第27話:柵の開いた鳥籠
「お爺さんに聞きたいことは山ほどあるけど、とにかくデュオンの無事を確認しよう」
救助対象の居場所が分かった。それなら、闇雲に魂を移した器を探すより、無事の確認を優先させようという提案だった。ジャンはアレットの意見に賛同し、胸のバックルを外して背中の剣をアレットに預けると、老人をその背に負ぶった。
「爺さん、すまんが俺達は急いでいてな。地下まで案内してくれ」
「分かりました。しかし……」
ジャンに担がれたコームが言葉を濁したので、二人は彼が何を言うかと身構えた。
「どうせおぶさるなら女の子がよかったのぉ」
アレットは一気に力が抜けた。こんな時にバカなこという老人を、もう少しで怒鳴りつけるところだった。ジャンはコームの本音を隠さない物言いにケラケラと笑った。
「そりゃそうだ! だが、勘弁してやってくれ。アレットは小せぇーから、爺さん負ぶったら走れなくなっちまう。俺の背中もなかなかのもんだろ?」
「ええ、いい畑仕事ができそうです。あの若者より、よっぽどいい」
「ソイツは良かった! そんじゃあ、走るぜ? 舌噛むなよ」
アレット達は来た道を戻り、東棟の一階まで降りた。後ろ髪を引かれながら中庭への扉を通り過ぎ、廊下の奥へと走る。書庫へ入るとズラリと並んだ本棚が目に飛び込んできた。アレットは思わずジャンの大剣を握りしめ、感嘆の声を漏らした。
書庫を彩る様々な書籍に目を奪われているところを、ジャンに咎められる。コームの案内で、書庫の奥にあるスイッチを押すとズンと重い音を立てて、本棚が動いた。本棚の裏の壁に地下への階段が現れ、アレットは唾を呑んだ。石の壁へ等間隔に設置された蝋燭が、如何にもな雰囲気を醸し出している。
「デュオンはこの下にいます」
敵の罠という可能性も捨てきれない。本当に地下へ降りていいのだろうかとアレットは躊躇した。しかし、ジャンは老人を負ぶったまま迷いなく階段を降りていく。剣を預かっている以上、書庫で待っているとも言えない。彼女は深く息を吐いて、ジャンの背を追った。
階段が終わると、廊下が伸びていた。左右にいくつか部屋があり、突き当りには如何にも重そうな扉があった。
「我々は突き当りの大広間に身を隠すよう、お嬢様に言われておりました」
「廊下の途中の部屋は?」
「遺体の安置所です」
その答えに背筋が凍ったが、ジャンは確かめるようにいくつかあるうちの部屋の扉を開けた。コームの言う通り、白い布に覆われた遺体が等間隔に並んでいた。薬品のような臭いが部屋に充満していたが、腐敗臭はしなかった。ジャンが布を捲ると、遺体は服を着ていた。水分を失い黒く変色していたが白骨化していない。腐っていないと言った方が正しいだろう。
「襲ってきた死人たちに似てる……」
「どっかの地域で、これと似た埋葬法を見たことがある。内臓や血液を抜いて乾燥すると、これと似た状態になるんだったか……」
「よくご存じで。私など、これをみた瞬間腰を抜かしてしまいましたよ」
「人間だから恐ろしいってだけで、俺達だって魚や野菜を干すだろ? それと似たようなもんさ」
ジャンは遺体をみても冷静だった。ついさっきまで襲ってきていた死人の正体がわかり、アレットも少しだけ恐怖心が和らいでいた。
「そっか。この匂いは防腐処理の薬品の匂いか」
遺体はどれも使用人の服を着ていた。貴族らしいコートを着た遺体もある。
「この人たちは皆、ここに迷い込んだ人達なのだそうです」
遺体そのものは恐ろしいと感じなくても、そうなった経緯を想像すると震撼してしまう。邸宅の主は、二百年間ずっとこうして迷い込んできた人間の血と臓物を啜って生きてきたのだろう。
「骨や皮ごと喰らうわけじゃねーってことか」
ジャンの呟きに、アレットはまた身震いする。ここにある遺体はすべて、これまで行方不明になった村人たちだ。しかし、獲物に使用人や貴族の服を着せるのはどういうわけなのか。
「デュオンを助け出そう。じゃないと、彼もこの人たちと同じように――」
「なにか誤解しているようですが」
アレットの言葉を遮るように、コームが語り出した。
「私は六十年、この邸宅に住んでおります。彼女が私を害そうとしたことなど一度もありませんよ」
「えっ……」
「私は望んでここにいます。おそらく、デュオンもそうです。まぁ、彼は広間にいますので……本人の口から聞いた方が早い」
コームはジャンの背から降りると、部屋を出て大広間へと歩き出した。二人はあわててその背を追って、廊下の奥にある扉の前で立ち止まった。コームが戸を叩くと、中から若い青年の声が聞こえた。
『ミレーヌ様? それとも、じーさんかい?』
「わしじゃ。開けてくれ」
金属の擦れる音がして、重い扉が開いた。ひょこりと顔を出した青年は、ジャンとアレットをみて驚いて声をあげた。
「ひぃ! 私はただの人間です! どうかお助けを――」
「慌てるなデュオン、大丈夫じゃ。この方たちは神官ではない」
「で、でも、ミレーヌ様は敵が来たって……」
状況が分からないのはアレット達もまったく同じだった。
「敵じゃないよ。私達は貴方を助けにきたの」
「う、嘘だ! この間来た神官もそういって俺とじーさんを殺そうとした!」
「……、え? 教会から派遣された神官が貴方達を……どうして?」
益々訳が分からない。アレットは青年を押し退けて、広間へ足を踏み入れた。長椅子が等間隔に並び、その先には女神像と講壇、オルガンもあった。まるで小さな教会のようだ。燭台も設置され、廊下よりも明るい。しかし、アレットの視線は講壇の横にある大きな棺へ集中してしまう。死体安置所には棺がなかった。それなのに、わざわざ教会を模した空間に置かれているのは不自然である。
「あの棺が気になりますか? お嬢様は陽の光を浴びてはいけないので、あそこで寝起きしているのですよ」
アレットの視線に気付いたのか、コームが歩み寄って来た。
「貴方達は……教会から身を隠すために、ここにいるの?」
二人の目は、至って正気に見える。魔力の気配も感じないので、魅了に掛かっている可能性は低い。ならば、先ほどデュオンが言ったように、身を守るために邸宅を出ないのだろうか。
「いいえ。決して公の機関から命を狙われるような立場ではありません。デュオンが怯えているのは、先日訪れた神官たちが躊躇いなく我々ごと邸宅を焼き払おうとしたからでしょう」
「じゃあ、二人は先行した神官達に会ったんだね?」
「はい。私たちなりに自分達の状況を説明しようとしたのですが……排除対象と見なされてしまったようで」
アレットは怯えた表情でこちらを伺うデュオンへ、改めて目を向けた。落ち葉色の癖毛に焼けた肌の、如何にも農村の若者といった出で立ちである。デュオンはアレットと眼が合うと、慌てて顔を逸らした。
「説明って……さっき言ってた望んでここにいるって話?」
「そうです」
「じーさんはともかくだ。デュオンと言ったか? オメーもそうなのかよ。村にはお前の帰りを待ってる子がいたぞ?」
ジャンにそう問われて、デュオンは視線を床へ落とした。
「それ、ベレニスのことか……? 彼女は隣の家に住んでて、一緒に育った幼馴染みだよ。お互い早いうちに両親を失くして、家族のようなものだから……心配はしてるだろうな」
デュオンの台詞に違和感を覚え、アレットは首を傾げた。ベレニスの様子から、てっきり二人は恋人のような関係なのだと思っていた。
「ここから出られないわけじゃないなら、どうして村に帰らないの?」
「お恥ずかしながら、私は六十年前ここへ迷い込んだ日、彼女に一目惚れしてしまったのです。その日から、一度も村へは帰っていません」
アレットは言葉を失った。そんな理由でなにもかも捨てて六十年もこの朽ちかけた邸宅に住んでいるなんて。正気とは思えない。
「それは……彼女に与していると判断されてもおかしくない理由だね。まさか、貴方もそうなの?」
デュオンはあからさまに視線を逸らし、黙り込んだ。彼のその反応は、殆ど答えと同義であった。
「オレがここへ来た日、ミレーヌ様は泣いてたんだ。ずっと泣いてて……じーさんに事情を聞いたら、放って置けなくて……」
「お嬢様は、たまに御乱心なさるのです。なにせもう気の遠くなるほど前から日の光を浴びていないのです。好きな花を愛でに庭先へ出ることすら叶わないのです。デュオンがここへ来る少し前、私より長くこの邸宅にいたドニという男が寿命で逝ってしまいまして……三日三晩泣き止まぬので困り果てたものです。ですから、お二人のいたドレッシングルームも、初めはお嬢様の仕業かと思いました」
「ドニ……? 他にも居たの?」
「ええ。私が言うのもなんですが、もうだいぶ高齢でした。彼は村の人間ではなく、旅人でした。かなり前にこの邸宅へ迷い込んだそうで、私は彼に屋敷の手入れを一通り教わりました。ドニが若い頃にはもっと人がいたという話です。皆、病や寿命で倒れ、彼だけが今日まで生きながらえておりました」
ジャンもアレットも、黙ってコームの話を聞いていた。
「ドニがここへきて最初に亡くなったのは、この邸宅が出来た頃に雇われたコックだったそうです。もっとも、その男が雇われたのは十代の頃という話ですから、ほんとうに遠い昔です。たまに誰かが迷い込んでは定住し、亡くなってを繰り返していたそうです。誰もが私と同じ理由でここに残ることを決めたわけではないかもしれませんが……お嬢様を放って置けなかったというのは皆同じでしょう」
安置所の遺体が使用人や貴族の服を着ていたのは、彼女が迷い込んだ男達に屋敷の仕事をさせていたからだろうか。
「男だけを惑わせ、誘い込んでは餌にしてるってことか?」
「そんな、まさか! お嬢様は使用人たちの亡骸から栄養を得ているのです。神官たちは聞く耳を持たず、問答無用で我々を攻撃してきたので、お嬢様はただ身を守っただけだ。五年前もそうだった……この邸宅に男しか訪れぬのも、決して意図してのものではございません。現に私などは、ここへ残ると言った日に庭へ放り出されました」
「オレも……村へ帰れとずっと言われてるよ。頼むから、自分の人生を棒に振るなって……それきりずっと無視されてる」
アレットは額を抑えて、溜息を吐いた。
「じゃあ、二人はいつでもここを出られるってことね?」
その質問に、今度はデュオンも黙って頷いた。
「でも待って。クリスの話では、生きた人間が区域内いると封印魔法が使えないって話じゃなかった? お爺さんの話では、その時ドニって人も一緒にここにいたんだよね?」
「あの時、我々は邸宅の傍に身を潜めておりました。最初に四、五人訪れて、我々を不躾に扱ったのでお嬢様がお怒りになって……そうして複数人で訪れた時にはお嬢様が邸宅の外に出ているようにと」
「それなら、封印後に貴方達がここへ戻った時点で、封印魔法はとっくに解除されてたってこと?」
「私には魔法のことはよく分かりませんが、そうなのですか? ならば封印が解けたのも、新たな迷い人を引き寄せてしまったのも私とドニの責任です。お嬢様は悪くありません」
アレットはいよいよ頭が痛くなってきた。
「私達の目的は、生きているとされている神官二人と青年の救助なの。神官たちはどこ?」
「彼らは死にました。話の通じない敵には情けは無用と……そうでなくとも、お嬢様はああなる以前から神職を毛嫌いしていたそうですから」
地下にこんな教会紛いの部屋を作っておいて、神職を毛嫌いしているとは皮肉な話である。アレットの心中を察してか、コームは大袈裟に咳払いをした。
「彼女は就寝前と後に、必ずこの広間で祈りを捧げております。信仰心をお持ちなのでしょう。肉体は人離れしていても、その心は人間なのです」
ミレーヌがどんなに人の心を持っていようが、神官を何人か殺している以上、クリスの命が危険なことには変わりない。
「分かった。じゃあ、爺さんとあの女には手を出さねーよ。ただ、デュオンは縛ってでも連れていくぜ? 俺達の目的は人命救助だからな。ただ、それが終わればもう一度教会の連中がこの場所を封印しにくる。その時にアンタがいたら、また無駄な犠牲が出ちまうかもしれねぇ」
ジャンの言葉で複雑な状況が整理され、単純化していく。アレットは彼の決断力に助けられた。双方無駄な血を流すことなく事態を収拾できるなら、その方がいい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺もここに残る!」
「いや、お前は一度村へ連れて帰る。そう約束しちまったからな」
「そ、そんな横暴な――」
「爺さんはもう手遅れだが、アンタにはけじめをつけるチャンスがあるだろ。それさえ終わればどこにいようと止めねーよ。てめぇの好きにしな」
気まずそうに視線を逸らしたデュオンを見て、アレットはようやく察しがついた。おそらく、彼はベレニスと恋仲だったのだろう。ジャンにはそれが最初から分かっていたようだ。
他の女性に心を奪われてしまったのは仕方がないかもしれない。しかし、別れも告げずに姿を消そうだなんて、確かに随分都合がいい。
「俺たちの友人がアンタ等のお嬢様に殺されかけてんだ。とにかく今は、それをなんとかしたい。協力してくれるか? 協力してくれれば爺さんの生活を邪魔しないと約束する」
「協力しない場合はどうなるのですか?」
「今までと一緒だ。だが、俺達が失敗すれば、神官達が大挙して押し寄せる可能性はある。協力すれば一時しのぎではあるが、教会の目は上手く誤魔化せる。それと一応断っておく。もし協力を拒否するなら、その時点で俺達とアンタ等は敵同士だ」
ジャンがアレットに視線を寄越したので、アレットは預かっていた大剣を彼に返した。しかし、心配は要らなかったようだ。
「いえ、協力させていただきます。これだけの間お姿がみえないということは、お嬢様も苦戦なさっているのでしょう。抵抗などしません。私に至っては死にかけの老いぼれです」
「なら、俺と一緒に中庭へ来てもらうぜ」
ジャンは老人の手を引いて、広間のドアに手を掛けた。アレットもその背に続く。アレットの傍らへ駆け寄り、ついてこようとしたデュオンの足音に気付いたのか、ジャンは振り返りもせずに言った。
「お前は来なくていい。ここで大人しく待ってろ」
デュオンはびくりと足を止めた。普段から感情表現が豊かなジャンとは思えないほど温度の無い声に、アレットまで緊張してしまう。情けない顔で肩を落とす青年を尻目に、アレット達は地下室を後にした。




