第25話:麗しの吸血鬼
視界の悪い霧の中、白と赤で染められた美しい死霊の姿だけはくっきりと浮かび上がっていた。血の気の引いた使用人たちの霧の中からの奇襲に、三人の息は上がる一方だった。
「クソ、まるで人形でも切ってるみてーだぜ」
ジャンの剣筋は相変わらず見事で、動きの遅い使用人たちに後れを取ることはなかった。手足や首がバタバタと地面に切り落とされる。しかし、その断面からは一滴も血が落ちなかった。確かに、人形のようだ。
「全身から血が抜かれているようです。おそらく、既に命を落としています。遠慮はいりません」
「死人ってこと? どういう原理で動いてるの……気味が悪すぎる」
クリスは襲いくる死人を素手で往なし、時々カウンターを打っては経典の文言を呟いている。アレットは祝福された狩猟ナイフを片手に、用意してきた魔鉱石で魔力を補いながら死人に火を放った。
やはり、火は効果的だったようで、切っても殴っても起き上がってくる死人たちはアレットの炎で無力化した。それが分かっているのか、死人たちはアレットを集中的に狙ってきた。
「なるほど。炎を操る魔導士だから、あの女怪は真っ先に貴女を狙ったのですな。ジャン殿、アレット殿の傍を離れぬよう頼みます!」
「任せろ!」
ジャンはアレットの背を守るように彼女の背後へ回った。背中合わせになりながら、二人は襲って来る死人を次々となぎ倒す。
「女怪? ――貴方、今わたくしのことをそう呼びましたの……?」
「慈しみ深き主の名の下に、罪深き穢れた魂を浄化せん……女神の愛と、憐れみをもってこの者の魂を導き給え。願わくば、その魂が二度と迷うことなく神の国の座へ還らんことを――」
クリスは死霊の問いかけに答えず、絶えず経典の文言を繰り返していた。この世の理から外れた存在と対話をしてはいけない。アレットは荷馬車の中でクリスにそう教わっていた。
クリスが彼女に釘を刺したのは、死霊に対する思い入れが深いと見抜いたからだろう。邸宅に巣食った死霊の正体がミレーヌでなければ、アレットはきっと心の隙さえ見せなかった。邸宅に足を踏み入れた時点でアレットは既に魅入られていたのだ。
「ぐっ――!!」
短い呻き声の後、枯れた植木がバキバキと倒れる音がした。アレットは咄嗟に魔法の光を顕現して音のした方角を照らす。濃い霧の中、よろめきながら立ち上がるクリスの影が視えた。
「クリス!」
「ただの卑しい肉塊の分際でわたくしの言葉を無視するなんて……許されないことですわ」
視界が悪すぎて、なにが起きているのか分からない。ジャンはアレットの背に自身の背を預け、発破をかけた。
「余所見すんな! 心配しなくとも、死霊退治はアイツの専売特許だ。下手に動けばそれこそ足手纏いになる」
「でも、死体を操る死霊なんて聞いたことある? なにか変だよ……」
霧の中で、真っ赤なドレスが踊るようにはためいた。ギラリと赤い閃光が走り、長く白い脚が鞭のようにしなって、クリスの巨体を蹴り上げた。必死に体勢を立て直すも、素早く繰り出される打撃はクリスの防御を崩していく。魔法の光でそれを目の当たりにしたジャンは、息を呑んだ。
「なんだ、あの怪力……あんな細腕で、クリスの身体を吹き飛ばしただって……?」
非力な細腕で屈強な男性を凌ぐ身体能力を発動させる術なら、ないわけじゃない。少々特殊だが、魔力を己の筋肉へ流し、筋力を増加させるのだ。治癒魔法とはまた違った技術を必要とするので、体得にはそれなりの鍛錬がいる。魔力と供に体力も激しく消耗するのでコスパが悪く、魔法の才能があればわざわざ扱うメリットはない。かと言って、魔法の才がない者では筋力差を凌げるほどの威力にはならない。
つまるところ、無尽蔵に魔力を使えるのであれば強力な魔法だが、実戦向きではない。
「それ以前の問題だよ。ジャン、前に言ってたよね。死霊は実体がないって……」
「あるわけねーだろ。幽霊だぞ」
「なら、どうしてクリスの身体に彼女の攻撃が当たってるの?」
そう、どう考えてもおかしかった。人間技じゃないというより、死霊の技じゃない。
「……よし、援護するぞ」
神官としてのクリスの腕を信じていても、アレットの言葉に不安を感じたのだろう。ジャンは押され気味のクリスの援護に走った。その背後を狙う死人をアレットが魔法で薙ぎ払う。
クリスの拳に卓越した剣捌きが加わり、ミレーヌはステップを踏んで軽やかに身を引いた。
「まぁ。女性相手に男性二人がかりですの?」
「化け物相手に、の間違いですな」
クリスの返しに、ミレーヌの蟀谷がピクリと動いた。肩で息をする二人に対し、彼女の呼吸は乱れてすらいない。
「それならもう、手加減はいたしませんわ」
ミレーヌはドレスの裾を持つと、艶めやかな太腿が見える部分まで素手で引き裂いた。男二人の視線が、一瞬だけ彼女の脚へ釘付けになる。
「ひ、卑怯だぞ! 俺達を惑わせる作戦か!」
「な、なんと卑劣な……これでは脚ばかりに目がいってしまう!」
アレットは思わず二人の背中を平手で打った。
「ふざけてる場合か! まったく……こんな調子でなんで私だけ魅了されたんだろ」
彼女の嘆きを拾ったのは、敵対者であった。
「安心なさいアレット。わたくしの魅了は馬鹿には効かないのです」
「……、……気安く呼ばないで」
「あら残念。わたくし、嫌われてしまいましたのね」
白々しい口調に、アレットは憮然とした。
「まぁ、もとより女性に用はありません。そちらの剣士さんは黙っていれば相当な美丈夫。是非わたくしの傀儡に加えさせていただきますわ」
ミレーヌの冷たい視線がクリスを射抜いた。
「でも、貴方は不合格ですわ。身体は丈夫みたいなので、輸血タンクとしては優秀そうですが……そのいかにも硬そうな筋肉と皮膚が鬱陶しすぎますわね。バラバラにしてミンチにしてから血液だけを絞って……残骸は獣の餌にでもいたしましょう」
彼女の気迫を前に、男二人はじりじりと後退する。
「血の抜けた遺体、凄まじい魔力、加えてあの怪力……伝え聞いてはおりましたが、まさか実在するとは」
クリスが確信めいた口調で呟いた。
「どういうこと? 彼女は死霊なんじゃないの?」
アレットは襲って来る死人を燃やしながら、クリスに問いかけた。暫くの間を置いて、クリスは二人に謝罪の言葉を告げた。
「お二人とも……謝って済む問題ではないかもしませんが、本当に申し訳ございません」
クリスの嘆きを拾って、ミレーヌは恍惚とした笑みを浮かべた。どうやら、こちらの様子を伺っているようだ。
「まさかと思っていたことが、いま確信に変わりました。どうか私を置いてお逃げください」
「ああ?! 却下だ。ありえねぇ」
「せめて訳を教えて。じゃないとジャンも私も納得できない」
口の端に着いた血を拭って、クリスが重々しい口調で言った。
「あの女怪は死霊などという可愛いものではありません。非業の死を遂げた死者の魂は、迷うものです。私にとってそれらは救うべきもの。しかしアレは間違っても死者ではありません。人を喰らう鬼です。人の死をもってしか生きられぬ、死臭を纏った鬼という生命体なのです」
「お、に……? よく分からないけど、生きてるってこと」
「ええ。れっきとした生命体です。我々教会はそのような怪物と成り果てた人間を鬼と呼んでおります。人の血を吸って生きながらえる殺人鬼……さしずめ”吸血鬼”といったところでしょう」
アレットはクリスの説明を聞いて、余計に混乱した。
「い、生きてるって……だって彼女は、ミレーヌ・ド・ダンジェを名乗ったんだよ? に、二百年前の人が……生きてるなんて、そんな……」
簡単には受け入れ難い。美しい佇まいを崩さないミレーヌを、アレットはまじまじと見つめてしまった。
「女怪だ鬼だと……酷い言い様ですこと。気が変わりました。貴方のことは生まれてきたことを後悔するまでゆっくり殺してさしあげます。手足をちぎって血を抜き取った後、首輪と口輪を付けて飼い犬にしてもいいかしら」
先程テラスで会話した淑女など、いなかった。今、アレットの目の前にいるのは、残忍で恐ろしい吸血鬼だった。
「人体を糧にし、その体内エネルギーを取り込めば、膨大な魔力を得ることできます。更に言えば、食料さえ尽きなければ生きながらえることは可能です。それは禁術とされ、古来より処罰の対象になってきました。対峙するのが初めてというわけではありませんが――」
クリスは堪らず視線を落とし、苦し気に顔を歪めながらミレーヌを詰った。
「貴様は二百年もの間、その姿で生きながらえるため……何人殺したのだ? この死人たちは、あと何人倒せば尽きる?」
死者と対話をしてはいけない。それは鬼にも当てはまるのだろうか。にぃっと口角を吊り上げて笑う彼女の唇からは、隠しきれない獣の牙が覗いていた。
「そんなこと、覚えていませんわ」
ゆらりとその美しい体躯が揺れたかと思うと、一瞬で距離を詰めてきた。ジャンが素早く反応し、僅かな隙をついて剣を振り下ろす。吸血鬼はすぐに身を引いて舌を打った。
「貴方、厄介ですわね。いかがわしい腕輪のせいで魅了も効きませんし、なによりその身のこなし――」
「あんたこそ、お嬢様だって割には動きが板についてやがるな。習いごとでもしてたのか?」
「安い挑発ですこと。期待させて申し訳ありませんが、わたくし武芸は嗜んでおりませんでしたの」
「惑わされてはなりませんぞ。動きは獣のそれです。どの流派でもありません。人体を糧にすると、異様なほど五感が優れるのです」
クリスの言葉にまた、ミレーヌの蟀谷に青筋が浮かんだ。死人のような真っ白な顔が僅かに紅潮した。
「言うに事を欠いて、獣……ですって? どうやら、わたくしを散々コケにするその口から塞がなければならないようですわね」
「お二人とも、お聞き下され。このような手合いと相対するのは、なにも初めてではございません。尤も、これほど長く生きながらえた鬼は初めて目にしましたが……想定外であっても策がないわけではありませぬ」
彼の視線が、すぐ脇にある扉へ注がれる。
「そちらの扉は、我々が入って来た扉とは別のものです。おそらく、東の棟に通じていましょう。奴がこうして中庭に現れたということは、東側になにかあるに違いありません」
「なにかって?」
「鬼へ転じる禁術を行うには、避けられない手順があるのです。もっとも思い入れのある品に、自身の魂を半分移すのです。その技法により、人の心を捨て鬼となる……それを破壊すれば、鬼も消えます」
「人に、戻るってこと?」
「いいえ。一度他者を糧にすれば、二度と人へ戻ることはありません。お二人にはそれを探して、壊して欲しいのです。頼めますかな?」
「それなら私一人で行く。ジャンはクリスの援護を――」
アレットの提案を否定したのは、ジャンだった。
「忘れたのか? 俺とお前は腕輪の所為で離れらんねーんだ!」
腕輪のことをすっかり忘れていた。考えてみれば、魅了に掛かっていた時も、彼と離れれば腕輪がなんらかの反応を示す筈だった。アレットはそんな違和感にも気づけないほど、深くミレーヌの術に嵌っていた自分が情けなかった。
「私なら一人で大丈夫です。実はとっておきの大技がありましてな。しかし、周囲の人間を巻き込んでしまうので如何せんどうしたものかと――」
「わかった。お前がそこまで言うなら信じる」
「ジャン!?」
「だが、クリス。お前は俺達の命綱だってことを忘れんなよ」
クリスは場違いなほど、快活な笑い声を上げた。
「素直に”死ぬな”と言えばいいものを。貴方という人はまったく……いつもこういう時にだけ他人を当てにしているかのように振る舞うのですから。ですが、ご安心を。死ぬつもりなど毛頭ございません」
ジャンとアレットは互いに顔を見合わせ、頷き合った。扉に手を掛けたアレットに気付いたミレーヌが、突進してくる。それをクリスが素手で受け止め、押し合いになった。
「さぁ、はやく! 行って下さい!」
ジャンはクリスを振り返るアレットの背を押して、二人は中庭を出て駆け出した。廊下へ出たアレットは、目に溜まった涙を拭いながら、急いで廊下に連なった部屋の戸を開けて寝室へ飛び込んだ。
「おい、アレット……」
「ねぇ、手分けして探そう」
「いや、それはダメだ。ここで俺達がはぐれたら、事態が悪化する」
「でも、急がないとクリスが――」
寝室の箪笥を引っ搔き回しながら、アレットはほとんど泣き声をあげていた。ジャンは一心不乱に寝室をひっくり返すアレットの肩を掴んで、軽く揺すった。
「おい、らしくねーぞ! 落ち着け、クリスなら大丈夫だ」
「どうしてなんの根拠もなくそんなことが言えるの?! 大丈夫なわけないじゃん! 貴方も彼女のあの強さをみたでしょ?」
半泣き状態のアレットを見て、ジャンは大きく息を吐いた。
「これは口止めされてたんだが……仕方ねぇ、クリスの正体を教えてやる」
「しょ、正体……?」
「アイツは中央教会の中でも特別な称号を持つ魔祓いのエキスパートだ。公にできない仕事を秘密裏に請け負う”執行人”と呼ばれる役職に就いている」
そんな役職、アレットは聞いたことがなかった。訝し気な顔で眉を顰め、ジャンの顔を見返した。
「そんな話聞いたことないけど?」
「言ったろ。その存在自体、隠されてんだよ」
「なんで貴方がそれを知ってるの?」
「今、それを話してる時間はねぇ。無事にここを出られたら話してやる。とにかく、今は”不死身のバロン”の異名を信じるっきゃねー」
「……不死身の、バロン?」
考えてみれば、おかしな点はあった。王都の移民街にあるボロ臭い教会で活動するクリスに、わざわざ禁域での人命救助などという危険な任が降りた理由だ。中央教会の出身者であるにも関わらず、自らその立場を抜けた人間へのやっかみだと思っていた。王宮にいた神官達のことを考えると、わざと死地に追いやるぐらいのことはしそうだったからだ。
「そっか。そもそも、クリスの任務は彼女を倒すことじゃなかったよね? 邸宅にいる人を助け出すことだ」
「おし、調子が戻ってきやがったな! で、クリスの言ってた思い入れの品がありそうな場所ってやつは何処だ?」
「それが分かってたらこんなに慌ててないよ」
「しっかりしやがれ。ちゃんと考えれば場所ぐらいなら予想つくんだろ? 俺はお前の知識を当てにしてんだ」
ジャンはいたずらっぽくニカっと笑って、片目を瞑った。
(……あ、れ?)
アレットは急に早くなった鼓動を誤魔化すために、ジャンの手を振りほどいた。
「調子いいこと言わないで、貴方もちゃんと考えて」
顔が熱いのは、取り乱したことを恥じているためだ。そう言い聞かせ、アレットは深呼吸を繰り返した。
漸く少し落ち着いて、思考がクリアになった。クリスを助けるためにも、吸血鬼が魂を移したという品の捜索と、まだ生きている筈の村人と神官の救助を急がなければならない。
「迷わず私を攻撃してきたところをみると、クリスの読みは間違ってないはず」
「おう。だが時間がねーのも確かだ。俺は指示通りに動くから、考え事は頼んだぜ」
ジャンとアレットは、東棟の捜索を開始した。




