第26話:年老いた生存者
クリスはアレット達の出て行ったドアを背に、吸血鬼と対峙していた。煩わしい祭服を腰巻きの布の部分まで脱ぎ去り、防御を捨てた。汗で張り付いたハイネックのインナーが外気に晒され、急激に身体を冷やした。
「わざわざお仲間を見逃し、ご自分を犠牲にいたしましたのに……まさか、なんの策もお持ちでないのかしら? 芸の無いこと」
そう言いつつ、彼女はクリスを警戒していた。なんの策にもなしに、一人残るなど有り得ないという考えが透けて見える。人間離れした身体能力と魔力を持ってはいるが戦闘経験は浅いのだろう。
「言っておきますが、わたくしに魂を移した品などありませんわ。あの二人に望みをかけたようですが、残念でしたわね」
「そうでしょうな。あれはなるべく時間を稼ぐための嘘ですから」
「……なんですって?」
「禁術の手順にそれが必要なのは嘘ではありません。しかし、貴殿がその手順を踏んだとは限りませんからな。あればいいですが、なくとも然程困りません」
吸血鬼はじりじりと後退し、クリスとの距離を測った。無暗に近づくのは止めたのか、死人たちの猛攻が始まった。クリスはリーチの長い手足で、それらをいなすと首へ下げた十字架を握りしめた。
祝福の光が一瞬だけ辺りを照らし、その光で死人たちが一度に複数消滅した。
「はっ、まさかとっておきというのはそれのことですの? 警戒する必要もございませんでしたわね。その程度なら出し惜しみなく使っていてもよかったのではなくて?」
再び距離を詰め、周りの死人と供にしなやかな打撃を放つ吸血鬼に、防御を強いられる。死人は祝福された領域に近づけないが、吸血鬼にはまるで効果がなかった。
しかし、こうして距離を詰めてきたところまではクリスの思惑通りであった。問題は、如何にして隙を突くかである。
「怪物め……ッ」
苦し紛れの呟きが、その怪物の動きを止めた。クリスはその隙を見逃さず、懐から赤い布を取り出した。さる聖人の骸を包んでいたとされるその布は、中央教会から賜った対死霊用兵器の一つであった。それで彼女を拘束してしまえば、確実に動きを止められる。
しかし、息を吐く暇もなく閃光のような足蹴りが繰り出され、クリスは咄嗟に布を張ってそれを防いだ。渾身の一撃を、なんとか防ぎ切ったのだ。続く猛攻撃に、防戦を強いられる。
「ぐっ、……!」
「何度も、何度もわたくしを侮辱して……ッ! その口、よっぽど不要とみえますわ!」
クリスの喉を、鋭い爪が狙い穿つ。咄嗟に避けるも、爪は彼の頬を掠めた。裂けた肉から飛び散った血液が彼女の美しい顔を汚した。吸血鬼がその血に反応を示し、一瞬だけできた隙をついてクリスは布を投げつけた。
「尊き者の光よ、穢れた魂を拘束したまえ!」
「なっ……、ぐぁッ!?」
蛇のように独りでに蠢く布は、吸血鬼の身体へ巻き付き、手足を拘束した。バランスを失い地面へ倒れた彼女は呻き声を上げながら、蚯蚓のようにもんどりうって暴れ回った。
「無駄だ。その布は人の理を外れた身を、外れた分だけ縛り上げる。貴殿のような人ならざる力を持った化け物を、人以下にする道具だ」
「くっ、……力が、入らないッ!」
中庭を覆っていた霧が晴れ、死人たちはピタリと動きを止め、バタバタと倒れた。どうやら、この場所の異常は魔力によるものだったらしい。死人たちは完全に中身のない傀儡であった。クリスは弄ばれた骸たちに合掌し、短い祈りを捧げた。彼等の魂は既にこの世にないため、それは意味のない行為であったが、そうせずにはいられなかった。
「さて。すぐに首と胴を切り離してしまいたいが、私の友人達のためだ。貴殿には聞きたいことがある」
「あら。それは良いことを聞きましたわ。こんな状況でわたくしが素直に首を縦に振ると思って? 聞きたいことがあるならこの忌々しい布を取るのが先でしてよ」
「私が人払いをしたのは何故か、まだ理解していないようですな」
クリスは腰に下げた革のケースから、銀で出来た首輪を取り出した。その首輪を彼女の細い首に乱暴に取り付けると、聖句を呟いた。
「本来、異端を取り締まるために使われていた道具です。もっとも非人道的な異端審問は五十年ほど前に廃止になりましたが……嘘を吐けば、その首輪が貴殿の首を焼きます」
異端者の首には、消えない火傷の痕がある。それは異端の証として古くから伝わっている。吸血鬼はその存在を知っていたのか、一気に表情が強張った。
「趣味の悪いものを……っ、これだから神官というものは――」
「ええ、私も教会の方針に疑念を抱く時があります。それこそが試練だと考えておりますが、どうしてもアレット殿にはお見せしたくありませんでした。さて……噂に聞くと吸血鬼というのもは手足を切り落としても死なないそうですな」
「……、……」
「私が貴殿にお聞きしたいのは、二人の腕に嵌っている腕輪のことです。知っているのでしょう?」
腕輪について情報が得られなければ、すぐにトドメを指すつもりだった。もし吸血鬼が生きながらえるために嘘を吐いても、首輪が教えてくれる。クリスにとっては彼女が何も知らない方が、都合がよかった。しかし、彼女は意外にも大人しく頷き、首輪はなんの反応も示さなかった。
クリスは内心で厄介な状況に陥ったことを嘆いた。説教はともかく、尋問は得意じゃない。聖者の布も、対象を永久に縛っておけるわけではない。クリスにも時間がないという事実を、決して覚られてはいけなかった。
◇
「ドレッシングルームだと思う」
アレットは東棟の廊下を走りながら、ジャンへそう告げた。
「なんでそう思うんだ?」
「なにかを隠すなら丁度いい場所だし、なにより女性の思い入れのある品なら身に付ける物である可能性が高いでしょ?」
美を極めたと謳われるミレーヌは、自身へ好意を寄せて来る相手には必ず贈り物をさせたらしい。価値の高い宝石やドレスを献上することが彼女と会うための第一条件だったとされている。
「片っ端から戸を開けて、それっぽい部屋があれば中を探ってみるか」
ジャンとアレットは中庭から一番遠い二階の端から部屋を開けていくことにした。その方法が幸運を呼んだのか、二人は割とあっさりドレスルームを見つけた。洋服棚がズラリと並ぶ広い部屋から、目ぼしい品を手分けして探す。
「大体、魂を分けた器なんて、見ただけでそれと解るのか?」
「きっと本人の魔力を帯びてるはず! それっぽいのがあれば私のところに持ってきて」
ドレッサーや箪笥の戸を端から引いてひっくり返す。ドレスはどれも古っぽいが、ほとんど一度も袖を通していないのか、かなり状態が良かった。部屋の中も多少埃っぽくはあるが、家具や布は原型を留めている。
「この邸宅……きれいすぎると思わない?」
「そうかぁ? 暗ぇーし埃っぽいし、外側も苔むして如何にも廃墟って感じだったろ」
「二百年前の建造物だよ? 誰かが定期的に手入れでもしてなきゃ、おかしいって――」
そこまで言って、アレットは入口でみた柱の修復痕を思い出した。ミレーヌや彼女の操る死体に実体があるなら、実際に手入れをして、維持しているのかもしれない。
「遺体を操って、掃除や邸宅の修復をしてるってことかな?」
「……そりゃねーんじゃねぇのか?」
ジャンは手を動かしながら、アレットの考えを否定した。
「どうして?」
「考えてもみろ。お前が魔法で俺の剣を浮かせて操ったとして、その剣を俺のように振るえるか?」
「……確かに、無理だね」
「アイツ等からは意志が感じられなかった。攻撃すらまともに避けねーんだ。最低限の知能どころか本能的な反射神経すら死んじまってる」
ミレーヌに掃除や建造物の修繕知識があれば可能である。しかし、いくらアレットが彼女の能力を買っていても、おそらくそこまでの知識はないと言い切れる。なにせ、生粋のご令嬢だ。語学や芸術、政治の知識があっても身の回りのことは使用人任せだろう。なにも彼女が悪いわけではない。公爵令嬢として生まれ、王の妃になる教育を受けた人間として、それは当然のことである。
「入口に比較的新しい修繕の痕があったんだよ。その時は気味が悪いぐらいにしか思わなかったけど……考えてみたら、それも変だよね? 実体があるっていっても、この邸宅内で生きてるのは彼女しかいないのに」
「そりゃあ、確かに……不気味だな」
結論の出ないことをあれこれと考えていても仕方ない。探索に集中しようとアレットが手元に視線を戻した時、ジャンがアレットの元へやってきて装飾品の山を置いた。
「鑑定頼む」
「こんなに……? もうちょっと厳選できない?」
「仕方ねーだろ、どれも同じに見えるんだ」
アレットは魔法の光に反射してきらきらと光る彼の装飾品を睨んだ。盗賊から奪った盗品を勲章のように付けている冒険者をみたことがある。ジャンもその類なのだろうか。
「宝石の類が好きじゃないなら、その装飾はなに? 結構高価なものもあるみたいだけど……」
「これは俺のじゃねーよ。持ち主たちから一時的に預かってんだ」
「なにそれ……宝石を人に預けるなんて、変な人たちもいるんだね」
金目の物を人に預けるなど、考えられない。売り飛ばされてしまっても、構わないのだろうか。よっぽど信頼を置いているのかもしれないが、律儀に預かってるジャンも相当な変人である。敢えて価値の分からない人間に預けたという可能性もある。
「詳しくなくても、厳選はできるでしょ? 女性が好きそうな色とか趣味がいい物とか」
ジャンは装飾品の中から緑色の宝石がはめ込まれた耳飾りを持ち上げると、アレットの耳に当てがった。そして、「ふむ」と短く鼻を鳴らす。
「じゃあ、これ」
目の前に置かれたのは、確かに可愛らしくてセンスのいい装飾品だった。しかし、アレットは自分に似合うものを探せと言った覚えはなかった。そしてなにより、こんな時に特に深い意味もないであろうジャンの行動に、ときめいている場合でもない。
「わ、わたしに合いそうなの探しても意味ないから……ちゃんとミレーヌが好きそうなの選んでよ」
「そう言われても、あの女の好みなんて知らねーしなぁ。厳選するなら同じ女のお前の方が、いいんじゃねーの?」
「その人にとって思い入れがあるかどうかなんだから、性別は関係ないよ。私なら、自分の魂を宝石には移さないだろうし」
伝え聞いた歴史上の悪女、ミレーヌが半身を預けた品なのだから、宝石や装飾類を当たるのが妥当だ。しかし、違う可能性だってある。あまりここに時間をかけてもいられないのだ。
「へぇ、お前さんなら何を選ぶんだ?」
「……、ま……魔導書?」
自分の人生を変えた一冊がある。思い入れがある品といわれて真っ先に思い浮かんだのがそれだった。つい深く考えずに答えてしまったが、あまりの色気のなさにアレットは自分でも呆れてしまった。
「なるほどな。確かに本なら他のと一緒に書庫へ置いちまえば見分けもつかねーし、いいかもな」
笑われるかと思ったのに、意外な反応が返ってきてアレットは気後れしてしまった。彼女が魂を分けた品なら、身に付けておける装飾品だと思い込んでいた。言われてみれば確かに、隠すことが前提なら目立つ宝石よりも本の方が地味でいい。
「確かに、書籍とか気に入ってる小物って可能性もあるね。それに――」
不意に廊下から聞こえた足音に、アレットは言葉を切った。二人は互いに顔を見合わせると、魔法の光を消し去り、すかさず部屋の奥の箪笥の中へ逃げ込んだ。狭くて暗い空間で身を寄せ合いながら、小声で言葉を交わす。
「まさか……ミレーヌ?」
「だったらとっくに匂いや気配でバレてんだろ。別の奴だよ」
「別の奴って誰?!」
「俺が知るかよ! 静かにしてろって!」
ジャンはアレットの小さな身体を後ろからすっぽり抱き込み、大きな手で口元を塞いだ。箪笥の戸の隙間から僅かに部屋の様子がみえた。部屋の中を散々引っ搔き回し、散らかした。当然、片す余裕などなかった。部屋の有り様を見れば、ここに人がいることなど一目瞭然である。
廊下の足音がドレッシングルームの前で止まり、二人の鼓動は早くなった。続いて、きぃと戸を引く音が部屋に響き、アレットは息を呑んだ。吸血鬼は五感が異様に優れるとクリスが言っていた。もしミレーヌなら、隠れていては劣勢になるだけだ。
「……おお、なんという荒れようか。お嬢様、いるのですか?」
ドクリと、心拍数が上がった。しゃがれた、年寄りの声だ。
「お嬢様、ミレーヌお嬢様?」
老人はゆっくりと荒れたドレッシングルームを徘徊しているのか、箪笥の隙間から暗がりに浮かんだランタンの灯りが、左右に揺れているのが見えた。人間だ。この邸宅には、生きた人間がいる。アレットはすぐに箪笥を出ようとした。しかし、後ろからしっかりと抱き込まれていて身動きが取れない。
「ちょっと、離してよ……!」
「ばか、まだ敵か味方かわかんねーだろ!」
「敵意も殺気もない、明らかにただの老人でしょ」
「だとしても、急に見知らぬ人間が箪笥から出てきたら、吃驚して腰抜かしちまうだろーが!」
ガタガタと箪笥が揺れた。老人はそれに気付いたのか、おっかなびっくり、ゆっくりと距離を縮めて来る。
「その中にいるのは、ミレーヌお嬢様ですか?」
その問いに、アレットは少し間を置いて小さな声で応えた。
「ち、違います。急に人が来たので吃驚してここに……」
「そ、そうですか。ならば、デュオンの他にも迷い人がここに?」
老人を警戒し、ジャンは背中の剣を抜きアレットの眼前で構えていた。そして、間合いに入ってきた老人に敵意がないことを確認すると、剣をそっと降ろした。
アレットはゆっくり箪笥の戸を開け、老人に姿を見せた。すると、老人はギョロっとした眼玉を大きくして、アレットをみた。
「……女性?」
「えっ、……?」
まるで珍しい物でもみるかのように、上から下までじっくりとアレットを眺めて緩慢な動きでふらふらと距離を詰めてきた。ジャンがすかさず間に立ち、老人の軌道を遮った。
「よぉ、爺さん。ここに男もいるぜ。女がそんなに珍しいかい?」
「お、おお、これはとんだ失礼を……お嬢様以外の女性を見るのは本当に久しぶりで」
老人は目を伏せて、もごもごと口元を動かした。背は曲がっていないが、目が良く見えていないようだ。アレットが再び魔法の光で周囲を照らすと、老人の全貌が見えた。黒く荒れた肌を見て、一目で農民だと分かる。その人が酷く不似合いな、シルクのシャツを身に付けている。
「先ほどデュオンと仰いましたよね? 私達はその若者をここへ探しにきたんです」
「……そうでしたか。いえ、彼は無事です。はい。ここにいますとも」
アレットとジャンは顔を見合わせた。まさか行方不明者以外の人間が居るとは思わなかったが、ここで老人と出会えたのは、幸運だったかもしれない。
「そいつはどこにいるんだ?」
「地下にいます。一階の書庫にある隠し扉の先です」
「マジか? 教えてくれてありがとよ爺さん」
「――ちょっと待って」
つい先刻、この老人は確かに”ミレーヌお嬢様”と口にした。デュオンが生きていたとしても、ミレーヌに捕らえられている状態なら、こうもあっさり居場所を教えるだろうか。
「お爺さん、失礼ですが貴方は何者なの……?」
老人はもごもごと口を動かしただけで、アレットの問いに答えなかった。どうやら、耳も少し悪いようだ。アレットが同じようにもう一度問いかけると、老人はハッとしたように口を開いた。
「私はコームと申します。」
老人はそこで言葉を切って、続けた。
「六十年前、この邸宅へ迷い込んだ、デュオンと同じ人が消える村の出身者です」




