼女より優れた魔導士はいなかった。初級から中級程度の討伐依頼なら、アレットの魔法で屠れぬ魔物はいなかった。
冒険者の仕事にも徐々慣れ、前衛を雇ったり、雇われたりする機会も増えた。生活も安定し、遠出に必要な装備や魔法薬も買えるようになっていた。
「そろそろ上級の依頼も受けてみようかな」
アレットはすっかり通い慣れたギルドのカウンターに寄り掛かり、上級ランクの依頼書の束を眺めていた。すると、カウンター内にいた赤毛の女性が細い指を紙束に置き、とある依頼書を指さした。彼女はアレットが初めて冒険者ギルドを訪れた際、親身になってくれたエリーという名前の受付嬢だ。
「魔道具の回収……?」
「はい。いま受注できる上級ランクの依頼の中で、一番無難な依頼です。これを成功させれば、アレット様に上級冒険者証を発行できます。もちろん、もっと高額で高難易度の依頼でもアレット様なら問題はないと思いますが……」
依頼の内容はラヴィア領近辺にある森の深部で発見された遺跡の踏破と、その遺跡で目撃された魔道具の回収だった。よく見れば、依頼書に王国の印が押されている。そこに記された依頼主の名はアレットのよく知る人物の名だった。彼女と同じ宮廷魔導士であったレクトという男である。
レクトは主に魔道具の研究をしていた陰気な男であった。特に仲が良かったわけではない。寧ろその逆だった。事あるごとに魔鉱石と魔道具を比較したがり、難癖を付けてきた。
「魔道具の情報は確実なの?」
ただでさえ宮廷の魔導士たちに対し疑念を抱いていたアレットは、躊躇した。宝探しの依頼は情報元が鍵となる。
「情報元は王国騎士の調査隊です。王宮からの依頼なので保証も手厚いですし、ランクアップの依頼としては無難な方だと思いますが……他の依頼になさいますか?」
「……いや、この依頼を受けるよ」
「承知いたしました。では報酬から契約金と保険料を引いた金額のうち、銀貨20枚を準備資金として前渡しいたしますね」
迷った末、アレットはエリーに勧められた依頼を受けることにした。というのも、ここ一カ月の間、何度か王宮の人間がアレットを訪ねてきていたからだ。内容はアレットと皇子の不貞には証拠不十分な点があり、再調査を行っているというものだ。調査の結果、もし冤罪であれば再雇用を認めるというものだった。
あまりにも予想通り過ぎて呆れ果ててしまったアレットは、無事に上級ランクの冒険者証が発行できたら再雇用の話を蹴るつもりでいた。
「ちょっと変なこと聞くんだけど……契約書に偽名って使える?」
「……申し訳ありません。依頼主も冒険者も、名を伏せることは許可されていません。ただ、偽名でギルドに登録することは可能です。その場合、冒険者証も偽名で発行されますし、登録名も偽名になりますが」
アレットが王都に留まっていることは、既に知られている。それは今更隠そうとしたところで無意味だが、契約書にサインをすれば少なくともレクトにはアレットが冒険者として活動していることがバレてしまう。
「当ギルドではできる限り融通を利かせておりますが、この依頼は王国印が押されているので不備があると大変なことに――」
「変なこと聞いてごめんなさい、ちゃんと実名でサインするよ」
アレットはカウンターの上へ置かれた契約書に慌ててサインをし、手続きを済ませた。
「それと、前衛を雇いたいんだけど。上級ランクの冒険者で、誰かいい人材はいない?」
そして誤魔化すように言葉を続けた。
今まで中級ランクの冒険者を雇うこともあったが、盾役どころか時間稼ぎもできない者が殆どだった。それでも雇った以上は報酬の半分は支払わねばならず、何度も割を食っていた。アレットを雇用したいという冒険者も増えていたが、割に合わないという理由でその誘いも殆ど断っていた。そうでなくとも、人付き合いが煩わしいアレットにとっては他人との共闘は単純にストレスだった。
しかし、上級ランクの冒険者証が懸かった仕事であれば、そうも言っていられない。いくらアレットが優秀な魔導士でも、白兵戦になれば対処が追い付かない。報酬金が減ってしまうが、基本的に前衛は雇った方がいいのである。
「それならちょうど長期の依頼から戻って来た適任者がいますよ。普段はなかなか掴まらないのですが、珍しく暇だと言っていたので声を掛けておきますね」
「名前を教えてくれれば、直接頼みに行ってもいいんだけど」
「い、いえ。彼はギルドが運営してる酒場には滅多に顔を出さないんです。よく移民街の酒場にいるのですが……アレット様一人であそこに行かれるのは危険ですので」
その冒険者とは明日の夕方以降にギルドで顔合わせになった。王都の冒険者の中では一番の実力者だという。それ以外は、酒が好きという情報しか得られなかった。
「報酬金もそんなに高くないけど、引き受けてくれるかな?」
「ああ、彼なら大丈夫です。仕事はあまり選ばれない方なので」
王都で一番の実力者と聞けば、俄然興味が湧いた。しかし、アレットは酒が得意ではなく、情報収集にもあまり酒場を利用していなかった。それでも、その冒険者がどんな人物か気になったアレットは、日が落ちた頃合いを見計らって彼が好んで利用しているという移民街の酒場『旅の果て亭』に足を運んだのであった。
◇
移民街は王都の中でも特別、治安の悪い場所だった。アレットは外套を深く頭に被り、灯りの無い道を歩いた。不気味なほど静かな通りを抜けると、ようやく店の灯りと喧騒が聞こえてきた。外套を外し、重い木造の扉を開けると、途端に人々の熱気と煙草の匂いがアレットの肌に纏わりついた。
途端、室内の喧騒がピタリと止み、人々の視線が一斉にアレットへ集まった。思わずたじろいでしまったが、彼女が酒場へ足を踏み入れると、室内はまたすぐに騒がしくなった。アレットは内心の緊張を押し隠しながらカウンター席へ腰を下ろし、店内を見渡した。
「注文は?」
「じゃあ、果実酒を……」
「なんの果実酒だ?」
「……なにがあるの?」
横暴な口調のガラの悪い店主はアレットの問いに答えず、無言で酒を入れ始めた。アレットは気にすることなく店内の様子を確認した。ギルドが運営する酒場には何度か訪れたアレットだったが、『旅の果て亭』はまったく異なる雰囲気だった。給仕がおらず、客は壁際に置かれた樽から酒を汲んでいる。屈強な男たちが大口を開けて唾を飛ばしながら乱暴な口調で笑い合っていたかと思えば、唐突に謎の殴り合いが始まった。アレットのような細身の女性など、店内の何処を見渡してもいなかった。
危険だというエリーの言葉の意味が理解できなかったわけではない。アレットはどうしても好奇心に抗えなかったのである。そして今は、それを後悔していた。情報収集というより、酒を楽しみに来ている客が殆どのようだった。なんにせよ、長居は無用である。
エリーの言う腕利きの冒険者は、この酒場にいる男たちの誰かなのだろう。魔導士のアレットには、戦士の良し悪しなど見ただけでは分からなかった。特徴ぐらいは聞いておけばよかったと後悔しても、もう遅い。今回の依頼は魔道具の回収と同時に遺跡の踏破も含まれているので、長丁場の依頼になる。できればどんな人物か確認しておきたかったが、上級ランクの冒険者は少ないので、選り好みなどしていられない。
(く、来るんじゃなかった……)
王都の冒険者の中には、アレット以上に実力のある魔導士は一人もいなかった。そのはず、魔導士を名乗る実力のある者は基本的にアカデミーを卒業している。出身者は貴族や上流階級の者が殆どで、その大半が稼業を継ぐ。それ以外は宮廷魔導士になって国へ尽くすか、アカデミーに残り教鞭を執る。平民でも魔法の才能がある者はいるが、大抵の場合は学費が払えず、ラヴィア騎士団が抱える魔導部隊に志願するしか道がない。
冒険者で魔導士を名乗っている者の多くは、魔導部隊の試験にすら落第した者達だった。本来、魔法を扱うのに必要な魔力なら誰にでも備わっている。しかし、魔力量とそれを扱う才能には明確に差があった。言ってしまえばアレットも、魔法を扱う才能はあったが、決して天才ではなかった。
「ほい、葡萄ジュースだぜお嬢ちゃん」
カウンターに置かれた器の中身は、店主の言葉通り酒ではなく、果実のしぼり汁だった。
「これ、お酒じゃないよね?」
「生憎と、未成年に出せる酒は置いてねぇんだ。とっとと失せな」
アレットは同世代の女性と比べ、幾分幼く見えた。十七歳の誕生日を迎える頃には豊満な肉体が出来上がっていた姉のアシュリーとは対照的に、いつまで経っても細く、子供の様な身体つきであった。成人して一年経ってもそれは変わらず、背も一般的な成人女性ほどしか伸びなかった。しかし、身体つきで多少幼く見えても、垢抜けない顔立ちではない。誰がどうみても決して子供には見えなかった。
店主の言葉は、アレットに対するあからさまな侮辱だった。
アレットは無意識に、雑に括った長いお下げ髪を撫でた。久しぶりに自身の容姿に触れられ、忘れかけていたコンプレックスが呼び起された。艶のある長い黒髪に、神秘的な碧緑の瞳、そして真っ白な肌。彼女の容姿を醜いと称する人間はいないだろう。しかし悲しいことに、アレットはあまり他人に容姿を褒められた経験がなく、外見に関しては自分を客観視できていなかった。
彼女自身、外見の醜美に拘りなどない。大抵の場合、アレットが優秀だと分かると誰もなにも言わなくなるからだ。アカデミーや王宮でも魔導士としての実力や実績に関係のない無駄は極力省いて生活していた。父には婚約相手を探せと言われていたが、アレットにそのつもりはなく、興味を持つ暇もなかったのである。
「お嬢ちゃん。なに飲んでるの?」
不愉快な気分ではあったが、酒の飲めないアレットには好都合だった。文句を言わずに差し出された葡萄のしぼり汁を煽っていると、背後から声を掛けられた。
「葡萄ジュース」
アレットの隣に腰を下ろした男は、彼女の返答を聞いて盛大に噴き出した。鍛え上げられた腕の筋肉が、カウンターを軋ませた。その熊のような身体つきから、彼も冒険者であることが伺えた。中級ランクの冒険者であればアレットにも顔見知りはいたが、上級ランクの冒険者はまったく知らなかった。
「いや、すまねぇ。嬢ちゃん、笑って悪かった。よければ一杯ご馳走させてくれ」
「おいコラ、テリー。うちの店で未成年に酒を勧めるな」
店主がニヤけ面の酔っ払い男を窘めた。どうやら大男の名はテリーというらしい。アレットは一刻も早く酒場から出たかったので、その申し出を断った。
「悪いけど、ここには飲みに来たわけじゃないんだ。ちょっと、人を探してて……」
坊主頭の店主が、あからさまにムッとした顔をした。
「やっぱり冷やかしか。酒飲むつもりがねーんなら帰れ」
アレットは銅貨のはいった袋をカウンターの上に置いた。
「酒を出すつもりがないのはそっちでしょ。葡萄ジュースご馳走様。言われなくても、客の注文すらまともにとれない店になんて二度と来ないよ」
「なんだって……? おいクソガキ、大人への口の聞き方には気を付けな!」
「私はガキじゃない。さっきから失礼なのはそっちじゃないの?」
歯を剥き出しにしながら低く呻く店主の姿は、まるで獣だった。それでも、アレットは一歩も引かずに睨み返した。いざとなったら魔法で切り抜ける算段であり、その準備もしていた。
アレットが相手の出方を伺っていると、テリーが慌てた様子で二人の間に割って入った。
「おい待てマスター、本当にこのお嬢さんにジュースを出したのか? それは文句言われても仕方ねぇってもんだ。すまないなお嬢さん、マスターはこう見えて根は真面目な男なんだよ。アンタがあまりに若々しかったんで、すぐには酒を出さなかったのさ」
「私の名前はアレット。”お嬢さん”じゃない」
そう応えれば、筋肉をこれでもかと蓄えたテリーの太い腕が、アレットの細い腰へ回された。そのまま強引に引き寄せられ、アレットは思わず息を呑んだ。
「よしアレット、つれないこと言わずに、一杯ご馳走させてくれ。人探しなら協力するぜ? おいマスター、アレットに酒を入れてくれ」
店主が渋々アレットの器に酒瓶を傾けたので、アレットは飲酒を拒否できなくなってしまった。いつの間にか店内の喧騒が止み、皆の視線がアレットとテリーに集中していた。テリーは協力すると口にしたが、本当にこれで必要な情報が得られるのか、急激に不安になった。
「俺は知らねぇぞ。忠告したからな。ここはアンタみたいな奴がくる場所じゃねーってな」
店主はテリーの酒を用意しながら、アレットに向かって小さく吐き捨てた。
頃合いをみて逃げようと思っていたアレットは、その店主の言葉と態度にムキになってしまった。厳密に言えば、アレットは飲めない体質ではない。ただ、かなり酒癖が悪かった。翌日には一切の記憶を失っているので、アレットは自身が下戸だと勘違いしていた。
「せっかくの好意を無下にはできないよね」
アレットが注がれた酒を一気に飲み干すと、途端に店内がワッと湧き上がった。酒場の愉快な雰囲気に呑まれ、アレットは差し出された酒を次々に煽った。身体が熱くなり、ぐるぐると視界が回ってふわふわ宙に浮いているような愉快な気分になる。そうして小一時間もすれば、舌も思考も回らなくなった。
ぐったりとしたアレットの腰をしっかり抱え、テリーは酒場の男たちへ見せつけるように厭らしい手つきでその脚を撫でまわした。テリーの余興に下品な笑い声が響き渡る中、違和感に気付いた何者かが、声を上げた。
「は、……? お、おいテリー!? ひ、火だ! 火がっ――」
その夜、アレットが最後に記憶したのは、テリーの情けない叫び声だった。




